千百年前の記憶
第60話 千百年前の記憶
長い階段を下りていく。
一段。
また一段。
足音だけが、暗い空間に響いていた。
「……随分と深いな」
僕が呟く。
「この先に何があるんですか?」
アンタレスがアルヴィスへ尋ねる。
「アークトゥルスが残した記録だ」
「五百年前のものなんですよね?」
「そうだ」
「だが」
アルヴィスは足を止めずに答える。
「そこに記されているのは、さらに古い時代の話だ」
「アウレストラ帝国」
僕が呟く。
「そうだ」
しばらくすると。
階段の先に、一つの扉が見えてきた。
大きな扉だった。
表面には複雑な魔法陣が刻まれている。
そして。
中央には太陽の紋章。
僕は思わず足を止めた。
「……また」
「どうした?」
「この紋章」
「さっきから、なんだか懐かしい感じがする」
アルヴィスは僕を見る。
「それも記録に残っている」
「え?」
「アークトゥルスは、古代帝国の遺跡を調査した際に、同じことを感じたらしい」
「懐かしさを?」
「ああ」
「初めて訪れた場所なのに、以前から知っているような感覚を覚えたと」
僕は黙った。
それは。
僕も同じだった。
アルヴィスが扉へ手を伸ばす。
「この扉は、アークトゥルスが自ら封じた」
「五百年間、一度も開かれていない」
「じゃあ」
僕が聞く。
「どうして今、開けるんですか?」
アルヴィスは少しだけ僕を見る。
「君が来たからだ」
「……僕が?」
「アークトゥルスの記録には」
「この扉を開く条件についても書かれている」
「条件?」
「ああ」
アルヴィスは魔法陣へ手を置く。
「星の声を聞く者」
「そして」
「太陽の力を持つ者」
僕の心臓が跳ねた。
「……」
「ただし」
アルヴィスは続ける。
「それだけで血筋が証明されるわけではない」
「分かってる」
「重要なのは」
「この扉を開く資格があるかどうかだ」
アルヴィスが魔法陣を起動させる。
淡い光が走った。
けれど。
何も起こらない。
「……?」
アルヴィスが眉を寄せる。
「どうしたんですか?」
「反応がない」
「条件を満たしていない?」
「いや」
アルヴィスが僕を見る。
「一つ足りない」
「何が?」
「星の声だ」
「……星の声?」
「君が聞いたことがある声を思い出せ」
僕は目を閉じた。
セレフィア神聖国。
あの塔で聞いた声。
静かな女性の声。
ルナ。
『星の声を聞くものよ』
『ベラトリクスを私の元へ』
あの声。
そして。
アルヴィスが言う。
「君が聞いた星の声は」
「ただの声ではない」
「……」
「アークトゥルスは、星の声を聞く者がいつか現れる可能性を記録していた」
僕は目を開ける。
「じゃあ」
「この扉は」
「僕が開ける?」
アルヴィスは頷いた。
「試してみろ」
僕は扉の前へ立った。
太陽の紋章へ手を伸ばす。
触れた瞬間。
頭の中に。
小さな声が響いた。
――聞こえる。
星の声。
無数の声。
遠く。
遠く。
遥か彼方から。
「……」
僕の身体から光が溢れた。
金色の光。
けれど。
それは星装とは違った。
もっと古い。
もっと静かな力。
「これが……」
アルヴィスが息を呑む。
「《天曜》……」
次の瞬間。
扉が大きく震えた。
魔法陣が一斉に輝く。
そして。
重い音を立てて。
扉が開いた。
「……開いた」
僕たちは中へ入る。
そこは。
小さな部屋だった。
けれど。
部屋の中央には巨大な水晶が浮かんでいた。
水晶の中には。
一冊の本が封じられている。
「これは?」
アンタレスが尋ねる。
「アークトゥルスが残した記録だ」
アルヴィスが答える。
「この部屋には」
「五百年前の記録ではなく」
「千百年前の記録が保存されている」
「……」
僕は水晶へ近づく。
すると。
水晶の表面に文字が浮かび上がった。
古代語。
僕には読める。
「……アウレストラ帝国」
アルヴィスが頷く。
「そうだ」
「この記録は」
「アークトゥルスが残した、最後の研究記録だ」
水晶がゆっくりと開く。
中から。
古い本が落ちてくる。
アルヴィスが受け取った。
表紙には。
一つの言葉だけが刻まれていた。
『太陽』
「……」
アルヴィスは本を開く。
最初のページには。
一人の王が描かれていた。
太陽の紋章を身につけ。
空を見上げている。
その周囲には。
無数の星。
「これは」
僕が呟く。
「アウレストラ帝国の王だ」
アルヴィスが答える。
「そして」
次のページを開く。
そこには。
白い翼を持った存在が描かれていた。
「天使……」
ベラが呟く。
アルヴィスは頷いた。
「ここからが」
「アークトゥルスが最も重要視していた記録だ」
ページをめくる。
そこには。
古代語で文章が書かれていた。
僕は読み上げる。
「……天より降りし者」
「太陽の光を見て」
「初めて恐れを示した」
「……」
アルヴィスが黙って聞いている。
「続きは?」
ベラが尋ねる。
僕はページをめくる。
「……王は」
「天より降りし者へ告げた」
「我らは戦うために太陽を得たのではない」
「……」
「しかし」
僕は次の文章を読んだ。
「天使は」
「太陽の力が存在する限り」
「人間界を滅ぼすと告げた」
部屋が静まり返った。
「どういうこと?」
アンタレスが聞く。
アルヴィスは答えない。
僕はさらにページをめくった。
そこには。
アウレストラ帝国最後の日が記されていた。
「……帝国は」
「王族と共に」
「太陽の力を守ることを決めた」
「そして」
僕は息を呑む。
「天使との戦いが始まった」
壁の水晶が。
突然、強く輝いた。
そして。
部屋全体に。
映像が浮かび上がった。
巨大な帝国。
空を覆う翼。
逃げ惑う人々。
そして。
黄金の光を放つ一人の青年。
「……王族」
僕は呟く。
その青年の手から。
太陽の光が放たれる。
天使が。
初めて後退した。
「恐れてる……」
ベラが言う。
「天使が」
太陽の光を。
明らかに恐れていた。
その瞬間。
映像の中の青年が。
こちらを振り返った。
まるで。
僕を見ているようだった。
「……っ」
頭の奥に。
激しい痛みが走る。
「ソル!」
アンタレスの声。
僕は膝をついた。
「大丈夫……」
そう言おうとした。
けれど。
頭の中に。
一つの声が響いた。
――逃げろ。
――太陽を。
――決して奪わせるな。
「……誰?」
僕が呟く。
声は消えた。
映像も。
同時に消えていく。
残ったのは。
静かな部屋だけだった。
アルヴィスが。
震える手で本を閉じる。
「……これ以上は」
「今日はやめておこう」
「どうして?」
「アークトゥルスの記録には」
「この先のページがある」
「なら」
僕は立ち上がる。
「続きを見よう」
アルヴィスは。
しばらく僕を見つめた。
そして。
静かに首を横に振る。
「まだだ」
「君の身体が耐えられない」
「……」
「この記録は」
「ただ読むためのものではない」
「古代の記憶そのものが保存されている」
「そして」
アルヴィスは本を見る。
「君は」
「その記憶に反応している」
僕は黙った。
確かに。
今まで感じたことのない感覚だった。
まるで。
誰かの記憶が。
自分の中へ流れ込んできたような。
「今日はここまでだ」
アルヴィスが言う。
「だが」
「一つだけ分かった」
「何が?」
アルヴィスは。
僕の目をまっすぐ見た。
「君がこの記録に反応したこと」
「それ自体が」
「アウレストラ帝国と君の間に」
「何らかの繋がりがある証拠かもしれない」
僕は。
何も答えられなかった。
王族なのか。
そうではないのか。
まだ分からない。
けれど。
千百年前の記憶が。
今。
僕の目の前で動き始めた。
そして。
その記憶の中にいた天使は。
五百年前に現れた災厄と。
あまりにもよく似ていた。
僕は。
もう一度。
閉じられた本を見る。
この先に。
何が書かれているのか。
まだ分からない。
ただ。
一つだけ。
確かなことがある。
僕たちの戦いは。
五百年前から始まったわけではない。
もっと遠い過去から。
続いている。
その始まりが。
今。
少しだけ。
見え始めていた。




