五百年遅れの伝言
第24話 五百年遅れの伝言
カグラ皇国を出て、二日。
僕たちは山間の細い道を歩いていた。
皇都の周辺にあった木造の町並みはもう見えない。左右には深い森が広がり、その向こうには岩肌の露出した山々が連なっている。道と呼べるものも途中から細くなり、今では人が二人並んで歩くのがやっとだった。
「本当にこっちで合ってる?」
「合っておる」
前を歩くベラトリクスが振り返りもせず答える。
「さっきも聞いたよ」
「なら何度も聞くな」
「だって二時間くらい人に会ってないし」
アンタレスが周囲へ目を向ける。
「この辺りに集落はほとんどありません。シリウス殿の話が正しければ、工房はさらに山の中でしょう」
「刀匠って、みんなこんなところに住むの?」
「知らぬ」
「ベラトリクス会ったことあるんでしょ?」
「あやつ以外の刀匠など覚えておらぬ」
「ひど」
「妾に刀は必要ないからのう」
その言葉には妙な説得力がある。
ベラトリクスは武器を持たない。それどころか、まともに魔力が戻れば武器なんて必要ないんだと思う。
腰へ目を落とす。
右側にはリュネで買った剣。
反対側には《明星》。
皇都を出てから二日間、明星はほとんど抜いていない。アンタレスから、刀匠に状態を見てもらうまでは余計なことをするなと言われているからだ。
「早く使ってみたい」
「二日間で何度目でしょう」
「だって」
「我慢してください」
「はい」
即答。
アンタレスに言われると逆らいにくい。
ベラトリクスが鼻で笑った。
「扱いやすくなったのう」
「誰のこと?」
「お主じゃ」
「ベラトリクスよりは扱いやすいと思う」
「何じゃと?」
その時。
カン。
遠くから音がした。
僕たち三人が同時に止まる。
カン。
少し間を空けて。
カン。
金属を叩く音。
「……これ」
アンタレスが山の奥を見る。
「金槌でしょうか」
ベラトリクスが笑った。
「着いたようじゃな」
道をさらに十分ほど進むと、木々の隙間から煙が見えた。
小さな谷。
そこに一軒の石造りの家が建っている。その横には大きな煙突のついた工房。積み上げられた薪。軒下には鉄の棒や道具が無造作に置かれていた。
カン。
カン。
近づくほど音が大きくなる。
「いる」
「生きておったか」
「ベラトリクス、その言い方やめよう」
「事実じゃ」
工房の前まで来る。
中は熱い。
炉。
赤く燃える鉄。
その前に。
小柄な男がいた。
いや。
小柄と言っても、僕より頭二つくらい低いだけで、身体はとんでもなく太い。腕なんて僕の太腿くらいありそうだ。
白髪。
白い髭。
腰まで伸びた髭を革紐でまとめている。
老人。
間違いない。
でも。
金槌を振り下ろす腕には、老人とは思えない力があった。
カァンッ!
火花。
飛ぶ。
僕たちが入口に立っていても、男は振り返らない。
「……あの」
カン。
「すみません」
カン。
「聞こえてます?」
カン。
無視。
ベラトリクスが前へ出る。
「おい、ドヴァン」
カン。
金槌。
止まった。
老人がゆっくり顔を上げる。
鋭い目。
僕。
見る。
アンタレス。
見る。
最後。
ベラトリクス。
「……」
長い。
沈黙。
「何じゃ」
ベラトリクスが言う。
老人の眉が震えた。
「……お前」
「久しいのう」
「……」
「五百年ぶりか?」
「……」
老人。
金槌。
置く。
そして。
「何でお前が生きとるんじゃああああああ!!」
「お主に言われとうないわ!!」
工房。
響く。
僕。
耳。
塞ぐ。
「声でかっ!」
アンタレスは平然としている。
「お久しぶりです、ドヴァン殿」
老人――ドヴァンがアンタレスを見る。
「……アンタレス?」
「はい」
「お前まで!?」
「はい」
「どうなっとるんじゃ!」
「説明すると長いぞ」
ベラトリクスが言う。
「なら今するな!」
「妾もしたくない」
「帰れ!」
「何故じゃ!」
開始一分。
帰れって言われた。
シリウス。
言ってた通りかもしれない。
ドヴァンの視線が僕へ向く。
「で。その小僧は何じゃ」
「僕はソルです」
「聞いとらん。何でお前らと一緒におる」
「それは」
説明。
どうしよう。
ベラトリクス。
魔王。
アンタレス。
次代の魔王。
僕。
普通。
余計意味分からない。
「話せば長い」
「なら話すな」
「それ好きだなあ」
ドヴァンが眉を寄せた。
その時。
視線。
僕の腰。
止まる。
正確には。
明星。
「……」
顔。
変わった。
「小僧」
「はい」
「そっちの刀」
「これ?」
「寄越せ」
「え」
「早くせい」
アンタレスを見る。
頷く。
僕は明星を腰から外し、両手で差し出した。
ドヴァン。
受け取る。
その瞬間。
老人の指が止まった。
鞘。
撫でる。
鍔。
見る。
柄。
触る。
それから。
ゆっくり。
抜いた。
スッ。
銀色。
刀身。
炉。
赤い光。
映す。
「……明星」
小さな声。
さっきまでの怒鳴り声とは全然違う。
「五百年ぶりじゃ」
ベラトリクスが言う。
「お前が持ってきたんか」
「違う」
「ではアンタレスか」
「違います」
二人。
僕。
見る。
「……小僧?」
「はい」
「何でお前が持っとる」
「シリウスに」
ドヴァンの目が上がった。
「……何?」
僕は一瞬迷う。
残響。
説明。
必要。
でも。
まず。
「シリウスに、持っていっていいって言われました」
「……」
「正確には、シリウス本人じゃなくて、塔に残ってた魔力と記憶みたいなものなんですけど」
ドヴァン。
黙る。
「剣聖の塔で会ったんです」
「……そうか」
意外。
それだけ。
「信じるんですか?」
「その二人がおる時点で、今更何が起きても驚かん」
「さっきめちゃくちゃ驚いてたけど」
「黙れ」
「はい」
明星。
持ったまま。
工房。
奥。
歩く。
「入れ」
「帰れって言ってなかった?」
「気が変わった」
「早いなあ」
「小僧」
「はい」
「余計なことを言うと明星を返さんぞ」
「すみません」
怖い。
工房の奥。
大きな作業台。
ドヴァンは明星を置き、明るい魔法灯の下で刀身を確認し始めた。
刃。
棟。
鍔。
柄。
鞘。
一つ一つ。
時間。
かける。
僕たちは何も言わず待った。
十分。
二十分。
やがて。
ドヴァンが鼻から息を吐く。
「……悪くない」
「大丈夫?」
「誰に聞いとる」
「作った人」
「なら黙って聞け」
「はい」
「刀身に致命的な傷はない。錆もない。保存術もまだ残っとる」
「五百年前なのに?」
「こいつを何だと思っとる」
明星。
見る。
「普通の刀?」
ドヴァン。
顔。
上げる。
「……」
「ごめんなさい」
「普通の刀じゃ」
「え?」
「ただし、最高の材料と最高の技術で打った普通の刀じゃ」
「……」
ドヴァン。
少しだけ。
口元。
上がる。
「刀が勝手に強くすることもない。持ち主を選びもせん。喋りもせん」
「やっぱり」
「何を期待しとった」
「ちょっとだけ」
「馬鹿者」
ベラトリクスと同じ。
「じゃが」
ドヴァンの指。
刀身。
滑らせる。
「魔力を扱う刀としては、今でもこれ以上のものを打てと言われたら面倒じゃ」
「面倒なんだ」
「できんとは言っとらん」
職人。
意地。
すごい。
「小僧」
「はい」
「構えろ」
明星。
渡される。
「ここで?」
「早くせい」
僕は鞘を腰へ差し、明星を抜く。
構える。
シリウスに教わった形。
足。
肩。
握り。
力。
抜く。
ドヴァン。
僕。
周り。
歩く。
右。
左。
後ろ。
「腕上げろ」
「はい」
「握りすぎじゃ」
「はい」
「右手が強い」
「はい」
「足」
「はい」
「返事ばかりするな!」
「どうしたらいいの!?」
ベラトリクス。
笑う。
アンタレス。
口元。
少し。
緩む。
ドヴァンが僕の手を掴んだ。
「手ぇ開けろ」
手。
大きさ。
指。
確認。
次。
腕。
肩。
身長。
姿勢。
「誰に剣を習った」
「最近だと、ガイルさんって冒険者と」
「知らん」
「あとシリウス」
手。
止まる。
「……」
「塔で」
「分かっとる」
また。
僕の構え。
見る。
「なるほど」
「何が?」
「ところどころ、あの馬鹿の癖が混ざっとる」
「馬鹿」
「シリウスじゃ」
「そんな呼び方してたんだ」
「刀を何本折られたと思っとる」
「ベラトリクスは何十本って」
「三十七本じゃ」
「数えてる!」
「全部儂が打ったわけではない。じゃが最後の方は、あいつが持ってくる刀を見るだけで頭が痛くなった」
ベラトリクスが笑う。
「また折った、と申しておったのう」
「毎回来るんじゃぞ。笑顔で」
ドヴァン。
シリウス。
真似。
「『ドヴァン、また折れた』」
似てる。
「想像できる」
「一度埋めようかと思ったわ」
「よく天狼作ってくれたね」
「儂も意地になっとった」
ドヴァンが明星を指す。
「天狼を打った時、同じ材料で二振り作った」
「天狼と明星」
「そうじゃ」
ドヴァンが奥から木箱を持ってくる。
中。
細かな道具。
「天狼は、あの馬鹿に合わせた」
「シリウスに?」
「あいつは魔力を刀身へ流し、そのまま外へ叩き出す。斬撃に乗せて飛ばす。だから天狼は魔力を吐くように作った」
天断。
思い出す。
一線。
空。
走った。
「明星は逆じゃ」
「魔力を纏わせる」
ドヴァン。
僕。
見る。
「もう聞いたか」
「ベラトリクスから」
「なら話が早い」
明星。
柄。
外し始める。
「こいつは魔力を逃がさん。刃へ纏わせ、巡らせる。それも一重だけではない」
「一重?」
「魔力の層を重ねられる」
「……」
アンタレスが少し前へ出た。
「やはり、そこまで想定されていたのですね」
「当然じゃ」
僕。
分からない。
「どういうこと?」
ドヴァンが面倒そうに僕を見る。
「薄い布を一枚巻くのと、三枚巻くのでは違うじゃろ」
「うん」
「魔力も同じじゃ。ただ大量に纏わせるんではない。薄く、均等に、一層。その上へ二層、三層と重ねる」
「強くなる?」
「上手くできればな」
「上手くできなかったら?」
「崩れる。魔力が暴れる。最悪、刀を傷める」
「やりません」
「賢明じゃ」
「今のソルには早いでしょうね」
アンタレスが言う。
「分かってるよ」
ドヴァンが明星を見る。
「じゃが、お前の魔力の使い方とは妙に合いそうじゃな」
「星装?」
「見せろ」
「ここで?」
「少しだけじゃ」
僕は呼吸を整える。
胸。
魔力。
巡る。
金色。
身体。
薄く。
覆う。
細かな粒子。
周囲。
漂う。
ドヴァン。
目。
細める。
「……ほう」
「これが星装」
「名前はどうでもいい」
「結構大事なんだけど」
「魔力を流せ」
右腕。
手。
柄。
明星。
流す。
金色。
刃。
沿う。
薄く。
覆う。
逃げない。
刀身。
先端。
そこから。
戻す。
「……」
ドヴァン。
何も言わない。
さらに。
見てる。
「もうよい」
止める。
金色。
消える。
「どう?」
「面白い」
「それだけ?」
「十分じゃ」
ドヴァン。
明星。
取る。
「身体と刀を一つの魔力路として使う気か」
「まだそこまで考えてない」
「なら考えろ」
「え?」
「お前の星装とやらは身体で魔力を巡らせる。明星は刀まで巡らせられる」
シリウス。
言っていた。
レグルスは身体の中で星を巡らせた。
僕。
刀まで。
「身体から刀。刀から身体」
「そうじゃ」
「一つの星装」
ドヴァン。
眉。
上げる。
「誰かに言われたか」
「シリウスに近いことを」
「……あいつ」
小さく。
笑った気がした。
「五百年経っても刀のことしか考えとらんのか」
「多分」
「馬鹿は死んでも治らんらしい」
明星。
作業台。
置く。
「今日一日預かる」
「何するの?」
「お前に合わせる」
「打ち直す?」
「するか馬鹿者!」
「声でかっ」
「刀身は完成しとる。弄る必要はない」
ドヴァンが柄を指す。
「柄巻きを変える。お前の手には少し太い。鍔と柄側の重さも調整する。今のままでは重心が前すぎる」
「そんなことできるんだ」
「誰にものを言っとる」
「すみません」
「鞘も少し見る。抜く時に引っかかっとる」
「分かる?」
「分からんと思ったか?」
怖い。
でも。
すごい。
「明日の朝まで触るな」
「はい」
「今日は泊まっていけ。外で寝られて魔物を連れてこられても迷惑じゃ」
「泊めてくれるの?」
「嫌なら外で寝ろ」
「泊まります」
「飯は自分で作れ」
ベラトリクスが手を上げた。
「妾は食べる側じゃ」
「帰れ」
「何故じゃ!」
結局。
アンタレスと僕で夕食を作った。
といっても、旅用の干し肉と野菜を煮ただけの簡単なスープ。ドヴァンは工房からほとんど出てこなかった。
日。
沈む。
カン。
カン。
時々。
音。
続く。
「調整だけでも叩くんだ」
「別の部品を作っておるのかもしれぬな」
ベラトリクスがスープを飲みながら言う。
「昔から仕事を始めると止まらぬ男じゃ」
「何歳なんだろ」
「知らぬ」
「ベラトリクスより上?」
「それはない」
「即答」
「妾より年上がそう簡単におるものか」
「二千年以上生きてる人の台詞だ」
夜。
僕は工房から漏れる赤い光を見ながら眠った。
翌朝。
「小僧!」
声。
飛ぶ。
「はい!」
起きた。
走る。
工房。
入る。
ドヴァン。
作業台。
立つ。
その前。
明星。
置かれていた。
「……」
見た目。
大きくは変わってない。
鞘。
同じ。
刀身。
同じ。
でも。
柄巻き。
新しい。
黒に近い濃紺。
鍔。
僅かに小さくなっている。
「持て」
両手。
受け取る。
「……軽くなった?」
「重量自体はほとんど変えとらん」
「でも違う」
「重心じゃ」
腰。
差す。
抜く。
スッ。
昨日より。
明らか。
自然。
構える。
握る。
手。
合う。
「すご」
「振れ」
一度。
横。
止める。
二度。
斜め。
返す。
シリウス。
流星。
基礎。
教わった。
足。
一歩。
刀。
返す。
「……」
止まる。
「どうじゃ」
「昨日と全然違う」
「当然じゃ」
「僕の刀みたい」
言って。
自分。
止まる。
ドヴァン。
僕。
見る。
「なら、それでいい」
「……」
明星。
見る。
昨日。
まだ。
借り物。
感じ。
強かった。
今。
違う。
手。
合わせて。
作られた。
五百年前。
刀。
今日。
僕。
合わせられた。
「ありがとうございます」
「礼は手入れを覚えてから言え」
「今から?」
「今からじゃ」
そこから。
一時間。
刀の手入れ。
徹底的。
教えられた。
まず。
使った後。
刃。
確認。
欠け。
曲がり。
汚れ。
魔力の残滓。
「刃を素手でべたべた触るな」
「はい」
「血や水分を残すな」
「はい」
「鞘へ入れる前に必ず見る」
「はい」
「星装を流した後は柄と鍔も確認せい」
「刀身だけじゃない?」
「魔力は柄を通る。緩みが出れば危険じゃ」
「なるほど」
「油は薄く」
「どのくらい?」
「塗ったと分かるほど塗るな」
「難しい」
「慣れろ」
布。
油。
粉。
道具。
一式。
渡される。
「これも?」
「最初だけじゃ。なくなったら自分で買え」
「ありがとうございます」
「まだ終わっとらん」
「はい」
さらに。
鞘。
保管。
湿気。
雨。
魔物の血。
刃こぼれ。
自分で触っていい範囲。
触ってはいけない範囲。
「大きく欠けたら?」
「刀匠へ持っていけ」
「ドヴァンのところまで?」
「近くに腕のいい奴がおればそいつでいい」
「いいんだ」
「刀を直すために半年歩く馬鹿がおるか」
「シリウスならやりそう」
ドヴァン。
黙る。
「……あいつは来た」
「来たんだ」
「折れた刀持ってな!」
やっぱり。
手入れ。
一通り。
終わる。
僕は明星を鞘へ収めた。
「これでいい?」
「最低限はな」
「最低限」
「刀は持った日より、十年使った後の方が扱いが分かる」
「十年」
「長く使うなら覚えろ」
「うん」
ドヴァンが僕を見る。
「あと」
「何?」
「相性がいいからと調子に乗るな」
「星装?」
「ああ」
明星。
指す。
「こいつは魔力を逃がさん。それは長所じゃが、流しすぎれば負担も残る」
「分かった」
「魔力を重ねるのも、今は一層で十分じゃ」
「一層?」
「まず均等に纏わせろ。途切れさせず、厚くしすぎず、刃の先まで同じに」
「できるようになったら?」
「二層目を考えろ」
「三層は?」
「十年早い」
「そんなに!?」
「例えじゃ!」
「分かりにくいよ!」
ドヴァン。
怒鳴る。
でも。
少し。
笑ってる。
ようにも。
見える。
僕も。
笑った。
そして。
思い出す。
「ドヴァン」
「何じゃ」
「シリウスから」
手。
止まる。
工房。
静か。
炉。
火。
鳴る。
「伝言があります」
ドヴァン。
何も言わない。
僕。
続ける。
「『天狼は、最後まで折れなかった』」
老人の目。
僅か。
動いた。
「『俺の剣についてこられたのは、あいつだけだった』」
沈黙。
「それから」
僕はシリウスの顔を思い出す。
最上階。
天狼。
触れながら。
少し。
真面目。
なった。
「『ありがとう』って」
ドヴァン。
動かない。
長い。
時間。
炉。
パチ。
薪。
弾ける。
ベラトリクスも。
アンタレスも。
何も言わない。
やがて。
ドヴァン。
目。
閉じる。
「……馬鹿が」
小さな声。
「礼を言うのが」
一度。
息。
吐く。
「五百年遅いんじゃ」
「……」
「生きとるうちに言え」
拳。
握る。
大きな手。
震えてる。
ほんの。
少し。
「天狼」
作業台。
見る。
刀。
ない。
「折れんかったか」
「はい」
「最後まで」
「はい」
「そうか」
それだけ。
ドヴァン。
顔。
背ける。
「……そうか」
僕。
何も。
言わない。
言わなくていい。
気がした。
しばらく。
あと。
ドヴァンがいつもの声に戻る。
「小僧」
「はい」
「明星を寄越せ」
「え?」
「一度返せ」
「調整終わったんじゃ」
「いいから」
明星。
渡す。
ドヴァンは柄を握り、軽く抜く。
刀身。
見る。
そして。
僕へ。
戻す。
「持っていけ」
「……いいの?」
「今更何を言っとる」
「でも」
「天狼はあいつの刀じゃった」
ドヴァン。
明星。
見る。
「明星は違う」
「……」
「こいつは誰の刀にもならんまま、五百年眠っとった」
僕。
受け取る。
「シリウスが僕に持っていけって」
「なら使え」
「うん」
「ただし」
鋭い。
目。
「シリウスの真似をするな」
「……」
同じ。
言葉。
シリウス。
最後。
『その刀を振る時だけは、誰の真似もするな』
「シリウスにも言われた」
「なら二度言わせるな」
「はい」
「天狼と明星は似とる。じゃが同じ刀ではない」
「うん」
「使い手も同じじゃ」
「……」
「お前はシリウスではない」
明星。
握る。
「僕は僕」
「なら自分で使い方を見つけろ」
シリウス。
心眼。
レグルス。
星装。
ガイル。
基礎。
ベラトリクス。
アンタレス。
全部。
使っていい。
でも。
僕。
剣。
僕。
作る。
「分かった」
「なら行け」
「急だなあ」
「仕事がある」
「最後までそれ?」
「儂は刀匠じゃ」
ベラトリクスが笑う。
「変わらぬのう」
「お前はさっさと帰れ」
「何故妾だけ扱いが悪いのじゃ!」
「五百年前、工房の酒を勝手に飲んだ恨みを忘れとらん」
「まだ覚えておるのか!?」
「妾は勝利を忘れぬとか言っとった奴が何を言う」
「何故それを知っておる!」
「昨日お前が自分で言っとった!」
朝。
山。
工房。
怒鳴り声。
響く。
僕とアンタレス。
笑う。
別れ際。
ドヴァンは工房から出てこなかった。
でも。
山道へ入る直前。
一度。
振り返る。
工房。
入口。
白い髭。
老人。
立ってる。
僕。
明星。
少し。
上げる。
ドヴァン。
片手。
上げた。
それだけ。
歩く。
次。
目的地。
ヴァルガルド王国。
守護騎士アルデバラン。
三つ目。
塔。
山岳地帯を西へ抜ければ、ヴァルガルドへ続く街道へ出るはずだった。
だった。
「……嘘でしょ」
二日後。
僕は道の前で立ち尽くしていた。
正確には。
道だった場所。
巨大な岩。
木。
土。
全部。
崩れてる。
山。
斜面。
大きく。
崩落。
谷。
埋める。
道。
完全。
消えてた。
「これ通れる?」
「無理ですね」
アンタレス。
即答。
「ベラトリクスなら?」
「今の妾へ何を期待しておる」
「昔なら?」
「山ごと飛ぶ」
「聞くんじゃなかった」
崩落地点の少し手前には小さな関所があり、何台もの荷車や旅人が足止めされていた。
兵士。
冒険者。
商人。
集まってる。
僕たちも関所へ向かう。
「すみません」
兵士。
声。
掛ける。
「ヴァルガルドへ行きたいんですけど」
「ああ……」
兵士。
疲れた顔。
崩落。
見る。
「見ての通りだ」
「いつから?」
「十二日前。大雨で山肌が崩れた」
「直るのは?」
「早くても数ヶ月。下手をすれば一年近くかかる」
「一年!?」
「崩れた範囲が広すぎる。人だけ通す仮道を作るにも時間がいる」
僕。
ベラトリクス。
アンタレス。
見る。
「他の道は?」
兵士。
二本。
指。
立てた。
「ある」
「よかった」
「喜ぶのは聞いてからにしろ」
嫌。
予感。
「一つ目」
兵士が南西を指す。
「ここからカグラへ戻る。そのまま港を使ってアステリア王国へ戻り、アステリアを西へ横断して北側の街道からヴァルガルドへ入る」
「……」
レグルス。
国。
戻る。
「どのくらい?」
「順調でも半年以上だ」
「半年!?」
「船の便と季節次第ではさらにかかる」
「却下じゃ」
ベラトリクス。
即答。
「まだ妾の封印がどうなっておるかも分からぬ。半年も戻っておれるか」
アンタレスも頷く。
「白い災厄の動きもあります。時間を掛けすぎるのは危険でしょう」
「じゃあ」
僕。
兵士。
見る。
「二つ目は?」
兵士。
表情。
変わる。
「北へ行け」
「北?」
「あの山を迂回すると、森へ入る道がある」
「森?」
「森なんて可愛いもんじゃない」
近くにいた商人が口を挟んだ。
「《深緑樹海》だ」
「樹海」
聞いたこと。
ない。
兵士が続ける。
「ヴァルガルド南東部まで繋がっている巨大な森林地帯だ。街道を使えば本来十日ほどの距離を、樹海なら七日ほどで抜けられる」
「近いじゃん」
「生きて出られればな」
「……」
やっぱり。
「魔物?」
「それだけじゃない。道がほとんどない。毒草。沼。濃霧。魔力溜まり。場所によっては方角を失う」
アンタレス。
目。
細める。
「生態系は?」
「最低でもD級。奥へ入ればC級。稀にB級相当の魔物も確認される」
「B級……」
今。
僕。
F級。
一体。
なら。
戦える。
D級。
一人。
まだ。
推奨されない。
C級。
それ以上。
「でも」
ベラトリクス。
言う。
「妾とアンタレスがおれば問題なかろう」
兵士。
首。
横。
振る。
「実力の話じゃない」
「何?」
「樹海への立ち入りには冒険者ギルドの許可が必要だ」
「許可?」
「ああ。毎年、無謀な旅人や低級冒険者が入り込んで死ぬ。救助に入った冒険者まで犠牲になったことがある。それ以来、主要な入口は管理されてる」
「じゃあ許可を取れば」
「C級以上」
「……」
兵士がはっきり言った。
「樹海横断を目的とした入域許可は、原則C級以上の冒険者にしか出ない」
「C級」
腰。
ギルド証。
触る。
僕。
F級。
ベラトリクス。
F級。
アンタレス。
F級。
三人。
揃って。
最低。
「全員?」
「単独なら本人がC級以上。パーティの場合も、責任者となる冒険者がC級以上で、ギルドが実力を認めた構成である必要がある」
「……」
少し。
希望。
ある。
「じゃあ誰か一人C級になれば?」
「可能性はある。ただしF級二人を連れて横断となると、審査は厳しいだろうな」
「なるほど」
兵士が僕たちのギルド証を見る。
「お前ら、まさか」
「全員F級」
「やめとけ」
即答。
「まだ何も言ってない!」
「顔に書いてある」
ベラトリクスが腕を組む。
「妾が本気を出せば、その樹海とやら」
「陛下」
アンタレス。
止める。
「現在の魔力量を忘れないでください」
「……」
「先日も白い個体を倒しただけで、かなり消耗されました」
「分かっておる」
「それに正規の入口を無視して入れば」
「追われる?」
僕。
聞く。
兵士。
頷く。
「場合によっては罰金だけじゃ済まない。今は崩落で迂回者が増えてるから、特に警戒が強い」
「密入国みたいな扱い?」
「ヴァルガルド側も樹海出口を管理してる。無許可で抜ければ面倒になるぞ」
ベラトリクス。
顔。
嫌そう。
「人間は五百年で面倒な仕組みばかり増やしたのう」
「死者減らすためでしょ」
「分かっておる」
アンタレスが兵士へ聞く。
「この近くに冒険者ギルドは?」
「ああ。北へ半日行けば《ローディア》って町がある。樹海の南口を管理してる町だ」
「そこでC級へ昇級することは?」
兵士。
僕たち。
見る。
「F級から?」
「はい」
「普通は無理だ」
「普通は?」
「昇級には実績が要る。依頼達成数、討伐記録、素行。FからE、EからD、それからCだ」
「飛び級は?」
「制度上はある」
僕。
顔。
上げる。
「あるんだ」
「ただし滅多にない。推薦と実技試験、それにギルド支部長の承認が必要だ」
アンタレス。
静かに。
頷く。
「方法はあるのですね」
「言っとくが簡単じゃないぞ」
「承知しています」
兵士。
僕。
見る。
「特に坊主」
「僕?」
「お前が一番若い」
「十五です」
「なおさらだ。C級ってのは、そこらの魔物を一匹倒せばなれる階級じゃない」
「……」
「一人で戦えるだけじゃ駄目だ。依頼中に判断できる。仲間を守れる。危険を見て引ける。そういうところまで見られる」
見る。
その言葉。
少し。
残る。
シリウス。
心眼。
ガイル。
経験。
借りた力。
だけじゃ。
足りない。
兵士が続ける。
「樹海へ入りたいなら、まずローディアのギルドへ行け。そこで無理だと言われたら諦めろ」
「分かりました」
礼。
して。
関所。
離れる。
道端。
三人。
止まる。
「さて」
アンタレスが言う。
「選択肢は二つですね」
「半年かけてアステリアまで戻る」
「もしくは」
僕。
北。
見る。
山。
向こう。
樹海。
ある。
「C級になる」
ベラトリクスが露骨に嫌そうな顔をする。
「面倒じゃ」
「でも半年は嫌なんでしょ?」
「嫌じゃ」
「じゃあ決まりじゃん」
「妾は既に魔王ぞ。何故今更人間の冒険者階級を」
「F級魔王」
「その呼び方をするな!」
アンタレスが真顔で言う。
「現在の正式な冒険者階級はF級です」
「アンタレス!」
「事実です」
「裏切り者!」
僕。
笑う。
でも。
少し。
考える。
C級。
今。
自分。
そこまで。
強くない。
星装。
ある。
心眼の理。
教わった。
明星。
手。
入れた。
でも。
全部。
手にしたばかり。
ガイル。
言った。
E級一体。
なら。
今の僕でも。
D級。
一人。
勧めない。
C級。
到底。
まだ。
そこじゃない。
「……僕は」
二人。
見る。
「ちゃんとC級まで上がりたい」
ベラトリクスの眉が上がる。
「許可だけ取れればよいのではないか?」
「それだと意味ない気がする」
「何故じゃ」
「シリウスに色々教わって、明星も手に入れた。でも」
腰。
刀。
触る。
「持ってるだけだから」
アンタレスが僕を見る。
「実力を伴わせたい、と?」
「うん」
「時間が掛かるぞ」
ベラトリクス。
言う。
「分かってる」
「災厄も動いておる」
「分かってる」
「なら」
「だから急ぐ」
ベラトリクス。
止まる。
僕。
続ける。
「半年戻るより早くC級まで行く」
「……」
「樹海を抜ける」
「簡単に申す」
「簡単じゃないのも分かってるよ」
明星。
少し。
重い。
でも。
昨日まで。
違う。
手。
合う。
僕。
刀。
なり始めた。
なら。
僕自身も。
追いつく。
「今のまま樹海に入ったら、僕が二人の足引っ張るでしょ」
「そんなことは」
アンタレス。
言いかける。
僕。
首。
振る。
「引っ張るよ」
白い影。
戦った時。
助けられた。
狼。
星装。
暴走。
した。
塔。
シリウス。
何度。
倒された。
「ベラトリクスとアンタレスが強いから進める、じゃなくて」
二人。
見る。
「僕も、自分で進めるくらいにはなりたい」
静か。
一瞬。
ベラトリクス。
ため息。
「頑固になったのう」
「誰のせい?」
「レグルスじゃな」
「ベラトリクスも」
「妾は関係ない」
「あるよ」
アンタレスが小さく笑う。
「では、ローディアへ向かいましょう」
「うん」
「まずはギルドで昇級条件の確認を」
「はい」
ベラトリクス。
まだ。
不満そう。
でも。
歩き出す。
「仕方ないのう」
「ベラトリクスもC級目指す?」
「妾が試験など受けるものか」
「でもF級」
「言うな!」
「樹海入れないよ」
「……」
止まる。
「アンタレス」
「はい」
「お主がC級になれ」
「陛下も受けてください」
「嫌じゃ」
「受けてください」
「嫌じゃ!」
「受けてください」
「圧が強い!」
北。
道。
続く。
その先。
ローディア。
さらに。
深緑樹海。
そして。
樹海。
向こう。
守護騎士アルデバランの国。
ヴァルガルド。
本当なら。
もう。
向かっていたはずだった。
一本道。
崩れた。
もう一つ。
半年以上。
戻る。
残る。
道。
危険。
樹海。
その入口へ立つ資格。
C級。
僕は腰のギルド証を取り出す。
そこ。
刻まれてる。
《F》。
「……遠いなあ」
アンタレスが横から覗く。
「そうでしょうか」
「FからCだよ?」
「F、E、D、C。三つです」
「言い方だと近い」
「一つずつ上がればよいのです」
一つずつ。
ガイル。
同じ。
言った。
シリウス。
同じ。
教えた。
見る。
一つずつ。
覚える。
「そっか」
ギルド証。
しまう。
「じゃあ、まずE級」
「その前に、飛び級制度について確認しましょう」
「いきなり現実的」
「時間は有限ですから」
ベラトリクスが笑った。
「相変わらずじゃな、アンタレス」
「陛下が無計画すぎるのです」
「何じゃと」
二人。
また。
始まる。
僕。
その後。
歩く。
腰。
明星。
揺れる。
五百年前の刀。
今。
僕の手。
合わせられた。
そして。
次。
僕自身。
強くする。
必要。
ある。
C級。
樹海。
ヴァルガルド。
アルデバラン。
三つ目の塔。
そこへ進むため。
まず。
冒険者として。
僕たちは。
本当の意味で。
階段を上ることになった。




