魔王、王都へ
6話 魔王、王都へ
「絶対に暴れないでよ」
「しつこいのう」
「大事なことだから何回でも言うよ」
「妾は聞き分けのない子供ではない」
「昨日、垂れ幕燃やそうとしてた人が言う?」
「人ではない。魔王じゃ」
「そこ訂正しなくていいから」
王都アステリアへ続く坂道。
僕たちは、朝から続く人の列に混ざってゆっくりと城門へ向かっていた。
遠くから見ても大きかった王都は、近づけば近づくほどその規模が分かる。
灰色の巨大な城壁。
その上を歩く兵士たち。
何人もの人が並べそうな大きな門。
そして。
問題の垂れ幕。
《祝 魔王討伐五百周年》
城門の上から堂々と垂れ下がっている。
その下には、聖剣を掲げる勇者レグルス。
剣聖シリウス。
守護騎士アルデバラン。
賢者アークトゥルス。
聖女ルナ。
五人の英雄が描かれ。
足元には。
角と翼を生やした巨大な黒い魔王。
「……」
僕は隣を見る。
「ベラトリクス」
「何じゃ」
「顔」
「妾の顔が何じゃ」
「怖い」
「元からじゃ」
「さっきより怖い」
「気のせいじゃ」
どう見ても気のせいじゃない。
ベラトリクスは垂れ幕を睨んでいる。
「妾はあれほど大きくない」
「そこから?」
「角もない」
「うん」
「翼もない」
「知ってる」
「何故歯があのように尖っておる」
「僕に聞かないで」
「そもそも、あれでは魔族というより魔物ではないか」
「分かったから」
僕は小声になる。
前にも後ろにも人がいる。
五百周年記念祭へ向かう旅人たち。
商人。
冒険者。
家族連れ。
この場所で。
「本人です」
なんて聞かれたら大変なことになる。
「いい?」
「何じゃ」
「王都の中では絶対に自分が魔王だって言わないで」
「何故じゃ」
「捕まるから」
「誰が妾を捕らえる」
「今なら普通に捕まると思うよ」
「……」
ベラトリクスが黙った。
効いた。
「今、魔力ほとんどないんだから」
「分かっておる」
「兵士に囲まれたら?」
「……」
「ね?」
「逃げればよい」
「それも犯罪者になるから!」
「面倒じゃのう」
「五百年後では普通なんだよ」
僕たちの順番が少しずつ近づいていく。
門の前では兵士が一人ずつ身分を確認していた。
王都へ入る人が多いから、普段より簡単な確認らしい。
それでも。
「……」
嫌な予感がする。
「ベラトリクス」
「何じゃ」
「身分証って持ってる?」
「身分証?」
「身分を証明するもの」
「何故そのようなものが必要なのじゃ」
「持ってないんだね」
「妾の顔が身分証じゃ」
「通用しないよ」
「魔王ベラトリクスの顔を知らぬ者がおるのか」
「むしろみんな違う顔で覚えてるから」
垂れ幕を指差す。
巨大な怪物。
ベラトリクスのこめかみが動いた。
「あれを燃やせば」
「燃やさない」
「まだ最後まで申しておらぬ」
「分かるよ」
問題は身分証だ。
僕は村を出る時に、村長から発行してもらった簡易の身分証を持っている。
王都で働くつもりだったからだ。
でも。
ベラトリクスは五百年前から眠っていた。
当然。
今の身分証なんて持っているはずがない。
「どうしよう……」
「堂々としておればよい」
「それで通れたら警備の意味ないでしょ」
前を見る。
兵士。
その前で旅人が書類を見せている。
次。
その次。
もうすぐ僕たちだ。
「ねえ」
「何じゃ」
「出身地を聞かれたら、遠い村って言って」
「何故嘘をつかねばならぬ」
「本当の出身地どこなの?」
「ノクティア」
「それどこ?」
「妾の国じゃ」
「今の地図にないよね?」
「なかったな」
「じゃあ余計怪しまれるよ」
「妾の国が消えたことを妾のせいにするでない」
「してないよ!」
「次!」
兵士の声。
僕の身体が固まった。
「……行くよ」
「うむ」
二人で門の前へ進む。
兵士は三十代くらいの男だった。
少し疲れた顔をしている。
この人混みだ。
朝から何百人も確認しているんだろう。
「二人か?」
「はい」
「身分証」
「これです」
僕は村長にもらった紙を差し出す。
兵士が目を通す。
「フィル村。ソル、十五歳」
「はい」
「王都へは?」
「仕事を探しに来ました」
「祭りじゃなくて?」
「せっかくなので祭りも見ようかなって」
「なるほど」
兵士が紙を返してくれる。
「問題なし」
よかった。
そして。
視線が横へ移る。
「そちらは?」
ベラトリクスが胸を張った。
嫌な予感。
「妾は――」
僕は咄嗟に口を挟む。
「親戚です!」
「誰がお主の親戚じゃ!」
「ちょっと黙って!」
「何故じゃ!」
兵士が僕たちを見る。
「……親戚?」
「はい!遠いところから来てて!」
「妾はそのような」
僕はベラトリクスの袖を引っ張る。
「お願いだから今だけ!」
「むぅ……」
兵士がため息をつく。
「身分証は?」
「なくしてしまって」
「なくした?」
「はい」
「出身は?」
来た。
「遠い村です」
「村の名前」
「……」
考えてない。
まずい。
「ノク――」
「ノール村!」
僕が言った。
「ノール村?」
「はい!」
「どこだ?」
「えっと……」
「ソル」
ベラトリクスが小声で言う。
「お主、嘘が下手じゃな」
「今それ言わないで!」
兵士が怪訝そうな顔をする。
終わった。
そう思った時。
隣にいた別の兵士が口を挟んだ。
「身分証がないなら、冒険者登録させればいいんじゃないですか?」
「……ああ」
目の前の兵士が頷く。
「祭り期間だから臨時入城証でもいいが、王都にしばらく滞在するなら冒険者証を作った方が早い」
「冒険者証?」
僕が聞く。
「身分証代わりになる。冒険者ギルドで即日発行だ」
「僕も作れます?」
「十五なら問題ない」
「じゃあ」
僕はベラトリクスを見る。
「登録しよう」
「妾が?」
「身分証いるでしょ」
「妾が冒険者になるのか?」
「嫌?」
「……」
ベラトリクスが少し考える。
「冒険者とは何をする者じゃ」
「依頼受けたり、魔物倒したり?」
「ほう」
少し興味を持ったらしい。
「悪くない」
「じゃあ決まり」
兵士から簡単な入城用の紙を受け取る。
「今日中にギルドへ行けよ」
「分かりました」
「それと」
兵士がベラトリクスを見る。
「祭りの最中だからな。揉め事は起こすな」
「誰に申しておる」
「ベラトリクス!」
「何じゃ」
「はいって言って!」
「……はい」
「なんでそんな不満そうなの」
兵士は少し笑った。
「元気な姉ちゃんだな」
「誰が姉ちゃんじゃ」
「行くよ!」
これ以上話したら危ない。
僕はベラトリクスを引っ張り。
ようやく。
王都アステリアへ足を踏み入れた。
「……」
最初に感じたのは。
音だった。
人。
人。
人。
話し声。
笑い声。
商人の呼び込み。
馬車の車輪。
馬の鳴き声。
どこかから聞こえる楽器。
すべてが混ざっている。
「すご……」
思わず立ち止まった。
フィル村とは比べものにならない。
道も広い。
石畳。
左右には三階建て、四階建ての建物が並び。
その間を何百人もの人が行き交っている。
頭上には色とりどりの旗。
五英雄の紋章。
中央には勇者レグルスを象徴する剣。
「これが王都……」
僕自身。
初めて見る景色だった。
「人多いな」
思わず呟く。
返事がない。
「ベラトリクス?」
隣を見る。
彼女も。
街を見ていた。
「……」
いつものように文句を言わない。
ゆっくり。
右。
左。
建物。
人。
魔法灯。
道を走る魔導車。
一つずつ。
確かめるように見ている。
「どう?」
僕が聞く。
「……知らぬ街じゃ」
「そりゃそうだよね」
「ここには昔、何があった?」
「妾が知る限りでは」
少し考える。
「小さな城塞都市があったはずじゃ」
「城塞都市?」
「名は……」
目を細める。
「もう忘れた」
「ベラトリクスでも忘れるんだ」
「二千年以上生きておれば忘れることくらいある」
「あ」
「……」
「また年齢」
「今のは忘れよ」
「自分で言ってるじゃん!」
ベラトリクスは聞こえないふりをした。
僕たちは門近くに立っていた案内板を見る。
王都の簡単な地図。
「冒険者ギルド……」
指で辿る。
「ここだ」
中央通りを少し進んだ先。
大きな建物。
「まずそこへ行こう」
「その後は?」
「宿探し」
「その後」
「ご飯?」
「うむ」
そこだけ返事が早い。
「楽しみにしてる?」
「別に」
「昨日から食べ物の時だけ反応早いよ」
「気のせいじゃ」
「はいはい」
「はいは一度でよい」
王都の中央通りを進む。
何度も立ち止まりそうになった。
店。
武器屋。
防具屋。
本屋。
食堂。
見たことのない商品。
魔法道具。
僕だって初めて見るものが多い。
でも。
ベラトリクスは僕以上だった。
「ソル」
「何?」
「あれは何じゃ」
「魔導灯」
「道端に?」
「夜になると光るよ」
「魔石をあの程度の用途に使うのか」
「普通だよ」
数歩。
「ソル」
「何?」
「あれは」
「魔導車」
「馬なしで走るのか?」
「魔力で動くらしい」
「ほう」
数歩。
「ソル」
「今度は何?」
「あれ」
指差した先。
屋台。
赤い果実に飴をかけた菓子。
「……お菓子」
「何という」
「知らない」
「食べてみるか」
「先にギルド!」
「けちじゃな」
「僕のお金なんだからね!」
何とかベラトリクスを屋台から引き離し。
冒険者ギルドへ到着した。
大きな三階建ての建物。
入口の上。
剣と盾を交差させた紋章。
人の出入りが多い。
装備を整えた冒険者。
大剣を背負う人。
杖を持つ魔術師。
重そうな鎧。
「ここ?」
「うん」
「随分と騒がしいのう」
「冒険者ギルドだからね」
中へ入る。
外以上に騒がしかった。
広い一階。
正面には長い受付。
右側には巨大な掲示板。
紙がびっしり貼られている。
左側には食事を取れる場所まである。
「おお……」
「何を驚いておる」
「僕も初めてなんだよ」
「王都に来たことがないのか?」
「村出たの今日がほぼ初めて」
「……」
「何その顔」
「妾より世間知らずなのではないか?」
「五百年寝てた人に言われたくない」
受付の列へ並ぶ。
前には冒険者が何人もいる。
討伐した魔物の素材を持ってきた人。
依頼について話す人。
報酬を受け取る人。
見ているだけでも面白い。
やがて。
僕たちの番。
「こんにちは」
受付にいたのは、二十代くらいの女性だった。
明るい茶色の髪。
胸元にはギルドの紋章。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
「冒険者登録をしたくて」
「お二人ともですか?」
「はい」
「妾もじゃ」
受付の人がベラトリクスを見る。
「では、こちらへお名前をお願いします」
紙が二枚出される。
僕はペンを借りる。
名前。
年齢。
出身。
得意な武器。
簡単な項目。
「ソル……十五……」
書いていく。
隣を見る。
ベラトリクスが止まっている。
「どうしたの?」
「年齢」
「あ」
「何と書けばよい」
「本当の年齢」
「嫌じゃ」
「登録できないよ」
「十五と書く」
「嘘じゃん」
「見た目ならその程度であろう」
確かに。
見た目だけなら僕と大きく変わらない。
「でも」
「十五じゃ」
「はいはい」
「はいは一度でよい」
受付の女性が笑いを堪えている。
「仲がいいんですね」
「よくない」
「よくない」
声が重なった。
「……」
「……」
「真似するでない」
「そっちでしょ」
受付嬢が完全に笑っていた。
「ではお名前を」
「ベラトリクス」
受付嬢の手が止まった。
「……ベラトリクス?」
「そうじゃ」
「あの」
「何じゃ」
受付嬢が少し笑う。
「魔王と同じお名前なんですね」
「本人じゃ」
「冗談です!」
僕は即座に言った。
「何故否定する!」
「だから黙っててって言ったでしょ!」
受付嬢が楽しそうに笑う。
「あはは。五百周年ですものね」
「え?」
「今年は多いんですよ。レグルスとかシリウスとか、英雄や魔王の名前で登録しようとする方」
「……そうなんですか」
「はい。昨日もベラトリクスさんが二人いました」
「何じゃと?」
ベラトリクスの顔が変わった。
「妾が二人?」
「違う!偽名の人!」
「許せぬ」
「なんで!?」
「妾の名じゃぞ!」
「名前は誰のものでもないよ!」
「二人とも落ち着いてください」
受付嬢が笑いながら止める。
完全に冗談だと思われている。
ある意味助かった。
「では年齢は……十五歳?」
受付嬢がベラトリクスを見る。
「そうじゃ」
「同い年なんですね」
「うん」
僕は合わせる。
ベラトリクスが何か言いたそうにこちらを見る。
無視。
「出身地は?」
「……」
また問題。
「遠方です」
僕が答える。
「場所は?」
「ノクティアじゃ」
ベラトリクスが言った。
「ノクティア?」
受付嬢が首を傾げる。
「聞いたことがありませんね」
「妾の国じゃ」
「昔の地名かな?」
受付嬢が資料をぱらぱら見る。
「まあ、出身地は不明でも登録できますので大丈夫です」
よかった。
「次に簡単な能力測定を行います」
「能力測定?」
「はい。冒険者登録時に魔力量と身体能力を簡単に確認します。ランクを決めるものではありませんので安心してください」
「ランク?」
「初回登録者は全員F級からです」
「F級……」
「最下級です」
「何?」
隣から低い声。
「妾が最下級?」
「ベラトリクス」
「妾が?」
「みんな最初はそうなんだって」
「国を滅ぼせる妾が?」
受付嬢の目が少し丸くなる。
「設定すごいですね」
「設定ではない!」
「すみませんこの人そういうの好きなんです!」
「誰がそういうのじゃ!」
僕は頭が痛くなってきた。
受付の奥。
小さな別室へ案内される。
中央に水晶。
「こちらに手を置いてください」
受付嬢が説明する。
「魔力を少量流すだけで大丈夫です」
「僕から?」
「はい」
水晶へ手を置く。
少し集中する。
生活魔法を使う時と同じ。
魔力を流す。
水晶が淡く青く光った。
受付嬢が横の目盛りを見る。
「はい。平均的ですね」
「だと思いました」
「魔力量は年齢平均。属性適性も特に偏りなし」
「普通?」
「はい」
「……」
思った以上に普通だった。
まあ。
知っていたけど。
「次の方」
ベラトリクスが前へ出る。
「妾か」
「少量でお願いします」
「どの程度じゃ」
「本当に少しで。強く流しすぎると水晶が」
「心配するな」
ベラトリクスが手を置く。
「今の妾に、そのような余裕はない」
小声だった。
水晶。
「……」
何も起きない。
「……」
受付嬢が目盛りを見る。
「あれ?」
ベラトリクスの眉が動く。
「もう一度お願いします」
「分かっておる」
少し。
黒い魔力。
水晶が。
淡く光った。
本当に。
僕より弱い。
「……」
「……」
僕は横を見る。
ベラトリクスは水晶を睨んでいた。
受付嬢が確認する。
「魔力量は……かなり少なめですね」
「……」
「日常魔法を使う分には問題ありませんが、魔術師として依頼を受けるのは少し難しいかもしれません」
「……」
「ベラトリクス」
「笑うな」
「笑ってない」
「口元が笑っておる」
「ちょっとだけ」
「焼くぞ」
「その魔力で?」
「貴様!」
その瞬間。
バチッ。
「え?」
水晶から音がした。
黒い光。
ほんの一瞬。
水晶の内部を。
細い亀裂のようなものが走った。
受付嬢が目を見開く。
「……?」
ベラトリクスも水晶を見る。
僕も。
でも。
すぐに光は消えた。
「今の何ですか?」
「少々お待ちください」
受付嬢が水晶を確認する。
横。
裏。
何度か魔力を流す。
「……故障でしょうか」
「壊した?」
僕がベラトリクスを見る。
「妾は何もしておらぬ」
「本当に?」
「少量と言われたから少量しか流しておらぬ」
「珍しいですね」
受付嬢は首を傾げていた。
「魔力値そのものは低いんですが……」
「何か変?」
「いえ」
少し考える。
「測定器の誤反応だと思います」
「そうですか」
「祭り期間でかなり使っていますから」
結局。
故障扱いになった。
でも。
ベラトリクスだけは。
少しだけ水晶を見ていた。
「どうしたの?」
「何でもない」
「また?」
「早う行くぞ」
身体能力の確認も終える。
僕は。
まあ普通。
走力。
握力。
反応速度。
全部平均。
ベラトリクスは。
身体がまだ完全に戻っていないせいか。
こちらも平均以下。
「……」
測定が終わるたび。
機嫌が悪くなっていく。
「大丈夫?」
「何がじゃ」
「顔」
「妾の顔が何じゃ」
「すごく怖い」
「元からじゃ」
「昨日も聞いたな、それ」
最後に。
金属製の小さな札を渡された。
名前。
登録番号。
そして。
大きく刻まれた。
《F》
「こちらが冒険者証になります」
「おお」
僕は手に取る。
初めて。
少し嬉しい。
「これで冒険者?」
「はい。本日から正式に冒険者です」
「僕が……」
「依頼を受ける場合は掲示板から選んで受付へお持ちください。F級で受けられるのは採取や街中の雑務、小型魔物の討伐補助などですね」
「分かりました」
隣を見る。
ベラトリクスは。
自分の札を。
ものすごく嫌そうに見ている。
「F」
「はい」
「最下級」
「はい」
「妾が」
「はい」
「……」
「ベラトリクス」
「何じゃ」
「記念に大事にしなよ」
「捨ててよいか」
「駄目だよ!身分証なんだから!」
「妾の経歴に傷がつく」
「五百年後の魔王の経歴に新人冒険者が追加されたね」
「ソル」
「何?」
「いつか必ず焼く」
「その台詞、最近増えてない?」
冒険者ギルドを出る頃には。
日がかなり傾いていた。
「次は宿」
「高級なところにせよ」
「無理」
「何故じゃ」
「お金」
「また金か」
「生きてく上で大事だからね」
「人間は面倒じゃな」
「ベラトリクスもご飯食べるなら必要だよ」
「……」
効いた。
「ほどほどの宿にせよ」
「急に妥協した」
何軒か回った。
でも。
祭りの影響で満室。
一軒目。
「申し訳ありません」
二軒目。
「今日はもういっぱいでね」
三軒目。
「一室だけなら空いてるよ」
僕は食いついた。
「本当ですか?」
「二階の端。小さい部屋だけど」
「お願いします!」
「ちょっと待て」
後ろから声。
「何?」
「一室?」
「うん」
「妾とお主で?」
「他に誰がいるの」
「嫌じゃ」
即答。
「なんで」
「何故妾が男と同室で寝ねばならぬ!」
「いや、僕も好きでそうしてるわけじゃないよ!」
宿の主人。
五十代くらいの女性が。
面白そうに僕たちを見る。
「あらあら」
「違います!」
「何も言ってないよ」
「絶対誤解してますよね!?」
ベラトリクスが腕を組む。
「妾は別室を要求する」
「今日は満室なんだよ」
「何とかせよ」
「無茶言わないでよ」
「嫌なものは嫌じゃ!」
「僕だってお金ないんだから仕方ないでしょ!」
「ならば稼げ!」
「今日冒険者になったばっかりだよ!」
「甲斐性のない男じゃ」
「十五歳に何求めてるの!?」
「同室は嫌じゃ!」
「ベッド一つでも僕が床で寝るから!」
「それでも嫌じゃ!」
「じゃあどうするの!」
「どうにかせよ!」
「無理だって!」
僕とベラトリクスの言い合い。
宿の主人は。
しばらく黙って聞いていた。
そして。
盛大にため息をついた。
「分かった分かった」
「え?」
「倉庫に簡易寝台が一つあったはずだよ」
「本当ですか!?」
「ああ。部屋に入れてあげる」
「ありがとうございます!」
助かった。
「これでよいか?」
主人がベラトリクスを見る。
「……まあ、よかろう」
「ありがとうございますくらい言いなよ」
「妾に礼を強要するな」
「追加してくれるんだよ!?」
宿の主人が笑う。
「いいよいいよ。元気な子だねえ」
「子ではない」
「はいはい」
「はいは一度でよい!」
僕は思わず吹き出した。
「何がおかしい」
「いや」
宿の主人。
強い。
部屋は。
本当に小さかった。
ベッド。
机。
椅子。
窓。
そこへ追加された簡易寝台。
「……」
ベラトリクスが部屋を見渡す。
「狭い」
「安いから」
「城より狭い」
「城と比べないで」
「風呂は?」
「共同だって」
「共同?」
「時間で男女分かれてるから大丈夫」
「妾が他人と同じ湯へ入ると?」
「嫌なら入らなくても」
「入る」
「入るんじゃん」
「五百年ぶりじゃぞ」
「それは確かに入りたいか」
荷物を置く。
僕のベッド。
簡易寝台。
どっちを使うか。
「妾はこちら」
ベラトリクスが普通のベッドへ座る。
「即決!?」
「何か問題でも?」
「僕がお金払ってるんだけど」
「妾は客じゃ」
「僕も客だよ!」
「年長者を敬え」
「年齢聞くと怒るくせに!」
「それとこれは別じゃ」
「ずるいなあ」
結局。
僕が簡易寝台になった。
少し休んでから。
一階の食堂へ向かった。
夕食。
僕たちが座ったテーブルに。
大きな皿が運ばれてくる。
肉と野菜を煮込んだ料理。
焼きたてのパン。
スープ。
「おお」
僕の声。
「……」
ベラトリクスは無言。
「どうしたの?」
「これは」
「煮込み料理」
「匂いがよい」
「さっきまで高級宿じゃないって文句言ってた人が」
「料理に宿の格は関係ない」
「ある程度あると思うけど」
一口。
ベラトリクスが止まる。
「……」
まただ。
昼と同じ。
「どう?」
「……ソル」
「何?」
「もう一皿頼め」
「まだ一口だよ!?」
「早うせい」
「美味しいって言えば?」
「言わぬ」
「じゃあ追加なし」
「……」
ベラトリクスが僕を見る。
「美味い」
「早っ」
「ほれ。頼め」
「なんか負けた気がする」
結局。
二皿目。
「ベラトリクス」
「何じゃ」
「食べすぎじゃない?」
「五百年分じゃ」
「一日で取り返そうとしないで」
三皿目。
「ちょっと待って」
「何じゃ」
「僕のお金」
「まだあるであろう」
「王都で生活するためのお金なんだけど!」
「明日冒険者として稼げ」
「F級二人だよ!」
「妾をそこらのF級と一緒にするな」
「測定は平均以下だったよね」
「それを言うな!」
結局。
三皿目まで食べた。
僕の財布が。
目に見えて軽くなった。
「……仕事探さないと」
本来の目的を思い出した。
「何を暗い顔をしておる」
「誰のせいだと思ってるの」
「妾か?」
「分かってるじゃん」
食事を終えた頃。
外はすっかり暗くなっていた。
でも。
王都は眠る気配がない。
窓の外。
魔導灯が道を照らす。
人の声。
音楽。
「祭り見てみる?」
僕が聞く。
ベラトリクスが外を見る。
「……行く」
「即答」
「五百年後の人間が、どのように妾の討伐を祝っておるのか見届けてやる」
「怖い言い方しないで」
僕たちは宿を出た。
夜の王都。
昼とは。
また違う。
道の両側。
色とりどりの魔導灯。
屋台。
人。
音楽。
笑い声。
空には。
魔法で作られた光が飛んでいる。
「うわ……」
僕でも驚く。
「すごい」
祭り。
村の祭りとは規模が違う。
「こっちです!五英雄記念菓子!」
「勇者レグルスの聖剣串焼き!」
「聖女ルナの祝福菓子!」
呼び込みの声。
「……」
ベラトリクスが立ち止まる。
「聖剣串焼き?」
「見ない方がいいかも」
「レグルスの剣が肉になっておる」
「本人見たらどう思うかな」
「喜ぶじゃろ」
「そうなの?」
「あやつは食えるなら何でもよいと言う」
「勇者のイメージがどんどん崩れる」
少し先。
盾の形をした焼き菓子。
《守護騎士アルデバランの鉄壁クッキー》
「アルデバラン」
ベラトリクスが見る。
「こんなものまであるんだ」
「……あやつなら大量に買うじゃろうな」
「甘いもの好きだった?」
「好きじゃった」
「意外」
「特に焼き菓子な。ルナの分まで食って怒られておった」
「守護騎士のイメージも崩れた」
さらに進む。
香ばしい匂い。
《大賢者アークトゥルスの目覚めの珈琲》
「……」
ベラトリクスが完全に止まった。
「どうしたの?」
「あの爺」
看板。
杖を持った立派な老人。
その隣に珈琲。
「五百年後まで珈琲を売っておるのか」
「本人が売ってるわけじゃないよ」
「当然じゃ」
「飲む?」
「要らぬ」
「珈琲嫌い?」
「妾は普通じゃ」
「じゃあアークトゥルスが?」
「あやつが異常なのじゃ」
ベラトリクスが呆れた顔をする。
「朝」
「うん」
「珈琲」
「昼」
「珈琲」
「夜」
「珈琲」
「飲みすぎじゃない?」
「妾も何度言ったか分からぬ」
「紅茶は?」
「飲ませようとすると水を飲む」
「そこまで!?」
大賢者。
また一つ。
僕の中の歴史上の人物が壊れた。
さらに。
白い屋台。
十字架。
聖女ルナを模した人形。
お守り。
「旅の安全に、聖女ルナの加護を!」
売り子の声。
ベラトリクスが足を止める。
手のひらほどの小さな聖印。
「……ルナ」
声が小さかった。
「欲しい?」
僕が聞く。
「要らぬ」
「本当に?」
「本人に何度も祈られた」
「すごい言葉だな」
「妾が風邪を引いた時など一晩中横におったぞ」
「魔王も風邪引くんだ」
「引く」
「なんか安心した」
「何故じゃ」
ベラトリクスが。
小さな聖印をもう一度見る。
「……随分と立派になったものじゃな」
その横顔。
少しだけ。
寂しそうだった。
五百年前。
一緒に旅をした少女。
今では。
誰もが祈る聖女。
「行こう」
僕が言う。
「ああ」
祭りの中心へ向かう。
人の数が増えていく。
そして。
大きな広場へ出た。
「……」
そこに。
五人がいた。
巨大な石像。
中央。
聖剣を地面へ立て。
真っ直ぐ前を見る青年。
勇者レグルス。
右。
刀を腰に差した。
剣聖シリウス。
左。
巨大な盾。
守護騎士アルデバラン。
少し後ろ。
杖を持つ老人。
賢者アークトゥルス。
そして。
両手を組み。
優しく微笑む少女。
聖女ルナ。
五英雄像。
僕も。
本物を見るのは初めてだった。
「すごいな……」
高さは。
家より高い。
五人が夜空を背に立っている。
「ベラトリクス?」
彼女は。
動かなかった。
五人を見る。
長い間。
何も言わない。
「……似てる?」
僕が聞く。
「……シリウス」
「うん」
「もう少し背が高かった」
「最初にそこ?」
「アルデバランは、あのような怖い顔ではない」
「確かに怖そう」
「いつも笑っておった」
次。
「アークトゥルス」
「うん」
「老けすぎじゃ」
「六十八くらいだったんでしょ?」
「まだ若い」
「ベラトリクス基準でしょ!」
そして。
「ルナ」
聖女の像。
「……」
「どう?」
「似ておる」
「本当?」
「少し美化されておるがな」
「銅像だから」
「本人の方が頑固そうな顔をしておった」
「それ本人に言った?」
「言った」
「怒られた?」
「三日口を利いてもらえなんだ」
「自業自得だよ」
最後。
中央。
レグルス。
ベラトリクスが。
黙った。
長い。
「……レグルスは?」
僕が聞く。
「……」
「似てない?」
「いや」
ベラトリクスが像を見る。
「似ておる」
珍しく。
文句がなかった。
「かなり?」
「……まあな」
勇者の像。
聖剣。
真っ直ぐな目。
ベラトリクスは。
しばらく。
何も言わなかった。
広場には大勢の人がいる。
写真代わりの魔法板で姿を記録する人。
祈る人。
子供。
恋人。
冒険者。
誰も。
ベラトリクスを見ない。
誰も知らない。
五百年前。
この五人の隣に。
もう一人いたことを。
僕たちは像へ近づいた。
台座。
文字が刻まれている。
《勇者レグルス》
《人類を率い、魔王ベラトリクスを討ち滅ぼした偉大なる英雄》
《その聖剣は世界に光を取り戻し、永遠の平和をもたらした》
「……」
ベラトリクスが読む。
「討ち滅ぼした」
小さな声。
「うん」
「妾を」
「……そう書いてある」
「レグルスが」
ベラトリクスが。
少し笑った。
でも。
面白そうな笑い方じゃない。
「……馬鹿者」
「ベラトリクス?」
「何でもない」
また。
その言葉。
僕はもう。
無理には聞かなかった。
少しだけ。
思った。
ベラトリクスが怒っているのは。
歴史が間違っているからだけじゃない。
もっと。
別の何かがある。
でも。
今はまだ。
分からない。
「ソル」
「何?」
ベラトリクスが広場の奥を見る。
「塔はどこじゃ」
「あ」
そうだった。
僕は周囲を見る。
王都へ来た本当の目的。
勇者の塔。
「多分」
広場を抜けた先。
夜空。
城の少し東。
そこに。
一本。
巨大な影が立っていた。
「……あれ」
雲に届きそうなほど高い。
細長い石の塔。
王都のどの建物よりも高い。
頂上近く。
青白い光。
「勇者の塔」
ベラトリクスが。
ゆっくり顔を上げる。
「……あれが」
「うん」
「レグルスの」
「そう」
五百年前。
勇者レグルスが残したとされる塔。
明日から。
僕たちはあそこへ向かう。
そう思った。
その瞬間。
――ドクン。
「っ」
胸の奥。
いや。
違う。
まただ。
あの感覚。
祠。
ベラトリクス。
封印の魔法陣。
「ソル?」
声が遠くなる。
僕は塔を見る。
夜。
人の声。
音楽。
祭り。
全部。
一瞬だけ。
消えた気がした。
「……」
聞こえる。
声。
今までより。
近い。
ノイズがない。
はっきり。
まるで。
耳元で。
誰かが笑った。
『――やっと来たか』
「……え?」
身体が固まった。
知っている。
この声。
祠で聞いた。
地下で聞いた。
そして。
五百年前の記憶の中で。
何度も聞いた。
「レグルス……?」
ベラトリクスの顔が変わった。
「何?」
「今」
僕は塔から目を離せない。
「声が」
「……誰じゃ」
喉が鳴る。
「レグルス」
「……」
ベラトリクスが。
勇者の塔を見る。
祭りの灯りの中。
五百年前から残り続けた塔。
その頂上で。
青い光が。
一度だけ。
脈打った。
まるで。
僕たちが来るのを。
ずっと待っていたみたいに。




