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星の塔

第46話 星の塔

教皇アステリアから聞かされた話が、頭の中から離れなかった。

五百年前。

ベラトリクスは、確かに魔王だった。

魔族を率いて、人間界へ侵攻した。

人間側から見れば、それは間違いなく侵略だった。

だからこそ、勇者レグルスを中心とした五人の英雄が立ち上がった。

剣聖シリウス。

守護騎士アルデバラン。

賢者アークトゥルス。

聖女ルナ。

そして、勇者レグルス。

五人は魔王を討つために戦った。

けれど。

戦争が続く中で、五人は知った。

魔族たちは、何かから逃げていた。

その正体が、災厄。

魔族の住む土地へ迫っていた、何か。

人間界へ侵攻したように見えたのは、魔族たちが災厄から逃れるためだった。

そして。

その事実を知った五英雄は、魔王ベラトリクスと手を取った。

敵だった人間と魔族が。

共通の敵を前に、共に戦った。

五人の英雄。

そして、一人の魔王。

六人。

それが、五百年前に本当に起きたことだった。

「……」

僕は廊下を歩きながら、何度目か分からないほど同じことを考えていた。

隣にはベラがいる。

その少し後ろにはアンタレス。

そして、先頭を歩いているのはセレウスだった。

教皇アステリアから、僕たちは一つの場所へ向かうよう告げられていた。

聖女ルナが残したものがあるという場所。

この国の中央にそびえ立つ、巨大な塔。

昨日、港から見上げた時には、その大きさに圧倒された。

けれど。

こうして近くまで来ると、さらに異様だった。

巨大という言葉だけでは足りない。

何層あるのか分からないほど高く、いくつもの塔や尖塔が複雑に組み合わさっている。

壁面には細かな装飾が施され、その一つ一つに聖女ルナの紋章が刻まれていた。

まるで一つの建物というより。

長い年月をかけて、何人もの人間が一つの願いを積み重ねて作ったような建造物だった。

「ここが……」

僕は足を止める。

「聖女ルナの塔です」

セレウスが振り返った。

「正確には、聖女ルナ様にまつわる記録や遺物を保管するために造られた聖塔です」

「遺物……」

「はい」

セレウスは塔を見上げる。

「五百年前から残されているものもあります」

ベラが小さく鼻を鳴らした。

「随分と大層なものを建てたものじゃな」

「それだけ、ルナ様がこの国にとって大切な存在なのです」

「……そうか」

ベラはそれ以上何も言わなかった。

僕は塔を見上げる。

ここに、ルナが残したものがある。

昨日聞こえた声。

『星の声を聞くものよ』

『ベラトリクスを』

『私のもとへ』

あれが本当にルナの声だったのなら。

その答えが、ここにある。

「行きましょう」

セレウスが塔の入口へ向かう。

巨大な扉の前には、数人の聖職者が立っていた。

僕たちの姿を確認すると、全員が静かに頭を下げる。

誰も武器を構えない。

敵意もない。

ただ、深い敬意だけがあった。

扉が開く。

中へ入った瞬間。

空気が変わった。

外よりも涼しい。

そして、静かだった。

足音だけが、石造りの広い空間へ響いていく。

正面には巨大な階段。

その左右には、壁一面に古い壁画が描かれていた。

「……すごい」

思わず声が漏れる。

そこには、五百年前の戦いが描かれていた。

人間の兵士。

魔族。

燃え上がる街。

そして、その奥に描かれている巨大な影。

「これが……災厄?」

僕が尋ねる。

セレウスは壁画を見る。

「詳しいことは、私にも分かりません」

「でも」

「五百年前の記録をもとに描かれたものです」

壁画の中央には、五人の人物がいた。

勇者。

剣聖。

守護騎士。

賢者。

聖女。

五英雄だ。

その向かい側には、一人の少女。

黒い衣をまとい、赤い瞳を持つ少女。

「……」

僕は、その少女を見た。

「ベラ」

僕が呟くと。

隣にいた本人が壁画を見上げる。

「……妾じゃな」

「覚えてる?」

「……少しだけじゃ」

ベラは壁画へ近づく。

そこに描かれた自分を、じっと見つめる。

「これは」

「妾が人間界へ来たばかりの頃じゃ」

「分かるの?」

「服装くらいはな」

ベラはそう言って、少しだけ目を細める。

「……懐かしいのう」

その声には、いつもの軽さがなかった。

僕は壁画を見る。

そこには。

五人の英雄と魔王が向かい合っている。

けれど。

さらに奥。

六人の人物が並んでいる壁画があった。

「……これ」

僕は指を伸ばす。

五人の英雄。

そして。

ベラ。

六人が同じ方向を向いている。

「一緒に戦ってる」

「はい」

セレウスが答えた。

「この塔には、現在知られている歴史だけではなく、教皇家が代々守ってきた記録も残されています」

「じゃあ、この絵も……」

「はい」

「五百年前の事実をもとにしたものです」

ベラが壁画を見ながら呟く。

「……あの頃は」

「こんなものが残るなどとは思っておらなんだ」

「ベラ」

「何じゃ?」

「五百年前って」

「本当に、みんなで一緒に戦ってたんだよね」

「そうじゃ」

「レグルスも」

「うむ」

「シリウスも」

「うむ」

「アルデバランも」

「うむ」

「アークトゥルスも」

「……ああ」

「ルナも」

ベラは少しだけ黙った。

「……そうじゃ」

僕はその横顔を見る。

五百年前の記憶を失っている。

それでも。

名前を聞けば、何かが残っている。

「なんか」

「不思議だね」

「何がじゃ」

「今まで僕が知ってた歴史では、みんなベラの敵だったから」

「……そうじゃな」

「でも本当は」

「一緒に戦ってた」

ベラは壁画から視線を逸らした。

「人間と魔族が」

「共に戦うなど」

「当時でも珍しいことじゃった」

「じゃあ」

「どうしてできたの?」

「……」

ベラは答えなかった。

代わりにセレウスが口を開く。

「互いに、戦っている場合ではないと理解したからでしょう」

「災厄が?」

「はい」

「それだけじゃないと思います」

「……?」

セレウスは壁画を見上げる。

「五百年前の記録には」

「レグルス様が、魔王ベラトリクス様と何度も話し合ったと記されています」

「何度も?」

「はい」

「一度話しただけで、すぐに手を組んだわけではありません」

「……」

「長い時間をかけて」

「互いに相手を理解しようとした」

「そして」

「最後には」

「人間と魔族という違いよりも」

「目の前にある脅威を止めることを優先した」

僕は頷いた。

それはきっと。

簡単なことじゃなかった。

人間と魔族。

長い間、互いを敵として見てきた二つの種族。

その二つが手を取る。

五百年前。

そんな奇跡が起きた。

そして。

その中心にいたのが。

魔王ベラトリクスだった。

「……」

僕は歩きながら考える。

教皇が話してくれたことは。

僕が今まで知っていた歴史を否定するものではなかった。

魔王は本当にいた。

人間界へ侵攻した。

戦争も起きた。

五英雄も本当にいた。

そして。

最後には。

魔王と五英雄が共に戦った。

ただ。

その事実だけが、今の歴史から抜け落ちている。

「ソル」

ベラの声が聞こえた。

「何?」

「考えすぎじゃ」

「……分かる?」

「顔に出ておる」

「そんなに?」

「うむ」

「……気をつける」

ベラが小さく笑った。

「別に」

「そのままでよい」

「妾も」

「思い出したいことが増えてきた」

「ベラ……」

「じゃが」

ベラは前を向く。

「思い出せぬものは」

「無理に思い出す必要もない」

「今は」

「先へ進めばよい」

「……うん」

僕たちは階段を上っていった。

一階。

二階。

三階。

階段を上るたびに、壁に残された記録が変わっていく。

最初は人間と魔族の戦争。

次に。

災厄の出現。

そして。

五英雄と魔王が共に戦う姿。

さらに進むと。

六人が巨大な何かへ向かって剣や魔法を構えている壁画が現れた。

「これが」

「最後の戦いです」

セレウスが言う。

僕は壁画を見つめる。

五人の英雄。

ベラ。

六人全員が。

同じ敵へ向かっている。

「……」

その瞬間。

胸の奥が、僅かに震えた。

「……あれ?」

「どうした?」

アンタレスが声を掛ける。

「今」

「何か感じた」

僕は周囲を見る。

「魔力?」

「違う」

もっと。

遠い。

懐かしいような。

悲しいような。

そんな感覚。

「……声?」

僕が呟く。

ベラが振り返る。

「何か聞こえたのか?」

「ううん」

「はっきりとは」

「でも」

「誰かが」

「遠くで……」

僕は耳を澄ませる。

何もない。

ただ。

塔の奥から。

微かな光が漏れている。

「先へ進みましょう」

セレウスが言った。

「……はい」

僕たちは再び歩き出した。

階段はさらに続いている。

上へ。

上へ。

どこまでも。

途中には、何度も聖女ルナの姿が描かれていた。

人々を治療する姿。

魔族へ手を差し伸べる姿。

五英雄と並んでいる姿。

そして。

一人で何かを見つめている姿。

僕はその度に足を止めた。

「ルナって」

「どんな人だったんだろう」

セレウスが少し考えてから答える。

「優しい方だったと」

「多くの記録には残されています」

「でも」

「それだけではないでしょう」

「……?」

「聖女であり」

「英雄であり」

「一人の人間でもあった」

「そして」

「魔王ベラトリクス様と」

「最も長く共に過ごした一人でもあります」

僕はベラを見る。

ベラは黙っている。

「……仲良かったの?」

「さあのう」

「ルナとは」

「よく喧嘩もした」

「え?」

「妾が無茶をすれば怒る」

「妾が勝手なことをすれば怒る」

「レグルスと喧嘩をすれば怒る」

「……」

「今思えば」

「怒ってばかりじゃったな」

「それ、仲良かったってことじゃない?」

「そうかもしれぬ」

ベラは小さく笑った。

その笑顔を見て。

僕も少しだけ笑った。

それから。

また階段を上る。

次第に。

周囲の装飾が少なくなっていった。

人の姿も。

壁画も。

文字も。

ただ。

静かに光る魔法石だけが一定の間隔で並んでいる。

「ここから先は」

セレウスが足を止めた。

「この塔の中でも」

「特に重要な区域です」

「……」

僕たちは前を見る。

そこには巨大な扉があった。

今までのものとは違う。

白い石で作られている。

扉の中央には。

星のような紋章。

その下に。

小さく文字が刻まれていた。

「なんて書いてあるの?」

僕が尋ねる。

セレウスが文字を見る。

「古い言葉です」

「なんて?」

「星は」

「声を失わない」

「……」

その言葉を聞いた瞬間。

僕の胸が大きく鳴った。

「星は」

「声を失わない……」

昨日聞いた声。

『星の声を聞くものよ』

あれと。

何かが繋がっている気がする。

セレウスが扉へ手を伸ばす。

けれど。

その手が止まった。

「……?」

「ここから先は」

「私も同行できません」

「え?」

僕は驚く。

「どうして?」

「この先は」

「教皇家の者でも」

「許可なく入ることのできない場所です」

「でも」

「大丈夫です」

セレウスは僕たちを見る。

「教皇聖下より」

「あなた方をここまで案内するよう命じられています」

「そして」

「ここから先は」

「あなた方自身が進むことになります」

ベラが扉を見る。

「……ルナがおるのか?」

セレウスは答えなかった。

ただ。

深く頭を下げた。

「ソル様」

「はい」

「ベラトリクス様」

「……」

「アンタレス様」

「……何でしょう」

「改めて」

「心より御礼申し上げます」

僕は少し驚いた。

セレウスが。

僕たちに頭を下げている。

しかも。

今まで見たことがないほど深く。

「セレウスさん?」

「五百年前」

「人間と魔族が手を取り合い」

「世界を救ったことを」

「私は知っています」

「ですが」

「その真実を知っていても」

「実際に」

「五百年後の今」

「再び魔王ベラトリクス様と」

「アンタレス様が」

「この国へ来られるとは」

「思っておりませんでした」

「……」

「そして」

セレウスは僕を見る。

「ソル様」

「あなたが」

「お二人と共にここまで来てくださったこと」

「それが」

「どれほど大きな意味を持つのか」

「私には言葉では言い表せません」

「……そんな」

僕が言うと。

セレウスはさらに深く頭を下げた。

「人類を代表するなど」

「私には到底できません」

「ですが」

「一人の人間として」

「心から申し上げます」

「……」

「ありがとうございます」

「人類のために」

「ここまで歩いてくださって」

僕は言葉を失った。

隣を見る。

ベラも。

アンタレスも。

何も言わない。

セレウスは頭を上げる。

その表情には。

聖職者としての厳格さではなく。

一人の人間としての感謝が浮かんでいた。

「そして」

「ベラトリクス様」

ベラがセレウスを見る。

「あなた様にも」

「五百年前」

「そして」

「今」

「ありがとうございます」

「……」

ベラは少しだけ目を伏せた。

「……礼を言われるようなことをした覚えはない」

「それでも」

「私は」

「感謝しております」

ベラは少し困ったように笑う。

「変な国じゃな」

「そうかもしれません」

セレウスも微笑んだ。

「ですが」

「これが」

「この国が五百年間守ってきたものです」

そして。

セレウスはもう一度だけ頭を下げた。

「どうか」

「お気をつけて」

僕たちは扉へ向き直った。

ベラが隣に立つ。

アンタレスも反対側へ並ぶ。

僕は扉に手を触れた。

その瞬間。

――声がした。

『……』

微かに。

けれど。

今度は確かに。

女性の声だった。

僕は息を止める。

『星の声を聞くものよ』

「……!」

聞き覚えのある声。

昨日。

船の上で聞いた声。

「ルナ……」

ベラが僕を見る。

アンタレスも。

扉の向こうから。

淡い光が漏れ始めた。

そして。

静かな女性の声が。

今度ははっきりと聞こえた。

『……来たのですね』

僕の心臓が。

大きく跳ねた。

「……」

ベラが。

ゆっくりと目を見開く。

「……ルナ」

その名前に。

扉の向こうから。

静かな声が返ってきた。

『ええ』

『久しぶりですね』

『ベラトリクス』


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