白銀の国境
第34話 白銀の国境
翌朝。
目を覚ますと、昨日までとは違う冷たさを感じた。
「……寒い」
毛布から顔だけを出し、窓の外を見る。
昨日までは緑に囲まれていた。
けれど。
樹海の木々は少しずつ減り、遠くに見えていた白い山々が、今ははっきりと見える。
「起きたか」
ベラがすでに身支度を終えていた。
「うん……寒くない?」
「妾は平気じゃ」
「そういう問題じゃないんだけど」
ベラは窓を開ける。
冷たい風が部屋へ吹き込んできた。
「寒っ!」
僕は慌てて窓を閉める。
「何をしておる」
「寒さを確認しただけ」
「ならば十分じゃな」
「絶対楽しんでるでしょ」
「さてのう」
その隣でアンが防寒具を整えていた。
「今日中には樹海を抜けられると思います」
「本当に?」
「はい。昨日のうちにかなり進みましたから」
テーブルの上には、昨日ギルドでもらった地図が広げられている。
樹海を抜けた先。
そこから北へ進めば、要塞国家ヴァルガルド。
「ここから先は、かなり気温が下がるそうです」
アンが地図を指差す。
「特に山間部に入ると、雪が降ることも珍しくないとか」
「じゃあ、ちゃんと準備しないと」
僕たちは荷物を確認する。
防寒具。
食料。
水。
薬。
火を起こすための道具。
そして、冒険者証と通行証。
一つずつ確認していく。
「よし」
準備を終え、僕たちは宿を出た。
ローディアを離れて四日。
ヴァルガルドへの旅も、いよいよ後半に入っていた。
街道を進む。
樹海の木々は、昨日よりさらにまばらになっている。
足元にも変化があった。
土の感触が硬い。
朝露が凍りつき、小さな氷の粒になっている。
「本当に寒くなってきたな」
僕は腕を擦る。
「まだ序の口じゃ」
ベラが平然と言う。
「ヴァルガルドはもっと寒いらしいぞ」
「それ、今聞きたくなかった」
アンが小さく笑った。
「でも、ヴァルガルドへ行くなら慣れておいた方がいいですよ」
「そうだね」
僕は白い息を吐く。
吐息が空気の中で消えていく。
昨日までとは。
まるで別の場所だ。
しばらく歩いていると。
アンが突然足を止めた。
「……止まってください」
「どうした?」
「魔力反応があります」
僕も意識を集中させる。
確かに。
前方から何かが近づいてくる。
「一体……いや」
魔力が一つではない。
「複数いる」
ベラが杖を構える。
「何匹じゃ?」
「四……五」
その瞬間。
雪のように白い毛を持った魔物が木々の間から飛び出してきた。
「グルァァァッ!」
「白狼……!」
アンが叫ぶ。
五体の白狼が、僕たちを取り囲む。
樹海で戦った魔物とは違う。
身体が大きい。
そして。
何より速い。
「ヴァルガルドが近いからかな」
僕が剣を抜く。
「この辺りの魔物は寒さに適応しておるのじゃろう」
一匹が飛びかかってきた。
僕は身体を捻って避ける。
牙が肩を掠める。
「速い……!」
着地した白狼が振り返る。
その瞬間。
僕は星装を纏った。
「《星装・明星》」
身体を星の光が包む。
魔力が全身へ流れていく。
昨日までより。
さらに自然だ。
白狼が再び飛びかかる。
「《星装・流星》」
一瞬で距離を詰める。
僕の身体が白狼の横を通り抜けた。
「――はっ!」
斬撃。
白狼の毛皮を切り裂く。
だが。
「まだ動くのか……!」
白狼が振り返る。
傷を負っているのに、勢いが衰えていない。
「ソル、右!」
アンの声。
僕が振り返ると。
別の白狼が迫っていた。
「《星装・星穿》!」
剣へ星装を集中。
白狼の爪を受け止める。
ギィンッ!
衝撃で腕が痺れる。
「くっ……!」
押し込まれる。
「重い……!」
僕が踏ん張った瞬間。
黒い炎が横から走った。
「《黒炎》」
ベラの炎が白狼を吹き飛ばす。
「助かった!」
「礼は後じゃ!」
ベラが叫ぶ。
残り三体が同時に襲いかかってきた。
アンが前へ出る。
「させません!」
剣が閃く。
一体の攻撃を受け流し、そのまま斬り返す。
「ソル、残りを!」
「分かった!」
僕は地面を蹴った。
《明星》を維持したまま。
《流星》を使う。
一気に距離を詰める。
一体。
斬る。
二体目。
身体を回転させてかわす。
そのまま剣を返す。
三体目が背後から迫る。
「……見える」
以前なら。
気づけなかった。
けれど今は。
魔力の流れが分かる。
身体を反転させる。
「《星装・星穿》」
剣が白狼の防御を貫いた。
魔物が倒れる。
静かになった。
「……終わった」
僕は息を吐く。
「やはり、以前とは違うのう」
ベラが近づいてくる。
「かなり動けるようになった」
「うん」
僕は自分の手を見る。
星装はもう消えている。
でも。
以前ほど疲れていない。
「星装を使ったのに……」
「疲労が少ないですね」
アンが言う。
「うん」
「災厄との戦いを経験したことで、身体が星装に適応してきているのでしょう」
「適応……」
「以前は星装を使うたびに、身体が無理やり力を受け入れているような状態でした」
アンが続ける。
「ですが今は、星装を使うこと自体が自然になってきています」
僕は剣を見る。
星装の光は消えている。
それでも。
胸の奥には、まだ小さな星が残っているような感覚があった。
「もっと使えるようになりそう」
「そうじゃな」
ベラが笑う。
「ならば、どこまで使えるようになるか試してみるか?」
「ここで?」
「魔物はもうおらん」
「いや、そういう問題じゃ……」
「冗談じゃ」
ベラが笑った。
僕も少し笑う。
それから。
僕たちは再び歩き始めた。
樹海の出口が近づいてくる。
木々がさらに減っていく。
そして。
最後の木を抜けた瞬間。
「……」
言葉が出なかった。
目の前に。
一面の白銀が広がっていた。
雪。
雪。
どこまでも続く白い大地。
遠くには巨大な山々が連なっている。
山頂は雲に隠れ。
その斜面には、深い雪が積もっていた。
「これが……」
僕は息を呑む。
「ヴァルガルドへ続く大地じゃ」
ベラが呟く。
樹海と白銀の世界。
境界線がはっきりと分かれている。
「すごい……」
アンも静かに景色を見つめていた。
「ここから先は、もう完全にヴァルガルドの気候ですね」
冷たい風が吹く。
身体が一気に冷える。
僕たちは防寒具を着込んだ。
「これを毎日か……」
「そうじゃ」
「本当に住めるの?」
「住んでおるから国があるのじゃろう」
「それはそうだけど」
僕たちは街道を進んだ。
雪に覆われた道。
時折、地面から石が顔を出している。
遠くには人工物のようなものが見える。
「……あれ」
僕が指を差す。
山の麓。
巨大な石造りの建造物があった。
「砦です」
アンが答える。
「ヴァルガルドの国境砦でしょう」
「国境砦……」
近づくにつれて、その大きさが分かってきた。
高い壁。
巨大な門。
壁の上には兵士が立っている。
さらに。
その後ろには、もう一つ壁がある。
「すごいな」
僕は思わず呟いた。
「国境にこれだけの防衛施設があるのか」
「ヴァルガルドは要塞国家じゃからな」
ベラが言う。
「外敵を国へ入れぬために、幾重もの防壁を築いておるらしい」
僕たちは砦へ近づく。
門の前には数人の兵士が立っていた。
その一人がこちらへ歩いてくる。
「止まれ!」
低い声が響く。
僕たちは足を止めた。
「所属と目的を」
「ローディア所属の冒険者です」
僕が答える。
「ヴァルガルドへの入国を希望します」
「冒険者証を」
僕はC級冒険者証を取り出した。
兵士が確認する。
「C級……」
次に。
「通行証は?」
「こちらです」
ギルドから発行された通行証を渡す。
兵士は何度も確認した。
「……ローディアの冒険者ギルド発行か」
「はい」
「三名」
「はい」
兵士は僕たちを見る。
「ヴァルガルドで何をする?」
「冒険者として活動する予定です」
「目的地は?」
「ヴァルガルド国内の……」
一瞬。
言葉に迷う。
アルデバランの塔を探している。
五百年前の五英雄の一人。
守護騎士アルデバラン。
その名前を、まだ不用意に口にする必要はない。
「まずは王都へ向かう予定です」
「……そうか」
兵士は通行証を返してきた。
「入国を許可する」
「ありがとうございます」
巨大な門が。
ゆっくりと開いていく。
ゴゴゴゴゴ……。
その音が。
白銀の大地に響き渡る。
門の向こう。
さらに巨大な城壁が見えた。
その奥には。
雪に覆われた街並み。
そして。
その中心には。
山のように巨大な城塞がそびえている。
「……これが」
僕は息を呑んだ。
「ヴァルガルド」
ベラが目を細める。
「見事な国じゃ」
アンも静かに頷く。
「守るために造られた国……」
僕はその言葉を聞いて。
胸の奥に手を当てた。
守る力が欲しい。
そう願った自分が。
今。
守ることを何よりも重視する国の入口に立っている。
偶然なのか。
それとも。
何かに導かれているのか。
まだ分からない。
ただ。
一つだけ確かなことがある。
ここには。
五百年前の守護騎士。
アルデバランの痕跡がある。
そして。
僕たちは今。
その国へ足を踏み入れた。
「行こう」
僕が言う。
「うむ」
ベラが歩き出す。
「はい」
アンも続く。
三人の足跡が。
真っ白な雪の上へ刻まれていく。
こうして僕たちは。
要塞国家ヴァルガルドへ入った。




