最後の選択
第49話 最後の選択
ルナの言葉を聞いたあと。
僕たちは、しばらく誰も口を開かなかった。
大天使ゼファリエル。
《星喰らい》。
五百年前、魔族が人間界へ逃げることになった原因。
そして。
その一部が、今もベラの中に封じられている。
僕が知っていた歴史とは、あまりにも違っていた。
五英雄が魔王を討った。
それだけが、僕が知っていた五百年前だった。
けれど。
本当は違った。
勇者レグルス。
剣聖シリウス。
守護騎士アルデバラン。
賢者アークトゥルス。
聖女ルナ。
そして。
魔王ベラトリクス。
六人。
五百年前。
この六人が世界を救った。
その事実を、僕はもう知っている。
だけど。
まだ分からないことが多すぎる。
「……ルナ」
「はい」
「五百年前の最後の戦いって」
「どんな戦いだったの?」
ルナは、すぐには答えなかった。
視線を伏せる。
まるで。
記憶の奥底にある何かを探しているようだった。
「……簡単に」
「言葉だけで説明することはできません」
「そんなに?」
「はい」
「五百年前のあの日は」
「私たちにとって」
「世界の命運を決める日でしたから」
ベラが腕を組む。
「それで」
「何から話す?」
「まずは」
「なぜ」
「妾たち六人が」
「最後に同じ場所にいたのか」
ルナはベラを見る。
「そうですね」
「そこから始めましょう」
僕は椅子に座り直した。
アンタレスも黙ってルナを見る。
「五百年前」
「人間と魔族の戦争が始まった頃」
「私たちは」
「互いを敵だと思っていました」
「当然ですね」
ルナは苦笑する。
「魔族が人間の住む土地へ現れ」
「人間側は」
「それを侵略だと考えた」
「そして」
「戦争が始まりました」
ベラが小さく息を吐く。
「妾も」
「人間を敵だと思っておった」
「妾の国に」
「人間が攻めてきたからじゃ」
「はい」
「そして」
「人間側にも」
「魔族に家族を奪われた人がいました」
「……」
「どちらが正しかったのか」
「今なら」
「簡単には決められないと思います」
僕は黙って聞いていた。
戦争というものは。
きっとそういうものなのだろう。
どちらにも。
戦う理由がある。
どちらにも。
守りたいものがある。
だから。
終わらない。
「そんな戦いの中で」
ルナは続ける。
「私たちは」
「それぞれ」
「魔王ベラトリクスを追っていました」
ベラが鼻で笑う。
「追われておったのう」
「ええ」
「何度も戦いました」
「何度も殺し合おうとした」
「はい」
「じゃが」
ベラは少しだけ目を細める。
「お主ら」
「随分としつこかったぞ」
「あなたもです」
「妾は魔王じゃぞ」
「だからです」
ルナが微笑む。
「あなたを倒さなければ」
「戦争は終わらないと思っていました」
「……」
「でも」
「ある日」
ルナの表情が変わった。
「私たちは」
「違うものを見つけました」
「ゼファリエル?」
僕が聞く。
「はい」
「最初は」
「何が起きているのか」
「分かりませんでした」
「ただ」
「魔族の住んでいた土地が」
「少しずつ」
「おかしくなっていた」
「おかしく?」
「魔力が」
「消えていったのです」
「……」
「魔物も」
「植物も」
「生き物も」
「少しずつ」
「力を失っていきました」
アンタレスが口を挟む。
「魔力を吸われていた?」
「はい」
「ですが」
「普通の魔力吸収ではありません」
「その土地そのものから」
「何かが」
「抜き取られていた」
ルナの言葉に。
僕は背筋が寒くなる。
「それが」
「ゼファリエルだった?」
「まだ」
「その時点では」
「名前すら知りませんでした」
「ただ」
「空から」
「何かが降りてきていた」
「天使が?」
「はい」
「白い翼を持った存在」
「人の姿に近い」
「でも」
「私たちが知る人間とは」
「全く違いました」
「……」
「彼らは」
「私たちを見ても」
「憎しみませんでした」
「むしろ」
「何も感じていないようでした」
「何も?」
「はい」
「怒りも」
「悲しみも」
「喜びも」
「憎しみも」
「ただ」
「そこにあるものを」
「消していく」
「……」
それは。
魔族にとっても。
人間にとっても。
敵だった。
「そこで」
「私たちは初めて」
「気づいたのです」
「人間と魔族が」
「争っている場合ではないと」
ベラが呟く。
「……あの時じゃな」
「はい」
「妾の前に」
「お主ら五人が現れた」
「そうです」
「そして」
「言った」
「何と?」
僕が聞く。
ベラは。
少しだけ笑った。
「覚えておらん」
「……」
「いや」
「嘘じゃ」
「覚えている」
「何て言ったの?」
「『一緒に戦え』じゃ」
ルナが頷く。
「そうでした」
「随分と簡単じゃった」
「時間がありませんでしたから」
「レグルスらしいのう」
「ええ」
ルナが懐かしそうに笑う。
「レグルスは」
「いつもそうでした」
「考えるより先に」
「動く人でしたから」
「……」
僕は。
以前聞いた名前を思い出す。
勇者レグルス。
五百年前。
魔王を倒したとされる英雄。
その人が。
魔王に向かって。
一緒に戦えと言った。
「ベラは」
「すぐに受け入れたの?」
僕が聞く。
「まさか」
ベラが答えた。
「当然」
「断った」
「じゃあ」
「どうして?」
「レグルスが」
「勝手に決めたからじゃ」
「……勝手に?」
「そうじゃ」
ベラが遠い目をする。
「『お前が魔王でも関係ない』」
「そう言った」
「そして」
「『今だけは仲間だ』」
「……」
僕は。
その言葉を想像する。
魔王と勇者。
本来なら。
決して並ぶことのない二人。
それが。
同じ敵を前にして。
肩を並べた。
「それから」
ルナは言う。
「私たちは」
「六人になりました」
「……」
「最初から」
「仲が良かったわけではありません」
ベラがすぐに口を挟む。
「レグルスとは」
「何度も喧嘩した」
「シリウスとも」
「何度も斬り合った」
「アルデバランとは?」
「……あやつは」
「妾より真面目すぎる」
「アークトゥルスは?」
「何を考えているのか」
「分からん」
「ルナは?」
「……」
ベラが黙る。
ルナが笑った。
「私は?」
「……」
「どうでしたか?」
「……」
ベラが顔を逸らす。
「お主は」
「昔からずるい」
「ずるい?」
「そうじゃ」
「怒っても」
「笑っても」
「何を考えているのか」
「最後まで分からん」
ルナは。
小さく笑った。
「そうですか」
「そうじゃ」
僕は。
二人を見ていた。
やっぱり。
仲間だったのだ。
五百年前。
確かに。
この六人は。
一緒にいた。
「そして」
ルナの声が。
少しずつ重くなる。
「私たちは」
「ゼファリエルのいる場所へ向かいました」
「最初に」
「見た時」
「私たちは」
「自分たちが勝てると思っていました」
「……」
「レグルスは」
「剣を握っていました」
「シリウスも」
「アルデバランも」
「アークトゥルスは」
「全ての魔法を使う準備をしていました」
「私は」
「皆を守る準備をしました」
「そして」
「ベラトリクスも」
「魔王として」
「全ての力を」
「解放しました」
ベラの赤い瞳が。
僅かに揺れる。
「それで」
「戦った」
「はい」
「どうなったの?」
「……」
ルナは。
しばらく黙った。
「勝てませんでした」
「五人でも?」
「六人でも」
「……」
「それどころか」
「私たちは」
「一度」
「全員」
「死にかけました」
「……」
部屋の空気が。
重くなる。
「ゼファリエルは」
「強かった?」
「強い」
そんな言葉では。
足りない。
ルナは首を横に振る。
「私たちが」
「今まで戦ってきた存在とは」
「次元が違いました」
「剣で斬っても」
「魔法で焼いても」
「聖なる力で攻撃しても」
「傷を与えることが」
「できなかった」
「……」
「それでも」
「私たちは」
「諦めませんでした」
「なぜ?」
「ベラトリクスが」
「いたからです」
ベラが。
顔を上げる。
「妾?」
「はい」
「あなたは」
「最後まで」
「戦っていました」
「五人が倒れても」
「あなたは」
「立っていた」
「……」
「そして」
「あなたが」
「私たちに言ったのです」
ベラの顔が。
僅かに曇る。
「何を?」
「覚えていない」
「そうでしょうね」
「でも」
「私は」
「忘れません」
ルナの目が。
少しだけ潤む。
「あなたは」
「こう言いました」
「……」
「『まだ終わっておらぬ』」
「……」
「『妾たちは』
『まだ生きておる』」
ベラは。
何も言わなかった。
「その言葉で」
「私たちは」
「もう一度」
「立ち上がりました」
「でも」
「倒せなかった」
「はい」
「じゃあ」
「どうしたの?」
僕が聞く。
ルナは。
静かに息を吸った。
「封印です」
「……」
「私たちは」
「ゼファリエルを倒すことを」
「諦めました」
「諦めた……?」
「はい」
「正確には」
「倒すという方法を」
「捨てたのです」
「じゃあ」
「どうやって封印したの?」
ルナは。
ベラを見る。
「ベラトリクスの力を」
「使いました」
「……妾の?」
「はい」
「あなたは」
「私たちの中で」
「唯一」
「ゼファリエルの力に」
「耐えられる存在でした」
「だから」
「あなたを」
「器にすることにしました」
「……」
ベラは。
目を閉じる。
「それが」
「妾の中に」
「今もあるものか」
「はい」
「ゼファリエルの一部」
「そうです」
「……」
「ですが」
ルナは続ける。
「それを決めた時」
「誰よりも」
「反対した人がいました」
僕は。
すぐに分かった。
「ベラ?」
「違います」
ルナが首を横に振る。
「レグルスです」
「……」
「レグルスは」
「あなたを」
「絶対に器にはしないと言いました」
ベラが。
僅かに笑う。
「……あやつらしい」
「はい」
「最後まで」
「あなたを」
「魔王としてではなく」
「仲間として見ていました」
「それでも」
「必要だった」
「……」
「だから」
「私たちは」
「別の方法を」
「何度も探しました」
「アークトゥルスが」
「魔法を」
「シリウスが」
「剣を」
「アルデバランが」
「結界を」
「レグルスが」
「自分の力を」
「私も」
「聖なる力を」
「全部」
「使いました」
「それでも」
「無理だった」
「はい」
「だから」
「最後に」
「ベラが」
「自分で決めた」
「……」
ベラが。
ゆっくり目を開けた。
「妾が?」
「はい」
「妾が」
「決めたのか?」
「あなた自身が」
「そう言いました」
ルナの声が。
静かに響く。
「『妾がやる』」
「そう言った」
「……」
「レグルスは」
「最後まで反対しました」
「シリウスも」
「アルデバランも」
「アークトゥルスも」
「誰も」
「あなたを器にしたくなかった」
「それでも」
「あなたは」
「言った」
「『ならば』
『誰がやる』」
「……」
「誰も」
「答えられませんでした」
「そして」
「あなたは」
「笑った」
ベラの顔が。
僅かに強張る。
「……笑った?」
「はい」
「とても」
「寂しそうに」
「笑っていました」
「そして」
「こう言いました」
ルナは。
ベラを見つめた。
「『妾は魔王じゃ』」
「『ならば』
『最後くらい』
『魔王らしいことをしてやろう』」
「……」
ベラは。
何も言わなかった。
僕も。
何も言えなかった。
「その言葉の後」
「私たちは」
「封印の準備を始めました」
「ベラの中へ」
「ゼファリエルの一部を」
「封じるために」
「でも」
「それには」
「もう一つ」
「必要なものがありました」
「何?」
「五人の力です」
「……」
「勇者」
「剣聖」
「守護騎士」
「賢者」
「聖女」
「五人全員の力を」
「一つにする必要がありました」
「そして」
「最後に」
「ベラトリクス自身の力で」
「封印を閉じる」
「それが」
「唯一の方法でした」
「……」
「そして」
「私たちは」
「それを」
「実行しました」
ルナの声が。
少しずつ小さくなる。
「光が」
「世界を覆いました」
「ゼファリエルの力が」
「ベラの中へ」
「流れていきました」
「ベラは」
「叫びませんでした」
「ただ」
「私たちを」
「見ていました」
「そして」
「最後に」
「何かを」
「言いました」
「何て?」
ルナは。
目を閉じた。
「……『またな』」
「……」
「それが」
「最後でした」
ベラの頬を。
一筋の涙が流れた。
「……覚えておらぬ」
「はい」
「何も」
「それでいいのです」
「よくない」
ベラが。
小さく呟く。
「妾は」
「忘れておる」
「お主らのことも」
「自分が何をしたのかも」
「全部」
「……」
「それなのに」
「お主だけ」
「覚えておる」
「はい」
「ずるいのう」
ルナは。
悲しそうに笑った。
「そうかもしれません」
僕は。
二人を見つめていた。
五百年前。
この二人は。
確かに仲間だった。
そして。
ベラは自分の意思で。
ゼファリエルの一部を封じることを選んだ。
「でも」
僕は聞いた。
「そのあと」
「どうなったの?」
ルナは。
すぐには答えなかった。
「封印は」
「成功しました」
「ゼファリエルの力は」
「世界から」
「一時的に」
「消えました」
「じゃあ」
「世界は救われた?」
「……はい」
「でも」
「その代償として」
「ベラは」
「眠った」
「はい」
「五百年」
「はい」
「そして」
「僕たちの知る歴史では」
「五英雄が」
「魔王を倒したことになった」
ルナは。
ゆっくり頷いた。
「そうです」
「なぜ」
「真実を」
「残さなかったの?」
ルナの表情が。
変わった。
「それは」
「五百年前の」
「もう一つの選択です」
「……もう一つ?」
「はい」
「私たちは」
「ベラトリクスが」
「世界を救ったことを」
「歴史に残しませんでした」
「どうして?」
「もし」
「魔王が」
「世界を救ったと知れたら」
「人間と魔族の戦争が」
「終わらない可能性があったからです」
「……」
「人々は」
「真実よりも」
「自分たちが信じたい物語を」
「選ぶことがあります」
「だから」
「私たちは」
「五英雄が魔王を倒した」
「そういう歴史を」
「残しました」
ベラが。
静かに笑った。
「つまり」
「妾は」
「悪者のままか」
「……」
「それで」
「世界が平和になるなら」
「それでよい」
「そう言ったのも」
「あなたです」
「……」
僕は。
ベラを見る。
五百年間。
ずっと。
世界中から。
「魔王」と呼ばれ続けた。
でも。
本当は。
世界を救うために。
自分の中へ災厄を封じた。
その真実を。
誰も知らない。
「……ベラ」
「何じゃ」
「僕は」
「その話」
「嫌いじゃないよ」
「……」
ベラが。
少しだけ目を見開く。
「妾が」
「魔王でも?」
「うん」
「世界を滅ぼそうとした魔王でも?」
「……」
僕は。
少し考えてから答える。
「それでも」
「今のベラを知ってるから」
ベラは。
何も言わなかった。
ただ。
ほんの少しだけ。
口元を緩めた。
ルナは。
そんな僕たちを見つめていた。
そして。
「だからこそ」
「今」
「一番恐れていることがあります」
「何?」
僕が聞く。
「封印です」
「……」
「五百年前」
「ベラトリクスの中へ封じた」
「ゼファリエルの一部」
「それが」
「五百年の時を経て」
「弱まり始めています」
「それは聞いた」
「はい」
「ですが」
「封印が弱まれば」
「ゼファリエルの一部が」
「目覚めるだけではありません」
「……?」
ルナの瞳が。
真っ直ぐにベラへ向けられる。
「その存在が」
「こちら側へ」
「道を作る可能性があります」
「道?」
「はい」
「もし」
「ベラトリクスの封印が」
「完全に崩れれば」
「ゼファリエルは」
「再び」
「この世界へ」
「干渉できるようになる」
「……」
「そして」
「その時」
「ゼファリエルが」
「何をするのか」
「私は」
「分かりません」
「でも」
「五百年前と」
「同じではない」
「そう思っています」
「どうして?」
「五百年前」
「ゼファリエルは」
「一人ではありませんでした」
「……」
ルナが。
言葉を止める。
「どういう意味?」
「それは」
「まだ」
「あなたたちに話すべきではありません」
「……」
「ただ」
「一つだけ」
ルナが。
僕を見る。
「覚えておいてください」
「何を?」
「大天使ゼファリエルは」
「災厄でした」
「ですが」
「災厄そのものでは」
「なかったのかもしれません」
「……」
「そして」
「その答えを」
「知っている可能性があるのは」
「賢者アークトゥルスです」
また。
その名前だった。
僕は。
拳を握る。
「……アークトゥルス」
「はい」
「探さないと」
「ええ」
ルナは頷いた。
「あなたが」
「星の声を聞く者であるなら」
「きっと」
「彼のもとへ」
「辿り着けます」
「でも」
僕は空を見上げる。
「どうやって?」
「星は」
「もう」
「あなたに」
「道を示し始めています」
その言葉に。
僕の胸の奥が。
微かに熱くなった。
星装。
星域。
星の声。
そして。
アークトゥルス。
全てが。
少しずつ繋がっていく。
けれど。
まだ。
一つだけ。
分からないことがある。
僕はルナを見る。
「最後に」
「もう一つだけ聞いていい?」
「もちろんです」
「五百年前」
「ゼファリエルを封じたあと」
「みんなは」
「どうなったの?」
ルナは。
静かに微笑んだ。
「それを話すには」
「もう少しだけ」
「時間が必要です」
「……」
「なぜなら」
「その後に起きたことが」
「今の世界へ」
「繋がっているからです」
「……」
「そして」
ルナは。
僕たちの奥にある扉を見る。
「あなたたちは」
「まだ」
「この塔の」
「本当の最深部へ」
「辿り着いていません」
僕は。
その言葉に振り返った。
「最深部……」
「はい」
「そこには」
「五百年前の」
「最後の記録があります」
「……」
「あなたたちが」
「本当に知るべきことは」
「その先にあります」
ベラが。
ゆっくり立ち上がった。
「ならば」
「行くか」
アンタレスも。
静かに頷く。
「ええ」
僕は。
二人を見る。
そして。
ルナを見る。
「行こう」
ルナは。
微笑んだ。
「はい」
僕たちは。
まだ知らない。
その先で。
五百年前の真実が。
さらに大きく。
僕たちの前に立ちはだかることを。
そして。
その真実が。
ベラの中に眠る《星喰らい》だけではなく。
この世界そのものの秘密へ。
繋がっていることを。




