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賢者の答え

第77話 賢者の答え

「時間がない」

アークトゥルスの言葉が、無数の星が浮かぶ空間へ重く響いた。

僕は何も言えなかった。

五百年前。

六人が災厄を封じた後も残り続けていた裂け目。

アークトゥルスが死ぬまで観測を続けても、完全には消えなかったもの。

それが今。

五百年前よりも遥かに大きくなっている。

「……だったら」

僕は拳を握った。

「どうすればいい?」

アークトゥルスを見る。

「裂け目が広がってるなら、止める方法があるんでしょ?」

返事はない。

「アークトゥルス」

「分からない」

「……え?」

聞き間違えたのかと思った。

「今、なんて?」

「分からないと言った」

「でも」

思わず一歩前へ出る。

「五百年前からずっと調べてたんだよね?」

「ああ」

「千百年前のアウレストラの記録まで調べた」

「ああ」

「だったら何か――」

「ソル」

静かな声に、僕は口を閉じた。

アークトゥルスは僕から目を逸らさない。

「私は賢者と呼ばれていた」

「……うん」

「多くの者が、私なら何でも知っていると思っていた」

少しだけ。

彼が笑った。

「だが、そんなわけがない」

「……」

「知らないものの方が遥かに多かった」

アークトゥルスが周囲の星を見上げる。

「天使が何者なのか」

一つ。

「なぜこの世界へ現れるのか」

二つ。

「裂け目の向こうに何があるのか」

三つ。

「そして、どうすれば完全に閉じることができるのか」

四つ。

星が瞬く。

「私は最後まで答えへ辿り着けなかった」

「……そっか」

「すまないな」

「なんで謝るの?」

「お前は答えを求めてここまで来たのだろう」

確かに。

アークトゥルスなら何か知っている。

そう思っていた。

五百年前の賢者。

天使について調べ続けた人。

この人なら。

全部じゃなくても。

答えを持っているんじゃないかって。

でも。

「十分だよ」

アークトゥルスが僕を見る。

「十分?」

「だって、僕たちだけじゃ裂け目のことにも気づけなかった」

星から世界を見ること。

黒い領域。

千百年前にも同じことが起きていたこと。

五百年前の戦いが終わった後も、裂け目が残っていたこと。

ここへ来なければ。

何一つ分からなかった。

「それに」

僕はアークトゥルスを見る。

「分からないなら、これから調べればいい」

一瞬。

彼の目が大きくなった。

それから。

「……そうか」

小さく笑った。

「何?」

「いや」

アークトゥルスが首を振る。

「少し懐かしくなっただけだ」

「懐かしい?」

「昔、同じようなことを言う奴がいた」

誰なのか聞こうとした。

でも。

アークトゥルスは話を続けた。

「ただし」

表情が変わる。

「何も残せなかったわけではない」

「え?」

アークトゥルスが手を上げる。

周囲の星々が消えていく。

代わりに現れたのは。

巨大な石板。

表面には古代文字が刻まれている。

中央にあるのは。

太陽の紋章。

「アウレストラ……」

「ああ」

石板に刻まれた文字を目で追う。

《天より白き翼来たる時》

《星々は声を閉ざし》

《空は黒く裂け》

そして。

その下。

一部が崩れている。

それでも読める文字があった。

《太陽――》

《裂け目――》

《王――》

「……途中が読めない」

「ああ」

アークトゥルスが石板を見る。

「私が発見した時には、すでに大部分が失われていた」

「これって……」

「アウレストラが滅びる直前に残された記録の一つだ」

僕はもう一度文字を見る。

太陽。

裂け目。

王。

「もしかして」

胸が強く鳴る。

「太陽の力で、裂け目に何かした?」

「私もそう考えた」

アークトゥルスが頷く。

「他の記録も調べた」

石板の横へ、いくつもの書物や石片が現れる。

「断片的なものばかりだった。だが、複数の記録に共通して太陽を示す言葉が残されていた」

「天使が来た時に?」

「ああ」

「じゃあ、やっぱり」

「可能性は高い」

アークトゥルスが僕を見る。

「千百年前、アウレストラの王族は太陽の力を使い、裂け目へ干渉した」

「干渉……」

「閉じたのか」

アークトゥルスが続ける。

「弱めたのか」

一拍。

「あるいは別の何かをしたのか」

「そこまでは分からない?」

「ああ」

僕は石板を見る。

あと少し。

あと少し記録が残っていれば。

何をしたのか分かったかもしれない。

「それでアークトゥルスも試した?」

僕が聞くと。

彼は少しだけ黙った。

「試そうとした」

「……そっか」

思い出した。

アークトゥルスは。

太陽の力を使えなかった。

「《天曜》を修め」

周囲に星が戻る。

「星の声を聞き」

一つの星から光が伸びる。

「星と繋がることもできた」

アークトゥルスの身体を光が包む。

「だが」

遥か遠く。

巨大な光が現れる。

太陽。

「どれだけ呼びかけても」

アークトゥルスが手を伸ばす。

太陽は何も答えない。

「私に太陽が応えることはなかった」

伸ばした手がゆっくりと下がる。

「だから私は、そこで止まった」

「……」

「答えのすぐ近くまで来ていたのかもしれない」

アークトゥルスが太陽を見る。

「だが、その先へ進むための資格が私にはなかった」

「資格って……」

「言葉の綾だ」

彼が僕を見る。

「血だけでは足りない」

アウレストラ王族の血。

アークトゥルスにも流れている。

僕にも流れている。

それでも。

太陽は彼に応えなかった。

「だが、お前には応えた」

「……うん」

王の墓所。

太陽の紋章。

あの時。

確かに光は僕へ応えた。

「ソル」

アークトゥルスが僕の前へ立つ。

「私には開けなかった扉を」

太陽の光が僕たちを照らす。

「お前なら開けるかもしれない」

僕は太陽を見る。

眩しい。

でも。

目を逸らしたくなかった。

「どうすればいい?」

「分からない」

「……また?」

思わずアークトゥルスを見る。

「私にはできなかったと言っただろう」

「それはそうだけど」

「ここから先は私にも教えられん」

「急に投げたね」

「投げてはいない」

「じゃあヒントは?」

「ない」

「シリウスより酷くない?」

「それは聞き捨てならんな」

アークトゥルスが眉をひそめる。

「私はここまで丁寧に教えただろう」

「最後が一番大事なんだけど」

「できなかったものは教えられん」

「それを堂々と言われてもなぁ……」

少しだけ。

空気が軽くなった。

でも。

目の前にあるものは変わらない。

太陽。

アークトゥルスが辿り着けなかった場所。

「……やってみる」

「ああ」

僕は太陽へ向き直った。

星の時と同じなら。

まず。

聞く。

目を閉じる。

魔力を使わない。

力を求めない。

ただ。

意識を向ける。

…………。

何もない。

…………。

星の時とは違う。

声がない。

存在は感じる。

圧倒的なくらい。

そこにいる。

でも。

何も聞こえない。

僕は意識を向け続ける。

…………。

駄目だ。

「聞こえない」

「そうか」

「星と同じじゃないのかな」

「分からん」

「便利だな、その言葉」

「事実だからな」

僕は小さく息を吐く。

もう一度。

目を閉じる。

星へやったように。

聞こうとしない。

命令もしない。

ただ。

そこにいるものへ意識を向ける。

…………。

…………。

やっぱり。

声はない。

でも。

「……?」

何か。

変だ。

聞こえない。

なのに。

感じる。

「アークトゥルス」

「なんだ?」

「これ……」

上手く言葉にできない。

「見られてる?」

返事はない。

僕は目を閉じたまま続ける。

星とは違う。

星の時は。

遠くから小さな声が届いた。

でも太陽は。

ずっと。

僕を見ている。

そんな感覚。

「いる」

僕は呟く。

「ちゃんと……いる」

その瞬間。

何かが変わった。

熱い。

身体じゃない。

もっと奥。

胸の中。

魂そのものへ光が触れたような。

そして。

『――何を望む』

「っ!」

目を開いた。

太陽が。

目の前にあった。

いや。

違う。

距離なんて分からない。

ただ。

世界すべてが金色に染まっている。

「アークトゥルス?」

返事がない。

姿も見えない。

僕一人。

そして。

太陽。

『何を望む』

もう一度。

声が届く。

星とは違う。

重い。

大きい。

身体の奥まで響く。

何を望む。

僕は拳を握った。

力。

最初に浮かんだ。

もっと強ければ。

天使を倒せる。

ゼファリエルとも戦える。

ベラやアンを守れる。

でも。

違う。

それだけじゃ。

五百年前と同じだ。

六人は強かった。

僕なんかより。

遥かに。

それでも。

戦いは終わらなかった。

千百年前も。

五百年前も。

そして今も。

だったら。

欲しいものは。

「知りたい」

僕は答えた。

太陽が揺れる。

『何を』

「天使が何なのか」

言葉が自然に出た。

「どうして、この世界に来るのか」

千百年前。

アウレストラを滅ぼした。

五百年前。

六人が命を懸けて戦った。

そして。

今。

また現れた。

「どうして何度も来るのか」

ベラの顔が浮かぶ。

五百年前。

魔王と呼ばれながら。

人間たちと一緒に戦った。

アン。

長い間、封印されていた。

レグルス。

シリウス。

アルデバラン。

ルナ。

そして。

アークトゥルス。

みんな。

戦った。

守った。

残した。

「それから」

僕は太陽を見る。

「どうすれば」

声が震える。

「もう誰も」

五百年前と。

同じように。

「同じ戦いをしなくて済むのか」

静寂。

太陽は何も答えない。

でも。

僕は目を逸らさなかった。

「僕はそれを知りたい」

一瞬。

世界から光が消えた。

「……え?」

暗闇。

何もない。

そして。

次の瞬間。

金色の光が爆発した。

「っ――!」

頭の中へ。

何かが流れ込んでくる。

景色。

知らない場所。

いや。

知っている。

白い街。

巨大な王城。

太陽の紋章。

「アウレストラ……」

でも。

前に見た景色とは違う。

燃えている。

街が。

空が。

大地が。

人々が逃げている。

兵士たちが空を見上げている。

空には。

黒い亀裂。

違う。

そんな小さなものじゃない。

空そのものが。

割れている。

「……何だよ、これ」

巨大な裂け目。

世界を二つに引き裂くような。

黒い穴。

そこから。

白いものが降りてくる。

一体。

十体。

百体。

数え切れない。

翼。

人の形。

天使。

「千百年前……」

アウレストラが滅びた日。

僕は見ている。

その時。

突然。

視界が動いた。

裂け目へ。

近づいていく。

「待って」

嫌な感覚。

星が嫌がっていた。

見たくない。

近づきたくない。

身体がそう叫んでいる。

それでも。

視界は止まらない。

黒い裂け目。

天使たちが次々と出てくる場所。

その。

さらに奥。

「……?」

何か。

いる。

僕は目を凝らす。

見えない。

暗い。

いや。

暗いんじゃない。

大きすぎる。

「何……あれ」

輪郭が分からない。

人なのか。

魔物なのか。

天使なのか。

何一つ分からない。

ただ。

一つだけ分かった。

いる。

天使たちの向こうに。

何かが。

いる。

その瞬間。

暗闇の中で。

光が灯った。

一つ。

二つ。

三つ。

違う。

もっと。

十。

百。

数え切れない。

無数の光。

それが。

一斉に。

こちらを向いた。

「――っ」

身体が動かない。

見られている。

僕を。

違う。

僕じゃない。

この記憶を見ている。

今の僕を。

見ている。

そんなはずない。

これは千百年前の記憶だ。

なのに。

確かに。

視線が。

僕を捉えた。

そして。

『――見つけた』

「っ!」

視界が弾けた。

「うわっ!」

身体が地面へ叩きつけられる。

「ソル!」

アークトゥルスの声。

息ができない。

「はっ……はぁ……!」

「ソル!」

肩を掴まれる。

顔を上げる。

星。

暗闇。

アークトゥルス。

戻ってきた。

「何があった」

「……」

「ソル」

答えようとしても。

声が出ない。

身体が震えている。

怖い。

あれは。

今まで見てきた天使とは違う。

ゼファリエルとも違う。

もっと。

根本的に。

違う。

「何を見た」

アークトゥルスがもう一度聞く。

僕は震える手を握り締めた。

「……アウレストラ」

「何?」

「滅びた日の……アウレストラが見えた」

アークトゥルスの目が見開かれる。

「空に……裂け目があった」

「それで?」

「そこから……天使が」

息を整える。

「たくさん……数え切れないくらい」

「……」

「でも」

僕はアークトゥルスを見る。

「違う」

「何がだ」

「あれじゃない」

「ソル?」

「天使じゃない」

アークトゥルスの表情が変わった。

「何を言っている」

「いたんだ」

僕は自分の胸元を掴む。

まだ。

視線が残っている気がする。

「裂け目の向こうに」

「……」

「天使より、もっと奥に」

アークトゥルスが息を止めた。

「何がいた」

「分からない」

僕は首を振る。

「姿も見えなかった」

「なら、なぜいると分かった」

「見られた」

「……何?」

「向こうから」

あの無数の光。

そして。

あの声。

「僕を見た」

アークトゥルスが動きを止める。

「そんなはずはない」

初めてだった。

アークトゥルスが。

はっきりとそう否定したのは。

「お前が見たのは千百年前の記録だ」

「分かってる」

「記録の中に存在する何かがお前を認識することなど――」

「でも聞こえた」

「……何が」

僕はアークトゥルスを見る。

喉が乾く。

それでも。

はっきりと口にした。

「見つけた、って」

沈黙。

無数の星が浮かぶ世界で。

アークトゥルスは。

何も言わなかった。


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