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五百年前の真実

第45話 五百年前の真実

扉が、ゆっくりと開いた。

その先に広がっていたのは、今まで見たどの部屋よりも静かな空間だった。

天井は高く、壁には大きな窓が並んでいる。

その窓からは、セレフィア神聖国の街並みが一望できた。

白い建物。

大通りを行き交う人々。

至る所に掲げられた聖女ルナの紋章。

そして、街の中央にそびえ立つ巨大な塔。

そのすぐ近くには、世界最大の大聖堂が見える。

昨日、港から見た景色とは違う。

近くで見るその二つの建造物は、圧倒的だった。

僕は思わず息を呑んだ。

けれど。

今は、それを眺めている余裕はなかった。

部屋の奥。

そこに、一人の女性が立っていた。

白を基調とした法衣。

胸元には、この国で何度も目にした聖印。

長い白髪。

年齢は七十代後半ほどに見える。

それでも、その立ち姿には一切の衰えを感じさせない。

静かに。

けれど確かな威厳を持って、僕たちを見ていた。

「ようこそ、セレフィア神聖国へ」

穏やかな声だった。

「そして……ようやく、お会いすることができました」

僕は少し緊張しながら、その女性を見る。

この人が。

教皇。

セレフィア神聖国の最高指導者。

僕たちをここへ呼んだ張本人だ。

女性は、胸元の聖印へ手を添えた。

「まずは、私から名乗らせてください」

「私はアステリア・ルナセリア」

「セレフィア神聖国、第七代教皇を務めております」

「……第七代」

僕が呟くと、アステリアは静かに頷いた。

「はい」

五百年前から続く国。

その七代目。

それだけでも、この人が背負っているものの重さが少しだけ分かる気がした。

「僕はソルです」

僕も名乗る。

「こちらはベラ」

「そして、アンタレスです」

アンタレスが続けた。

アステリアは僕を見る。

「ソル様」

「はい」

「お会いできて嬉しく思います」

「……僕のことを知っているんですか?」

「ええ」

迷いのない返事だった。

そして。

アステリアの視線が、ベラへ向く。

その瞬間。

アステリアは、深く頭を下げた。

「……ベラトリクス様」

「……何じゃ」

ベラの眉が僅かに動く。

「ようやく、お会いできました」

「……」

ベラは何も言わない。

アステリアは、そのままアンタレスへ視線を移した。

「そして、アンタレス様」

「……私にも、様を付けるのですか」

「当然です」

アステリアは即答した。

「あなた様にも、最大限の敬意を払うべきだと考えております」

アンタレスが僅かに目を細める。

「なぜ?」

「あなた方を、歴史に記された名前だけで判断していないからです」

「……」

「そして」

アステリアは、もう一度ベラを見る。

「五百年前に、何があったのかも知っています」

その言葉に。

部屋の空気が変わった。

ベラの表情から、僅かな笑みが消える。

アンタレスも黙った。

僕だけが、その言葉の意味を掴めずにいた。

「……五百年前?」

僕が尋ねる。

アステリアは頷いた。

「はい」

「あなた方が、この国へ来たことは偶然ではありません」

「……どういうこと?」

「その話をするために、私はあなた方をここへお呼びしました」

アステリアが椅子へ手を向ける。

「どうぞ、お掛けください」

僕たちは、それぞれ席へ座った。

ベラは僕の隣。

アンタレスは反対側。

アステリアは僕たちの正面に腰を下ろす。

そして、その後ろにはセレウスが静かに立っていた。

僕はセレウスを見る。

「セレウスさんも、この話を?」

「はい」

アステリアが答える。

「彼は、この国の枢機卿です」

「教皇に次ぐ立場にある者として、私と共に真実を知る者の一人です」

セレウスが静かに頭を下げる。

「改めまして、よろしくお願いいたします」

「よろしくお願いします」

僕も頭を下げた。

アステリアは、一度だけ目を閉じる。

そして。

ゆっくりと口を開いた。

「では」

「五百年前の話を始めましょう」

僕は自然と背筋を伸ばした。

「まず」

「この国には、教皇になった者だけに代々受け継がれる秘密の文献があります」

「秘密の文献……」

「はい」

「そこには、現在の歴史書には記されていない五百年前の記録が残されています」

ベラが僅かに目を細める。

「その文献を残したのは?」

「初代教皇です」

「……初代」

僕は聞き返す。

「初代教皇って、誰なんですか?」

アステリアは静かに答えた。

「セレネ・ルナリア」

「……」

その名前を聞いた瞬間。

ベラの表情が変わった。

「……セレネ?」

「はい」

アステリアが頷く。

ベラはしばらく黙っていた。

そして。

「……あいつの妹か?」

僕はベラを見る。

「あいつ?」

「ルナじゃ」

「……!」

僕は思わずアステリアを見る。

アステリアは静かに頷いた。

「はい」

「初代教皇セレネ・ルナリアは」

「聖女ルナの実の妹です」

「……」

僕は言葉を失った。

ルナの妹。

それが、この国の初代教皇。

そして、この国を作った人物。

「僕、知らなかった」

「当然です」

アステリアが答える。

「その事実は、現在の一般的な歴史には残されていません」

「どうして?」

「残すことができなかったからです」

その答えに、僕は黙った。

アステリアは続ける。

「セレネは、姉であるルナが亡くなった後、この国を作りました」

「姉の意思を」

「未来へ残すために」

ベラは黙っている。

その横顔からは、何を考えているのか分からない。

「そして」

アステリアは続けた。

「セレネは、姉から一つのものを託されました」

「何を?」

「真実です」

「……真実?」

「五百年前」

「本当に何が起きたのか」

アステリアの声が少しだけ低くなった。

「それを記した文献が、教皇へ代々受け継がれています」

僕は息を呑む。

「じゃあ……」

「アステリアさんも?」

「はい」

「その文献を読んだんですか?」

「もちろんです」

アステリアは頷いた。

「そして私は」

「その真実を、あなた方へ伝えるためにここへ呼びました」

僕はベラを見る。

ベラもアステリアを見ていた。

アステリアは、ベラへ視線を戻す。

「ベラトリクス様」

「何じゃ」

「まず」

「一つだけ、はっきりとお伝えします」

「……」

「あなた様は」

「間違いなく、五百年前の魔王ベラトリクスです」

ベラの目が僅かに動いた。

「……そうじゃ」

「妾は魔王じゃ」

「はい」

アステリアは頷いた。

「そして」

「五百年前」

「あなた様が人間界へ侵攻したことも、事実です」

僕は思わずアステリアを見る。

「じゃあ……」

「歴史は本当なの?」

「一部は」

アステリアは答えた。

「ですが」

「その意味が」

「現在の歴史では、大きく変わって伝わっています」

「……どういうこと?」

アステリアは、一度ベラを見る。

「五百年前」

「魔族の住む土地に、災厄が迫っていました」

「災厄……」

その言葉を聞いて。

僕の頭の中に、これまで感じてきた異様な魔力が浮かんだ。

「当時」

「魔族たちは、その災厄から逃れるため」

「人間界へ移動を始めました」

「……」

「しかし」

「人間側から見れば」

「それは突然、魔族の軍勢が国境を越えてきたようにしか見えませんでした」

僕は黙って聞く。

「魔王ベラトリクスが」

「人間界へ侵攻した」

「そう考えられたのです」

ベラが静かに口を開く。

「当然じゃ」

「妾は魔王じゃった」

「魔族を率いておった」

「人間から見れば」

「侵略にしか見えぬ」

アステリアが頷く。

「はい」

「そして」

「人間側は、魔族を迎え撃ちました」

「その中心にいたのが」

「勇者レグルス」

「剣聖シリウス」

「守護騎士アルデバラン」

「賢者アークトゥルス」

「そして」

「聖女ルナ」

僕の頭の中に、五人の姿が浮かぶ。

レグルス。

シリウス。

アルデバラン。

アークトゥルス。

ルナ。

五百年前の五英雄。

「彼らは」

「魔王を倒すために戦った」

「はい」

「人間界と魔族」

「二つの勢力による戦争が始まりました」

ベラが静かに目を閉じる。

「……長かったのう」

その言葉に、僕はベラを見る。

「覚えてるの?」

「全てではない」

「じゃが」

「戦場のことは」

「少しずつ思い出しておる」

アステリアは黙って聞いていた。

「最初」

「人間側は」

「魔王ベラトリクスが世界を侵略しようとしていると考えていました」

「そして」

「魔族側も」

「人間に追い詰められていると思っていた」

「だから」

「戦争は止まりませんでした」

僕は拳を握る。

「じゃあ」

「どうやって……」

「終わったんですか?」

アステリアの表情が変わる。

「ある時」

「勇者たちは」

「気づきました」

「何に?」

「魔族たちが」

「人間界へ逃げてきた理由に」

「……」

「戦場に現れる魔族たちの中に」

「明らかにおかしな痕跡があったのです」

「魔族の攻撃によるものではない」

「魔法とも違う」

「自然災害とも違う」

「そして」

「魔族たちが」

「何かから逃げるように戦っていた」

僕は息を呑む。

「災厄……」

「はい」

「勇者たちは」

「そこで初めて」

「魔王ベラトリクスが人間界を侵略しているのではなく」

「魔族そのものが」

「何かから逃げている可能性に気づいたのです」

「……」

「そして」

「レグルスは」

「ベラトリクスと話すことを決めました」

ベラが小さく笑う。

「最初は」

「酷いもんじゃったぞ」

「レグルスが?」

「うむ」

「妾を殺す気満々じゃった」

「でも」

「話した」

「そうじゃ」

ベラは遠くを見るような目をした。

「妾も」

「人間など信用しておらなんだ」

「じゃが」

「レグルスは」

「最後まで話を聞いた」

アステリアが続ける。

「そして」

「五人の英雄たちは」

「魔王と敵対することをやめました」

「……」

「敵を変えたのです」

僕は息を呑んだ。

「人間と魔族の戦争から」

「災厄との戦いへ」

「はい」

「それが」

「五百年前の転換点でした」

アステリアは一人ずつ、名前を口にした。

「勇者レグルス」

「剣聖シリウス」

「守護騎士アルデバラン」

「賢者アークトゥルス」

「聖女ルナ」

そして。

ベラを見る。

「そして」

「魔王ベラトリクス」

「……」

「五人の英雄と」

「一人の魔王」

「六人が」

「手を取り合いました」

僕の胸が大きく鳴った。

「六人……」

僕は小さく呟く。

「そうじゃ」

ベラが答える。

「妾たちは」

「六人じゃった」

僕は以前。

残響の中で見た光景を思い出した。

草原。

笑い声。

レグルス。

シリウス。

アルデバラン。

アークトゥルス。

ルナ。

そして。

ベラトリクス。

六人。

あの時の光景は。

本当にあったものだった。

「でも」

僕は聞く。

「どうして」

「その後」

「ベラが魔王として討伐されたことになってるの?」

アステリアは。

すぐには答えなかった。

「それが」

「五百年前の」

「もう一つの真実です」

「……」

「ベラトリクス様は」

「最後まで魔王でした」

「人間界を侵攻したことも」

「戦争をしたことも」

「事実です」

「ただ」

「その戦争には」

「魔族が災厄から逃れるためだったという理由があった」

「そして」

「勇者たちはその事実を知り」

「魔王と共に戦った」

「……じゃあ」

僕は言葉を選びながら尋ねる。

「五英雄が魔王を倒したっていう話は?」

「それも」

「嘘ではありません」

僕は驚いた。

「え?」

「五人の英雄は」

「最後」

「確かに魔王ベラトリクスと戦いました」

「……」

「ですが」

「それは」

「世界を救うための最後の戦いの一部でした」

ベラが目を閉じる。

「……そうじゃ」

「妾は」

「最後まで魔王じゃった」

「じゃが」

「妾たちは」

「同じ敵と戦った」

僕は黙り込んだ。

つまり。

歴史そのものが完全な嘘だったわけじゃない。

魔王は存在した。

人間界へ侵攻した。

五英雄も存在した。

戦争も起きた。

そして。

最後には五英雄と魔王が共に戦った。

その事実だけが。

今の世界から失われている。

「なぜ」

僕が聞く。

「なぜ、そんな歴史になったんですか?」

アステリアは静かに答えた。

「戦争の後」

「人間と魔族の関係は」

「決して簡単なものではありませんでした」

「一緒に戦ったからといって」

「全ての憎しみが消えたわけではありません」

「多くの人間が」

「家族を魔族に奪われていました」

「そして」

「多くの魔族も」

「人間に仲間を殺されていました」

「……」

「六人が共に戦ったという真実を」

「そのまま世間へ伝えることは」

「新たな混乱を生む可能性があった」

「だから」

「歴史は」

「五人の英雄が魔王を討ったという形に整理されました」

僕はベラを見る。

「ベラは」

「それでいいと思ったの?」

ベラはしばらく黙っていた。

そして。

「……他に」

「方法がなかったのじゃろう」

「妾は魔王じゃ」

「人間から見れば」

「最後まで恐怖の象徴じゃった」

「妾が悪として残ることで」

「人間と魔族が」

「また争わずに済むのなら」

「それでよかった」

「……」

ベラの声は。

思っていたよりも静かだった。

「それに」

「妾には」

「やるべきことが残っておった」

僕はベラを見る。

「何?」

ベラは答えなかった。

その代わり。

アステリアが口を開く。

「それが」

「ベラトリクス様が五百年前に封印された理由です」

「……」

「討伐ではありません」

「封印です」

「ルナ様が」

「あなた様を眠らせました」

ベラが俯く。

「……ルナ」

「はい」

「ルナ様は」

「最後まで」

「あなた様を殺すことを選びませんでした」

「なぜ?」

僕が聞く。

アステリアは少しだけ目を伏せる。

「ベラトリクス様が」

「最後まで仲間だったからです」

「……」

「そして」

「いつか」

「世界が変わった時」

「あなた様が再び目を覚ます時が来ると」

「ルナ様は信じていました」

「その時」

「五百年前の真実を伝えるために」

「妹であるセレネへ」

「全てを託したのです」

ベラの目が揺れる。

「……あいつ」

「最後まで」

「余計なことをしおったな」

アステリアは小さく微笑んだ。

「そうかもしれません」

「ですが」

「セレネは」

「その意思を五百年間」

「守り続けました」

「そして」

「代々の教皇へ」

「真実を受け継いできたのです」

僕は周囲を見る。

この巨大な国。

聖女ルナを祀る大聖堂。

街の至る所にある聖印。

そして。

五百年もの間、守られてきた秘密。

「じゃあ」

「この国は」

「ルナのために作られたの?」

「それだけではありません」

アステリアは答える。

「ルナ様が残した意思を」

「未来へ繋ぐためです」

「そして」

「いつか」

「あなた様が戻ってきた時」

「迎えるためでもあります」

ベラが顔を上げる。

「妾を?」

「はい」

「ずっと?」

「五百年間」

「この国は」

「あなた様を忘れていません」

ベラは。

何も言わなかった。

ただ。

目を閉じた。

「……そうか」

小さな声だった。

「……そうじゃったか」

僕はそんなベラを見ていた。

五百年間。

この世界で魔王として恐れられ続けた少女。

その名前を。

この国だけは。

別の意味で守り続けていた。

「では」

アンタレスが口を開く。

「私についても」

「何か記録があるのですか」

アステリアはアンタレスを見る。

「あります」

「ただし」

「あなた様については」

「五百年前の記録でも」

「全てが明らかになっているわけではありません」

「……そうですか」

アンタレスはそれ以上聞かなかった。

「それより」

「一つ」

「あなた方が今ここへ来たこと」

アステリアは言った。

「それこそが」

「五百年前の真実と深く関係しています」

僕は息を呑む。

「僕たちが?」

「はい」

「国境の結界が」

「あなた方を捉えました」

「ベラトリクス様」

「アンタレス様」

「そして」

「五百年前の英雄たちに繋がる魔力」

僕の頭に。

あの結界の話が蘇る。

一般の兵士には分からない。

普通の聖職者にも分からない。

教皇や、ごく限られた者だけが感じ取れる。

だから。

誰にも知られることなく。

僕たちはここへ呼ばれた。

「レグルス」

「シリウス」

「アルデバラン」

アステリアが名前を口にする。

「あなた方が触れてきた」

「五百年前の残響」

「それらが」

「再び動き始めています」

僕は黙った。

確かに。

僕はレグルスと会った。

シリウスとも会った。

アルデバランから力を教わった。

そして。

ベラとアンタレスと共に。

ここまで来た。

「でも」

僕は聞いた。

「アークトゥルスは?」

アステリアの表情が僅かに変わる。

「賢者アークトゥルスについては」

「まだ」

「あなた方の前には姿を現していませんね」

「はい」

「ですが」

「彼も」

「五百年前の六人の一人です」

「そして」

「彼が残したものも」

「この世界のどこかに存在しているでしょう」

僕は黙った。

レグルス。

シリウス。

アルデバラン。

アークトゥルス。

ルナ。

そして。

ベラトリクス。

五英雄と魔王。

六人。

僕がこれまで聞いてきた歴史では。

絶対に交わらないはずだった六人。

でも。

本当は。

同じ場所にいた。

同じ敵と戦った。

そして。

世界を救った。

「じゃあ」

僕は呟く。

「五百年前の災厄って」

「何だったの?」

アステリアは。

静かに僕を見る。

「それについては」

「まだ」

「全てをお話しすることはできません」

「……え?」

「私が知る記録にも」

「完全な答えは残されていません」

「ただ」

「一つだけ」

アステリアは言った。

「五百年前」

「人間と魔族が争っていた時」

「その戦争の裏で」

「災厄は」

「世界そのものへ迫っていました」

「そして」

「六人は」

「それを止めるために戦った」

「……」

「ですが」

「戦いの最後に」

「何かが起きた」

「何か?」

「はい」

「その結果」

「ベラトリクス様は封印され」

「五人の英雄は」

「それぞれの道へ散りました」

僕は息を呑んだ。

「何が起きたの?」

アステリアは答えなかった。

その代わり。

窓の外を見る。

巨大な塔。

そのすぐ隣にある世界最大の大聖堂。

「それを知りたいのであれば」

「塔へ行ってください」

「……塔?」

「はい」

「聖女ルナ様が残したものが」

「そこにあります」

ベラがゆっくりと立ち上がる。

「……ルナの塔か」

「はい」

「そこに」

「五百年前の最後が?」

「全てではありません」

アステリアは答える。

「ですが」

「少なくとも」

「あなた方が次へ進むために必要なものは」

「そこに残されています」

僕も立ち上がる。

「分かった」

ベラを見る。

「行こう」

「うむ」

アンタレスも立ち上がった。

「では」

「向かいましょう」

アステリアは静かに微笑んだ。

「はい」

「そして」

「ソル様」

「はい?」

「一つだけ」

「あなたが聞いたという」

「ルナ様の声」

「……」

僕は息を呑む。

「『星の声を聞くものよ』」

「『ベラトリクスを私の元へ』」

アステリアはゆっくり頷いた。

「その言葉を」

「ルナ様が残した記録の中で」

「私は一度だけ見たことがあります」

「……本当に?」

「はい」

僕の背中を。

冷たいものが走った。

「ただし」

「それが」

「本当にルナ様の声だったのか」

「私にも断言はできません」

「ですが」

「あなたがここへ来て」

「ベラトリクス様を連れている」

「その事実だけは」

「決して偶然だとは思えません」

ベラが僕を見る。

僕もベラを見る。

「……行くしかないな」

「そうじゃな」

僕たちは部屋を出ようとする。

その背中へ。

アステリアの声が届いた。

「ソル様」

僕が振り返る。

「はい」

「五百年前」

「ベラトリクス様は」

「確かに魔王でした」

「人間界へ侵攻したことも」

「戦争が起きたことも」

「全て事実です」

「ですが」

アステリアは静かに続けた。

「それだけが」

「五百年前の全てではありません」

「……」

「あなた方が知っている歴史の裏には」

「人間と魔族が手を取り合った時間がある」

「五人の英雄と」

「一人の魔王が」

「共に世界を救った時間がある」

「そして」

「その六人が」

「最後に何を選んだのか」

僕は黙って聞いていた。

「それを」

「あなた方自身の目で」

「確かめてください」

僕は頷いた。

「分かりました」

扉が閉まる。

廊下へ出る。

ベラが隣を歩いている。

アンタレスが後ろを歩いている。

僕は一度だけ振り返った。

閉じられた扉。

その向こうにいる教皇。

五百年間。

代々の教皇だけが守ってきた真実。

僕はもう。

昔の歴史をそのまま信じることはできない。

魔王ベラトリクスは。

確かに魔王だった。

人間界を侵略した。

人間と戦った。

でも。

それだけではなかった。

魔族は災厄から逃げていた。

人間はそれを侵略だと勘違いした。

戦争が始まった。

そして。

戦いの中で五英雄が真実に気づいた。

レグルス。

シリウス。

アルデバラン。

アークトゥルス。

ルナ。

五人の英雄と。

魔王ベラトリクス。

六人は。

最後には同じ敵と戦った。

なのに。

どうして。

今の世界には。

その事実が残っていないのか。

そして。

五百年前。

六人の間に。

最後に何が起きたのか。

僕は。

巨大な塔を見上げた。

「……行こう」

「うむ」

ベラが答える。

その赤い瞳が。

塔を真っ直ぐに見つめていた。

五百年前。

世界を救った六人。

そのうちの一人である魔王ベラトリクス。

そして。

彼女がもう一度訪れたセレフィア神聖国。

この国が五百年間守り続けてきた真実は。

まだ。

始まりに過ぎなかった。


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