明星
第23話 明星
十二重塔を下りる頃には、朝だったはずの空がすっかり高くなっていた。
一般公開されている三階まで戻ると、昨日シリウスが斬った扉の周りにはまだ管理人たちが集まっている。僕たちは何食わぬ顔でその横を通り過ぎた。
「おい、昨日までは確かに一枚板だったよな?」
「刃物で斬った跡に見えるが……こんな厚さを?」
「しかも切断面が妙に綺麗だぞ」
背後から聞こえてくる声に、僕は思わず歩く速度を上げた。
「……これ、絶対そのうち騒ぎになるよ」
「知らぬ」
ベラトリクスは平然としている。
「壊したのは妾ではない」
「知ってるけど、シリウスもういないんだよ?」
「なら犯人不明じゃな」
「最悪の解決方法だ」
アンタレスも振り返らずに言う。
「早く離れた方がよいでしょう。塔そのものも先ほど魔力反応を起こしています。近いうちに調査が入るはずです」
「僕たちがいたってバレたら?」
「観光客です」
「四階より上まで行った観光客だけど」
「証拠はありません」
「アンタレス、こういう時だけ強いなあ」
塔の外へ出る。
石段の上から振り返ると、十二枚の屋根が空へ向かって重なっていた。軒先の金具が風に揺れ、チリン、と澄んだ音を鳴らす。
昨日まで、あそこにはシリウスがいた。
もう声は聞こえない。
胸の奥に少しだけ残る寂しさを振り切るように、僕は視線を北へ向けた。
「それで、家ってどっち?」
「北じゃと言っておったな」
ベラトリクスが皇都の先に見える山々へ目を向ける。
「竹林を抜けた先の山の麓。妾も昔、一度だけ行った覚えがある」
「一度だけ?」
「シリウスはあまり人を家へ招かぬ男じゃったからな」
「意外」
「そうですか?」
アンタレスが首を傾げる。
「私はむしろ納得できます。シリウス殿は人付き合いこそ悪くありませんでしたが、自分の刀や修行の時間へ他人が入り込むことは好みませんでした」
「へえ」
ベラトリクスが少し笑う。
「妾が行った時も、勝手に入るなと怒られた」
「何で勝手に入ったの?」
「扉が開いておった」
「それは入っていいって意味じゃないよ」
「妾にそのような常識を求めるでない」
「求めるよ」
皇都で簡単な食料を買い、僕たちは北門から街を出た。
道を進むにつれて建物は減り、代わりに田畑が広がっていく。遠くでは農作業をする人たちの姿が見え、その向こうには深い緑の山。昼を少し過ぎた頃、街道から細い脇道へ入った。
やがて普通の森が消え、周囲を細く高い竹が埋め尽くした。
「……すご」
風が吹くたび、頭上で葉が擦れ合う。
サラサラ。
ザワザワ。
木の森とは違う音。
石畳は途中で途切れ、そこから先は土の道になった。人が頻繁に通っている様子はない。竹の間から差し込む光も少なく、昼なのに少し薄暗かった。
「本当にこんなところに住んでたの?」
「シリウスは静かな場所を好んでおった」
「戦うの好きなのに?」
「戦うことと騒がしい場所を好むことは別じゃ」
アンタレスが少し前を見ながら言う。
「刀を振る音だけ聞こえれば満足するような方でしたから」
「本当に刀しかないんだなあ」
しばらく歩く。
竹林の中には何度か道が分かれていたが、ベラトリクスが迷うことなく進んでいく。
「覚えてるんだ」
「当然じゃ」
「一回しか来てないのに?」
「妾を誰だと思っておる」
「道覚えるの苦手そう」
「何故じゃ!」
「なんとなく」
「ソル。最近本当に妾への敬意がないぞ」
「最初からそんなにないよ」
「貴様!」
アンタレスが小さくため息をつく。
「陛下、静かにしてください。獣が逃げます」
「何故妾が怒られるのじゃ!?」
そんなやり取りをしているうちに、前方が明るくなった。
竹林が途切れる。
その先。
小さな開けた土地。
「……あった」
一軒の家が建っていた。
黒い瓦屋根。古びた木の壁。小さな縁側。横には手入れされていない庭があり、石灯籠の周りを草が覆っている。
大きな屋敷じゃない。
むしろ、剣聖と呼ばれた人間の家とは思えないほど質素だった。
「ここ?」
「ああ」
ベラトリクスが足を止める。
いつもより少し静かな声。
「変わっておらぬな」
「五百年だよ?」
「補修はされておる」
アンタレスが家の柱へ近づく。
「木材の一部が新しいですね。誰かが維持しているのでしょう」
「シリウスの子孫とか?」
「奴に子はおらぬ」
ベラトリクスが即答する。
「じゃあ弟子?」
「その可能性はありますね」
家の前まで行く。
戸。
閉まっている。
「勝手に入っていいのかな」
ベラトリクスが戸へ手を掛けた。
「本人に入れと言われたであろう」
「そうだけど、今の持ち主が別にいたら」
ガラッ。
「開けた!」
「鍵が掛かっておらぬ」
「だからって!」
中。
誰もいない。
「……お邪魔します」
一応言ってから、靴を脱ぐ。
畳。
少し古い匂い。
でも、埃だらけではなかった。
「誰か掃除してる」
廊下にも大きな埃は積もっていない。家具は少ないが、柱や床はある程度手入れされている。
アンタレスが畳へ指を滑らせる。
「少なくとも何十年も放置されている家ではありません」
「じゃあ管理してる人がいるんだ」
「恐らく」
ベラトリクスは家の中を見回していた。
「こっちじゃ」
「分かるの?」
「刀を飾っておった部屋なら覚えておる」
廊下の奥。
障子。
開く。
そこは八畳ほどの部屋だった。
壁には刀を掛けるための台がいくつも残されている。
ただし。
刀は一本もない。
「全部なくなってる」
「五百年も経てば当然であろう」
ベラトリクスが部屋へ入る。
「シリウスは昔、ここへ十本以上並べておったぞ」
「そんなに?」
「ほとんど折れた刀じゃ」
「折れたやつ飾ってたの?」
「戒めじゃと言っておった」
アンタレスが少し笑う。
「ですが新しい刀を手に入れる度、嬉しそうに見せてきましたね」
「子供だ」
「刀に関しては否定できぬ」
僕は部屋の中央まで進んだ。
シリウス。
言っていた。
家の奥。
刀を飾っていた部屋。
その床。
「地下があるんだよね」
「そう申しておったな」
「どこ?」
床を見る。
畳。
六枚。
八枚。
特に変なところはない。
しゃがむ。
触る。
「……」
シリウスなら。
見る。
僕は部屋全体を見回した。
刀掛け。
壁。
柱。
床。
窓。
何か。
違う。
「ソル?」
アンタレスが呼ぶ。
「ちょっと待って」
目に入ったもの全部を一つずつ考えない。
必要なものを拾う。
地下。
入口。
隠すなら。
毎回畳を全部持ち上げる?
違う。
何か仕掛け。
「……あ」
刀掛け。
壁際。
一番右。
他の台より少しだけ低い。
近づく。
木。
触る。
動く。
「これ」
横へ押す。
カチ。
小さな音。
直後。
部屋中央の畳が僅かに浮いた。
「おお」
ベラトリクスが僕を見る。
「成長したではないか」
「普通に仕掛け探しただけだけど」
「褒めてやったのに」
「ありがとう」
「素直だと気味が悪いのう」
「どっちなの」
畳を持ち上げる。
下には木の板。
取っ手。
引く。
ギィ……。
暗い。
階段。
地下へ続いている。
「本当にあった」
アンタレスが魔力を灯す。
小さな光が階段を照らした。
「先に確認します」
「大丈夫じゃろ」
「五百年前の地下室ですよ」
「シリウスが罠など」
ベラトリクス。
止まる。
「……仕掛けておるかもしれぬな」
「あるんだ」
「刀へ触れた者を斬る仕掛けくらいは作りかねん」
「怖っ」
慎重に下りる。
階段。
十五段ほど。
地下。
空気。
冷たい。
石造り。
地上の木造住宅とは違い、地下だけは頑丈な石壁で囲まれていた。
アンタレスの光が広がる。
「……」
部屋。
一つ。
中央。
台。
その上。
長い箱。
他には何もない。
罠らしい気配もない。
でも。
僕は足を止めた。
「感じる」
「何をじゃ」
「魔力」
微か。
古い。
でも。
残響じゃない。
人の記憶。
ない。
刀。
そのものに染み込んだような魔力。
ベラトリクスも気づいたのか、目を細める。
「なるほど」
「知ってる?」
「ああ」
「何があるの?」
「自分で見よ」
「シリウスみたいなこと言い始めた」
「妾は昔からこうじゃ」
「絶対影響されてる」
箱へ近づく。
黒に近い木。
金具はくすんでいる。
表面。
文字。
一つ。
刻まれていた。
《明星》
「……みょうじょう」
シリウス。
最後。
言った。
明星を見せれば分かる。
「これだ」
蓋。
触れる。
何も起こらない。
罠も。
光も。
選ばれた者にだけ開くとか。
そんなものもない。
普通に。
持ち上がった。
「……」
中。
刀。
一本。
収められている。
鞘は夜明け前の空みたいな深い藍色。ただ、天狼より僅かに明るい。鍔は黒く、そこに小さな金色の点が散っている。
派手じゃない。
むしろ。
静か。
なのに。
目。
離れない。
「これが……明星」
ベラトリクスが隣へ来る。
「五百年ぶりじゃな」
「本物?」
「間違いない」
アンタレスも刀を覗き込む。
「私も一度だけ見たことがあります」
「シリウスが使ってた?」
「いや」
ベラトリクスが答える。
「ほとんど使っておらぬ」
「何で?」
「天狼があったからじゃ」
「じゃあ明星は予備?」
「それも違う」
「?」
ベラトリクスは明星を見つめた。
「天狼と明星は、同じ刀匠が打った」
「兄弟みたいな?」
「姉妹刀、対になる刀とでも言えばよいか」
アンタレスが続ける。
「ですが性質は全く異なります」
「どう違うの?」
「詳しいことは刀匠本人へ聞いた方がよいでしょう」
「生きてれば、でしょ?」
「はい」
僕は箱の中の明星を見る。
「触っていいかな」
ベラトリクス。
呆れ。
「持っていけと言われたであろう」
「そうだけど」
「何を今更遠慮しておる」
「シリウスの家だから」
「本人がおらぬ時に勝手に入る妾よりは礼儀正しいですね」
「アンタレス、それ褒めておるか?」
「比較です」
僕は両手で明星を持ち上げた。
「……軽い」
今使っている剣より長い。
なのに、重さはそれほど変わらない。
腰。
構える。
「抜いてみればよい」
「いいの?」
「刀は抜かねば分からぬ」
左手。
鞘。
右手。
柄。
少し。
力。
入れる。
スッ。
音。
小さい。
銀色の刀身が現れた。
「……綺麗」
天狼。
似てる。
でも。
細い。
僅かに薄い。
刃には星の光を散らしたような淡い刃文。
僕は完全に抜いた。
何も起こらない。
光らない。
声。
聞こえない。
僕を持ち主として選ぶような奇跡もない。
ただ。
一本の刀。
「……普通に抜けた」
ベラトリクスが眉を寄せる。
「何を期待しておった?」
「いや、五百年前の伝説の刀だし」
「抜いたら光るとでも?」
「ちょっと」
「馬鹿者」
アンタレスが僅かに笑う。
「刀が持ち主を選ぶという伝承は多いですからね」
「ほら」
「ですが明星にそのような機能はありません」
「ないんだ」
「道具は道具じゃ」
ベラトリクスが言う。
「使う者が決める」
その言葉。
少し。
好き。
僕は明星を構えてみた。
シリウス。
教わった。
基礎。
足。
肩。
力。
抜く。
「……」
使いやすい。
まだ自分の刀じゃない。
握りも少し太い。
柄の角度もほんの少し違和感がある。
でも。
振る。
一度。
ヒュッ。
普通の剣より。
軽い。
次。
二度。
止める。
「どうじゃ」
「変な感じ」
「悪い?」
「違う」
僕は明星を見る。
「なんか、力が逃げない」
「ほう」
ベラトリクス。
少し。
笑う。
「もう気づいたか」
「何?」
「魔力を流してみよ」
「星装?」
「少量じゃぞ」
僕は頷いた。
呼吸。
魔力。
金色。
身体。
薄く。
粒子。
現れる。
柄。
握る。
昨日まで。
リュネで買った剣へ魔力を流す練習をした。
身体。
手。
柄。
刀身。
普通の剣。
途中。
魔力。
漏れる。
アンタレス。
そう言った。
じゃあ。
明星は?
腕。
流す。
手。
柄。
刀。
「……!」
金色。
粒子。
刀身。
走った。
でも。
散らない。
刃。
沿う。
薄い金色。
纏う。
「何これ」
「続けよ」
身体。
刀。
魔力。
流す。
普通なら。
先。
逃げる。
でも。
明星。
止める。
違う。
戻る。
柄。
手。
腕。
身体。
「戻ってきた?」
アンタレスが目を細める。
「やはり」
「何が?」
「もう一度。今度は身体から刀身へ流し、先端まで到達したら戻してください」
「できるかな」
「試してください」
やる。
胸。
右肩。
腕。
手。
柄。
刀身。
先。
そこで。
戻す。
「……」
できる。
完全じゃない。
途中。
少し。
乱れる。
でも。
戻る。
腕。
身体。
金色。
巡る。
「すご」
ベラトリクスが満足そうに鼻を鳴らす。
「天狼とは逆じゃ」
「逆?」
「天狼は魔力を外へ放つことに長けておる」
シリウス。
天断。
銀色。
一線。
空。
走った。
「明星は?」
ベラトリクスが刀身を指す。
「纏わせる」
「……」
「流した魔力を逃がさぬ。刀へ留め、巡らせる」
僕。
自分。
金色。
見る。
星装。
身体。
粒子。
巡らせる。
「もしかして」
「相性は悪くなかろうな」
アンタレスが続ける。
「ただし今の状態で大量の星装を流すのはやめてください」
「何で?」
「五百年間、ほぼ使用されていなかった刀です。内部の状態も分かりません」
「あ」
「それに」
アンタレスが僕の握りを見る。
「明星はソルに合わせて作られた刀ではありません」
「分かる?」
「柄が少し大きいでしょう」
「うん」
「重心も、あなたの現在の剣より僅かに前です」
僕は構え直す。
確かに。
使いにくくはない。
でも。
ぴったり。
違う。
ベラトリクスが言う。
「だからシリウスは刀匠へ行けと言ったのであろう」
「調整してもらうため?」
「恐らくな」
僕は明星を見る。
今。
この刀。
五百年前。
作られた。
ずっと。
ここ。
待ってた。
僕を。
じゃない。
誰か。
分からない。
使う人。
現れるまで。
「シリウスは何で使わなかったんだろ」
「天狼があったから、と申したであろう」
「それだけ?」
「……」
ベラトリクス。
少し。
黙る。
「妾も詳しくは知らぬ」
「ベラトリクスでも?」
「あやつは刀のことになると何でも喋るくせに、本当に大切なことほど話さぬ男じゃった」
「面倒」
「お主が言うか」
「何で僕?」
アンタレスが箱の中を確認する。
「陛下」
「何じゃ」
「紙があります」
「え?」
明星が置かれていた下。
薄い板。
その隙間。
折り畳まれた古い紙。
「五百年前の?」
「保存術が掛かっています」
アンタレスが慎重に取り出す。
魔力。
薄い。
紙。
まだ。
読める。
「シリウスの手紙?」
開く。
文字。
カグラ。
古い。
僕。
読めない。
「何て書いてある?」
ベラトリクスが覗き込む。
「……」
止まる。
「ベラトリクス?」
「くだらぬ」
「何が?」
紙。
取る。
読み上げる。
「『これを見つけた奴へ。天狼を探しているなら、ここにはない』」
「……」
続き。
「『明星が欲しいなら持っていっていい。ただし、刀匠に一度見せろ。勝手に弄ると怒る。すごく怒る』」
「……」
アンタレス。
口元。
緩む。
「シリウス殿らしいですね」
「五百年前からこんな感じ!?」
「続きがあるぞ」
ベラトリクス。
読む。
「『あと、俺より上手く使えたら教えて』」
「どうやって!?」
「知らぬ」
「死んだ後に読む可能性考えてないじゃん!」
アンタレス。
笑い。
堪える。
「最後は?」
ベラトリクス。
紙。
下。
見る。
少し。
表情。
変わる。
「……」
「何?」
「何でもない」
「いや絶対ある」
「短い」
「読んで」
「自分で読め」
「古い文字読めない!」
ベラトリクス。
ため息。
そして。
読む。
「『天狼は俺の刀だ』」
「うん」
一行。
下。
「『明星は――いつか、誰かの刀になればいい』」
「……」
地下。
静か。
僕は手の中の明星を見る。
誰か。
名前。
ない。
勇者。
ない。
選ばれた者。
ない。
ただ。
いつか。
誰か。
僕。
なのか。
それも。
まだ。
分からない。
シリウス。
最後。
言った。
持っていっていい。
その刀を振る時だけは、誰の真似もするな。
君の剣にして。
「……僕が持っていっていいのかな」
「今更何を申しておる」
「でも」
ベラトリクスが僕の額を軽く叩いた。
「痛っ」
「シリウスが持っていけと言った。手紙にも誰かの刀になればよいとある」
「うん」
「それで足りぬか?」
「……」
「それに」
ベラトリクスが少し。
笑う。
「合わなければ使わなければよい」
「え?」
「刀を手にしたから一生使わねばならぬ決まりなどない」
「……」
「使ってみよ。学べ。合わぬと思えば別の道を選べ」
シリウス。
師匠。
天星一刀流。
型。
捨てた。
自分の剣。
「そっか」
「ああ」
「意外とまともなこと言うね」
「お主は妾を何だと思っておる!」
「魔王」
「正解じゃ!」
「そこ喜ぶんだ」
アンタレスが明星の鞘を僕へ差し出す。
「まずは刀匠へ会いに行きましょう」
「うん」
「それまでは星装を大量に流さないこと。使用も最低限に」
「分かった」
「あと、今まで使っていた剣も捨てないでください」
僕は腰。
リュネ。
買った剣。
見る。
「もちろん」
初めて。
自分。
稼いだ金。
買った。
剣。
短い時間。
でも。
ガイル。
訓練。
シリウス。
塔。
一緒。
「これは持ってく」
「それでよいと思います」
明星。
納める。
スッ。
鞘。
収まる。
腰。
二本。
「重い」
「当然じゃ」
「二本持つ?」
「刀匠へ着くまでは仕方ありません」
地下室を出る前、僕はもう一度振り返った。
箱。
空。
五百年。
ここ。
明星。
眠ってた。
シリウスが残した。
でも。
シリウスの刀じゃない。
「……行こう」
地上。
戻る。
畳。
閉じる。
仕掛け。
戻す。
部屋。
もう。
何も。
ない。
家を出る。
戸。
閉める。
「管理してる人に挨拶できなかったね」
「いずれ分かるかもしれません」
「また来るかな」
ベラトリクスが竹林へ歩き出す。
「必要なら来ればよい」
「簡単に言うね」
「世界が滅びぬ限り家は逃げぬ」
「縁起でもない」
竹林。
歩く。
腰。
明星。
少し。
気になる。
何度も。
触る。
「落ち着かぬのう」
「だって伝説の刀だよ」
「先ほどまで普通の刀と言っておったではないか」
「普通だけど伝説」
「面倒な奴じゃ」
アンタレスが僕の横へ並ぶ。
「刀匠の工房まで、カグラの国境を出てから二日ほどでしたね」
「シリウスはそう言ってた」
「ここから国境までも多少かかります。皇都へ一度戻り、旅支度を整えた方がよいでしょう」
「山の麓ってどこの国?」
「カグラ皇国とヴァルガルド王国の間にある山岳地帯でしょう」
「ヴァルガルド」
次。
塔。
アルデバラン。
国。
「じゃあ、そのまま次の国へ向かえる?」
「位置次第では可能でしょう」
ベラトリクスが笑う。
「都合がよいではないか」
「刀匠に会って、そのままヴァルガルド?」
「問題がなければな」
また。
旅。
始まる。
でも。
その前。
やること。
ある。
「シリウスの伝言」
僕が呟く。
「覚えてる?」
アンタレスが聞く。
「うん」
忘れるわけ。
ない。
『天狼は、最後まで折れなかった』
『俺の剣についてこられたのは、あいつだけだった』
『ありがとうって』
五百年。
遅れ。
伝言。
相手。
まだ。
生きてるか。
分からない。
「会えるといいね」
「生きておればのう」
ベラトリクスが言う。
「どんな人?」
「頑固者じゃ」
即答。
「やっぱり?」
「口が悪い。愛想もない。気に入らぬ剣士には刀を触らせることすら嫌がる」
「……行きたくなくなってきた」
「じゃが」
ベラトリクス。
腰。
明星。
見る。
「腕だけは本物じゃ」
「天狼と明星を作った人だもんね」
「ああ」
少し。
懐かしそう。
「シリウスが何十本と刀を折り続けた末、ようやくあやつの剣についていける刀を打った男じゃ」
「何十本!?」
「刀匠を見るたび『また折った』と報告しておった」
「最悪の客じゃん」
アンタレスが頷く。
「怒鳴り声が山の外まで聞こえたこともありました」
「本当に会いに行って大丈夫?」
「明星を持っておるなら追い返されはせぬじゃろ」
「多分?」
「多分じゃ」
「また多分!」
竹。
風。
揺れる。
サラサラ。
その向こう。
皇都。
屋根。
遠く。
十二重塔。
見える。
僕。
一度。
止まる。
十二枚。
屋根。
空。
重なる。
シリウス。
剣聖。
天狼。
四つ。
奥義。
心眼の理。
たった二日。
でも。
教わった。
多い。
まだ。
何一つ。
もの。
してない。
腰。
明星。
触れる。
「……」
レグルス。
星装。
シリウス。
心眼。
明星。
全部。
借り物。
今。
そう。
でも。
いつか。
僕。
もの。
できるか。
それ。
僕。
次第。
「ソル?」
前。
アンタレス。
振り返る。
「今行く」
走る。
二人。
追う。
明星。
鞘。
腰。
揺れる。
まだ。
僕。
刀。
じゃない。
握り。
合わない。
重心。
少し。
違う。
手入れ。
仕方。
知らない。
何も。
知らない。
だから。
会いに行く。
五百年前。
この刀を打った。
年老いたドワーフ。
シリウスが最後まで信じた。
刀匠。
そこで。
明星は初めて。
僕の手に合わせられる。
そして僕は。
五百年遅れの言葉を届ける。
剣聖シリウスから。
一本の刀を打った男へ。
「……五百年遅いって怒られそう」
僕が言うと、ベラトリクスが笑った。
「間違いなく怒るじゃろうな」
「やっぱり」
「覚悟しておけ」
二日先。
山の麓。
古い工房。
そこにいるはずの男へ向かって。
僕たちは再び、歩き始めた。




