見る
第19話 見る
四階へ続く階段を上る。
先頭はシリウス。その後ろをアンタレスが追い、僕とベラトリクスが続く。
「シリウス殿」
『何?』
「昨夜の発言についてですが」
『まだ覚えてるの?』
「五百年ぶりに再会した相手へ『まだ生きていたのか』と言ったことを忘れろと?」
『いやあ、だって本当に驚いたから』
「そうですか」
アンタレスが笑う。
怖い。
シリウスも少しだけ歩く速度を上げた。
『ベラトリクス、助けて』
「嫌じゃ」
『即答?』
「妾も五百年待たされておる」
『俺じゃないってば』
「顔が同じじゃ」
『理不尽だなあ』
そんな会話をしているうちに、四階へ着いた。
そこには展示物がなかった。
広い板張りの部屋。壁際に木刀が何本か置かれているだけで、中央には何もない。窓から差し込む光が磨かれた床へ伸びている。
「道場?」
『昔はそういう使い方を想定してたみたい』
シリウスが部屋の中央へ進む。
『まあ、俺がここにいた頃はまだ塔そのものが完成してなかったから、実際に使ったことはないけどね』
「じゃあ十二階全部知らない?」
『大体は知ってる。アークトゥルスから設計図を見せられたから』
ベラトリクスが鼻を鳴らす。
「やはりあの爺が十二重にしたのか」
『いや、十二にしたのは俺じゃないかな』
「え?」
シリウスが少し考える。
『たしか、刀を学ぶなら一つずつ登っていく感じがいいよねって言った気がする』
「覚えておらぬのか」
『五百年以上前の話だから』
「残響が言うと妙じゃな」
『まあね』
僕は壁際の木刀を見る。
「十二奥義があったから十二階っていうのは?」
シリウスが吹き出した。
『それ絶対後付け』
「やっぱり?」
『俺、奥義四つしかないし』
「じゃあ十二重なのと十二奥義はたまたま?」
『たぶん。それを後世の人がくっつけたんじゃない?』
ベラトリクスが呆れた顔をする。
「五百年とは恐ろしいのう」
『魔王を倒したことになってる人が言うと重いね』
「お主も共犯にされておるぞ」
『知ってる。さっき見た』
シリウスが笑いながら壁際へ行き、木刀を一本取る。
そのまま僕へ投げた。
「うわっ」
慌てて受け取る。
『構えて』
「いきなり?」
『さっき昔話したから、次は身体動かそう』
「何するの?」
『簡単だよ』
シリウスは自分も木刀を一本取った。
『俺の攻撃を一回避けるだけ』
「一回?」
『うん。一回』
それなら。
夢の中では一度もまともに避けられなかったけど、ガイルからも教わった。肩、足、重心、目線。
昨日よりは少しくらい。
「星装は?」
『禁止』
「え」
『今日は剣の速さを見るんじゃないから』
「じゃあ何を見るの?」
シリウスが笑う。
『それを考えるのが最初の修行』
「説明少なっ」
「妾より分かりやすいではないか」
ベラトリクスが壁際に座る。
「ベラトリクスと比べないでよ」
「何じゃと」
アンタレスもその隣へ移動した。
完全に見学する気だ。
「アンタレスは助けてくれない?」
「シリウス殿から直接教わる機会など、現代では二度とないでしょう」
「それはそうだけど」
「頑張ってください」
「応援だけ!?」
シリウスが木刀を肩へ乗せる。
『準備いい?』
「待って」
僕は構える。
肩の力を抜く。
足。
重心。
呼吸。
ガイルに教わった通り。
「いいよ」
『じゃあ行くね』
右肩。
動いた。
右。
僕が剣を上げる。
バシッ。
「痛っ!」
左脇腹。
「え!?」
『一回目』
「右肩動いたじゃん!」
『動かしたよ』
「フェイント!?」
『敵が素直に斬ってくれると思ってた?』
「思ってないけど!」
『もう一回』
「ちょっと待って」
今度は肩を信じすぎない。
足。
見る。
右足。
僅かに踏み込む。
左から?
バシッ。
「痛っ!」
頭。
「何で!?」
『二回目』
「足も嘘?」
『足は本当だったよ』
「じゃあ何で頭!?」
『踏み込む方向と斬る場所は同じとは限らないでしょ』
「……」
その通り。
悔しい。
「もう一回」
『いいね』
三回。
四回。
五回。
肩。
足。
腰。
目。
呼吸。
見る場所を変える。
でも当たる。
十一回目。
全部見ようとした。
肩。
左。
足。
右。
腰。
正面。
目線。
僕の右肩。
呼吸。
少し浅い。
「……」
分からない。
情報が多い。
どれ?
どこ?
考えた瞬間。
バシッ。
「痛っ!」
額。
『十一回目』
「無理!」
僕はその場へ座り込んだ。
「全部見ろって言ったじゃん!」
『言ったね』
「全部見たら余計分からなくなった!」
『うん』
「うんじゃないよ!」
シリウスが笑いながら僕の前へしゃがむ。
『ソル』
「何」
『見るって、全部を目に入れることじゃないよ』
「……え?」
『君、さっき俺の肩も、足も、腰も、目も、呼吸も見てた』
「うん」
『でも、その全部を考えようとした』
「だって見るんでしょ?」
『違う』
シリウスが自分の目を指す。
『必要なものを拾うんだ』
「必要なもの?」
『そう。戦ってる最中に、相手の指が何本あるかなんて考えないでしょ?』
「まあ」
『服の模様も』
「見ない」
『髪の毛の本数も』
「それは誰も見ないよ」
『でも全部、目には入ってる』
「……」
『見るっていうのは、そこから必要なものを落とさないこと』
僕は木刀を見る。
「ガイルさんは肩とか足を見ろって言ってた」
『正しいよ』
「でも避けられない」
『今の君は“肩を見る”って決めたら、肩しか見なくなるから』
「……あ」
思い当たる。
肩を見る。
そう思った瞬間。
他。
消える。
足を見る。
足だけ。
『最初はそれでいい。でも少しずつ、視野を広げる』
「全部を意識しない?」
『そう』
シリウスが立ち上がった。
『相手を見る』
「相手」
『一部分じゃない。その人を見る』
「……難しい」
『だから修行するんでしょ』
ベラトリクスが横から口を挟む。
「ソル」
「何?」
「実演してやろうか」
「誰が?」
ベラトリクスが立ち上がる。
「妾が」
シリウスを見る。
「避けられるのであろう?」
『今の君の魔力なら余裕』
「……腹立つのう」
『全盛期でやらないでよ?』
「今は出せぬわ!」
ベラトリクスが右手を上げる。
黒い魔力が小さな球になる。
「撃つぞ」
『どうぞ』
「本当に?」
『早く』
「後悔するなよ」
一発。
黒い魔弾が飛ぶ。
シリウスは半歩だけ動いた。
外れる。
二発目。
首を少し傾ける。
外れる。
三発。
四発。
五発。
シリウスはほとんどその場から動かない。
「……」
何これ。
ベラトリクスの魔法が遅いわけじゃない。
僕なら一発目から当たる。
それなのに。
「何見てるの?」
僕が聞く。
シリウスは当然のように答えた。
『ベラトリクス』
「いや、それは見れば分かる」
『そういう意味じゃない』
「じゃあ?」
六発目。
シリウスが先に身体を傾ける。
その直後。
黒い魔弾が、さっき頭があった場所を通った。
「……撃つ前に避けた?」
『うん』
「何で?」
『魔法だけを見てないから』
ベラトリクスが魔力を消す。
「妾が魔力を集める位置。指先。肩。視線。呼吸。魔力の流れ。その全てを見ておる」
「全部?」
「全てを一つ一つ考えておるわけではない」
シリウスが頷く。
『長くやってれば、自然に入ってくる』
「そんなことできる?」
『できるよ』
「シリウスだからじゃなく?」
『俺も最初はできなかった』
ベラトリクスが小さく鼻を鳴らす。
「そのせいで、こやつとの戦いは気持ち悪かった」
『褒めてる?』
「悪口じゃ」
『残念』
「でも」
僕はシリウスを見る。
「これがあったから、ベラトリクスと戦えた?」
笑顔が少し変わった。
『うん』
短い。
でも。
迷わなかった。
『俺はベラトリクスより魔力が多かったわけじゃない』
「当たり前じゃ」
『俺の話だから少し黙ってて』
「何じゃと」
『身体が圧倒的に強かったわけでもない。魔法なら比べるまでもない』
「じゃあ」
『見た』
シリウスは自分の目を指した。
『ずっと』
「……」
『あいつがどこへ魔力を集めるか。何を狙ってるか。どこを守るか。どこなら斬れるか』
ベラトリクスが腕を組む。
「妾が魔法を放つより前に、あやつは避け始めておった」
「未来が見えてた?」
「違う」
ベラトリクスが即答した。
「見すぎておったのじゃ」
『その言い方嫌だなあ』
「事実じゃ」
『まあ、間違ってはいないけど』
シリウスは木刀を構え直した。
『じゃあ、続き』
「まだやるの?」
『一回避けるまで四階から出ないよ』
「先長くない!?」
『十二階あるからね』
「今日中に終わる?」
『君次第』
笑顔。
この人。
爽やかだけど。
絶対厳しい。
十二回目。
当たる。
十三回目。
当たる。
十五回。
十九回。
二十三回。
途中から数えるのをやめた。
肩を見る。
足を見る。
でも一つに縛られない。
シリウスを見る。
それでも。
当たる。
「痛い……」
『もうやめる?』
「やめない」
『いいね』
「絶対一回避ける」
『その顔、ちょっとレグルスっぽい』
「え?」
『あいつも負けず嫌いだったから』
「僕は別に」
バシッ。
「痛っ!」
『話してる場合じゃないよ』
「ずるい!」
また。
構える。
何度目か。
シリウス。
前。
立つ。
肩。
見る。
足。
見る。
でも。
追わない。
人。
見る。
黒髪。
目。
木刀。
姿勢。
呼吸。
「……」
一瞬。
何か。
止まった。
呼吸?
シリウスの胸。
ほんの僅か。
動きが消えた。
考える前。
僕の身体が右へ動く。
木刀。
左頬。
掠める。
風。
通る。
「……」
当たってない。
完全。
避けたわけじゃない。
髪。
数本。
落ちる。
でも。
シリウス。
止まった。
『……へえ』
「今」
頬。
触る。
「避けた?」
『半分ね』
「半分?」
『掠ってる』
「でも当たってない!」
『うん』
シリウス。
嬉しそう。
『俺が動く前に動いたね』
「……そうなの?」
『何を見た?』
「分からない」
『何でもいい』
考える。
あの瞬間。
止まった。
「呼吸……かな」
『うん』
「多分」
『それでいい』
「正解?」
『正解かどうかなんてどうでもいい』
「え?」
『君が自分で拾った情報で、俺より先に動いた。それが大事』
シリウスが木刀を壁際へ戻す。
『四階、合格』
「やった……」
僕はその場へ座り込んだ。
腕。
脚。
痛い。
身体。
星装なし。
なのに。
すごく疲れた。
「ソル」
アンタレスが水を渡してくれる。
「ありがとう」
「最後は良かったですね」
「見えた?」
「私はシリウス殿の動きを見ていましたので」
「アンタレスなら避けられる?」
「今の残響であれば」
『普通に避けそうだから参加禁止』
「残念です」
「本当に残念そう」
ベラトリクスが僕の前へ来る。
「どうじゃ」
「何が?」
「見るという意味」
「……少しだけ」
「なら忘れるな」
「うん」
シリウスが五階へ続く階段を指す。
『次行く?』
「ちょっと休ませて」
『五分』
「短い!」
『十分』
「最初からそれで」
『ベラトリクスに似てきたね』
「嫌だ」
「何じゃと!?」
十分後。
五階。
そこは四階より少し狭かった。
床には白い線が何本も引かれている。壁には木製の人形や小さな的。天井からは細い紐で木片がいくつも吊られていた。
「今度は何?」
シリウスが一本の木刀を僕へ渡す。
『今度は“見抜く”』
「見るの次?」
『うん』
「何が違うの?」
シリウスは天井から吊られた木片を一つ指で弾いた。
ゆらゆら。
揺れる。
『見えたものが全部本当とは限らない』
「フェイントみたいな?」
『そう』
「さっき散々やられた」
『じゃあ分かるね』
シリウスは床に並んだ五つの木製人形の前へ立った。
『人は嘘をつく。魔物も獲物を騙す。魔法だって見た目通りとは限らない』
「うん」
『だから、見るだけじゃ足りない』
木刀の先。
一つ。
人形。
指す。
『何が本物か見抜く』
「……」
『これが二つ目』
「心眼の理?」
シリウスが少し笑う。
『まだ名前を教えてなかったね』
「夢で聞いた気がする」
『そうだっけ?』
「僕の夢なのに覚えてないの?」
『俺も曖昧なんだよ』
ベラトリクスが呆れる。
「適当な残響じゃ」
『でも』
シリウスは僕を見る。
笑っているのに。
目だけが鋭い。
『俺はこれを《心眼の理》って呼んでた』
「心眼の理」
『見る』
一本。
指。
『見抜く』
二本。
『そして、その先を見る』
三本。
「三つ」
『うん』
「それができたら、シリウスみたいに戦える?」
『無理』
「即答!?」
『身体も経験も違うから』
「そこは夢持たせてよ!」
『でも』
シリウスが笑う。
『できるようになれば、君は君の戦い方ができる』
「……」
その言葉。
少し。
残る。
レグルスになる必要はない。
シリウスになる必要もない。
僕。
僕の戦い。
『俺が渡せるのは理だけ』
「……うん」
『できるようになるかどうかは、君次第』
「分かった」
『じゃあ始めよう』
「何するの?」
シリウスが五体の人形を見る。
『この中で』
「うん」
『一体だけ斬って』
「どれ?」
『それを見抜く』
「説明終わり!?」
床。
五体。
全部。
同じ。
木。
人形。
「何が違うの?」
『見る』
「だから何を!」
『さあ?』
「シリウス!」
笑う。
楽しそう。
僕はため息をつきながら、一体目へ近づく。
その時。
微か。
魔力。
感じる。
「……」
五体。
同じ。
でも。
一つ。
違う?
「星装使っていい?」
『駄目』
「やっぱり?」
『目を鍛えるのに力借りてどうするの』
「厳しいなあ」
『俺の師匠はもっと厳しかったよ』
「免許皆伝くれなかった人?」
『そうそう』
シリウスが楽しそうに笑う。
『だから頑張って』
「説得力あるような、ないような……」
僕は人形を見る。
一体目。
二体目。
三体目。
同じ。
でも。
本当に?
さっき。
シリウスが言った。
見るだけじゃ足りない。
本物を見抜く。
五階。
心眼の理。
二つ目。
僕は木刀を握り直した。
まだ。
先は長い。
六階。
七階。
十二階。
そして。
四つの奥義。
シリウスが何より大切にしたという理。
その全部を。
僕はまだ何も知らない。
だけど。
「……よし」
一つずつ。
見ればいい。
僕は五体の人形へ向き直った。
その後ろで、シリウスが楽しそうに笑っていた。
まるで。
五百年前。
自分が師匠に教わっていた頃を思い出しているように。




