旅の準備
第41話 旅の準備
聖女ルナの塔が、海の向こうにある。
それが分かっただけでも、大きな前進だった。
けれど。
「……お金、どうする?」
僕がそう呟くと、アンタレスが静かにこちらを見る。
「必要ですね」
「やっぱり?」
「船に乗るための費用だけではありません。食料、宿、移動費。それに、何かあった時のための余裕も必要でしょう」
「うむ」
ベラトリクスも頷く。
「海を渡るとなれば、それなりの金が要るじゃろうな」
僕は財布を見る。
中身は、決して多くない。
アルデバランの塔へ向かう前までなら、これでも何とかなった。
でも。
これからは違う。
別の大陸へ渡る。
しかも、そこで聖女ルナの塔を探す。
どれだけ時間がかかるかも分からない。
「……じゃあ」
僕は顔を上げた。
「稼ごう」
アンタレスが頷く。
「それが一番確実ですね」
「妾は賛成じゃ」
ベラも腕を組む。
「金がなければ何もできぬからのう」
「よし」
翌日。
僕たちは冒険者ギルドへ向かった。
目的は一つ。
クエストを受けること。
「C級の依頼を探してるんですけど」
受付でそう伝えると、いくつかの依頼を紹介してもらった。
その中から僕たちが選んだのは、魔物の討伐依頼だった。
街道付近に魔物が出没しているらしい。
危険度もC級相当。
「これなら今の僕たちにちょうどいいかも」
「油断は禁物ですよ」
アンタレスが言う。
「分かってる」
ベラが横から口を挟む。
「まあ、今の妾たちなら問題あるまい」
「ベラ、それ言うとだいたい何か起きるよ」
「何じゃ、その言い方は」
「経験不足」
「失礼な奴じゃのう」
そんなやり取りをしながら、僕たちは街を出た。
目的地に着くと、すぐに魔物の気配を感じた。
以前なら。
僕は少し身構えていたと思う。
けれど今は違う。
アルデバランの塔で過ごした時間を思い出す。
力をどう扱うのか。
どう流すのか。
どうすれば、自分の身体を壊さずに戦えるのか。
僕は息を吸った。
星の粒子を感じる。
そして。
「……星装」
身体に力が馴染んでいく。
以前よりも、ずっと自然だった。
「おお」
ベラが目を細める。
「随分と様になってきたではないか」
「うん」
僕自身も分かる。
前までは、力を引き出そうとしていた。
今は違う。
力が、自分の中を流れている。
魔物がこちらへ突っ込んでくる。
僕は足を踏み出した。
明星を抜く。
一閃。
魔物が地面へ倒れた。
「……」
僕は自分の手を見る。
「今の、前より楽だった」
アンタレスが頷く。
「アルデバラン様の教えが、少しずつ身体に馴染んできているのでしょう」
「まだ完璧じゃないけどね」
「それで十分です」
討伐を終え、僕たちは街へ戻った。
報酬を受け取る。
「……これで、少し増えた」
袋の中の硬貨を見る。
まだ足りない。
でも。
少しずつでも、前に進んでいる。
それから僕たちは、何度もクエストをこなした。
魔物の討伐。
街道を行く商隊の護衛。
村から街までの護衛。
危険区域の調査。
C級相当の依頼を一つずつ片付けていく。
討伐では、ソルが前に出ることが増えた。
星装を使う。
明星を振るう。
そして、戦いが終われば自分の動きを振り返る。
最初は力を使いすぎることもあった。
一度、星装を解除した瞬間に膝をついたこともある。
「……使いすぎた」
「だから言ったでしょう」
アンタレスが呆れたように言う。
「力を出せることと、力を使いこなせることは別です」
「分かってる」
「本当に分かっていますか?」
「……はい」
その隣では、アンタレス自身も力の調整を続けていた。
アルデバランによって力を解放されたのはベラトリクス。
アンタレスは違う。
自分自身で封じていた力を、自ら解除した。
だからこそ。
その力をどう扱うのかも、自分で確かめていく必要があった。
「今日はどこまで出すの?」
僕が聞く。
「三割ほどにしておきましょう」
「それくらいなら余裕?」
「ええ」
アンタレスが魔力を纏う。
空気が変わる。
けれど、以前のような圧倒的な力ではない。
必要な分だけ。
それ以上は出さない。
「……調整上手いね」
「力を持つ者にとって、制御は強さそのものですから」
アンタレスはそう言って、魔物を一撃で倒した。
「なるほど」
僕も少し考える。
強くなる。
それだけじゃない。
自分が持っている力を、必要な分だけ使う。
それもまた、強さなのだ。
そして。
一番変化が大きかったのはベラだった。
アルデバランによって封じられていた力を解放され、本来の魔力を取り戻したベラ。
けれど、五百年もの間まともに使っていなかった力だ。
「……やはり、昔とは違うのう」
ベラが手を見つめる。
「扱えぬわけではない。じゃが、以前と同じ感覚で使えば身体がついてこぬ」
「だから調整してるんだね」
「そういうことじゃ」
ベラは小さな魔法を使う。
次は少し強く。
さらに少しだけ強く。
その度に、自分の身体と魔力の感覚を確かめる。
「昔の妾なら、この程度ではな」
「張り合わなくていいからね」
「分かっておる」
「本当に?」
「お主は最近、妾を何だと思っておるのじゃ」
「無茶する人」
「……」
ベラが黙る。
アンタレスが小さく笑った。
「否定できませんね」
「アンタレスまで!」
そんな日々が続いた。
依頼を受ける。
戦う。
報酬を受け取る。
そして、力を鍛える。
それを何度も繰り返した。
気づけば、僕たちの財布は最初とは比べものにならないほど重くなっていた。
ある日の夕方。
ギルドを出た僕は、手の中の袋を持ち上げる。
「……結構貯まった」
「ですが、まだ十分とは言えません」
アンタレスが冷静に言う。
「えぇ……」
「海を渡るのですから、余裕は必要です」
「分かったよ」
ベラが笑う。
「ならば、もう少し働けばよい」
「だね」
僕も笑った。
その夜。
宿に戻った僕は、一人で外へ出た。
夜空を見上げる。
星が見える。
僕は静かに息を吸った。
星の粒子を感じる。
そして。
「星装」
今度は、力を込める必要すらなかった。
星の粒子が自然に身体へ流れ込む。
右手へ。
腕へ。
身体全体へ。
僕は拳を握る。
「……」
アルデバラン。
あの塔で教えてもらったこと。
あの人から受け取ったもの。
少しずつ。
本当に少しずつだけど。
自分のものになっている気がした。
「まだまだだけど」
僕は空を見上げる。
海の向こうには、聖女ルナの塔がある。
そこに何が待っているのかは分からない。
けれど。
「……行こう」
そのために。
もう少しだけ、準備をしよう。
僕たちの旅は。
まだ、終わらない。




