星へ届ける声
第75話 星へ届ける声
「ここからが――《天曜》だ」
アークトゥルスの言葉が、無数の星が浮かぶ暗闇へ響いた。
僕は遥か遠くで輝く一つの星を見つめていた。
さっきまで、ただの光にしか見えていなかった。
でも今は違う。
あそこには声がある。
僕へ届く何かがある。
『聞こえる?』
確かにそう聞かれた。
そして僕が答えると。
『よかった』
そう返ってきた。
今まで何度も星の声を聞いてきた。
でも、自分から聞こうとして聞けたのは初めてだった。
「……不思議な感じだ」
僕は呟く。
「何がだ?」
「今まで星の声って、突然聞こえてくるものだと思ってたから」
遠くの星が小さく瞬く。
「ちゃんとそこにいるんだなって」
「いる」
アークトゥルスは短く答えた。
「お前が気づいていなかっただけだ」
「……そっか」
僕はもう一度、その星を見る。
すると。
「では、次だ」
「え?」
思わずアークトゥルスを見る。
「もう?」
「何か問題があるか?」
「いや、初めて成功したんだから、もう少しこう……」
「褒めてほしいのか?」
「そういうわけじゃないけど」
「なら続けるぞ」
「厳しいなぁ……」
「シリウスよりは優しいつもりだ」
「比較対象が悪いよ」
アークトゥルスが僅かに笑った。
でも、すぐに表情を戻す。
「ソル」
「うん」
「お前は今、初めて自分から星の声を聞いた」
「うん」
「だが、それだけだ」
「……それだけ?」
「ああ」
アークトゥルスが僕の隣へ立つ。
「声を聞くだけなら、会話とは呼ばない」
僕は瞬きをした。
「会話……」
「相手の声を聞く。そして、自分の声を相手へ届ける」
アークトゥルスが遠くの星を指差す。
「次はお前から星へ声を届けろ」
「僕から?」
「ああ」
僕は星を見る。
さっき声を聞いた星。
「どうやって?」
「やってみろ」
「またそれ?」
「まず自分で試せ」
「絶対シリウスと似てるよ」
「心外だな」
言いながら、アークトゥルスは少し楽しそうだった。
仕方ない。
僕は星へ向き直る。
声を届ける。
普通に考えれば。
「……聞こえる?」
返事はない。
「僕の声、聞こえる?」
何も起きない。
星は静かに輝いている。
「聞こえてる?」
やっぱり駄目だ。
僕はアークトゥルスを見る。
「無理なんだけど」
「そうだろうな」
「分かってたなら教えてよ」
「今ので一つ分かっただろう」
「何が?」
「口で話しかけても意味がない」
「……それくらい最初から分かってた気もする」
「なら、なぜ話しかけた?」
「もしかしたらいけるかなって」
「いかなかったな」
「うん」
僕は小さく息を吐く。
でも。
確かにおかしい。
星の声を聞いた時、耳から聞こえたわけじゃなかった。
直接。
もっと深いところへ届いてきた。
なら、僕も同じようにすればいい。
目を閉じる。
さっきと同じだ。
魔力は使わない。
星装も使わない。
ただ意識を星へ向ける。
そして心の中で呼びかける。
聞こえる?
…………。
何もない。
もう一度。
聞こえる?
…………。
駄目だ。
「アークトゥルス」
「なんだ?」
「心の中で話しかけても駄目だ」
「ああ」
「ヒント」
「もう少し考えろ」
「少しくらい教えてくれてもいいでしょ」
「なら一つだけだ」
僕は目を開ける。
アークトゥルスが人差し指を立てた。
「星は言葉を聞いているのではない」
「言葉じゃない?」
「ああ」
それだけ言って黙る。
「……終わり?」
「一つだけと言った」
本当に厳しい。
僕は再び星を見る。
言葉じゃない。
じゃあ何を届ける?
魔力?
いや。
アークトゥルスは魔力を使うなと言った。
なら違う。
感情?
心?
もっと別の何か。
僕は考える。
星の声を初めて聞いた時。
あれは本当に言葉だったのか?
『聞こえる?』
確かに僕にはそう聞こえた。
でも。
耳から聞こえたわけじゃない。
頭の中で誰かが喋っていたわけでもない。
何かが僕へ届いて。
僕自身が、それを言葉として理解した。
「……もしかして」
アークトゥルスは答えない。
僕は目を閉じる。
今度は言葉を作らない。
聞こえる?
そう考えることもしない。
ただ。
自分がここにいる。
星の声を聞いている。
そして。
僕もお前と話したい。
その意思だけを。
遠くにいる星へ向ける。
…………。
何も起きない。
それでも続ける。
力を入れない。
届けようとしすぎない。
ただ。
ここにいる。
僕はここにいる。
そのことだけを。
星へ。
すると。
遠くで。
小さな光が揺れた。
「……!」
追わない。
さっき学んだ。
焦れば消える。
僕はそのまま待つ。
もう一度。
星が瞬いた。
そして。
『――見つけた』
「……!」
目を開く。
遥か遠くにあった星が、強く輝いている。
『見つけた』
もう一度。
はっきりと届いた。
「アークトゥルス……」
「聞こえたか?」
「うん」
僕は星を見たまま頷く。
「見つけたって」
「そうか」
「僕の声……届いたんだよね?」
「ああ」
アークトゥルスが僕の横へ並ぶ。
「正確には声ではないがな」
「じゃあ、何を届けたの?」
「意思だ」
やっぱり。
「星は言葉を聞いているわけではない。お前という存在から発せられる意思を受け取っている」
「意思……」
「そして、お前も星の意思を受け取っている」
僕は遠くの星を見る。
「それを僕が言葉として理解してる?」
「そう考えていい」
少しだけ分かった気がする。
僕と星が同じ言葉を話しているわけじゃない。
お互いの意思を受け取って。
それを理解できる形へ変えている。
「これが《天曜》?」
「その一部だ」
アークトゥルスが右手を上げる。
すると僕たちの前に四つの光が現れた。
一つ目。
「聞く」
二つ目。
「届ける」
三つ目。
「繋がる」
四つ目。
「借りる」
四つの光が一直線に並ぶ。
「これが《天曜》で星の力へ触れる基本だ」
僕は四つの光を見る。
「聞く、届ける、繋がる、借りる……」
「ああ」
「じゃあ、今の僕は?」
「二つ目だ」
「まだ半分か」
「本来ならな」
「本来なら?」
アークトゥルスが僕を見る。
「お前はすでに四つ目を何度も行っている」
「……え?」
「星から力を借りていただろう」
「あ」
そうだ。
星装とは違う。
《天曜》として星の力に触れた時。
僕は確かに力を使っている。
「でも僕、繋がった覚えないよ」
「だから問題なのだ」
アークトゥルスが呆れたように息を吐く。
「お前は聞くことも、届けることも、繋がることも理解しないまま、いきなり力だけを借りていた」
「……そんなことできるの?」
「実際にお前がやっている」
「危ない?」
「危ない」
即答だった。
「どれくらい?」
アークトゥルスは少し考える。
「扉を開けずに壁を壊して中へ入るようなものだ」
「……そんな無茶してたの?」
「していた」
「僕、よく大丈夫だったね」
「本当にな」
アークトゥルスが真顔で頷く。
「よく壊れなかったものだ」
「怖いこと言わないでよ」
「事実だ」
僕は自分の身体を見る。
知らなかった。
今まで星の力を使えていたから、それが正しい方法なんだと思っていた。
でも違った。
「だから基礎からやり直す?」
「ああ」
アークトゥルスが三つ目の光へ触れる。
「次は繋がる」
光が強くなる。
「どうすればいい?」
「今、お前は一つの星と互いの意思を届け合った」
「うん」
「なら、その繋がりを切るな」
僕は星を見る。
まだ感じる。
遠くにいる。
でも確かに僕を見ている。
「意識を向けろ」
アークトゥルスの声が静かになる。
「ただし、引き寄せるな」
「うん」
「お前が星へ行く必要もない」
「じゃあ?」
「そこにある繋がりを感じろ」
僕は目を閉じた。
星。
遠く。
とても遠く。
でも。
さっきまでとは違う。
一本の細い糸のようなものがある。
僕と。
あの星の間に。
それを掴まない。
ただ感じる。
…………。
一瞬。
身体が浮いた。
「っ」
足元が消える。
いや。
違う。
僕の身体はここにある。
なのに。
視界が変わった。
「……え?」
世界が見えた。
青い。
大きな大地。
広い海。
白い雲。
そのすべてが、一つの景色として視界に入ってくる。
「何……これ……」
声が震えた。
僕は空にいる。
いや。
もっと遠い。
遥か彼方から。
世界を見下ろしている。
「星の視界だ」
アークトゥルスの声が聞こえる。
でも姿は見えない。
「今、お前は星と繋がっている」
「これが……」
僕は言葉を失った。
大陸が見える。
海が見える。
雲がゆっくりと動いている。
僕たちが旅してきた世界。
あんなに広いと思っていた場所が。
今は一つの景色の中にある。
「……綺麗だ」
自然に言葉が出た。
こんな世界を。
星はずっと見ていたのか。
五百年前も。
千年前も。
もっと昔から。
僕たちが生まれるずっと前から。
「すごい……」
もっと見たい。
そう思った。
大陸。
海。
山。
雲。
光。
そして。
「……?」
何かが見えた。
最初は雲の影だと思った。
でも違う。
黒い。
世界の一角。
そこだけが。
おかしい。
「……何、あれ」
返事はない。
僕は意識を向ける。
黒いもの。
場所までは分からない。
遠すぎる。
でも。
明らかに周囲とは違う。
光がないわけじゃない。
何かが。
星の視界を遮っている。
いや。
違う。
「……嫌がってる?」
繋がっている星から感じる。
恐怖。
拒絶。
近づきたくない。
見たくない。
そんな意思。
「アークトゥルス」
僕は呼ぶ。
「見える」
返事はない。
「あそこに何かある」
沈黙。
「黒い……何かが」
その瞬間。
繋がりが切れた。
「っ!」
視界が戻る。
暗闇。
無数の星。
僕は大きく息を吸った。
「はぁ……はぁ……」
身体は動いていないはずなのに、息が乱れている。
目の前にはアークトゥルスが立っていた。
でも。
さっきまでとは表情が違う。
笑っていない。
「……アークトゥルス?」
僕は息を整えながら聞く。
「今の、何?」
彼は答えない。
「星が怖がってた」
沈黙。
「あれを」
アークトゥルスが目を閉じる。
「そうか」
「知ってるの?」
ゆっくりと目を開く。
「ようやく、お前にも見えたか」
その言葉に。
胸の奥がざわついた。
「やっぱり知ってるんだ」
「ああ」
「何なの、あれ」
アークトゥルスはすぐには答えなかった。
周囲に浮かぶ星々を見上げる。
「五百年前」
静かな声だった。
「私も同じものを見た」
「アークトゥルスも?」
「ああ」
「じゃあ……」
僕はもう一度、さっき見た景色を思い出す。
世界の中にあった黒い何か。
そして。
それを恐れていた星。
「何なんだよ、あれ」
長い沈黙の後。
アークトゥルスが僕を見る。
「五百年前、私が《天曜》を使い続けた理由」
その表情から、さっきまでの師匠としての穏やかさが消えていた。
「そして」
無数の星が、一斉に弱く瞬く。
「私が生涯をかけて調べ続けたものだ」




