賢者の塔のその後
第79話 賢者の塔の、その後
賢者の塔を出た頃には。
空はすっかり暗くなっていた。
「……疲れた」
塔を見上げながら、僕は大きく息を吐いた。
身体が重い。
足も重い。
頭なんてもっと重い。
《天曜》。
星の声。
裂け目。
千百年前のアウレストラ。
天使の向こう側にいた何か。
そして。
アークトゥルス。
一日で知るには。
あまりにも多すぎた。
「何を情けない声を出しておる」
隣を歩いていたベラが言う。
「仕方ないでしょ。今日は本当に色々あったんだから」
「修行とはそういうものじゃ」
「ベラは見てただけじゃん」
「何を言う。妾はお主が戻ってくるまで待っておったのじゃぞ」
「それを見てただけって言うんじゃないの?」
「違う」
「何が?」
「見守っておった」
「言い方変えただけだよね?」
「全く違う」
「同じだよ」
僕たちの少し後ろを歩いていたアンが、小さく息を吐いた。
「二人とも元気ですね」
振り返る。
「アンは疲れてないの?」
「私は塔の中で待っていただけですから」
「ほら」
僕はベラを見る。
「アンは認めたよ」
「アン」
「はい?」
「そこは妾の味方をするところではないのか?」
「事実なので」
「……お主、最近ソルに似てきておらぬか?」
「それは嫌です」
「ちょっと」
即答だった。
「なんで!?」
アンが僅かに笑う。
「冗談です」
「絶対ちょっと本気だったでしょ」
「どうでしょう」
「アンまで……」
塔で起きたことを考えれば。
こんな会話をしている場合じゃないのかもしれない。
時間がない。
アークトゥルスは確かにそう言った。
裂け目は五百年前より遥かに大きくなっている。
しかも。
向こう側にいる何かは、僕を認識した。
本当なら。
今すぐ次の手掛かりを探すべきなのかもしれない。
それでも。
今だけは。
この何でもない会話がありがたかった。
「ところで」
ベラが立ち止まる。
「ソル」
「何?」
「腹が減った」
「……」
「何じゃ」
「いや」
僕はベラを見る。
「この流れでそれ?」
「この流れとは?」
「さっきまで五百年前の賢者と再会してたんだよ?」
ベラの表情が一瞬だけ止まる。
「それと空腹に何の関係がある」
「ないけど」
「ならば問題なかろう」
「切り替え早いなぁ」
「生きておるのだから腹は減る」
そう言って。
ベラは先へ歩いていく。
僕はその背中を見る。
いつも通り。
本当に。
いつも通りのベラ。
でも。
僕は知っている。
アークトゥルスが消える前。
二人が交わした言葉を。
『生きていてくれて、ありがとう』
ベラは。
どんな気持ちなんだろう。
聞こうとは思わなかった。
多分。
聞かない方がいい。
「ソル?」
アンの声。
「え?」
「行きますよ」
見ると。
ベラはもうかなり先へ行っている。
「待ってよ!」
僕は二人を追いかけた。
*
アルカディアの街へ戻る。
夜になっても。
街はまだ賑やかだった。
石造りの建物の間を、魔導灯の淡い光が照らしている。
露店もまだいくつか開いていて。
通りには仕事を終えた人たちの姿があった。
「で」
僕はベラを見る。
「何食べる?」
「肉」
「早い」
「肉じゃ」
「他には?」
「肉」
「選択肢増やしてよ」
「ならば」
ベラが少し考える。
「美味い肉」
「増えてない」
アンが周囲を見回す。
「向こうに食事処がありますよ」
指差した先。
木製の看板が出ている。
中から。
いい匂いがする。
焼いた肉。
香辛料。
それから。
パンの匂い。
「そこじゃ」
ベラが即座に歩き出した。
「決めるの早っ」
「腹が減っておると言ったであろう」
「はいはい」
店に入る。
「いらっしゃい!」
明るい声が飛んできた。
店内はかなり混んでいた。
冒険者らしい人。
仕事帰りらしい人。
家族連れ。
奥では何人かが酒を飲んで騒いでいる。
「三人かい?」
「はい」
「こっち空いてるよ」
案内されたのは。
壁際の四人掛けの席。
僕。
ベラ。
アン。
三人で座る。
「さて」
僕はメニューを開く。
「何に――」
「これじゃ」
ベラが指差した。
「早いって」
見る。
《大角牛の炙り焼き》
その下に。
《二〜三人前》
と書いてある。
「……これ一人で食べる気?」
「当然じゃ」
「二、三人前だよ?」
「だから何じゃ」
「アン」
僕は助けを求める。
アンはメニューを見ながら答えた。
「ベラなら食べられると思います」
「止める側じゃないんだ」
「事実なので」
「今日それ多くない?」
「では私は……」
アンが別の料理を見る。
「これにします」
「何?」
《香草鶏と野菜の煮込み》
「普通だ」
「普通で悪いですか?」
「いや、悪くないけど」
なんだろう。
ちょっと安心した。
「ソルは?」
「僕は……」
メニューを見る。
色々ある。
肉。
魚。
スープ。
煮込み。
「これかな」
《白身魚の香草焼き》
「肉ではないのか?」
ベラが言う。
「なんで全員肉にしないといけないの」
「肉の方が美味い」
「それはベラの好みでしょ」
「食べてみれば分かる」
「僕、肉食べたことあるからね?」
「ならば分かるであろう」
「何が?」
「肉が美味い」
「もういいよ」
注文を済ませる。
料理が来るまで。
僕は椅子にもたれた。
「はぁ……」
「だらしないぞ」
「疲れてるんだって」
「若いくせに」
「ベラに言われると何も言えないな」
五百年以上生きている。
年齢で勝てる気がしない。
「ソル」
アンが僕を見る。
「はい」
「聞いてもいいですか?」
「何?」
少しだけ。
アンの表情が真面目になる。
「《天曜》は、使えるようになったんですよね?」
「……うん」
僕は自分の手を見る。
「多分」
「多分?」
「前とは違うんだ」
聞く。
届ける。
繋がる。
借りる。
アークトゥルスに教えられたこと。
「今までは、星の力をどう使うかばっかり考えてた」
「今は?」
「どう言えばいいかな」
少し考える。
「借りる前に、ちゃんと相手を見る感じ」
「相手?」
「星を」
アンが少し驚く。
「星を……相手として?」
「うん」
「不思議ですね」
「僕もそう思う」
でも。
今なら分かる。
星は。
ただ空に浮かんでいるものじゃない。
少なくとも。
《天曜》を通して感じる星には。
意思がある。
「ただし」
ベラが口を挟む。
「太陽には繋がるな」
「分かってるよ」
「本当か?」
「アークトゥルスにも同じこと言われた」
「ならば二度言われたということじゃ」
「分かってるって」
「お主は好奇心で余計なことをしそうじゃからな」
「しないよ」
「……」
ベラとアン。
二人から見られる。
「何?」
アンが先に口を開く。
「少し心配です」
「なんで!?」
「ソルなので」
「どういう意味!?」
ベラが頷く。
「妾も同意見じゃ」
「ベラまで!」
「お主は気になったら首を突っ込む」
「そんなことないよ」
「ある」
「ありますね」
「アンまで断言しないでよ」
「これまでの旅を思い返してください」
「……」
樹海。
塔。
天使。
色々。
「……ちょっとだけ」
「ほれ見ろ」
「ちょっとだから!」
その時。
「お待たせ!」
料理が運ばれてきた。
まず。
僕の魚。
アンの煮込み。
そして。
最後。
「おお」
ベラの目が輝く。
巨大な皿。
その上に。
大量の肉。
「……本当に大きいね」
「素晴らしい」
「一人で食べる量じゃないって」
「ソル」
「何?」
「一つ教えてやろう」
ベラがフォークを持つ。
「何を?」
「魔王に不可能はない」
「そんなところで魔王を使わないでよ」
肉を一口。
「……!」
ベラの目がさらに輝いた。
「美味い」
「よかったね」
「ソル」
「いらない」
「まだ何も言っておらぬ」
「食べろでしょ?」
「よく分かったな」
「さっき肉の方が美味いってずっと言ってたからね」
「一口食べてみよ」
「僕は魚あるから」
「美味いぞ」
「分かったって」
「本当に美味い」
「分かったよ!」
結局。
一切れもらった。
「……美味しい」
「じゃろう?」
ものすごく得意そうな顔をされた。
「でも魚も美味しいから」
「負け惜しみじゃな」
「何と戦ってるの?」
アンが煮込みを食べながら。
小さく笑っている。
「アンも食べるか?」
ベラが聞く。
「よろしいんですか?」
「うむ」
「では、いただきます」
ベラが肉を一切れ分ける。
「ありがとうございます」
アンが口へ運ぶ。
「……美味しいです」
「じゃろう?」
また得意そうな顔。
「なんでベラが作ったみたいな顔するの?」
「妾が選んだ」
「作った人が一番すごいからね」
そんなことを話しながら。
食事を続ける。
気づけば。
料理はほとんどなくなっていた。
僕の魚も。
アンの煮込みも。
そして。
「……嘘でしょ」
ベラの皿も。
綺麗に空になっている。
「何じゃ」
「本当に全部食べた」
「言ったであろう」
「二、三人前だよ?」
「少なかったな」
「少なかった!?」
アンも。
さすがに少し驚いている。
「追加するか」
「やめて」
「なぜじゃ」
「宿に戻れなくなるから」
「妾は歩ける」
「僕の財布が戻れなくなるんだよ」
「金ならあるであろう」
「旅はまだ続くんだから!」
「けちじゃな」
「金銭管理って言って!」
ベラが不満そうに水を飲む。
僕は財布の中を確認した。
まだ大丈夫。
依頼をこなしておいて本当によかった。
「ソル」
アンが呼ぶ。
「何?」
「明日はどうします?」
その言葉で。
少しだけ。
現実へ戻る。
明日。
これから。
僕たちは。
どこへ向かうのか。
アークトゥルスの塔へ来るという目的は終わった。
五英雄。
レグルス。
シリウス。
アルデバラン。
ルナ。
アークトゥルス。
僕たちは。
五百年前の英雄たちが残したものを辿ってきた。
その先で。
本当の敵へ近づいた。
「……明日考えよう」
僕は言った。
アンが目を瞬く。
「明日?」
「うん」
「珍しいの」
ベラが言う。
「何が?」
「お主なら今から話そうと言うかと思った」
「僕だって休みたい時くらいあるよ」
「そうか」
「それに」
二人を見る。
「今日はもう十分じゃない?」
アンが少し考えて。
「……そうですね」
ベラも。
「まあ、よかろう」
そう答えた。
「今日は食べて」
僕は立ち上がる。
「風呂入って」
歩き出す。
「寝る」
「よい判断じゃ」
「ベラは食べ過ぎだけどね」
「まだ食える」
「聞かなかったことにする」
店を出る。
夜のアルカディア。
冷たい風が気持ちいい。
三人で宿へ向かって歩く。
道の途中。
ベラが露店の前で止まった。
「……」
嫌な予感。
「ベラ」
「なんじゃ」
「何見てるの?」
「何も見ておらぬ」
明らかに見ている。
視線の先。
焼き菓子。
「……食べたいの?」
「別に」
「さっき少なかったって言ってたもんね」
「別に」
「買う?」
「そこまで言うなら仕方ない」
「絶対食べたかったじゃん」
「ソルがどうしてもと言うからじゃ」
「僕、一回しか聞いてないよ」
「細かい男は嫌われるぞ」
「誰に!?」
「知らぬ」
「適当すぎる!」
アンが横で笑う。
結局。
焼き菓子を三つ買った。
一つずつ。
ベラは受け取ると。
すぐに一口食べた。
「美味い」
「よかったね」
アンも一口。
「甘いですね」
「美味しい?」
「はい」
僕も食べる。
温かい。
甘い。
特別なものじゃない。
街の露店で売っている。
普通のお菓子。
でも。
なんだろう。
すごく美味しく感じた。
「……こういうのでいいんだよな」
思わず呟いた。
「何がじゃ?」
「いや」
僕は首を振る。
「何でもない」
裂け目。
天使。
向こう側にいる何か。
考えなきゃいけないことは山ほどある。
きっと。
明日からまた忙しくなる。
危険な場所へ行くことにもなる。
戦うことだって。
きっとある。
だから。
今日くらいは。
何も考えなくていい。
僕たちはただ。
三人で夜の街を歩いた。
「ソル」
「何?」
「明日は肉じゃ」
「また!?」
「今日の店とは違うところへ行く」
「旅の目的変わってない?」
「食は重要じゃ」
「ベラ、絶対アークトゥルスの忠告忘れてるでしょ」
「覚えておるわ」
「本当に?」
ベラは答えず。
残っていた焼き菓子を全部口へ入れた。
「……怪しい」
「ソル」
アンが僕を見る。
「明日のことは、明日考えるんですよね?」
「うん」
「なら」
アンも残っていた焼き菓子を一口食べる。
「今はいいんじゃないですか?」
僕は少しだけ驚いた。
そして。
「……そうだね」
笑った。
夜空を見上げる。
無数の星。
その向こうに。
何があるのか。
今はまだ分からない。
でも。
今だけは。
星の声を聞こうとは思わなかった。
ただ。
綺麗だなと。
そう思った。




