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賢者が残した記録

第59話 賢者が残した記録

アルヴィスの研究室。

僕たちは、机の前に集まっていた。

その上には、一冊の古びた本が置かれている。

表紙には何も書かれていない。

ただ。

中央に小さな太陽の紋章だけが刻まれていた。

「これが」

アルヴィスが言う。

「アークトゥルスが最後まで研究していた資料だ」

僕は本を見る。

「五百年前の賢者が?」

「ああ」

「アークトゥルスは、災厄との戦いを終えた後も研究を続けていた」

「何を?」

「天使についてだ」

その言葉に。

ベラの表情が僅かに変わった。

「……天使」

「ああ」

アルヴィスは頷く。

「五百年前」

「アークトゥルスは、災厄との戦いの中である疑問を抱いた」

「なぜ、天使は人間界へ現れたのか」

「そして」

「なぜ、ベラトリクスの中へ災厄の一部を封じる必要があったのか」

僕は黙って聞いていた。

その話は。

僕たちがセレフィア神聖国で聞いたものと繋がっている。

災厄。

天使。

ベラの中に封じられた存在。

そして。

今も続いている戦い。

「アークトゥルスは、五百年前の資料だけでは答えが出ないと考えた」

「そこで」

アルヴィスが本を開く。

「さらに古い時代を調べた」

ページには。

見たことのない文字が並んでいる。

「この文字」

僕は自然と口にした。

「読める」

アルヴィスが僕を見る。

「やはりか」

「……」

僕は文字を追った。

一つ一つ。

意味が頭の中へ入ってくる。

古い。

今使われている言葉よりも遥かに古い。

けれど。

なぜか僕には理解できた。

「何て書いてある?」

ベラが尋ねる。

僕はゆっくり読み上げた。

「……太陽の民」

「星々の声を聞き」

「天より授かりし光を」

「大地へと還す……」

そこで。

僕は言葉を止めた。

「続きは?」

アンタレスが聞く。

「……読めない」

「途中から文字が崩れてる」

アルヴィスが頷いた。

「その部分は私にも解読できていない」

「ただ」

「その前後の文章から、ある程度のことは分かっている」

アルヴィスは別の資料を取り出した。

「アウレストラ帝国」

「その中心には王族がいた」

「王族は太陽を信仰していた」

「そして」

「《天曜》という古代魔法を継承していた」

僕は黙って聞く。

「《天曜》には三つの性質がある」

「星の声を聞くこと」

「星の力を扱うこと」

「そして」

「太陽の力を扱うこと」

「ただし」

アルヴィスは僕を見る。

「最後の一つだけは特別だった」

「太陽の力を扱える者は」

「王族直系にしか存在しなかった」

僕は自分の手を見る。

「……僕みたいに?」

「君が本当に《天曜》を使っているのならな」

「まだ断定はできない」

アルヴィスの言葉は慎重だった。

「君がアウレストラ帝国の王族の血を引いている可能性はある」

「だが」

「それを証明するものはない」

「分かってる」

僕は頷いた。

「それでも」

「今まで分からなかったことが、少しずつ繋がってきた気がする」

アルヴィスは何も言わず。

次のページを開いた。

そこには。

巨大な翼を持った存在が描かれていた。

「……天使」

アンタレスが呟く。

「そうだ」

アルヴィスが答える。

「アウレストラ帝国の記録には、天使が何度も登場する」

「でも」

「最初から戦っていたわけではない」

「え?」

僕は顔を上げる。

アルヴィスは古い記録を指でなぞる。

「天使が最初に現れた理由については、詳しい記録が残っていない」

「ただ」

「一つだけ」

「アークトゥルスが非常に重要視していた記述がある」

「何?」

「天使は」

「太陽の力を恐れていた」

その言葉に。

部屋の空気が変わった。

「恐れていた……」

僕が繰り返す。

「そうだ」

「アウレストラ帝国の王族が太陽の力を使うほど」

「天使たちは姿を見せるようになった」

「そして」

アルヴィスは次のページをめくる。

そこには。

戦争の絵が描かれていた。

炎に包まれた街。

逃げ惑う人々。

空を覆う無数の翼。

「帝国は」

「天使によって滅ぼされた」

僕は絵を見つめる。

「どうしてそこまで……」

「アークトゥルスも同じ疑問を持っていた」

アルヴィスが答える。

「だからこそ、五百年前の災厄と比較した」

「アウレストラ帝国を滅ぼした天使」

「五百年前に現れた災厄」

「この二つが同じ存在なのか」

「それを調べていた」

「分かったの?」

「……まだだ」

アルヴィスは首を横に振る。

「ただ」

「一つだけ」

「共通しているものがある」

僕は身を乗り出した。

「何?」

「天使は」

「太陽の力を持つ者を恐れている」

「……」

「それはアウレストラ帝国の記録にも」

「アークトゥルスが残した五百年前の研究にも」

「共通して記されている」

僕は拳を握った。

ゼファリエル。

あの天使が。

僕を見た時。

ほんの一瞬だけ見せた反応。

あれは。

偶然だったのだろうか。

「じゃあ」

僕は聞いた。

「ゼファリエルも」

「僕の力を知っていた可能性がある?」

アルヴィスは少し考える。

「可能性はある」

「だが、これも断定はできない」

「……そっか」

ベラが口を開いた。

「一つ聞きたい」

「何だ?」

「アウレストラ帝国を滅ぼした天使と」

「妾の中に封じられておる災厄」

「同じ存在なのか?」

アルヴィスは黙った。

長い沈黙だった。

「それは」

「まだ分かっていない」

「ただし」

「アークトゥルスは、同じ可能性を考えていた」

ベラの目が細くなる。

「……そうか」

「だから」

アルヴィスは言う。

「五百年前の戦いが終わった後も」

「アークトゥルスは研究を続けた」

「天使とは何なのか」

「なぜ人間界へ現れるのか」

「なぜ太陽の力を恐れるのか」

そして。

「なぜ」

「ベラトリクスの中へ災厄の一部が封じられたのか」

ベラは何も言わなかった。

ただ。

自分の胸元へ手を置いた。

僕も。

ベラを見る。

五百年前。

彼女は魔王だった。

人間界を侵略した。

けれど。

その裏には。

災厄から魔族を逃がすためという理由があった。

人間と魔族の戦争。

そして。

その戦争の中で判明した天使の存在。

五英雄とベラが手を取り合った戦い。

その全てが。

今の僕たちへ繋がっている。

「アークトゥルスは」

アルヴィスが本を閉じた。

「最後に一つの仮説を残した」

「仮説?」

「ああ」

「それは」

アルヴィスが僕を見る。

「天使と太陽の力は」

「古代から敵対していたのではないか」

僕は息を呑んだ。

「……古代から」

「そうだ」

「だからこそ」

「アウレストラ帝国は滅びた」

「そして」

「五百年前にも」

「同じ存在が現れた」

部屋に静寂が落ちる。

僕は。

古い本を見る。

まだ。

分からないことだらけだ。

自分が本当にアウレストラ帝国の王族の血を引いているのか。

《天曜》がなぜ自分に宿っているのか。

天使がなぜ太陽の力を恐れるのか。

そして。

災厄とは一体何なのか。

「……もっと知りたい」

僕は言った。

「僕は」

「この力が何なのか知りたい」

「自分が何者なのかも」

アルヴィスは静かに頷いた。

「ならば」

「次の記録を見せよう」

「まだあるの?」

「ああ」

「アークトゥルスが最後まで隠していた記録が一つだけ残っている」

「そこには」

「アウレストラ帝国が滅びる直前」

「何が起きたのかが記されている」

アルヴィスは立ち上がった。

そして。

研究室の奥にある扉へ向かう。

「来い」

「ここから先は」

「私の一族でも、限られた者しか見ることを許されていない」

扉に手をかざす。

古い魔法陣が光った。

低い音が響く。

ゆっくりと。

扉が開いていく。

その向こうには。

暗い階段が続いていた。

「……地下?」

僕が尋ねる。

「ああ」

アルヴィスが答える。

「アークトゥルスが最後に残した場所だ」

僕たちは顔を見合わせる。

そして。

アルヴィスの後を追って。

暗い階段を下りていった。

まだ。

僕たちは知らなかった。

その先に残されている記録が。

千百年前のアウレストラ帝国と。

五百年前の災厄。

そして。

今の僕たちを繋ぐ。

最も古い真実になることを。

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