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旅立ち

第32話 旅立ち

災厄の天使との戦いから、さらに数日が経った。

僕たちの傷は、ようやく目に見えて分かるほど癒え始めていた。

肩の傷も。

身体中に残っていた痛みも。

少しずつ、動けば痛む程度まで回復している。

ベラはというと。

「もう動けるぞ」

朝から宿の部屋を歩き回っていた。

「だから、まだ無理しちゃ駄目だって」

「何日同じことを言っておる」

「ベラが毎日同じことをするからでしょ」

「むぅ……」

アンは窓際に座りながら、そんな僕たちを眺めている。

「ソルの方も、もう大丈夫そうですね」

「うん。まだ少し痛いけど」

「なら、そろそろ動き始めてもよいでしょう」

「本当?」

「ただし、いきなり無茶をするのは駄目です」

「分かってる」

僕は窓の外を見る。

ローディアの街は、いつも通りだった。

冒険者たちがギルドへ向かい。

商人が荷物を運び。

通りには人の声が響いている。

災厄が現れたことなんて、遠い出来事のように感じる。

けれど。

僕たちにとっては、まだ数日前のことだ。

そして。

あの戦いの後から、僕たちには一つの目的ができていた。

「ヴァルガルド」

僕が呟く。

「うむ」

ベラが頷く。

「次の塔じゃ」

五百年前の五英雄。

その一人。

守護騎士アルデバラン。

僕たちは、彼が残した塔を探している。

そして次の目的地が、ヴァルガルドだった。

ヴァルガルド王国。

極寒の地に存在する、巨大な要塞国家。

厳しい環境と強固な城壁に守られた国。

カグラ皇国とヴァルガルドを結ぶ主要街道が崩落してから、移動はかなり難しくなっている。

それでも。

僕たちは向かわなければならない。

「まずは情報を集めよう」

僕が言う。

「いきなり行くのではないのか?」

「行くためにも、道を知らないと」

「なるほど」

アンが頷く。

「それに、ヴァルガルドは今までの国とは少し違います」

「どう違うの?」

「極寒の地にあります。気候も厳しいですし、国境の管理も厳しいと聞いています」

「じゃあ、簡単には入れない?」

「少なくとも、何も準備せずに向かうのはおすすめしません」

「ふむ」

ベラが腕を組む。

「ならばギルドへ行くか」

「うん」

僕たちは身支度を整え、冒険者ギルドへ向かった。

ローディアのギルドは、相変わらず人で溢れていた。

掲示板には大量の依頼書が貼られている。

深緑樹海の依頼も多い。

けれど。

以前とは違った。

《深緑樹海・浅層調査》

《樹海北部・魔物討伐》

《樹海周辺・薬草採取》

どれも以前より危険度が低くなっている。

災厄が消え。

樹海の魔力が正常に戻ったことで、魔物たちの動きも落ち着いてきているらしい。

「本当に戻ったんだな」

僕が呟く。

「何がじゃ?」

「樹海」

窓の向こうを見る。

あの場所で。

僕たちは一人の冒険者を救えなかった。

でも。

その犠牲が無駄だったとは思いたくない。

もう誰も。

同じような目に遭ってほしくない。

僕たちは受付へ向かった。

「お待ちしていました」

いつもの受付嬢が笑顔を向けてくれる。

「傷の具合はいかがですか?」

「もう大丈夫です」

「それはよかったです」

受付嬢が安心したように笑う。

「災厄の件については、ギルドでも正式に処理が進んでいます」

「そうなんですか?」

「はい。深緑樹海で確認された異常な魔力反応は、現在ほぼ消失しています。調査隊も確認しました」

「……よかった」

「ただ」

受付嬢の表情が少し変わる。

「今回の件で、樹海の奥へ入ることがどれだけ危険なのか、改めて分かりました」

僕は黙って頷いた。

「それで、本日はどのようなご用件でしょうか?」

「ヴァルガルドへ向かいたいんです」

その言葉に。

受付嬢が少しだけ目を見開いた。

「ヴァルガルドですか?」

「はい」

「樹海を横断する予定でしょうか?」

「そのつもりです」

受付嬢は僕たち三人を見る。

そして。

「……冒険者証を確認してもよろしいですか?」

「はい」

僕たちはそれぞれ冒険者証を取り出した。

受付嬢が一枚ずつ確認していく。

「ソルさん」

「はい」

「ベラトリクスさん」

「うむ」

「アンさん」

「はい」

三人分を確認したところで。

受付嬢が微笑んだ。

「では、正式にお渡しできます」

「……何を?」

「C級冒険者証です」

一瞬。

言葉の意味が頭に入ってこなかった。

「……え?」

僕が聞き返す。

受付嬢は机の上に三枚の冒険者証を並べた。

そこには。

以前まで刻まれていたD級の文字がない。

その代わり。

はっきりと。

**C級**

そう刻まれていた。

「これ……」

僕は自分の冒険者証を手に取る。

「僕たち、C級になったんですか?」

「はい」

「本当に?」

「はい」

隣で。

ベラが冒険者証を覗き込んでいる。

「ふむ」

「嬉しくないの?」

「嬉しいぞ」

「顔に出てないけど」

「妾は常にこの顔じゃ」

アンが冒険者証を確認する。

「正式にC級ですね」

「アンは冷静だね」

「当然です」

「でも、ちょっとくらい喜んでも……」

「喜んでいますよ」

そう言って。

アンはほんの少しだけ笑った。

僕も。

自然と笑ってしまう。

C級。

冒険者登録をした時は、F級だった。

それから。

依頼を受け。

実技査定を受け。

樹海へ入り。

たくさんのことを経験した。

そして。

いつの間にか。

ここまで来ていた。

「ただし」

受付嬢が言う。

「C級になったからといって、何をしてもいいというわけではありません」

「分かっています」

「C級からは護衛や救助、危険区域の調査など、他人の命に関わる依頼も増えます」

その言葉を聞いて。

僕は冒険者証を見つめた。

他人の命。

あの冒険者の顔が頭に浮かぶ。

「……はい」

今度は。

ちゃんと守りたい。

そう思った。

受付嬢が別の書類を取り出す。

「そして、こちらが樹海横断許可証です」

「これが……」

「ヴァルガルド方面へ向かうための正式な通行証になります」

紙にはギルドの印章が押されている。

「現在、カグラとヴァルガルドを結ぶ主要街道が崩落しています。そのため、樹海を通る冒険者も増えています」

「前に聞いた話と同じですね」

「はい。ですが、深緑樹海の異変が収束したことで、現在は横断許可の発行が再開されています」

「……僕たちは通れる?」

「C級冒険者であれば問題ありません」

僕は通行証を受け取った。

思ったより軽い。

でも。

この一枚が。

僕たちの次の旅を始めるために必要なものだった。

「ヴァルガルドについて、何か情報をもらえますか?」

僕が尋ねる。

「もちろんです」

受付嬢が地図を広げる。

「まず、ローディアから北東へ向かい、深緑樹海を抜けます」

指が地図の上を動く。

「樹海自体は、以前より安全になっています。ただ、完全に危険がなくなったわけではありません」

「どれくらいで抜けられる?」

「順調に進めば七日ほどです」

「七日……」

「ただし、道は複雑です。濃霧や沼地、魔力溜まりなどもありますので、時間に余裕を持った方がいいでしょう」

アンが地図を見る。

「樹海を抜けた後は?」

「北へ進めばヴァルガルドの国境です」

「国境を越えれば?」

「そこから先は、ヴァルガルド王国の領土になります」

受付嬢が少し間を置く。

「ヴァルガルドは、他国に比べて国境管理が厳しい国です」

「やっぱり?」

「極寒の地ですから、外から来る人間も多くありません。それに、国そのものが要塞のような造りになっています」

ベラが興味深そうに地図を見る。

「要塞国家か」

「はい」

「面白そうじゃ」

「遊びに行くわけじゃないよ」

「分かっておる」

受付嬢が続ける。

「ヴァルガルドでは、外敵への備えを非常に重視しています。巨大な城壁に囲まれた都市が多く、街道にもいくつもの砦があります」

「……守るための国」

僕が呟く。

「そうですね」

受付嬢が頷く。

その言葉を聞いた瞬間。

胸の奥に。

あの時の光景が蘇った。

倒れていた冒険者。

血に染まった身体。

伸ばされた手。

そして。

守れなかった自分。

「ソル?」

アンが僕を見る。

「……ううん」

僕は地図を見る。

ヴァルガルド。

守ることを重視する国。

そして。

五英雄の一人。

守護騎士アルデバランが残した塔がある場所。

「ここへ行こう」

僕は指を置いた。

ヴァルガルド。

そこに行けば。

何か分かるかもしれない。

アルデバランが何を守ったのか。

なぜ。

五百年前の彼が。

守護騎士と呼ばれたのか。

そして。

自分が求めている力についても。

「決まりじゃな」

ベラが笑う。

「うん」

アンも頷く。

「旅の準備をしましょう」

ギルドを出る。

外へ出ると。

冷たい風が頬を撫でた。

まだヴァルガルドの寒さには遠い。

けれど。

これから向かう先は。

ここよりずっと寒い場所だ。

僕は空を見上げた。

母さんへ送った手紙。

今頃は。

どこを旅しているだろう。

ちゃんと届くだろうか。

『心配しないでください。

僕は大丈夫です』

そう書いた。

嘘ではない。

僕は大丈夫だ。

一人じゃないから。

ベラがいる。

アンがいる。

そして。

僕にはこれから向かう場所がある。

宿へ戻り、旅の準備を始める。

食料。

防寒具。

地図。

薬。

そして。

新しく発行されたC級冒険者証と通行証。

必要なものを一つずつ確認する。

ベラは荷物をまとめながら。

「これだけでよいのか?」

と何度も聞いてくる。

アンはそのたびに確認する。

「十分です」

「本当か?」

「はい」

「寒さ対策は?」

「必要な分は入っています」

「食料は?」

「あります」

「武器は?」

「あります」

「ならよい」

「ベラは何もしてないよね?」

「指示を出しておる」

「それは準備じゃないよ」

「細かいことを気にするのう」

僕は笑った。

久しぶりだった。

こんなふうに。

何も考えず笑えたのは。

夜。

荷物をまとめ終えた。

明日の朝。

僕たちはローディアを出る。

そして。

深緑樹海を越え。

要塞国家ヴァルガルドへ向かう。

「いよいよじゃな」

ベラが窓の外を見る。

「うん」

アンも頷く。

「新しい旅ですね」

僕はC級冒険者証を手に取る。

F級から始まった。

たった一枚のカードだった。

でも。

今は違う。

この先に。

どんなものが待っているのか。

分からない。

危険な魔物がいるかもしれない。

新しい仲間と出会うかもしれない。

そして。

五百年前の英雄。

守護騎士アルデバランの残したものが。

僕たちを待っているかもしれない。

「行こう」

僕は言った。

「ヴァルガルドへ」

翌朝。

僕たちはローディアの門を出た。

背後には。

今まで過ごしてきた街。

前には。

まだ見たことのない道。

僕は一度だけ振り返る。

そして。

前を向いた。

「行こう」

ベラが歩き出す。

「うむ」

アンも続く。

「はい」

三人の足音が。

街道へ響いていく。

こうして。

僕たちの新しい旅が始まった。

次に向かうのは。

極寒の地。

堅牢な城壁に囲まれた要塞国家。

ヴァルガルド。

そこには。

五百年前の英雄。

守護騎士アルデバランの残したものが。

待っている。


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