災厄
第30話 災厄
翌朝。
僕たちは昨日言われた通り、朝一番に冒険者ギルドへ向かった。
扉を開けた瞬間、昨日までとは違う空気を感じた。
人が多い。
それだけじゃない。
ギルドの中を行き交う冒険者たちの表情が、いつもより硬かった。
掲示板の前には人だかりができている。
受付では地図を広げ、何かを確認している冒険者もいた。
「……昨日より騒がしいですね」
アンが周囲を見回す。
「当然じゃろ」
ベラが答える。
「昨日の報告を受けて、ギルドが本格的に動き始めたのじゃ」
「そういうことだね」
昨日、ガルムから聞いた話を思い出す。
深緑樹海で起きている異変。
魔物が普段より森の外へ出ていること。
狩人が戻ってこないこと。
そして、それらがすべて樹海の奥へ向かっていること。
昨日の夜。
ガルムは僕たちに村の周辺を守るよう言った。
調査隊が樹海へ入る間、何かあった時にすぐ対応できるようにするためだ。
「C級の調査隊は、もう出るみたいですね」
アンが窓の外を見る。
何人もの冒険者が武器を手に、街の外へ向かっている。
その中には昨日まで見なかった顔もある。
「B級もいるのう」
ベラが呟いた。
「そこまで警戒する必要があるってことかな」
「分からぬ」
ベラは少しだけ目を細めた。
「じゃが、ギルドが動くということは、それだけ異変が大きいということじゃ」
僕たちも依頼を受け取る。
内容は昨日と同じ。
ルクス村周辺の巡回。
魔物が村へ近づいた場合の討伐。
そして、樹海の異常を発見した場合は無理に深入りせず、ギルドへ報告すること。
「それじゃあ、行こう」
僕たちはギルドを出た。
ルクス村へ向かう道は、昨日と変わらない。
青々とした草原。
遠くに見える深緑樹海。
穏やかな風。
それなのに。
なぜか昨日より、森が近く感じた。
村へ到着すると、何人かの村人が僕たちに気づいた。
「昨日の冒険者さんたちだ」
「樹海の調査に来たのか?」
「ギルドから人が増えてるって話だぞ」
村人たちの声が聞こえる。
僕たちは軽く挨拶を交わしながら、村の外へ出た。
樹海の入り口付近。
昨日までと同じように魔物の痕跡を確認していく。
だが。
「……少ない」
僕が呟く。
「何がです?」
「魔物の気配」
アンも周囲を見渡す。
「確かに……」
昨日までは、遠くから魔物の鳴き声が聞こえていた。
足跡もいくつか見つかった。
なのに今日は。
静かすぎる。
「森の中に戻ったのかもしれぬな」
ベラが言う。
「昨日まで外へ出ていた魔物が、逆に森の奥へ戻っておる」
「それなら良いことじゃない?」
「そう簡単には言えぬ」
ベラは森の奥を見つめた。
「静かすぎる」
その言葉を聞いた直後だった。
「――誰かいる!」
アンが叫んだ。
僕たちは一斉に振り向いた。
樹海の中。
木々の間から、人影が見えた。
ふらふらとこちらへ歩いてくる。
「冒険者……?」
僕が駆け出す。
近づいてみて、息を呑んだ。
身体中が傷だらけだった。
防具は破れ、肩から血が流れている。
片足もまともに動かせていない。
「大丈夫ですか!」
僕が身体を支える。
「……に、逃げ……」
「え?」
「逃げろ……」
冒険者は震える手で僕の服を掴んだ。
「森の……奥に……いる……」
「何がいるんですか?」
「……天使」
その言葉を最後に、冒険者の身体から力が抜けた。
「アン!」
「はい!」
アンがすぐに治癒魔法を使う。
傷口から流れていた血が少しずつ止まっていく。
「命は……まだあります」
「よかった」
僕が息を吐いた。
その瞬間。
森の奥から。
――音がした。
ズン。
地面が揺れた。
「……何じゃ?」
ベラが顔を上げる。
ズン。
もう一度。
今度ははっきりと地面が揺れた。
鳥たちが一斉に飛び立つ。
森の奥から魔力が膨れ上がっていく。
「……ソル」
アンが立ち上がる。
「はい」
僕も剣を抜いた。
ベラが前へ出る。
「来るぞ」
木々の隙間から。
白い光が漏れた。
それは徐々に大きくなり。
やがて。
森の奥から一体の存在が姿を現した。
人の形をしている。
背中には巨大な翼。
純白の羽。
全身から溢れ出す魔力。
その姿だけを見れば、美しいと思うかもしれない。
けれど。
僕の身体は、本能的に警告を鳴らしていた。
近づいてはいけない。
あれは。
人が触れていいものじゃない。
「……天使」
僕が呟く。
天使は僕たちを見つめる。
そして。
僕の胸へ視線を向けた。
「……星」
その瞬間。
胸の奥が熱くなった。
レグルスから受け取った力が、強く脈打つ。
天使の表情が僅かに変わった。
「まだ……残っているのか」
「……何を言ってる?」
僕が問いかける。
天使は答えない。
代わりに。
ベラへ視線を向けた。
「魔王」
空気が凍った。
ベラの目から、いつもの軽さが消える。
「……」
「五百年経とうとも」
天使が続ける。
「その残滓は消えぬか」
「貴様……」
ベラの手に黒い炎が集まる。
「ソル」
「うん」
「その者から離れるな」
「分かった」
僕は倒れている冒険者の前へ立つ。
天使が翼を広げる。
「ならば」
次の瞬間。
光が爆発した。
「――っ!」
身体が吹き飛ばされる。
地面を何度も転がり、木の幹へ叩きつけられた。
「ソル!」
アンタレスの声。
「大丈夫……!」
立ち上がる。
けれど。
目の前にベラがいない。
「ベラ!」
遠くの木が何本もなぎ倒されている。
その中心にベラが倒れていた。
「……ふざけた力じゃのう」
ゆっくり立ち上がる。
口元から血が流れている。
「ベラ!」
「来るな!」
天使が目の前に現れる。
速い。
目で追えない。
「――ッ!」
ベラが黒炎を放つ。
天使は片手で受け止めた。
「な……」
そのまま炎を握り潰す。
「ベラ!」
アンタレスが魔法を放つ。
紅い炎が一直線に天使へ向かう。
天使が翼を振る。
それだけで炎が消し飛んだ。
「……嘘」
アンタレスが呟く。
次の瞬間。
天使の姿が消えた。
「アンタレス!」
僕が叫ぶ。
遅かった。
アンタレスの身体が宙へ舞う。
地面へ叩き落とされ、そのまま何度も転がった。
「アンタレス!」
僕は走る。
だが。
目の前に天使が現れた。
剣を振る。
受け止める。
――重い。
腕が痺れる。
一撃。
二撃。
三撃。
防ぐたびに身体が後ろへ押される。
「ぐっ……!」
剣が弾かれる。
腹へ衝撃が入った。
「――がっ!」
身体が宙へ浮く。
そのまま地面へ落ちた。
肺から空気が抜ける。
息ができない。
「ソル!」
アンが叫ぶ。
天使がこちらへ歩いてくる。
「来るな……」
立ち上がろうとする。
足に力が入らない。
その時。
黒炎が天使へ飛んだ。
「《黒焔葬界》」
ベラの声。
黒い炎が一気に広がる。
森全体を覆うほどの巨大な炎。
天使の周囲を完全に包み込む。
「今じゃ!」
アンタレスが立ち上がる。
身体中傷だらけなのに。
拳を握る。
「《紅蓮竜牙》!」
巨大な紅蓮の炎が竜の牙のような形となり、黒炎の中へ突き込まれる。
爆発。
大地が揺れる。
木々が吹き飛ぶ。
炎が空まで届く。
「やった……?」
アンタレスが息を切らす。
だが。
炎の向こうから。
白い翼が現れた。
「……まだ」
ベラが呟く。
天使が歩いてくる。
翼は僅かに焦げている。
それだけだった。
「そんな……」
アンタレスが膝をつく。
天使が手を向ける。
膨大な光が集まっていく。
「――死ね」
光が放たれる。
「っ!」
ベラがアンタレスを突き飛ばす。
直後。
光がベラを飲み込んだ。
「ベラ!」
光が消える。
ベラは地面に膝をついていた。
肩から血が流れている。
「……まだ、動ける」
「無理するな!」
「ならぬ」
ベラが僕を見る。
「ソル」
「……」
「お主が決めろ」
「え?」
「守るのであろう?」
胸が熱くなる。
倒れている冒険者。
傷だらけのベラ。
立ち上がることすら辛そうなアンタレス。
僕は剣を握った。
強くなりたい。
そう思ったことはある。
でも。
今は違う。
ただ。
守りたい。
「……うん」
僕は立ち上がる。
「僕が守る」
胸の奥で。
レグルスから受け取った星の力が燃え上がる。
光が身体を包む。
剣へ集まる。
「ソル……」
アンが呟く。
僕は天使を見る。
「行くよ」
一歩。
地面を蹴る。
天使が光を放つ。
僕はそれを剣で弾く。
二撃目。
三撃目。
それでも身体は吹き飛ばされる。
それでも。
立つ。
もう一度。
立ち上がる。
「守る……」
身体中が痛い。
腕も。
脚も。
胸も。
全部痛い。
それでも。
退かない。
「守るんだ……!」
僕は剣を構え直す。
その瞬間。
ベラが笑った。
「……ならば、道を作ってやろう」
黒炎が再び集まる。
アンタレスも拳を握る。
「だったら、私もやります」
「二人とも……」
「妾たちは、まだ終わっておらぬ」
「はい」
黒炎が渦を巻く。
紅蓮の炎がその周囲を走る。
僕の星装が光を増していく。
三つの力が。
一つの場所へ集まっていく。
天使が翼を広げた。
「無意味だ」
「やってみなければ分からぬ」
ベラが笑う。
「アンタレス」
「はい!」
「ソルへ繋げるぞ」
「分かりました!」
ベラの黒炎が天使の周囲を包み込む。
逃げ道を塞ぐ。
アンタレスの紅蓮がその中心へ突き刺さる。
「《紅蓮竜牙》!」
爆炎。
天使の翼が大きく開く。
その瞬間。
僕は走った。
足元の地面が砕ける。
身体が一気に加速する。
星装が剣へ集まる。
流星のような光が僕の身体を包んだ。
「これで……!」
剣を構える。
「終わらせる!」
ベラの黒炎。
アンタレスの紅蓮。
そして。
僕の星装。
全てが一つになる。
「――《星装・彗星》!!」
僕は天使へ突っ込んだ。
一瞬だった。
白い光と。
黒い炎と。
紅い炎と。
星の輝きが。
森の中で弾けた。
轟音。
大地が揺れる。
木々がなぎ倒される。
空へ向かって光が伸びていく。
そして。
静寂。
僕は地面へ膝をついた。
「……終わった?」
アンタレスが息を切らす。
ベラも肩で息をしている。
「……魔力の気配が消えた」
ベラが答える。
僕はゆっくり顔を上げた。
そこに。
天使の姿はなかった。
「……倒した」
僕は呟いた。
でも。
すぐに思い出した。
「……あの人」
僕は倒れていた冒険者へ駆け寄る。
「大丈夫ですか!」
アンも走ってくる。
膝をつき、傷を確認する。
「……」
「アン?」
アンは何も言わない。
「治せるよね?」
「……ソル」
「お願い」
「……もう」
アンが静かに首を横に振る。
「間に合いません」
「……え?」
僕は冒険者を見る。
動かない。
呼吸もない。
「嘘だろ……」
手を伸ばす。
「さっきまで……」
「ソル」
「まだ……治せるかもしれない」
「もう、無理です」
アンの声が震えている。
僕は何も言えなかった。
僕たちは。
災厄を倒した。
樹海を救った。
でも。
目の前にいた一人を。
救えなかった。
僕はその人を抱き上げる。
「……帰ろう」
声が震えた。
「ギルドへ帰ろう」
ベラも。
アンタレスも。
何も言わなかった。
僕たちは森を歩いた。
帰り道。
気づいたことがある。
魔物の気配が。
ほとんどない。
さっきまで異様なほど乱れていた魔力も。
消えている。
鳥の声が聞こえる。
風が木々を揺らす。
深緑樹海が。
元の姿へ戻り始めていた。
災厄が消えたことで。
樹海もまた。
本来の姿を取り戻したのだ。
それでも。
僕の胸に残ったものは。
達成感なんかじゃなかった。
悔しさだった。
ギルドへ戻る。
扉を開けた瞬間。
受付嬢がこちらを見る。
そして。
僕たちの傷。
そして抱えている冒険者を見る。
「……何があったんですか」
僕は答えた。
「樹海の奥で……天使に遭遇しました」
ギルド内が静まり返る。
「天使……?」
「はい」
僕は続ける。
「僕たちは……倒しました」
でも。
その言葉を口にしても。
嬉しくなかった。
「ただ……」
腕の中の冒険者を見る。
「この人は……助けられませんでした」
誰も何も言わなかった。
僕は拳を握る。
強くなりたいんじゃない。
もっと力が欲しい。
誰かを倒すためじゃない。
誰かに勝つためでもない。
「……守る力が欲しい」
小さく呟く。
その言葉が。
自分の中に残った。
そして。
この出来事が。
僕たちの次の旅へ繋がっていくことになる。
極寒の地。
巨大な城壁に囲まれた要塞国家。
守ることを何よりも重んじる国。
アルデバラン。
僕たちの次の目的地は。
まだ決まっていなかった。




