母への手紙
第31話 母への手紙
災厄の天使との戦いから、数日が経った。
僕たちは今、ローディアの宿で療養している。
あれだけの戦いだった。
ベラは肩に大きな傷を負い、アンも身体中に打撲と裂傷を負っていた。
僕自身も無傷ではない。
身体を動かすたびに、あちこちが痛む。
「暇じゃのう」
ベッドに横になったベラが呟く。
「療養中なんだから仕方ないでしょ」
「妾はもう動ける」
「動けるのと、動いていいのは違うよ」
「むぅ……」
ベラが不満そうに頬を膨らませる。
向かいのベッドでは、アンが本を読んでいた。
「アンは大人しいね」
「私は、こういう時くらい休んだ方がいいと理解していますので」
「ベラにも言ってあげて」
「聞こえておるぞ」
「聞かせてるんだよ」
少しだけ笑う。
あの日から。
ずっと重かった胸が、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
災厄の天使は倒した。
そして、あれほど荒れていた深緑樹海も、少しずつ元の姿を取り戻しているらしい。
魔物が村の近くまで現れることもなくなった。
ギルドからも、樹海の異変は収束したと聞いている。
けれど。
僕の中では、まだ終わっていなかった。
あの冒険者のことを思い出す。
助けを求めていた。
僕たちは助けようとした。
それでも。
間に合わなかった。
「……ソル?」
アンの声で我に返る。
「どうしたんですか?」
「いや……何でもない」
僕は窓の外を見る。
今日は天気がいい。
青い空が広がっている。
こんなに穏やかな日なのに。
あの日のことを思い出すと、胸の奥が苦しくなる。
僕はベッドから立ち上がった。
「ちょっと外に出てくる」
「まだ無理はするでないぞ」
「分かってる」
宿の一階へ降りる。
受付の横には、小さな机が置かれていた。
その上に、便箋とペンがある。
僕はしばらくそれを眺めていた。
そして。
一枚の便箋を手に取った。
母さんに。
手紙を書こうと思った。
冒険者になったこと。
仲間ができたこと。
今、自分がどこにいるのか。
そして。
心配しないでほしいこと。
椅子に座り、ペンを握る。
でも。
最初の一文字が出てこない。
「……何を書けばいいんだ」
母さんに手紙を書くのは久しぶりだった。
旅に出てから。
何度か書こうとは思っていた。
でも。
書くことができなかった。
冒険者になった。
危険な場所へ行った。
魔物とも戦った。
そして。
人を救えなかった。
そんなことを書いたら、きっと心配する。
だから。
できるだけ明るいことを書こう。
僕はペンを走らせた。
『母さんへ。
久しぶり。
僕は元気にしています。』
一度書いて。
少しだけ考える。
『この前、冒険者になりました。』
書いた文字を見て、自分でも少し笑う。
本当に冒険者になったんだ。
最初は、ただ旅をするためだった。
でも今は。
依頼を受けて。
魔物と戦って。
誰かを助けるために動いている。
『僕は今、ローディアという街にいます。
ここで冒険者として活動しています。』
そこまで書いて。
少し迷う。
仲間のことも書こう。
『それから、仲間もできました。』
ペンが止まる。
僕は少し考えてから、その続きを書いた。
『ベラとアンという仲間です。
二人とも強くて、頼りになる人たちです。』
少し違う。
ベラは頼りになるけど、すぐ無茶をする。
アンは真面目で、いつも僕たちを気にかけてくれる。
それを思い出すと、自然と口元が緩んだ。
『三人で旅をしています。
毎日いろんなことがありますが、楽しく過ごしています。』
本当は。
怖いこともあった。
死にそうになったこともある。
仲間が傷ついたこともある。
それでも。
一人ではなかった。
僕には今、隣にいてくれる仲間がいる。
だから。
母さんには、安心してほしい。
『心配しないでください。
僕は大丈夫です。』
ペンを置きかける。
けれど。
最後に、もう一つだけ書きたいことがあった。
僕は再びペンを握った。
『それと。
今度、会いに行きます。』
書いた瞬間。
胸の奥が少しだけ温かくなった。
いつになるかは分からない。
旅がどこまで続くのかも分からない。
それでも。
いつか会いたい。
顔を見て話したい。
冒険者になったことも。
仲間ができたことも。
これから見つけるものも。
全部。
直接伝えたい。
僕は最後に名前を書いた。
『ソル』
そして。
手紙を折る。
「……これでいいかな」
後ろから声がした。
「誰への手紙じゃ?」
「うわっ!」
振り返ると、ベラが立っていた。
「いつの間に……」
「妾が来てはいかんのか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
ベラが手紙を見る。
「母親か?」
「うん」
「そうか」
ベラはそれ以上何も聞かなかった。
ただ。
少しだけ笑った。
「心配しておるじゃろうな」
「……うん」
「ならば、元気な姿を見せてやるとよい」
「そうだね」
アンも後ろからやってくる。
「手紙は出すのですか?」
「うん。今日出してくる」
僕は立ち上がった。
手紙を大切に胸元へしまう。
宿の外へ出る。
街はいつも通りだった。
人が行き交い。
冒険者たちがギルドへ向かっている。
数日前の騒ぎが嘘みたいだ。
僕たちの身体が治るのと同じように。
街も。
樹海も。
少しずつ日常へ戻っている。
僕は郵便を扱っている店へ向かい、母さんへの手紙を預けた。
「お願いします」
「はい。確かにお預かりします」
手紙を渡す。
これで。
もうすぐ母さんのところへ届く。
店を出る。
空を見上げる。
「……今度、会いに行くから」
小さく呟いた。
その言葉は。
誰に聞かせるでもなく。
青い空へ消えていった。
そして。
僕たちはまた旅の準備を始めることになる。
次に向かう場所は。
まだ決まっていない。
けれど。
僕の中には。
一つだけ、はっきりとしたものがあった。
もっと強くなりたい。
……いや。
強くなるだけじゃない。
誰かを倒すためでも。
自分が勝つためでもない。
大切な人を。
目の前にいる誰かを。
最後まで守れる力が欲しい。
その答えを求めるように。
僕たちは次の国へ向かうことになる。




