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魔王の国

第80話 魔王の国

翌朝。

目を覚まして最初に思ったことは。

「……身体、重い」

だった。

ベッドの上で身体を起こす。

昨日。

賢者の塔でアークトゥルスから《天曜》について教わった。

星の声を聞き。

千百年前のアウレストラを見て。

裂け目の向こう側にいる何かに見つかった。

その後はアークトゥルスに身体を勝手に使われ。

ベラとの五百年ぶりの再会に付き合わされ。

街へ戻って。

三人でご飯を食べた。

「……濃すぎる」

一日で起きていい量じゃない。

それでも。

久しぶりにちゃんと眠れた気がする。

窓を見る。

朝日が差し込んでいた。

「起きるか」

ベッドから降りる。

顔を洗って。

服を整えて。

《明星》を腰へ差す。

そして。

机の上に置いていた《天曜》の本を手に取った。

「……」

少しだけ。

手が止まる。

『――見つけた』

昨日聞いた声。

まだ頭の奥に残っている。

でも。

今は考えない。

今日は。

これからのことを決める。

僕は《天曜》の本を荷物へしまい。

部屋を出た。

*

宿の一階へ降りる。

「遅いぞ」

開口一番。

ベラに言われた。

「おはようくらい言ってよ」

「おはよう」

「言うんだ」

「言えと言ったのはお主じゃろう」

「そうだけど」

ベラの前には。

すでに朝食が並んでいる。

パン。

卵。

スープ。

肉。

そして。

肉。

「……朝から多くない?」

「普通じゃ」

「昨日あれだけ食べたのに?」

「昨日の食事は昨日のものじゃ」

「身体の仕組みどうなってるの?」

「魔王じゃからな」

「魔王って便利だなぁ」

向かいにはアンも座っていた。

「おはよう、ソル」

「おはよう」

「よく眠れた?」

「まあまあ。アンは?」

「私も」

アンの前には。

パンとスープ。

果物。

普通の朝食が並んでいる。

「ほら」

僕はベラを見る。

「これが普通」

「少なすぎる」

「ベラが多すぎるんだよ」

「朝は食べた方がよいぞ」

「限度があるでしょ」

僕も席に座る。

すぐに宿の人が朝食を運んできてくれた。

パン。

スープ。

卵。

少しの肉。

「そうそう。これくらい」

「足りぬ」

「僕のだからね?」

「分かっておる」

そう言いながら。

ベラの視線が僕の皿へ向く。

「……」

「見ないで」

「見ておらぬ」

「完全に肉見てるよ」

「気のせいじゃ」

「自分の皿にいっぱいあるでしょ」

「味が違うかもしれぬ」

「同じ宿なんだから同じだよ!」

アンが小さく笑う。

「昨日からずっと食べ物の話をしていますね」

「主にベラのせいだけどね」

「食は重要じゃ」

「はいはい」

パンをちぎる。

スープにつけて食べる。

美味しい。

しばらく。

三人で朝食を食べた。

昨日と同じ。

何でもない時間。

でも。

今日は決めなきゃいけない。

これから。

僕たちがどこへ向かうのか。

食事を終えて。

僕は水を一口飲んだ。

「……さて」

ベラとアンが僕を見る。

「そろそろ決めようか」

「うむ」

「これからのことですね」

僕は頷く。

机の上へ。

これまで持ち歩いてきた地図を広げた。

旅を始めた頃より。

ずっと多くの場所を知った。

アステリア王国。

カグラ皇国。

ヴァルガルド。

セレフィア神聖国。

そして。

今いるアルカディア。

「こうして見ると」

僕は地図を眺める。

「結構来たなぁ」

「そうですね」

「まだ世界の一部じゃがな」

ベラが言う。

「それでも」

僕は地図へ指を置く。

レグルス。

勇者の力を受け継いだ。

シリウス。

剣聖の塔で修行し。

《明星》を受け取った。

アルデバラン。

守る力。

逃げる力。

ルナ。

広域へ星装を広げる方法。

そして。

アークトゥルス。

《天曜》。

聞く。

届ける。

繋がる。

借りる。

「五人」

僕は呟いた。

「五百年前の五英雄」

ベラが僕を見る。

「全員のところへ行った」

「そうじゃな」

人間たちの歴史では。

五英雄が魔王を倒したことになっている。

でも。

本当は違う。

五人と。

魔王ベラトリクス。

六人で。

天使と戦った。

「……」

僕はベラを見る。

「なんじゃ」

「いや」

五人。

全部回った。

なら。

まだ僕たちがほとんど触れていないものがある。

「ベラ」

「なんじゃ」

「ベラの国って、どうなってるの?」

ベラの動きが止まった。

「……妾の国?」

「うん」

僕は地図を見る。

「五百年前、ベラは魔王だったんでしょ?」

「そうじゃ」

「なら魔族が暮らしてた場所があるよね?」

「ある」

「今は?」

ベラが黙る。

少しして。

「知らぬ」

「え?」

「知らぬと言った」

「ベラが?」

「ああ」

ベラが腕を組む。

「妾の記憶は五百年前で止まっておる」

その言葉で。

気づいた。

そうだ。

ベラは。

五百年前の戦いの後。

眠りについた。

その後の世界を。

知らない。

「じゃあ……」

僕はアンを見る。

アンは。

静かに僕を見返した。

「アンは知ってる?」

「もちろん」

「今も魔族っているんだよね?」

「いる」

「どこに?」

「魔族領」

即答だった。

「……魔族領」

聞いたことがない。

魔族という存在は知っている。

五百年前。

魔王ベラトリクスがいた。

人間と魔族が争っていた時代。

昔話にも出てくる。

でも。

今の世界に。

魔族だけが暮らす場所があるなんて。

「今もあるの?」

「ある」

「……知らなかった」

「そうでしょうね」

「有名じゃないの?」

「人間には、ほとんど知られていないと思う」

「なんで?」

アンが少し黙った。

そして。

「隔離しているから」

「……隔離?」

「うん」

「誰が?」

アンは。

何でもないことのように答えた。

「私たちが」

「自分たちで?」

「そう」

ベラがアンを見る。

「人間との接触を断ったのか?」

「はい」

「いつからじゃ」

「ベラがいなくなってから、しばらく経った頃です」

ベラの目が細くなる。

「ほう」

アンは続ける。

「五百年前の戦いで、多くの魔族が死にました」

その声は。

さっきまでと少し違っていた。

「人間も同じだったと思います」

「……うん」

「それでも、戦いが終わったからといって、すぐに仲良くなれるわけではありません」

その通りだ。

五百年前。

人間と魔族は元々争っていた。

そこへ天使が現れた。

本当の敵を前に。

レグルスたちとベラは共に戦った。

でも。

その真実を知っていた者は。

ほんの一部。

「人間から見れば魔族は敵」

アンが言う。

「魔族から見ても、人間は敵だった」

「……」

「そのまま互いに接触を続けていれば、いずれまた争いになる」

「だから隔離した?」

「うん」

アンが頷く。

「面倒だったから」

「……え?」

思っていたより。

急に軽い理由が出てきた。

「面倒?」

「争いになれば止めないといけない」

「まあ……」

「人間が入ってくれば問題になる」

「うん」

「魔族が人間領へ行っても問題になる」

「そうだね」

「なら、最初から関わらなければいい」

「……」

「その方が楽でしょ?」

僕はベラを見る。

ベラも。

なんとも言えない顔をしている。

「アンらしい……のかな」

「合理的と言って」

「そういうことにしとく」

「何?」

「なんでもない」

アンが続ける。

「もちろん、それだけじゃない」

少しだけ。

声が落ちる。

「みんな疲れていた」

「……」

「五百年前の戦いで」

アンが自分の手を見る。

「これ以上、誰かと争いたいと思っている者は少なかった」

魔族も。

多くを失った。

「だから」

僕は言う。

「魔族だけで暮らせる場所を作った?」

「そう」

「どうやって?」

「結界」

ベラが反応する。

「結界じゃと?」

「はい」

「魔族領全体をか?」

「そうです」

「……随分と大掛かりなことをしたものじゃ」

「一人では無理でした」

アンが答える。

「力のある魔族を集めました」

魔術に長けた者。

膨大な魔力を持つ者。

結界術を扱える者。

多くの魔族が力を合わせ。

魔族領を覆う巨大な結界を作った。

「それが今も?」

「維持されている」

「五百年近く?」

「うん」

「すご……」

僕は思わず呟いた。

「じゃあ、人間が魔族領を見つけようとしても?」

「普通は辿り着けない」

「だから地図にも載ってない?」

「人間が作った地図ならね」

僕は目の前の地図を見る。

どれだけ探しても。

魔族領なんて名前はない。

「人間で存在を知ってる人って、どれくらいいるの?」

「正確には分からない」

アンが答える。

「でも、かなり少ないと思う」

「国の偉い人とかは?」

「一部は知っているかもしれない」

「冒険者は?」

「噂程度なら」

「一般の人は?」

「ほとんど知らないんじゃない?」

「……五百年も?」

「五百年も、だから」

アンが言う。

「交流がなければ忘れられる」

その言葉に。

少しだけ納得する。

五百年。

僕が想像するには。

あまりにも長い。

昔は確かに存在したものが。

物語になって。

伝説になって。

やがて。

本当に存在したのかさえ。

分からなくなる。

「でも」

僕はアンを見る。

「なんでアンがそんなことを決められたの?」

「何が?」

「魔族領を全部隔離するなんて」

大きすぎる。

いくらアンが強い魔族だからって。

一人の判断だけで。

そんなことができるのか。

アンが。

少しだけ黙った。

その隣で。

ベラが口元を上げる。

「ようやくそこに気づいたか」

「え?」

「ソル」

「何?」

「以前、妾が言ったことを覚えておるか?」

「何を?」

「アンタレスのことじゃ」

少し考える。

そして。

思い出した。

「……魔王?」

「そうじゃ」

ベラは以前から。

アンの実力なら。

自分がいなくなった後。

魔王になっていても不思議ではない。

そんなことを言っていた。

というより。

ほとんど魔王であるかのように扱っていた。

だから僕も。

何度か思った。

アンって。

本当に魔王なのかな、と。

でも。

本人から聞いたことはない。

僕がアンを見る。

「そういえば」

「何?」

「ベラはアンのこと魔王みたいに言ってたけど」

「うん」

「結局どうなの?」

アンは。

少しだけ首を傾げた。

「どうって?」

「いや」

僕は言う。

「本当に魔王なの?」

「そうだけど」

「……」

「……」

「…………え?」

アンが僕を見る。

「何?」

「今」

「うん」

「そうって言った?」

「言った」

「魔王なの?」

「うん」

「本当に?」

「本当に」

「……」

僕は。

しばらくアンを見た。

赤い髪。

いつも通りの顔。

旅の途中で。

普通に話して。

普通に食事をして。

普通に野宿もして。

ベラと僕のやり取りを横で見て笑っている。

アン。

そのアンが。

「……現魔王?」

「そう」

「今の魔族の?」

「そう」

「一番上?」

「多分、ソルが考えている意味なら」

「……」

本当に。

魔王だった。

「えええええええ!?」

思わず声が出た。

周りの客が。

一斉にこちらを見る。

「ソル」

アンが眉をひそめる。

「声が大きい」

「いやいやいや!」

僕は慌てて声を落とす。

「だって!」

「何?」

「本当に魔王だったの!?」

「だからそう言ってる」

「ベラが勝手に言ってるだけだと思ってた!」

「勝手とはなんじゃ」

ベラが睨む。

「だってベラも確証なかったでしょ!?」

「なかった」

「ほら!」

「じゃが」

ベラはアンを見る。

「妾はそうだろうと思っておったぞ」

「なんで?」

「決まっておろう」

ベラが当然のように言う。

「アンタレスほどの魔族が、妾の後に何の立場にも就いておらぬ方がおかしい」

「それだけ?」

「それだけで十分じゃ」

アンが少し困ったように言う。

「ベラも本当に知らなかったんですね」

「妾は五百年前から眠っておったのじゃぞ」

「そうでした」

「じゃから実力を考えて、そうだろうと推測しておっただけじゃ」

「……当たってましたね」

「当然じゃ」

ベラが得意そうに笑う。

僕は。

まだ混乱していた。

「ちょっと待って」

「なんじゃ」

「何?」

右を見る。

ベラ。

五百年前の魔王。

左を見る。

アン。

現在の魔王。

「……僕」

「なんじゃ」

「何?」

「魔王二人と旅してたの?」

「そうなるの」

「そうなるね」

「……」

頭が痛くなってきた。

「なんで僕の仲間、こんなのばっかりなんだろ」

「こんなのとはなんじゃ」

「失礼ね」

「ごめん」

反射的に謝った。

でも。

すぐに別の疑問が浮かぶ。

「いや、待って」

「まだ何かあるの?」

「あるよ!」

僕はアンを見る。

「どうして魔王になったの?」

今度は。

ベラも興味を示した。

「それは妾も聞きたい」

「ベラも?」

「当然じゃ」

ベラがアンを見る。

「妾が知っておるアンタレスは、魔王ではない」

五百年前。

ベラが知っているアンは。

自分についてきた魔族。

それだけ。

その後。

アンがどう生きたのか。

どうやって魔王になったのか。

ベラは知らない。

「話せ、アンタレス」

「……分かりました」

アンが姿勢を少し正した。

「私の力が封印されたことは覚えていますよね?」

「うん」

約四百五十年前。

アンの力は三分割され。

封印された。

「その後の私は」

アンが自分の手を見る。

「本来の力の八%程度しか使えなかった」

「八%……」

今は。

封印されていた力の一部を取り戻して。

四十五%。

でも。

当時は八%。

「そんな状態で魔王になったの?」

「そう」

「なんで?」

「それでも強かったから」

あっさり。

「……」

「何?」

「いや」

アンらしい。

「もちろん、それだけではありません」

「だよね」

「当時の魔族には、まとめる者が必要だった」

ベラがいない。

五百年前。

魔族を率いていた魔王は。

眠りについた。

ただ。

魔族たちは。

その事実すら知らない。

彼らからすれば。

ベラトリクスは。

帰ってこなかった。

「妾がいなくなった後か」

ベラが言う。

「はい」

アンがベラを見る。

「しばらくは、誰も次の魔王を決めようとはしませんでした」

「なぜじゃ」

アンは少し黙った。

「あなたの後だったからです」

ベラの表情が止まる。

「……」

「誰も」

アンが続ける。

「ベラの後に魔王を名乗ろうとはしなかった」

「なぜじゃ」

「分かりませんか?」

「……」

「それだけ」

アンはベラを見る。

「あなたが大きな存在だったんです」

ベラは。

何も言わなかった。

「でも」

アンが続ける。

「いつまでもそのままではいられませんでした」

人間との関係。

魔族同士の問題。

住む場所。

食料。

領地。

戦いで傷ついた者たち。

守らなければならないものが。

山ほどあった。

「戦うだけでは、魔族は生きていけない」

アンが言う。

「誰かが決めなければならなかった」

「それでアンが?」

「最初は断った」

「断ったんだ」

「面倒だったから」

「そこは昔からなんだ……」

「何?」

「なんでもない」

ベラが小さく笑う。

「それで?」

「周りが諦めませんでした」

八%。

本来の力からすれば。

あまりにも小さい。

それでも。

アンは強かった。

「実力があった」

アンが言う。

「それに、五百年前の戦いで部隊を率いた経験もあった」

「指揮も?」

「していた」

「そうだったんだ」

「妾の軍じゃからな」

ベラが言う。

「アンタレスには何度も任せた」

「はい」

実力だけじゃない。

指揮力。

判断力。

周囲からの信頼。

そして。

もう一つ。

「五百年前」

アンがベラを見る。

「私はベラについていった」

ベラは黙っている。

「魔族の中で」

少し間を置く。

「最後まで、ベラについていけたのが私だった」

その言葉には。

自慢なんてなかった。

ただ。

事実を話している。

そんな声だった。

「それを覚えていた者たちがいた」

ベラトリクスと共に戦った魔族。

その存在は。

魔族にとって。

特別だった。

「魔王になってほしいと言われました」

「……」

「一度ではありません」

アンが小さく息を吐く。

「何度も」

「それで受けた?」

「最終的には」

「どうして?」

アンは。

少しだけ考えた。

「私がやった方が早いと思ったから」

「アンらしいなぁ」

ベラが。

小さく笑った。

「そうか」

「ベラ?」

「お主が」

ベラはアンを見る。

「妾の後を継いだのか」

「……はい」

アンの声が。

少しだけ小さくなった。

「勝手に名乗ったわけではありません」

「責めておらぬ」

「……」

「むしろ」

ベラが笑う。

「安心した」

アンが。

目を見開いた。

「……安心?」

「妾がいなくなった後」

ベラは言う。

「誰が魔族をまとめたのかと思えば」

アンを見る。

「お主だったのなら、安心じゃ」

「……」

「アンタレス」

「はい」

「よくやった」

アンが。

固まった。

ほんの一瞬。

いつもの落ち着いた表情が。

崩れた。

「……」

「なんじゃ」

「いえ」

「不満か?」

「違います」

アンが少しだけ顔を逸らす。

「……ありがとうございます」

声が。

いつもより。

ほんの少し小さい。

僕は。

何も言わなかった。

なんとなく。

ここは。

二人だけの時間な気がした。

五百年前。

魔王だったベラ。

そのベラがいなくなった後。

魔族を背負ったアン。

五百年越しに。

初めて。

先代から。

今の魔王へ。

言葉が渡された。

少しして。

アンが話を戻す。

「魔王になった後、最初に行った大きなことの一つが魔族領の隔離です」

「結界か?」

「はい」

「魔族領全体を覆う結界など、妾の時代にはなかったぞ」

「だから作りました」

「随分簡単に言うの」

「簡単ではありませんでした」

力のある魔族を集め。

何人もの魔族が。

長い時間をかけて。

巨大な結界を作った。

「目的は人間との隔離」

アンが言う。

「余計な争いを起こさないため」

「……」

「人間が来なければ、魔族と争うこともない」

「魔族が出なければ?」

「人間と争うこともない」

「それで五百年近く?」

「そう」

「ずっと?」

「基本的には」

アンが頷く。

「完全に交流がないわけではないけど、かなり少ない」

「だから」

僕は地図を見る。

「人間は魔族領の存在を知らない」

「そう」

「今も魔族が国を作って暮らしてること自体?」

「知らない人の方が多いと思う」

「……すごいな」

僕は。

改めて地図を見る。

世界は。

僕が思っているより。

ずっと広い。

地図に載っているものだけが。

世界じゃない。

「結界って」

僕は聞く。

「僕でも入れる?」

「許可があれば」

「誰の?」

「私」

「……」

また。

魔王なんだと実感する。

「アンが許可すれば?」

「入れる」

「ベラは?」

アンが。

一瞬。

本気で意味が分からないという顔をした。

「ベラを止める者がいると思う?」

「……いないね」

「おったら見てみたいものじゃ」

ベラが得意そうに言う。

「結界壊さないでよ?」

「壊さんわ」

「本当に?」

「妾を何だと思っておる」

「五百年前の魔王」

「分かっておるではないか」

「だから心配なんだよ」

「どういう意味じゃ!」

アンが小さく笑う。

でも。

僕には。

もう一つ。

気になることがあった。

「アン」

「何?」

「現魔王なんだよね?」

「何度確認するの?」

「いや」

だって。

まだ信じられない。

「じゃあさ」

「うん」

「国を空けてて大丈夫なの?」

「……」

アンが。

止まった。

「……アン?」

「大丈夫」

「今の間は何?」

「何も」

「絶対何かあるでしょ」

「ない」

ベラの口元が上がる。

「アンタレス」

「何ですか」

「帰ったら怒られるのではないか?」

「怒られません」

「本当か?」

「……多分」

「多分って言った!」

「ソル」

「何?」

「余計なことを言わないで」

「僕何もしてないよ!」

「帰った時も」

「なんで!?」

「旅が長引いた理由を聞かれたら、ソルの修行が長かったことにする」

「僕のせいにする気!?」

「半分は事実」

「半分じゃん!」

ベラが笑っている。

「面白くなってきたの」

「ベラも助けてよ!」

「妾は関係ない」

「一番関係あるでしょ!」

「なぜじゃ」

「アンが旅してる理由の一つ、ベラでしょ!」

「……」

ベラが止まる。

「そうじゃった」

「忘れないでよ!」

しばらく。

三人で笑った。

でも。

僕の中では。

一つの考えが。

少しずつ大きくなっていた。

五英雄。

人間側に残された。

五百年前の記録。

僕たちは。

それを追ってきた。

でも。

まだ。

見ていない場所がある。

魔族側。

五百年前。

ベラと共に戦った魔族たち。

そして。

その後の五百年を。

アンと共に生きてきた魔族たち。

「……行ってみたい」

気づけば。

口にしていた。

アンが僕を見る。

「どこに?」

「魔族領」

ベラも僕を見る。

「ソル」

「駄目?」

アンは。

すぐには答えなかった。

「人間はほとんど入らないんでしょ?」

「うん」

「なら」

僕は地図を畳む。

「行ってみたい」

五百年前の人間側は見た。

勇者。

剣聖。

守護騎士。

聖女。

賢者。

なら。

次は。

魔族側。

「もしかしたら」

僕は二人を見る。

「天使について何か残ってるかもしれない」

アンの表情が変わる。

「五百年前の記録?」

「うん」

「……」

「それに」

僕はベラを見る。

「知りたい」

「何をじゃ」

「ベラたちが」

少し考える。

「五百年前に守ったものを」

ベラの目が。

僅かに見開かれる。

「人間側だけじゃなくて」

今度はアンを見る。

「魔族がどうやって生きてきたのかも」

沈黙。

アンとベラ。

二人が。

一瞬だけ視線を合わせる。

そして。

アンが口を開いた。

「私は構わない」

「本当?」

「うん」

「でも」

アンが僕を指差す。

「一つだけ」

「何?」

「魔族領では勝手に動かないで」

「なんで?」

「人間が珍しいから」

「そんなに?」

「多分、ソルが思っているより」

「……分かった」

「本当に?」

「なんでみんな僕を信用しないの?」

「昨日の話を忘れたの?」

「好奇心で首を突っ込むってやつ?」

「それ」

「今回は大丈夫」

「その言葉を信用できない」

「ひどい」

ベラが腕を組む。

「妾も賛成じゃ」

「ベラまで!?」

「魔族領では妾の側を離れるでないぞ」

「子供じゃないんだけど」

「十五じゃろう」

「……」

何も言い返せない。

「で」

僕はベラを見る。

「ベラは?」

「何がじゃ」

「行きたい?」

ベラが黙る。

魔族領。

五百年前。

自分が魔王として治めていた土地。

でも。

今は違う。

ベラが知らない。

五百年後の魔族たちが生きている。

そこには。

自分が眠りについた後の歴史がある。

「……そうじゃな」

ベラが窓の外を見る。

朝の光。

アルカディアの街。

その向こう。

遥か遠くにある。

魔族の地。

「見てみたい」

小さな声だった。

「妾がいなくなった後」

ベラがアンを見る。

「こやつが何を守ってきたのか」

アンの目が僅かに動く。

「ベラ……」

「それに」

ベラが笑う。

「現魔王とやらの仕事ぶりも見てやらねばならぬ」

「……それは見なくていいです」

「なぜじゃ?」

「色々あるので」

「ほう?」

「何ですか」

「何か隠しておるな?」

「隠してません」

「では見ても問題なかろう」

「問題あります」

「あるのではないか!」

「ベラ」

アンが。

少し困った顔をする。

現魔王。

アンタレス。

その言葉を。

本人の口から聞いても。

まだ少しだけ。

変な感じがする。

昨日まで。

普通に一緒に旅をしていたアンが。

人間が存在すらほとんど知らない国を。

五百年近く守ってきた魔王。

そして。

その隣には。

五百年前の魔王ベラトリクス。

「……」

改めて考えると。

とんでもない二人と旅をしてる。

「じゃあ」

僕は地図を畳んだ。

「決まりだね」

ベラ。

アン。

二人を見る。

「次は」

人間の地図には載っていない。

五百年近く。

世界から隔離された場所。

五百年前の魔王が眠りについた後。

アンが守り続けた国。

「魔族領へ行こう」

アンは少しだけ息を吐いた。

それから。

「分かった」

頷く。

「案内する」

ベラも立ち上がる。

「五百年ぶりか」

その顔には。

ほんの少しだけ。

懐かしさと。

不安が混ざっているように見えた。

僕にとっては。

初めて訪れる国。

ベラにとっては。

五百年ぶりに帰る故郷。

そして。

アンにとっては。

魔王として。

帰るべき場所。

同じ場所へ向かうのに。

三人とも。

そこへ行く意味が違う。

そして僕は。

まだ知らなかった。

魔族領で。

ベラが失った五百年と。

アンが背負ってきた五百年。

その両方を。

目にすることになることを。




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