星の声
第74話 星の声
光が弾けた。
眩しさに目を閉じる。
次に目を開いた時、そこに太陽はなかった。
アウレストラの街も消えている。
代わりに広がっていたのは、どこまでも続く暗闇だった。
上も。
下も。
右も左も分からない。
ただ、無数の星だけが浮かんでいる。
「……ここは?」
「《天曜》に残した記憶の中だ」
声に振り返る。
アークトゥルスが立っていた。
「さっきとは違う場所?」
「ああ。ここに実在する場所ではない」
アークトゥルスが周囲を見渡す。
「お前が《天曜》を学ぶために、私が作った場所だ」
「学ぶ……」
僕は自分の手を見る。
さっきアークトゥルスは言った。
《天曜》を知れ。
星の声を知れ。
そして、自分が何者なのかを知れ。
それが最初の試練だと。
「修行ってこと?」
「そう考えて構わない」
アークトゥルスが僕を見る。
「まず確認する。ソル、お前はこれまで星の声を何度聞いた?」
「何度って……」
考える。
最初に聞いたのは、いつだっただろう。
星装を得た時。
《明星》を手にした時。
それ以外にも、何度かあった。
そしてアルカディアに来てからは、以前よりもはっきり聞こえるようになっている。
「正確には分からない」
「なら、どういう時に聞こえた?」
「どういう時……」
僕は少し考えた。
「危ない時が多かったと思う」
「危ない時?」
「僕が何かに迷ってる時とか、誰かを助けなきゃいけない時とか……あとは、古いものに触れた時」
アークトゥルスは黙って聞いている。
「自分から聞こうとしたことは?」
「……ない」
答えてから気づく。
そうだ。
僕は星の声を聞いてきた。
でも。
聞こうとしたことは、一度もない。
いつだって向こうから聞こえてきた。
「やはりな」
アークトゥルスが小さく息を吐く。
「お前は《天曜》を使っているのではない」
「え?」
「《天曜》に使われている」
一瞬、意味が分からなかった。
「どういうこと?」
「お前は星から呼ばれた時にしか、その声を聞いていない」
「……うん」
「星がお前へ手を伸ばした時だけ、その手を掴んでいる」
アークトゥルスが右手を伸ばす。
近くに浮かんでいた星が、一度だけ強く瞬いた。
「それでは駄目だ」
「じゃあ、どうすればいい?」
「簡単だ」
アークトゥルスが僕を見る。
「お前から手を伸ばせ」
僕は周囲を見る。
無数の星。
「星に?」
「ああ」
「どうやって?」
「それを今から覚える」
アークトゥルスが数歩離れる。
「星装を解け」
「え?」
「聞こえなかったか?」
「いや、聞こえたけど……」
僕は自分の身体を見る。
いつの間にか、薄い金色の光が身体を覆っていた。
この場所へ来てから無意識に星装を使っていたらしい。
「消せ」
「分かった」
意識を切る。
金色の光が消えた。
「《明星》も使うな」
「持ってないよ」
現実に身体があるわけじゃないからか、この場所には《明星》もない。
「魔力も使うな」
「……え?」
今度こそ聞き返した。
アークトゥルスは真顔だ。
「魔力を使うな」
「でも、《天曜》の修行なんだよね?」
「ああ」
「魔力を使わないでどうやって?」
「だから、お前は何も分かっていないと言っている」
少しだけ腹が立つ。
「言い方ってものがあるでしょ」
「五百年後の人間は随分と繊細なのだな」
「五百年前の賢者が失礼なんだよ」
アークトゥルスが少し笑った。
「そのくらいでいい」
「何が?」
「私を伝説の賢者だと思うな。今のお前に必要なのは崇拝する相手ではなく、教える者だ」
「……分かった」
確かに。
五英雄の一人。
伝説の賢者アークトゥルス。
そう考えると、どうしても身構えてしまう。
でも今は。
僕の師匠みたいなものだ。
「じゃあ、先生」
「それはやめろ」
「どっちなの」
「アークトゥルスでいい」
「分かったよ、アークトゥルス」
「よろしい」
少し変な人かもしれない。
五百年前の人間に対して失礼かもしれないけど。
「では始める」
アークトゥルスの表情が変わった。
僕も姿勢を正す。
「目を閉じろ」
言われた通りにする。
暗い。
元々暗い場所だけど、星の光さえ見えなくなる。
「何が見える?」
「何も」
「何が聞こえる?」
僕は耳を澄ます。
「……何も」
「本当に?」
「え?」
「もう一度聞く。何が聞こえる?」
耳を澄ます。
何もない。
風もない。
足音もない。
自分の呼吸すら、ここではほとんど聞こえない。
「何も聞こえない」
「なら、お前は耳で聞こうとしている」
「耳?」
「星の声は音ではない」
その言葉に。
僕は思い出した。
確かにそうだ。
星の声が聞こえた時。
耳から聞こえてきたわけじゃない。
もっと直接。
頭の中。
いや。
もっと深いところへ届いていた。
「意識を外へ向けろ」
アークトゥルスの声が聞こえる。
「魔力は使うな」
「うん」
「探そうとするな」
「……探さない?」
「聞こうとするな」
「ちょっと待って」
思わず目を開けた。
「星の声を聞く修行なのに、聞こうとするなっておかしくない?」
「おかしくない」
「おかしいよ」
「なら聞くが、お前は普段、人の話を聞く時に魔力を使うのか?」
「使わないけど」
「相手の口から言葉を引きずり出すか?」
「そんなことしない」
「同じだ」
アークトゥルスが言う。
「星へ命令するな」
その言葉に、僕は黙った。
「力を寄越せ」
「声を聞かせろ」
「私に応えろ」
アークトゥルスが一つずつ言う。
「そう願うほど、お前自身の声が大きくなる」
「僕の声……」
「そして星の声を掻き消す」
アークトゥルスが僕の額を指差した。
「何もしなくていい」
「……何もしない」
「ただ聞け」
僕はもう一度目を閉じた。
何もしない。
魔力を使わない。
星装も使わない。
星へ力を求めない。
ただ。
聞く。
…………。
何も聞こえない。
…………。
やっぱり何も聞こえない。
どれくらい経ったんだろう。
一分?
十分?
この場所では時間の感覚すら曖昧だ。
「……聞こえない」
「そうか」
「何かヒントない?」
「ない」
「本当に?」
「自分で掴め」
「シリウスみたいなこと言うなぁ……」
「剣聖に会ったのか?」
思わず目を開けた。
「会ったっていうか、塔に残ってたシリウスの記憶に」
「そうか」
アークトゥルスが僅かに笑う。
「相変わらず不親切だっただろう」
「知ってるなら直しておいてよ」
「無理だ。あれは昔からだ」
少しだけ笑ってしまった。
五百年前。
この人たちは本当に一緒にいたんだ。
伝説じゃない。
生きて。
話して。
笑って。
戦った。
そのことが、今になって少しだけ実感できた。
「もう一度やる」
「ああ」
目を閉じる。
今度は考えない。
聞こうともしない。
ただ。
そこにいる。
…………。
…………。
最初は何もなかった。
でも。
しばらくして。
何かを感じた。
「……?」
音じゃない。
光でもない。
遠くで。
何かが揺れたような。
そんな感覚。
反射的に意識を向ける。
消えた。
「あ……」
「どうした?」
「今、何か……」
「追ったな?」
「……うん」
「だから消えた」
やっぱり。
「もう一度だ」
目を閉じる。
今度は追わない。
待つ。
…………。
また。
何かが触れた。
遠い。
とても遠い。
でも。
確かに何かがいる。
一つじゃない。
二つ。
三つ。
いや。
違う。
もっと。
僕は息を呑んだ。
一気に広がった。
無数。
数え切れないほどの何かが、僕の周囲にある。
星だ。
目を閉じているのに分かる。
星がいる。
「……聞こえる」
僕は小さく呟いた。
「何が?」
「たくさん……」
声。
でも。
多すぎる。
一つ一つは小さい。
それなのに全部が同時に僕へ触れてくる。
『――』
『――――』
『――』
『――――――』
言葉にならない。
何を言っているのか分からない。
「っ……」
頭が痛い。
「集中しろ」
アークトゥルスの声。
「無理だよ……多すぎる……!」
「すべてを聞こうとするな」
「でも……!」
「一つだけ選べ」
一つ。
こんなにあるのに?
『――――』
『――』
『――――――』
『――』
無数の声。
その中から一つだけ。
僕は意識を研ぎ澄ます。
違う。
研ぎ澄ますんじゃない。
力を入れるな。
聞こうとするな。
ただ。
待つ。
…………。
その時。
一つだけ。
他とは違うものを感じた。
小さい。
本当に小さい。
でも。
なぜか気になった。
遠く。
ずっと遠くにある星。
僕は追わない。
掴まない。
ただ。
その声へ意識を向ける。
『――聞こえる?』
「……!」
言葉。
初めて。
はっきりと。
聞こえた。
『聞こえる?』
幼い声のようにも。
大人の声のようにも聞こえる。
男なのか女なのかも分からない。
でも。
確かに言葉だった。
「聞こえる」
僕は答えた。
『――よかった』
その瞬間。
目を開いた。
暗闇。
無数の星。
その中で。
遥か遠くにある一つの星だけが、強く輝いていた。
「……あれ」
僕はその星を指差す。
「今、あの星が……」
アークトゥルスは何も言わない。
ただ。
笑っていた。
「アークトゥルス?」
「どんな声だった?」
「聞こえるかって」
「それだけか?」
「僕が聞こえるって答えたら……よかったって」
アークトゥルスは目を細める。
「そうか」
「これが……星の声?」
「ああ」
僕は光る星を見る。
今までとは違う。
危機の中で突然聞こえてきた声じゃない。
向こうから一方的に届いたものでもない。
僕が自分から。
あの星を見つけた。
「僕から聞けた……」
「そうだ」
胸の奥が熱くなる。
派手な力を手に入れたわけじゃない。
強い魔法を覚えたわけでもない。
なのに。
なぜか今までのどんな修行とも違う感覚があった。
アークトゥルスが僕の隣へ立つ。
「忘れるな、ソル」
「うん」
「《天曜》とは星を従える術ではない」
僕は彼を見る。
「星と繋がるための術だ」
遠くの星が、もう一度瞬いた。
「お前は今まで、星から呼ばれるのを待っていた」
アークトゥルスが僕を見る。
「だが今、お前は初めて自分から星の声を聞いた」
僕は小さく頷く。
「これが第一歩だ」
「第一歩……」
「ああ」
アークトゥルスが笑う。
「ようやく聞こえたか」
無数の星が、僕たちの周囲で輝いている。
さっきまでただの光にしか見えなかった星々。
でも今は違う。
一つ一つに。
声がある。
「ここからが――」
アークトゥルスが空を見上げる。
「《天曜》だ」




