八百七十年越しの天敵
第88話 八百七十年越しの天敵
《双王凱旋祭》が終わった翌朝。
魔王城は、三日間の騒ぎが嘘だったかのように静かだった。
城下町にはまだ祭りの飾りが残り、窓から外を見れば、片付けをしている魔族たちの姿が見える。
僕は少し遅めの朝食を終え、アンたちがいる部屋へ向かっていた。
「それにしても……」
昨日までの光景を思い出す。
すごかった。
本当に。
三日三晩。
飲んで。
食べて。
歌って。
踊って。
最後まで元気だった魔族たちもすごいけど。
一番すごかったのは。
「ベラだよなぁ……」
ほぼ三日間。
ずっと城下町にいた。
僕も何度か一緒に行ったけど、途中でついていけなくなった。
アンに至っては、二日目の途中から王城へ逃げ帰っていた。
それでも。
ベラだけは最後までいた。
酒を飲み。
肉を食べ。
知らない魔族と肩を組み。
五百年前を知る老人たちと昔話をして。
子供たちに囲まれ。
また酒を飲んでいた。
「元気すぎるんだよ……」
そんなことを考えながら。
部屋の扉へ手をかける。
「失礼しま――」
「ベラ様」
「……」
閉めた。
僕は。
そっと扉を閉めた。
「……」
今。
なんか。
ものすごく嫌な空気だった。
「ソル」
中から。
アンの声。
「何してるの」
「いや」
「入って」
「僕、後でも」
「入って」
「はい」
逃げられなかった。
もう一度。
扉を開ける。
中には。
アン。
ベラ。
セラ。
そして。
机の上。
大量の紙。
いや。
大量というか。
山。
「……何これ」
僕が聞く。
アンが。
無言で。
紙の山を見る。
ベラも。
無言。
セラだけが。
笑顔。
怖い。
「ソル様」
「はい」
「ちょうどよいところへ」
「僕、関係ないですよね?」
「証人になっていただきます」
「何の!?」
「ソル」
ベラが。
小さな声で呼ぶ。
「何?」
「助けよ」
「何したの?」
「まだ何もしておらぬ」
「その紙の量でそれは無理があるよ」
セラが。
一枚。
紙を持ち上げる。
「ベラ様」
「……なんじゃ」
僕は。
少しだけ。
違和感。
「そういえば」
三人が。
僕を見る。
「何ですか?」
セラが聞く。
「セラもベラって呼ぶようになったんだね」
「ああ」
アンが頷く。
「祭りの途中から」
「民たちも?」
「うん」
ベラが。
少しだけ。
胸を張る。
「親しみと敬意を込めての」
「気に入ってるんだ」
「悪くない」
「ベラ様」
「うむ」
「では」
セラが。
笑顔のまま。
紙を置いた。
「こちらについてご説明いただけますか?」
「……」
ベラの顔から。
笑みが消えた。
「何じゃ」
「請求書です」
「……」
「請求書?」
僕が聞く。
「はい」
セラが。
紙の山を指す。
「この三日間」
一拍。
「ベラ様が城下町で飲食された分です」
「……」
僕は。
紙の山を見る。
もう一度。
ベラを見る。
「全部?」
「全部です」
「嘘でしょ」
「十八店舗から届いております」
「十八!?」
思わず。
声が出た。
アンは。
無言。
ベラも。
無言。
セラだけ。
笑顔。
「酒場」
一枚。
「食堂」
一枚。
「露店」
一枚。
「酒屋」
一枚。
「肉料理店」
一枚。
「菓子店」
一枚。
「こちらは何でしょう」
セラが。
一枚の請求書を見る。
「魔獣肉串、四十二本」
僕は。
ベラを見る。
「四十二?」
「……皆で食べた」
「一人じゃないんだ」
「当然じゃ!」
ベラが。
ようやく反論する。
「妾とて四十二本も食わぬ!」
「じゃあこれは?」
セラ。
次。
「黒麦酒、三十一杯」
「……」
「これは?」
「……」
「ベラ様?」
「……祭りじゃ」
「答えになっておりません」
「祭りなのじゃ!」
「ですから?」
「酒くらい飲むであろう!」
「もちろんです」
セラが。
にっこり。
「ご自身のお金であれば」
「……」
ベラ。
停止。
僕は。
なんとなく。
分かった。
「ベラ」
「なんじゃ」
「お金」
「……」
「持ってた?」
「……」
「ベラ?」
ベラが。
ゆっくり。
顔を逸らした。
「持っておらぬ」
「じゃあどうしたの!?」
セラが。
別の紙を持ち上げる。
「証言によりますと」
嫌な予感。
「『アンタレスにつけておけ!』」
「……」
「と」
「……」
「各店舗で仰ったそうですね?」
静寂。
僕は。
アンを見る。
アン。
目を閉じている。
「アン」
「何?」
「知ってた?」
「今朝知った」
「怒ってる?」
「セラが怒ってるから」
アンが。
目を開ける。
「私はもういい」
「諦めてるんだ」
「うん」
「アンタレス」
ベラが。
少しだけ。
笑う。
「さすが妾の」
「でも払うのはベラです」
「なぜじゃ!?」
即答。
アン。
強い。
「妾は金を持っておらぬ!」
「働いてください」
「元魔王じゃぞ!?」
「今は元魔王です」
「ぐっ……!」
「それに」
セラが。
口を挟む。
「問題は金額だけではありません」
「まだあるのか?」
「あります」
セラが。
一歩。
ベラへ近づく。
「ベラ様」
「……なんじゃ」
「祭りで飲食を楽しまれること自体は、何も問題ありません」
「そうであろう」
「ですが」
「……」
「現魔王の名を勝手に使い」
「……」
「代金を全て現魔王へ押しつけ」
「……」
「三日間」
「……」
「好き放題に飲み食いするのは」
セラの笑顔が。
消えた。
「いかがなものかと」
「……」
ベラが。
黙った。
「先代魔王ともあろう方が」
「……」
「民の前で率先して」
「……」
「無銭飲食に近い行為をなさるなど」
「無銭ではない!」
ベラが。
反論する。
「アンタレスにつけた!」
「それを無断で行ったことを問題にしております」
「……」
「そもそも」
セラの説教が。
始まった。
「ベラ様はご自身の立場をもう少し自覚なさってください」
「……」
「先日の演説を聞き、どれだけの民が感動したとお思いですか?」
「……」
「五百年前を知る者など、今もベラ様のお言葉を思い出して涙を流しているのですよ?」
「……」
「その翌日に」
紙。
バン。
「請求書が十八店舗から届くこちらの身にもなってください」
「……」
「しかも」
次。
バン。
「酒場の椅子を一脚破損」
「それはガレスじゃ!」
「確認済みです。ガレスには別途請求しております」
「……そうか」
ガレス。
巻き込まれてた。
「さらに」
バン。
「噴水へ飛び込んだとの証言」
「暑かったのじゃ」
「服を着たまま?」
「祭りじゃぞ?」
「理由になりません」
「……」
僕は。
隣のアンへ。
小さな声。
「ベラが」
「うん」
「めちゃくちゃ怒られてる」
「うん」
「初めて見た」
「私も」
「アンも?」
「ベラをここまで怒れる人」
アンが。
セラを見る。
「多分初めて」
ベラが。
こっちを見る。
「聞こえておるぞ!」
「ごめん」
「ソル!」
「でもベラが悪いよ」
「裏切り者!」
「私は最初からアン側」
「ソル」
アンが。
少し嬉しそう。
「後で何かあげる」
「やった」
「買収されるでない!」
「ベラ様」
「はい!」
ベラが。
反射的に。
セラを見る。
「まだお話の途中です」
「……」
僕とアン。
同時に。
顔を見合わせた。
「今」
僕が。
小声。
「はいって言ったよね」
「言った」
「ベラが」
「うん」
「反射で」
「うん」
「……」
何か。
おかしい。
ベラも。
そう思ったらしい。
「……待て」
「何でしょう」
「待て」
「まだ終わっておりません」
「違う」
ベラが。
セラを見る。
さっきまでの。
ふざけた顔じゃない。
じっと。
セラの顔を見る。
「……」
「ベラ様?」
「その顔」
「はい?」
「いや」
ベラが。
立ち上がる。
セラの周りを。
一周。
「何をなさっているのですか?」
「……」
正面。
止まる。
「腕を組め」
「はい?」
「よいから」
セラが。
少し困った顔で。
腕を組む。
ベラの顔が。
僅かに。
引きつった。
「……」
「ベラ?」
僕が呼ぶ。
返事なし。
「セラ」
「はい」
「もう一度」
「何をでしょう」
「先ほどのように」
「……」
「妾を叱ってみよ」
「よろしいのですか?」
「確認じゃ」
「では」
セラが。
小さく。
息を吸う。
「ベラ様」
「……」
「ご自身の立場をもう少しお考えください」
ベラの肩が。
ビクッ。
動いた。
「……」
「何?」
僕が聞く。
「いや」
ベラ。
一歩。
下がる。
「まさか」
「ベラ?」
「あり得ぬ」
「何が?」
ベラが。
セラを指差す。
「お主」
「はい」
「母親の名を言え」
「……母ですか?」
「ああ」
突然。
話が変わった。
セラも。
少し戸惑う。
「リシェルです」
「リシェル……」
ベラが。
考える。
「祖母は?」
「エレナです」
「その母は?」
「ミリアです」
「さらにその上」
「……」
セラが。
首を傾げる。
「何代遡るおつもりですか?」
「よいから言え!」
「家系の記録を全て覚えているわけではありません」
「なら家名じゃ!」
「家名?」
「お主の一族の家名!」
セラが。
答える。
その瞬間。
ベラの顔が。
完全に。
止まった。
「……」
「ベラ?」
「……嘘じゃ」
「何が?」
「嘘じゃ」
ベラが。
一歩。
下がる。
「あり得ぬ」
「だから何が?」
アンも。
不思議そうにしている。
ベラが。
セラを見る。
「お主の一族」
「はい」
「八百七十年ほど前」
「……」
「魔王城に仕えておった者がおるはずじゃ」
セラの目が。
少しだけ。
見開かれる。
「よくご存じですね」
「名は」
ベラの声。
僅かに。
震えている。
「その者の名は」
「確か」
セラが。
記憶を探る。
「家系記録では」
一拍。
「エルシア」
「……」
ベラ。
硬直。
完全に。
動かなくなった。
「エルシア・ヴァレリア」
セラが。
そう続ける。
ベラの顔から。
血の気が。
引いた。
「……」
僕は。
アンを見る。
アンも。
僕を見る。
何これ。
「ベラ」
僕が。
恐る恐る。
聞く。
「知ってる人?」
「……」
「ベラ?」
「……妾の」
「うん」
「教育係じゃ」
「……」
「……」
僕とアン。
もう一度。
顔を見合わせる。
「教育係?」
僕が聞く。
「そうじゃ」
「ベラに?」
「悪いか!」
「いや」
ちょっと。
想像できない。
「何を教わってたの?」
「礼儀」
「ベラが?」
「読み書き」
「ベラが?」
「帝王学」
「ベラが?」
「いちいち妾がと言うな!」
アンが。
少し笑う。
「ベラにも」
「なんじゃ」
「子供の頃があったんですね」
「当たり前じゃろう!」
「どんな人だったんですか?」
「……」
ベラ。
黙る。
「ベラ?」
「……厳しかった」
「怖かった?」
僕が聞く。
「怖くなどない」
「じゃあなんで顔引きつってるの?」
「引きつっておらぬ!」
「じゃあ」
アンが。
セラを見る。
「エルシアさんってどんな人だったんですか?」
「家系の記録では」
セラが答える。
「非常に厳格な人物だったと」
「ほら」
「うるさい!」
「特に」
セラが続ける。
「当時の魔王候補の教育を任されていたとあります」
「ベラだ」
「そうじゃ!」
「その魔王候補は」
セラが。
少し考える。
「頻繁に城を抜け出し」
「……」
「勉学を嫌い」
「……」
「教育係の目を盗んでは」
「……」
「城下町へ遊びに行っていたと」
「……」
僕は。
ゆっくり。
ベラを見る。
「ベラ」
「何じゃ」
「八百七十年前から」
「……」
「何も変わってないじゃん」
「うるさぁぁぁい!!」
*
八百七十年前。
魔王城。
まだ。
今とは違う。
古い城。
一つの窓。
ゆっくり。
開く。
そこから。
少女が。
顔を出す。
「よし」
黒い髪。
まだ。
今より少し幼い。
ベラトリクス。
「今日は」
窓枠へ。
足をかける。
「城下で祭りじゃ」
笑う。
「こんな日に勉強などしておれるか」
片足。
外。
「ベラトリクス様」
「……」
止まる。
背後。
振り返らない。
「どちらへ?」
「……散歩じゃ」
「窓から?」
「……近道じゃ」
「三階ですが」
「妾なら平気じゃ」
「そういう問題ではございません」
「……」
「お戻りください」
「嫌じゃ」
「ベラトリクス様」
「……」
「お戻りください」
「……はい」
窓。
閉じる。
少女ベラ。
とぼとぼ。
机へ。
戻る。
その後ろ。
腕を組んだ。
一人の女性。
エルシア・ヴァレリア。
「本日の帝王学」
「……」
「昨日の復習から始めます」
「エルシア」
「はい」
「祭り」
「駄目です」
「まだ何も言っておらぬ!」
「顔に書いてあります」
「……」
「まず二時間」
「長い!」
「三時間にしますか?」
「二時間でお願いします」
「よろしい」
*
「……」
僕は。
ベラを見る。
「本当に怖かったんだ」
「怖くないと言っておろう!」
「三時間って言われて二時間でお願いしますって」
「昔の話じゃ!」
アン。
笑ってる。
かなり。
笑ってる。
「アンタレス!」
「すみません」
「笑うでない!」
「でも」
アンが。
セラを見る。
「確かに」
「何じゃ」
「似てますね」
「……」
セラ。
腕を組んでいる。
エルシアと。
同じ。
姿勢。
同じ。
目。
同じ。
少しだけ。
首を傾げる。
「ベラ様」
「……」
「話を戻しても?」
ベラの肩が。
また。
ビクッ。
「……」
僕は。
確信した。
怖いんだ。
「八百七十年じゃぞ……」
ベラが。
呟く。
「え?」
「八百七十年」
セラを見る。
「何世代じゃ」
「さあ」
「何故じゃ」
「何がですか?」
「何故」
ベラが。
頭を抱える。
「八百七十年も経って」
「……」
「そこまで似るのじゃ!!」
「私に言われましても」
「腕の組み方まで同じじゃぞ!」
「そうですか」
「首の傾げ方もじゃ!」
「存じません」
「その『存じません』もじゃ!!」
僕。
もう。
駄目。
笑う。
「ははっ」
「ソル!」
「ごめん、でも」
「笑うな!」
アンも。
口元。
押さえている。
「アンタレス!」
「すみません……」
「お主まで!」
そして。
アンが。
何かを思い出した。
「あ」
「何じゃ」
「ベラ」
「なんじゃ!」
「昨日」
「……」
「言ってましたよね」
「何を?」
アンが。
少しだけ。
笑う。
「血を繋いでくれてありがとうって」
「……」
静寂。
僕。
耐えられない。
「確かに!」
「ソル!」
「何度も何度も血を繋いだから今があるって!」
「言った!」
「繋がってたね」
「……」
「八百七十年前から」
「……」
「セラまで」
ベラが。
震える。
そして。
叫んだ。
「この血まで繋げとは言っておらぬ!!」
僕。
爆笑。
アンも。
とうとう。
笑った。
セラだけが。
何が面白いのか。
分からない顔。
「ベラ様」
「なんじゃ!」
「ご先祖が何か失礼を?」
「失礼どころではない!」
「では」
セラが。
少し。
微笑む。
「私も」
「……」
「その役目を」
「……」
「しっかり引き継がせていただきます」
ベラ。
停止。
「……何?」
「まず」
請求書。
ドサッ。
「こちら」
「……」
「全額」
「……」
「お支払いいただきます」
「だから金がないと言っておるじゃろ!」
「でしたら」
セラ。
笑顔。
「働いてください」
「元魔王に何をさせる気じゃ!?」
「城内業務はいくらでもございます」
「嫌じゃ!」
「ベラ様」
「嫌じゃ!」
「ベラ様」
「絶対に嫌じゃ!」
「ベラトリクス様」
「はい!」
静寂。
僕。
アン。
二人。
固まる。
ベラ自身も。
固まる。
「……」
セラが。
少しだけ。
首を傾げる。
「では」
「……」
「よろしいですね?」
ベラが。
震える。
八百七十年前。
エルシア。
八百七十年後。
セラ。
魔王ベラトリクス。
天使と戦い。
災厄と戦い。
勇者たちと肩を並べ。
五百年前の戦いを生き抜いた。
そんな彼女にも。
どうやら。
勝てない相手が。
存在したらしい。
「……血とは」
ベラが。
遠い目をする。
「恐ろしいものじゃ……」
「昨日と言ってること違うよ」
「うるさい!」
こうして。
《双王凱旋祭》の翌日。
先代魔王ベラトリクスは。
八百七十年の時を越えて。
天敵の血筋と。
再会した。
そして。
祭りの請求書を返済するため。
元魔王の労働生活が。
始まろうとしていた。




