現魔王アンタレス
第82話 現魔王アンタレス
「魔王陛下……!」
目の前で。
武装した魔族たちが一斉に膝をついている。
「……」
僕は。
その光景を眺めながら。
隣に立つアンを見る。
赤い髪。
いつもと変わらない服。
いつもと変わらない顔。
ついさっきまで。
僕と普通に話しながら森を歩いていた。
そのアンに。
魔族たちが頭を下げている。
「……本当に魔王なんだ」
思わず。
口から出た。
アンが僕を見る。
「まだ疑ってたの?」
「疑ってたっていうか」
「昨日言ったよね?」
「言ったけど」
僕は目の前を見る。
誰一人。
顔を上げない。
「実感なかった」
「そう」
「だってアンだし」
「どういう意味?」
「いや」
なんて説明すればいいんだろう。
僕の中では。
アンはアンだ。
一緒に旅をして。
一緒に食事をして。
ベラと僕の言い合いを横で見て笑って。
たまに僕をからかって。
戦いになれば。
とんでもなく強くて。
それでも。
魔王というより。
仲間だった。
「まあよいではないか」
ベラが横から言う。
「ソルにとっては、立場など関係ないということじゃろう」
「……まあ」
多分。
そういうことだ。
アンが少しだけ僕を見る。
「そう」
それだけ言って。
前へ向き直った。
そして。
「顔を上げて」
声が変わった。
「……!」
僕は。
思わずアンを見る。
大きな声じゃない。
怒ってもいない。
ただ。
短い一言。
それだけなのに。
空気が変わった。
「はっ!」
魔族たちが一斉に顔を上げる。
「私がいない間、異常は?」
「ございません!」
一番前にいた男が答える。
角がある。
額の両側から。
黒い角が後ろへ伸びている。
身体も大きい。
鎧を着ているせいもあるだろうけど。
僕より頭一つ以上大きい。
「結界は?」
「異常ありません!」
「領内は?」
「大きな問題は報告されておりません!」
「そう」
アンが頷く。
「ご苦労さま」
「はっ!」
「……」
僕は。
黙って見ていた。
なんだろう。
変な感じだ。
言葉遣いは。
そこまで変わっていない。
でも。
違う。
いつものアンとは。
明らかに違う。
「……魔王っぽい」
「ソル」
「はい」
「聞こえてる」
「ごめん」
ベラが横で笑う。
「なかなか様になっておるではないか」
アンの眉が僅かに動く。
「ベラ」
「何じゃ」
「今は静かにしていてください」
「なぜじゃ」
「話が進まないからです」
「妾は褒めただけじゃぞ」
「ありがとうございます」
「うむ」
「だから静かにしてください」
「……」
ベラが。
少し不満そうに黙った。
強い。
アン。
ベラを黙らせた。
もしかしたら。
魔王として一番すごい能力かもしれない。
「それで」
アンが魔族たちを見る。
「城へ戻る」
「承知いたしました!」
「先触れは?」
その言葉に。
一番前の男が立ち上がる。
「ただちに!」
「待って」
アンが止めた。
「は?」
「大騒ぎにしなくていい」
「しかし」
男が。
アンを見る。
その顔には。
明らかな困惑が浮かんでいた。
「魔王陛下のご帰還です。城へ報告を――」
「普通に帰るだけだから」
「普通……」
男の視線が。
ゆっくり。
僕へ向く。
「……」
人間。
多分。
そう思った。
次に。
ベラを見る。
「……」
さらに。
アンを見る。
「……」
明らかに。
普通ではない。
「何?」
アンが聞く。
「い、いえ」
男が慌てて頭を下げる。
「何でもございません」
絶対。
何でもある顔だった。
「アン」
僕は小声で呼ぶ。
「何?」
「普通は無理じゃない?」
「何が?」
「いや」
僕は自分を指差す。
「人間いるし」
次に。
ベラを指差す。
「五百年前の魔王いるし」
「……」
アンが黙る。
「ね?」
「ソル」
「何?」
「今それ言う必要あった?」
「事実でしょ」
「そうだけど」
魔族たちを見る。
「……」
全員。
固まっていた。
あ。
「え?」
僕も止まる。
一番前の男が。
ゆっくり。
ベラを見る。
「……今」
「……」
「何と?」
やばい。
「いや」
僕は慌てて手を振る。
「何でもないです」
「五百年前の……」
「聞き間違いです」
「魔王……?」
「聞き間違いです!」
男の目が。
ベラへ向く。
ベラは。
堂々と立っている。
隠す気。
ゼロ。
「ソル」
アンが低い声で呼ぶ。
「……ごめん」
「後で話す」
「はい」
怖い。
現魔王。
怖い。
「アンタレス」
ベラが口を開く。
「別に隠す必要もなかろう」
「ベラ」
「どうせ城へ行けば分かる」
「そうですが」
「ならば同じじゃ」
「ここで混乱させる必要はありません」
「もうしておるぞ」
「誰のせいだと思ってるんですか」
ベラが。
僕を見る。
「ソル」
「僕!?」
「お主が言った」
「ベラも普通に返事したじゃん!」
「妾は何も言っておらぬ」
「ずるい!」
「二人とも」
アンの声。
「……はい」
「なんじゃ」
僕とベラが。
同時に黙る。
目の前の魔族たちは。
完全に困惑していた。
そりゃそうだ。
現魔王に。
普通に話しかける人間。
現魔王に。
普通に注意される女の人。
しかも。
その人間が。
「五百年前の魔王」
なんて言った。
意味が分からないと思う。
「とにかく」
アンが魔族たちを見る。
「城へ戻る」
「は、はい!」
「この二人は私の客人」
客人。
その言葉に。
魔族たちの視線が。
また僕へ向く。
明らかに。
警戒されている。
「人間を……?」
誰かが。
小さく呟いた。
聞こえた。
アンにも。
当然聞こえている。
「問題ある?」
「い、いえ!」
「ならいい」
一言。
それだけ。
誰も。
それ以上言わなかった。
「……」
やっぱり。
違う。
いつものアンと。
魔族領に入ってからのアン。
態度が大きく変わったわけじゃない。
偉そうにもしていない。
でも。
誰も逆らわない。
それだけ。
信頼されているのか。
恐れられているのか。
まだ。
僕には分からない。
「行くよ」
アンが歩き出す。
「うん」
「待たぬか」
ベラも続く。
僕たちは。
魔族たちの横を通り過ぎる。
その時。
「……」
視線を感じた。
一人。
かなり若そうな魔族が。
僕を見ている。
耳が長い。
人間とほとんど変わらない姿だけど。
瞳が紫色だ。
目が合う。
「……」
「……」
ものすごく見られてる。
「何?」
思わず聞く。
「っ!」
魔族が。
慌てて目を逸らした。
「ソル」
アンが呼ぶ。
「勝手に話しかけない」
「まだ何もしてないよ」
「話しかけた」
「一言だけじゃん」
「昨日言ったよね?」
「勝手に動くなって話でしょ?」
「余計なこともしないで」
「増えてる!」
「今増やした」
「そんなのあり!?」
ベラが笑っている。
「ソル」
「何?」
「諦めよ」
「ベラに言われたくないよ!」
「妾は自由じゃ」
「僕も自由だよ!」
「お主はアンタレスの客じゃろう」
「ベラもでしょ!」
「妾は元魔王じゃ」
「ずるい!」
そんなやり取りをしながら。
僕たちは。
魔族領の奥へ進んでいった。
*
しばらく歩いて。
森を抜ける。
「……わ」
思わず。
声が出た。
さっき。
結界を越えた時にも。
遠くから見えていた。
でも。
近くで見ると。
全然違う。
広い。
想像していたより。
ずっと。
街が大きい。
「これ全部?」
「まだ外側」
アンが答える。
「外側!?」
石造りの建物が。
何十。
何百と並んでいる。
道も広い。
遠くには。
高い塔。
そのさらに向こうには。
大きな城壁が見える。
「じゃああの壁の向こうが?」
「中心部」
「……すご」
もっと。
暗い場所を想像していた。
魔族の国。
なんて聞くと。
黒い城があって。
空も暗くて。
ずっと雷が鳴っている。
そんな場所。
でも。
全然違う。
空は青い。
太陽もある。
道には。
普通に人がいる。
いや。
人じゃない。
魔族。
角のある人。
耳の長い人。
尻尾がある人。
背中に翼がある人。
僕より遥かに大きな身体の人。
逆に。
子供くらいの大きさしかない人。
本当に。
色々いる。
店もある。
食べ物も売っている。
子供たちが走っている。
「……普通だ」
「だから言ったでしょ」
アンが言う。
「普通だって」
「いや」
僕は周囲を見る。
「想像と違った」
「どんな想像してたの?」
「もっとこう」
「こう?」
「暗くて」
「うん」
「怖くて」
「うん」
「ずっと雷鳴ってるみたいな」
「……」
アンが。
冷たい目で僕を見る。
「何その偏見」
「ごめん」
「人間は魔族を何だと思ってるの?」
「僕の想像だから!」
「雷など毎日鳴っておったら迷惑じゃろう」
ベラが言う。
「ですよね」
「うん」
そこは。
二人とも同意するんだ。
でも。
街へ入って。
すぐ。
異変が起きた。
「……?」
一人の魔族が。
アンを見た。
立ち止まる。
「……」
次に。
もう一人。
さらに。
別の人。
「魔王……?」
誰かが言った。
その声を。
別の誰かが聞く。
「え?」
「魔王陛下?」
「戻られたのか?」
「本当に?」
ざわ。
ざわ。
少しずつ。
周囲が騒がしくなる。
「……アン」
「何?」
「これ」
「うん」
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
「だよね」
一人。
また一人。
アンに気づいていく。
そして。
「魔王陛下だ!」
誰かが叫んだ。
「帰還されたぞ!」
「魔王陛下が戻られた!」
一気だった。
「おお……」
道の両側から。
魔族たちが集まってくる。
「陛下!」
「お帰りなさいませ!」
「魔王陛下!」
「ご無事で!」
「お帰りなさい!」
「……」
僕は。
完全に置いていかれていた。
アンが。
魔族たちに囲まれていく。
でも。
誰も。
無理に近づこうとはしない。
一定の距離を保っている。
子供を連れた母親。
商人。
戦士。
老人。
色々な魔族がいる。
みんな。
アンを見ている。
笑っている人もいる。
安心したような顔の人もいる。
頭を下げる人もいる。
「……」
僕は。
その光景を見る。
恐れられている。
だけじゃない。
これは。
「慕われてるんだ」
思わず呟く。
ベラが。
隣で僕を見る。
「そうじゃな」
「アン」
魔族たちに囲まれている。
でも。
アンは。
嫌そうな顔をしていない。
一人一人へ。
小さく頷いている。
「ただいま」
その一言に。
周囲から。
さらに声が上がった。
「お帰りなさいませ!」
「お帰りなさい、魔王陛下!」
「……」
五百年近く。
アンは。
ここで。
魔王をしてきた。
八%の力しかなかった時から。
ずっと。
この場所を。
守ってきた。
昨日。
話として聞いた。
でも。
話と。
実際に見るのは。
全然違う。
「すごいな」
「誰がじゃ?」
「アン」
僕は言う。
「本当に魔王なんだな」
「今さらじゃな」
「うん」
今さら。
でも。
ようやく。
分かった気がする。
僕が知っているアンタレスと。
この国が知っているアンタレス。
同じ人なのに。
全然違う。
「……」
その時。
周囲の視線が。
少しずつ。
僕へ向き始めた。
「ん?」
一人。
二人。
三人。
明らかに。
見られている。
「……人間?」
誰かが呟いた。
空気が。
少し変わった。
「人間だ」
「なぜ?」
「どうして人間がここに?」
「魔王陛下と一緒に……?」
さっきまでの。
喜びとは違う。
警戒。
困惑。
疑問。
当然だ。
五百年近く。
人間と隔離されてきた場所。
そこへ。
現魔王が。
人間を連れて帰ってきた。
「……アン」
僕は小さく呼ぶ。
「気にしないで」
「めちゃくちゃ見られてる」
「予想してた」
「僕はしてなかったよ」
「言ったでしょ」
「珍しいとは聞いたけど」
「だから勝手に動かないでって言った」
「こういう意味だったの?」
「こういう意味もある」
その時。
「陛下」
一人の男が。
人混みから前へ出た。
年配の魔族だった。
白髪。
額には。
片方だけ。
短い角。
背筋は伸びている。
腰には剣。
他の魔族たちが。
その男へ道を開ける。
「お戻りでしたか」
アンが。
その男を見る。
「久しぶり」
「ご無事で何よりです」
男が。
深く頭を下げる。
そして。
顔を上げた。
「しかし」
視線が。
僕へ向く。
「そちらの人間は?」
「私の客人」
アンが即答する。
男の眉が。
僅かに動く。
「陛下の?」
「そう」
「……承知いたしました」
それ以上。
何も言わなかった。
でも。
納得していない。
そんな感じがする。
そして。
男の視線が。
僕から離れる。
次に。
ベラへ向く。
「……」
男の動きが。
止まった。
「?」
ベラが。
首を傾げる。
「なんじゃ」
「……」
男は。
何も答えない。
ただ。
ベラを見ている。
じっと。
「おい」
ベラが言う。
「聞こえておらぬのか?」
「……失礼」
男が。
ようやく答える。
でも。
目を逸らさない。
「どこかで」
「ん?」
「どこかで……」
男の顔から。
少しずつ。
色が消えていく。
「……」
アンが。
それに気づいた。
「どうしたの?」
「陛下」
男は。
アンを見ない。
ベラだけを。
見ている。
「その御方は……?」
周囲も。
静かになり始める。
何か。
雰囲気が違う。
「ベラ」
アンが答えた。
「私の同行者」
「ベラ……」
男が。
その名前を繰り返す。
そして。
「……まさか」
小さく。
呟いた。
ベラの眉が動く。
「何じゃ」
男が。
一歩。
近づく。
「その赤と黒の魔力……」
ベラの表情が。
僅かに変わった。
「お主」
「……」
「妾の魔力を知っておるのか?」
その瞬間。
男の目が。
大きく見開かれた。
「妾……」
声が。
震える。
「その話し方……」
「……」
「その魔力……」
男の手が。
震え始める。
「そんな」
周囲の魔族たちは。
何が起きているのか。
分かっていない。
でも。
アンだけは。
静かに。
その様子を見ている。
「お主」
ベラが男を見る。
「歳はいくつじゃ」
「……五百七十二にございます」
「五百七十二」
ベラが。
少しだけ目を細める。
「なら」
「……」
「妾を見たことがあるのか?」
男の唇が。
震えた。
「幼き頃に」
「……」
「一度だけ」
その場から。
音が消えた。
「父に連れられ」
男が言う。
「王城で」
一歩。
後ろへ下がる。
「遠くから」
そして。
膝をついた。
「……」
ベラが。
その姿を見る。
男は。
地面へ。
両手をついた。
「まさか」
震える声。
「そんなはずは」
誰も。
声を出さない。
「五百年前に」
男が顔を上げる。
目に。
涙が浮かんでいた。
「我らを逃がし」
「……」
「そのまま」
声が。
詰まる。
「お戻りにならなかった」
ベラの目が。
僅かに揺れる。
男は。
それでも。
言葉を続けた。
「魔王」
一度。
息を呑む。
そして。
「ベラトリクス……」
その名が。
魔族領の街に。
響いた。
「……」
誰も。
動かなかった。
一秒。
二秒。
そして。
「え……?」
誰かが。
声を漏らした。
「ベラトリクス?」
「今……」
「何て?」
「魔王……?」
ざわ。
ざわ。
さっきまでとは。
比べものにならない。
「五百年前の?」
「そんなはず……」
「生きて……?」
「でも」
「陛下と一緒に……」
声が。
広がっていく。
ベラは。
何も言わなかった。
ただ。
自分の前で。
頭を下げる老いた魔族を。
見ている。
「……」
五百七十二歳。
五百年前なら。
まだ。
子供だった。
その子供が。
今。
ベラの前で。
老人になっている。
「……そうか」
ベラが。
小さく呟いた。
「五百年」
その声は。
今まで聞いたことがないくらい。
静かだった。
「本当に」
ベラが。
街を見る。
建物。
道。
魔族たち。
子供。
老人。
五百年前には。
なかったもの。
五百年前には。
いなかった者。
そして。
五百年前から。
生き続けている者。
「経ったのじゃな」
僕は。
何も言えなかった。
今まで。
五百年。
という言葉を。
何度も聞いてきた。
でも。
きっと。
ベラにとって。
今。
初めて。
五百年という時間が。
形になった。
目の前に。
現れたんだ。
「ベラ」
アンが。
静かに呼ぶ。
「……うむ」
ベラが。
アンを見る。
そして。
目の前で跪く男へ。
もう一度。
視線を向けた。
「顔を上げよ」
男が。
ゆっくり。
顔を上げる。
「名は?」
「……ヴァルドにございます」
「ヴァルド」
「はい」
ベラが。
僅かに笑った。
「大きくなったの」
「……っ」
ヴァルドの顔が。
歪んだ。
「覚えて……」
「おらぬ」
「……」
「すまぬな」
「いえ」
ヴァルドが。
首を振る。
「当然にございます」
「じゃが」
ベラが言う。
「妾がいなくなった後も」
周囲を見る。
「生きたのじゃな」
「……はい」
「ならば」
ベラが笑う。
「それでよい」
ヴァルドが。
再び。
深く頭を下げた。
「お帰りなさいませ」
ベラの表情が。
止まる。
「我らが魔王」
その瞬間。
アンの目が。
僅かに動いた。
そして。
周囲の魔族たちも。
次々と。
膝をつき始めた。
一人。
また一人。
「お帰りなさいませ……」
「魔王ベラトリクス……」
「本当に……」
「生きて……」
道の両側。
さっきまで。
アンの帰還を喜んでいた魔族たちが。
今度は。
ベラへ。
頭を下げていく。
「……」
僕は。
二人を見る。
現魔王。
アンタレス。
五百年前の魔王。
ベラトリクス。
魔族領に。
二人の魔王が。
並んでいる。
アンは。
何も言わなかった。
ただ。
ベラを見て。
ほんの少しだけ。
笑っていた。
そして。
ベラは。
五百年ぶりに聞いた。
その言葉に。
しばらく。
答えることができなかった。
「お帰りなさいませ」
帰る。
その言葉が。
ベラにとって。
どれほど重いものなのか。
僕には。
まだ。
分からなかった。




