五百年前の災厄
第15話 五百年前の災厄
翌朝。
商隊は日の出とともに野営地を出発した。
昨日、白い影に襲われたこともあって、隊列はこれまで以上に警戒を強めている。ガイルたちは馬車の周囲へ散り、セラは何度も森へ視線を向けていた。
僕も歩きながら周囲を見る。
昨日までなら星装の練習をしていた時間だけど、今日はまだ使っていない。
身体が少し重い。
昨日の戦闘の疲れもある。
それ以上に、頭の中に残っているものがあった。
白い仮面。
顔のない身体。
白い羽根。
『汚染』
『浄化』
そして。
『未知魔力との接続を確認』
「……」
気づけば、胸元を握っていた。
「ソル」
「ん?」
隣を歩いていたベラトリクスが僕を見る。
「朝から難しい顔をしておるぞ」
「考えてた」
「昨日の奴か?」
「うん」
ベラトリクスの表情が少しだけ変わる。
「気にするなとは言わぬが、歩きながら上の空になるでない」
「分かってる」
「本当か?」
「多分」
「またそれを使うな」
少し前を歩くアンタレスが振り返った。
「昨日から陛下も使っていますが」
「妾はよい」
「何故です?」
「妾だからじゃ」
「便利ですね」
「お主ら最近、妾への当たりが強くないか?」
少し笑う。
でも。
やっぱり気になる。
「ベラトリクス」
「何じゃ」
「昨日の話」
「ああ」
「もう少し教えて」
「……」
ベラトリクスはすぐには答えなかった。
「五百年前の災厄について」
僕は続ける。
「白い翼の奴らが何なのか、全部じゃなくていい。でも、僕たちがこれから戦うかもしれないなら、何も知らないままは嫌だ」
「……」
ベラトリクスが前を見る。
街道。
朝日。
東。
少し離れたところにはガイルたちがいる。
「ここで話すのか?」
「小声なら」
「随分と雑じゃな」
「じゃあ今日の休憩で」
「……よかろう」
珍しく、すぐに了承した。
昼。
商隊は街道から少し外れた草原で休憩を取った。
馬へ水を飲ませ、商人たちは簡単な食事を取っている。《蒼鷹》の四人も交代で休みながら周囲を警戒していた。
僕たちは少し離れた木の下へ座る。
ベラトリクスはパンを一口食べ、それから僕を見た。
「何から聞きたい」
「最初」
「最初?」
「災厄が現れた時」
アンタレスの手が止まる。
ベラトリクスはしばらく黙った後、空を見上げた。
「五百年以上前。人間と魔族は既に争っておった」
「それは聞いた」
「ああ。妾も人間領へ兵を出した。人間も魔族領へ攻め込んだ。互いに殺し、奪い、焼いた」
声は静かだった。
言い訳するような響きはない。
「そこへ、奴らが現れた」
「どこに?」
「ノクティアじゃ」
「……魔族の国?」
「ああ」
僕はてっきり、人間の国へ最初に現れたのだと思っていた。
アンタレスが静かに続ける。
「最初に襲われたのは、私たち魔族です」
「どうやって?」
僕が聞く。
ベラトリクスが空を指した。
「裂けた」
「え?」
「空がじゃ」
「……空?」
「あの日、ノクティアの空に巨大な亀裂が現れた」
アンタレスの金色の瞳が、遠い過去を見ている。
「雲より高い位置でした。最初は光に見えました。ですが、その光の中から」
「白い翼」
僕が言う。
「はい」
昨日見た。
あの姿。
「何体?」
「数えられません」
アンタレスは即答した。
「最初に確認された時点で数百。その後も増え続けました」
「そんなに……」
「下位のものだけではありません。大きな翼を持つ者。人間に近い姿をした者。言葉を話す者もいました」
ベラトリクスがパンを置く。
「奴らは攻めてきたのではない」
「え?」
「少なくとも、奴ら自身はそう思っておらぬかった」
「どういう意味?」
ベラトリクスが僕を見る。
「奴らが最初に何と言ったと思う?」
答えられない。
でも。
一つ。
頭に浮かぶ。
「……汚染?」
ベラトリクスの赤い瞳が細くなる。
「そうじゃ」
アンタレスが小さく頷いた。
「彼らは私たちを『汚染された存在』と呼びました」
「魔族だから?」
「違います」
「じゃあ」
「人間も同じです」
僕は黙る。
ベラトリクスが続けた。
「奴らにとって、人間も魔族も同じじゃった」
「同じ?」
「汚れたもの」
昨日。
白い影が言った。
『汚染濃度、測定』
「じゃあ……」
嫌な想像。
「浄化って」
アンタレスが僕を見る。
「殺すことです」
一言。
それだけだった。
でも。
十分。
「……」
風が草を揺らす。
遠くでは商人たちが話している。
同じ空の下。
そんなことが五百年前に起きていた。
「奴らは、国を奪おうとしたわけではありません」
アンタレスが言う。
「土地が欲しいわけでも、財宝が欲しいわけでもない。ただ、私たちが存在していること自体を間違いだと判断した」
「意味分かんない」
「妾もそう思った」
ベラトリクスが鼻を鳴らす。
「勝手に現れて、勝手に汚れておると決めつけ、勝手に消そうとする。あれほど腹立たしい連中も珍しい」
「それで戦った?」
「当然じゃ」
「最初から?」
「当たり前じゃろ。妾の国へ突然現れて、妾の民を殺したのじゃぞ」
ベラトリクスの声が僅かに低くなる。
「最初の三日で、ノクティア東部の街がいくつも消えた」
「……消えた?」
「焼けたのではない」
アンタレスが答える。
「文字通り、消えました」
「街が?」
「はい」
想像できない。
いや。
したくない。
「だから魔族は逃げた」
ベラトリクスが言う。
「北へ。西へ。地下へ。そして、人間領へ」
「あ」
分かった。
「人間からしたら」
「ああ」
「魔族が攻めてきたように見える」
「元々戦争中じゃったからな」
ベラトリクスが苦く笑う。
「魔族の軍勢が国境を越えれば、人間は当然攻撃する。逃げてきた者まで兵に見えた」
アンタレスが目を伏せる。
「逆もありました。災厄から逃げた人間が魔族領へ入り、魔族側が攻撃した」
「……」
「互いに」
アンタレスが言う。
「相手が何かをしたのだと思っていました」
「妾もじゃ」
「ベラトリクスも?」
「ああ。最初は、人間どもが妙なものを呼び出したと思っておった」
「人間側は?」
「魔王が呼び出した」
後ろから声。
ノア。
「え?」
僕たち三人。
同時。
振り返る。
少し離れた場所。
ノアが立っていた。
「何じゃ」
「いや、聞こうとしたわけじゃないんだけど」
「聞いておったではないか」
「近く通ったら聞こえたんだよ!」
ノアが慌てる。
「魔王が何かを呼び出したっていう伝承ならある」
ベラトリクスの眉が動く。
「何?」
「五英雄記の古い版にあるんだ。魔王ベラトリクスが禁忌の魔術で怪物を呼び、それを制御できなくなったって」
「……」
ベラトリクス。
笑顔。
怖い。
「ノア」
「な、何?」
「その本はどこじゃ」
「持ってるけど」
「燃やしてよいか?」
「駄目に決まってるだろ!?」
「また燃やそうとしてる!」
僕が止める。
「五百年前も妾のせいにされておるではないか!」
「ベラトリクス、声!」
「知らぬ!」
「何の話?」
遠くからガイル。
「何でもないです!」
僕が叫ぶ。
ノアは不思議そうにしながら去っていった。
ベラトリクスはまだ怒っている。
「禁忌の魔術じゃと……」
「落ち着いて」
「妾が呼ぶならもっと格好いいものを呼ぶわ!」
「そこ?」
アンタレスが小さくため息をついた。
「陛下」
「何じゃ」
「話を戻しましょう」
「……うむ」
パンを乱暴に一口。
まだ怒ってる。
「人間は妾のせい。魔族は人間のせい。そんな状態で奴らは両方を殺しておった」
「じゃあ」
僕は聞く。
「どうやって一緒に戦うことになったの?」
ベラトリクスが止まる。
一瞬。
懐かしそうな。
嫌そうな。
よく分からない顔。
「……レグルスじゃ」
「やっぱり?」
「あの馬鹿が最初に気づいた」
「何に?」
「災厄が人間側でも魔族側でもないことに」
アンタレスが少し笑う。
「正確には、レグルス殿とアークトゥルス殿ですね」
「またあの爺か」
「賢者だからね」
「アークトゥルスが戦場に残った魔力を調べ、同じものがノクティアにも人間領にもあると突き止めた」
「それでベラトリクスに?」
「レグルスが一人で来た」
「一人!?」
「本当に馬鹿じゃろ」
ベラトリクスが呆れたように言う。
「戦争中の魔王城へ、一人で」
「よく殺さなかったね」
「半分殺した」
「半分!?」
「陛下」
アンタレスが横から訂正する。
「かなり重傷でした」
「生きておった」
「結果論です」
「何て言ったの?」
僕が聞く。
ベラトリクスは少し考える。
「覚えておらぬ」
「絶対覚えてる顔」
「細かいところは忘れた」
「じゃあ大体」
「……」
少し。
間。
「『俺たちが殺し合ってる場合じゃない』」
「……」
「『先に空の奴らをどうにかする』」
もう一度。
少し。
「『その後で、まだ戦いたいなら俺が相手する』」
僕は笑った。
「レグルスっぽい」
「馬鹿じゃ」
「でも一緒に戦った」
「……ああ」
「何で?」
「気に入らぬが」
ベラトリクスは空を見る。
「正しかったからじゃ」
それだけ。
「そこから六人?」
「まだじゃ」
「違うの?」
「妾が最初から仲良く五人の中へ入ると思うか?」
「思わない」
「即答するでない!」
「その辺は」
アンタレスが静かに言う。
「かなり長い話になります」
「聞きたい」
「また今度じゃ」
ベラトリクス。
「えー」
「全部一日で聞こうとするな」
「分かったよ」
「それに」
ベラトリクスの顔が少し真剣になる。
「今重要なのは、その後じゃ」
「その後?」
「ああ」
「災厄の核を封じた後?」
「そうじゃ」
僕はアンタレスを見る。
「アンタレスはその後も戦ったんだよね?」
「はい」
「白い奴らと?」
「残った個体と」
「どれくらい?」
アンタレスが少し考える。
「大規模な戦闘は、陛下が消えてから十年ほどでほぼ終わりました」
「十年……」
「ですが、小規模な個体は各地に残りました」
「それを」
「討伐しました」
「アンタレスたちが?」
「魔族だけではありません」
「人間も?」
「当時は、一部の国と協力関係が残っていましたから」
ベラトリクスが少し驚く。
「そうなのか?」
「はい」
「妾が眠った後も?」
「長くは続きませんでしたが」
「……そうか」
五百年間。
本当に。
色々あったんだ。
「最後に確認されたのは?」
僕が聞く。
アンタレスの表情が変わる。
「私が直接確認したものなら」
「うん」
「四百三十年ほど前です」
「……」
一瞬。
意味。
考える。
「四百年以上?」
「はい」
「それから一度も?」
「私は見ていません」
ベラトリクスが腕を組む。
「つまり」
僕は昨日の白い影を思い出す。
「四百年以上いなかった奴が、今になって出てきた」
「ああ」
「しかも」
アンタレスが続ける。
「五百年前の個体とは違います」
「弱い」
「はい」
「空っぽ」
「はい」
僕は黙る。
昨日。
ベラトリクスが言っていた。
作り直された可能性。
「誰かが作ってる?」
「分からぬ」
「でも可能性はある?」
「ああ」
「誰が?」
「それを確かめる」
ベラトリクスが東を見る。
「五つの塔を回りながらな」
「シリウスの塔も関係してる?」
「少なくとも、レグルスの塔は何者かに止められておった」
「同じ奴ら?」
「まだ決めつけるな」
「はい」
「じゃが」
ベラトリクスが目を細める。
「無関係とも思えぬ」
休憩終了。
商隊が再び動き始める。
僕は歩きながら、聞いた話を頭の中で整理していた。
人間と魔族。
戦争。
そこへ現れた災厄。
互いに相手のせいだと思った。
そして。
今も。
魔族の仕業に見える襲撃が起きている。
「……」
嫌な感じ。
「ソル」
アンタレス。
「何でしょう」
「また考えていますね」
「うん」
「前は見ていますか?」
「見てる」
「なら構いません」
「ベラトリクスより優しい」
「聞こえておるぞ」
後ろから。
「ベラトリクス」
「何じゃ」
「もし」
「うむ」
「今の奴らが、わざと魔族の仕業に見せてるなら」
「……」
「五百年前と同じこと起こそうとしてる?」
ベラトリクスはすぐには答えなかった。
アンタレスの顔も険しくなる。
「可能性はあります」
「何で?」
「人間と魔族を争わせれば」
アンタレスが言う。
「どちらも弱ります」
「その間に?」
「何かをする」
ベラトリクス。
「じゃが、まだ推測じゃ」
「うん」
「考えるのはよい。決めつけるな」
「分かった」
少し歩く。
その時。
前方。
街道。
旗。
「……何あれ?」
王国旗。
何人もの兵士。
木製の柵。
簡単な建物。
ガイルが少し速度を落とした。
「検問だな」
「検問?」
「昨日まではなかったはずだ」
商隊長が眉をひそめる。
近づく。
兵士。
十人以上。
全員。
武装。
「商隊、停止!」
馬車が止まる。
ガイルが前へ。
「王都からリュネへ向かう商隊だ」
「代表者は?」
「護衛責任者、C級冒険者ガイル」
冒険者証。
確認。
兵士が頷く。
「積荷と人員を確認する」
「理由は?」
兵士の表情。
硬い。
「東部地域で魔族による襲撃が相次いでいる」
僕。
アンタレス。
ベラトリクス。
同時。
止まる。
「魔族?」
ガイルが聞く。
「昨日、ローデ村でも襲撃があった」
「知っている。俺たちも立ち寄った」
「なら話が早い」
兵士が紙を取り出す。
「王国は本日より東部地域の警戒段階を引き上げた」
「討伐隊は?」
「現在編成中だ」
アンタレスの指が僅かに動く。
「魔族と確認されたのですか?」
兵士が彼女を見る。
「何?」
「襲撃者が魔族である証拠は?」
「目撃証言がある」
「それだけですか?」
「黒い魔力を使った人型。複数の村で一致している」
アンタレスの表情が冷たくなる。
僕は慌てて腕を軽く引いた。
「アンタレス」
「……」
「今は」
小声。
「分かっています」
兵士が少し怪訝そうに見る。
「何か?」
「いえ」
アンタレスはいつもの落ち着いた表情へ戻る。
「念のため確認しただけです」
「最近、魔族に詳しい人間が増えたな」
兵士が冗談めかして言った。
「……そうですね」
怖い。
僕はそれ以上何も言わない。
荷物。
確認。
身分証。
一人ずつ。
僕。
冒険者証。
「F級」
「はい」
「昨日登録か?」
「はい」
「こんな時期に東へ?」
「護衛補助です」
「気をつけろよ」
「ありがとうございます」
ベラトリクス。
「名前」
「ベラトリクス」
兵士。
止まる。
「……」
「何じゃ」
「すごい名前だな」
「本名じゃ」
「祭りで付けたんじゃないのか?」
「妾は」
「本名です!」
僕。
割り込む。
「生まれた時から!」
「そうか」
兵士。
笑う。
「魔王が魔族警戒地域へ旅か」
「妾なら」
「ベラトリクス」
「……」
黙る。
次。
アンタレス。
「名前」
「アンタレス」
「出身」
「ノクティア」
「ノクティア?」
兵士。
首。
傾げる。
「遠方です」
僕。
早い。
「すごく遠いです」
「……まあいい」
冒険者証。
確認。
「F級」
「はい」
「三人とも新人か?」
「はい」
「C級パーティから離れるなよ」
「承知しました」
アンタレス。
完璧。
ベラトリクス。
不満そう。
検問。
通過。
その時。
兵士が商隊へ紙を配る。
「全員、一枚は持っておけ」
僕も受け取る。
《東部地域における魔族出現への注意》
《不審な魔力、人型の魔族、魔族と思われる者を発見した場合、直ちに王国軍へ通報すること》
「……」
横。
ベラトリクス。
覗く。
アンタレス。
反対側。
覗く。
「……」
「……」
僕。
紙。
ゆっくり折る。
「これ」
「何じゃ」
「二人に見せない方がよかったやつだよね」
「もう見たわ!」
ベラトリクスが怒る。
「妾を発見したら通報じゃと!?」
「声!」
「魔王を魔族と思われる者扱いしおって!」
「問題そこ!?」
アンタレスは笑わない。
紙。
見る。
静か。
「アンタレス?」
「……早い」
「何が?」
「広がるのがです」
「……」
アンタレスが紙を握る。
「一つの村の襲撃だけなら、ここまで警戒は上がりません」
「他でも起きてる」
「はい」
「つまり」
僕。
嫌。
理解。
「白い影が何体もいる?」
「可能性は高いでしょう」
ベラトリクスが前を歩きながら呟く。
「そして、人間は既に魔族の仕業と思っておる」
「まずくない?」
「非常に」
アンタレスが即答した。
「この情報がノクティアへ届けば」
「魔族側も警戒する?」
「それだけならよいのですが」
「人間が討伐隊を出す」
「はい」
「本当に魔族と遭遇したら」
「戦闘になる可能性があります」
「……」
一回。
誰かが攻撃する。
反撃。
次。
また。
五百年前。
同じ。
「じゃあ」
僕は言う。
「本当のことを言えば?」
ベラトリクスが振り返る。
「誰が信じる」
「……」
「王国軍へ行って、妾が『魔族はやっておらぬ』と申すか?」
「……」
想像。
「逮捕されるね」
「じゃろ?」
「アンタレスが言えば」
「私は次代の魔王ですが」
「もっと駄目だ」
二人。
戦争を止めたい。
でも。
人間側から見れば。
一番信用できない二人。
「困ったなあ」
「だから」
アンタレスが東を見る。
「急ぐ必要があります」
「カグラへ?」
「はい」
「シリウスの塔」
「そこに答えがあるとは限りません」
「うん」
「ですが、今ある手がかりの中で最も大きい」
「……」
ベラトリクスも頷く。
「第一塔を止めた者と、今の白い奴らが同じなら、シリウスの塔にも何か残っておるかもしれぬ」
「じゃあ港まで急ぐ?」
「商隊を置いてはいけぬ」
アンタレス。
「依頼中です」
「分かってる」
「それに」
ベラトリクスが僕を見る。
「今のお主を連れて急ぐ方が危険じゃ」
「僕?」
「そうじゃ」
「急に?」
「昨日から考えておった」
「何を?」
ベラトリクスが立ち止まる。
赤い瞳。
真っ直ぐ。
僕を見る。
「ソル」
「何?」
「お主を鍛える」
「……」
「え?」
「聞こえなかったか?」
「聞こえたけど」
「なら返事をせよ」
「何で急に?」
「急ではない」
ベラトリクスが腕を組む。
「昨日の戦いを見て決めた」
「星装?」
「それ以前の問題じゃ」
「……」
嫌な予感。
「お主は弱い」
「知ってる」
「剣も下手」
「村で習っただけだから」
「足運びも雑」
「はい」
「敵を見る位置も悪い」
「……はい」
「距離の取り方も下手」
「はい」
「判断も遅い」
「もうやめて!」
アンタレスが横で少し笑う。
「そこまで言わなくても」
「事実じゃ」
「否定できないけど!」
ベラトリクス。
急に真剣。
「ソル」
「うん」
「レグルスが強かったのは、星装があったからではない」
「……」
「剣があった。足があった。経験があった。判断があった。その全ての上に星装を乗せておった」
「……」
「今のお主は」
一拍。
「強い力を持った素人じゃ」
「……言い方きついなあ」
「間違っておるか?」
「間違ってない」
昨日。
星装。
なかったら。
白い影の攻撃。
一撃。
受けられなかった。
でも。
星装があっても。
ベラトリクスが最後に攻撃しなければ。
どうなっていたか。
分からない。
「それに」
アンタレスが口を開く。
「私も陛下に賛成です」
「アンタレスも?」
「この先、昨日のような敵が増える可能性があります」
「うん」
「その度に、陛下と私がソルだけを守りながら戦えるとは限りません」
「……」
「最低でも」
アンタレスが僕を見る。
「自分の身を守れる程度にはなってもらう必要があります」
「そこそこ戦えるくらい?」
「まずはそこからです」
ベラトリクス。
鼻。
鳴らす。
「星装なしで、普通の魔物一匹程度は倒せるようになれ」
「それ結構大変じゃない?」
「だから鍛えるのじゃ」
「誰が?」
「妾」
「……」
「何じゃその顔」
「教え方」
「ソル」
「感覚って言うじゃん」
「今回は戦闘じゃ!」
「もっと不安!」
アンタレスが小さく手を上げる。
「私も手伝います」
「助かった」
「何故じゃ!」
「アンタレスは説明上手いから」
「妾だって出来る!」
「星装で『散らせ』しか言ってなかったよ」
「散らす以外に何と言えと!」
後ろ。
「何の話だ?」
ガイル。
来る。
「ソルを鍛える」
ベラトリクス。
即答。
「ベラトリクス!」
「何じゃ」
「なんで勝手に」
「事実じゃ」
ガイルが僕を見る。
「鍛える?」
「らしいです」
「……」
僕。
腰。
短剣。
ガイル。
見る。
「ちょうどいい」
「え?」
「俺も言おうと思ってた」
「ガイルさんまで!?」
「昨日の戦い」
「はい」
「身体強化はすごい」
「ありがとうございます」
「でも」
嫌な予感。
「短剣の使い方は酷い」
「……」
ベラトリクス。
笑う。
「ほら見よ」
「嬉しそうにしないで!」
ガイル。
僕。
短剣。
指す。
「誰に習った?」
「村のおじさん」
「冒険者?」
「猟師」
「なるほど」
「駄目?」
「魔物相手の護身程度なら悪くない。ただ」
ガイルが自分の剣を軽く叩く。
「お前の身体強化を使うなら、短剣だけじゃ勿体ない」
「長い方がいい?」
「ああ。片手で扱える剣くらいがいい」
ベラトリクスが少し笑う。
「レグルスも剣じゃった」
「それは関係ある?」
「あるかもしれぬ」
「でも僕、レグルスみたいになるつもりは」
「なる必要はない」
ベラトリクスが即答する。
「え?」
「お主はレグルスではない」
「……」
「星装を預かっただけじゃ」
「うん」
「なら、自分に合う使い方を探せ」
少し。
意外。
「ベラトリクス」
「何じゃ」
「ちゃんと先生っぽい」
「焼くぞ」
「褒めたのに!」
ガイルが笑った。
「剣は港に着いてからでもいい。それまでは、その短剣で基礎をやるか」
「ガイルさんが教えてくれるんですか?」
「ああ」
「いいの?」
「依頼中だ。夜の時間だけな」
「ありがとうございます」
「ただし」
ガイル。
笑顔。
ちょっと怖い。
「俺は優しくないぞ」
「……」
横。
ベラトリクス。
「妾はもっと厳しいぞ」
「競わなくていいよ!」
アンタレス。
「私は適度に」
「アンタレスだけが救い」
「ただし必要なら陛下より厳しくします」
「救い消えた」
その日の夕方。
野営地へ到着。
荷物を降ろし、天幕を張り、食事。
そして。
「よし」
ガイル。
木剣。
二本。
「始めるか」
「もう?」
「何のために早めに野営地入ったと思ってる」
「僕のため?」
「半分。残りは昨日の戦闘で馬が疲れてる」
「ですよね」
一本。
渡される。
短剣より。
長い。
「まず構え」
「はい」
僕。
持つ。
村。
習った。
構え。
「……」
ガイル。
止まる。
「何?」
「よく昨日まで生きてたな」
「そんなに!?」
少し離れ。
ベラトリクス。
「妾もそう思っておった」
「じゃあ早く言ってよ!」
「聞かれなかった」
「アンタレスと同じこと言う!」
アンタレス。
「私は貨幣についてでしたが」
「今そこじゃない!」
ガイルが僕の腕を直す。
「力入りすぎ」
「こう?」
「肩抜け」
「……」
「足開きすぎ」
「はい」
「前に出すぎ」
「……」
「腰高い」
「……」
「ソル」
ベラトリクス。
「何?」
「酷いぞ」
「分かってきたから言わないで!」
ガイル。
笑う。
「最初はこんなもんだ」
「本当に?」
「ああ」
「レグルスなら」
ベラトリクス。
「比較禁止!!」
夜。
星。
焚き火。
僕は。
何度も。
木剣を振った。
星装は使わない。
ただ。
足を動かす。
構える。
振る。
戻す。
避ける。
受ける。
地味。
めちゃくちゃ。
地味。
でも。
「違う」
ガイル。
木剣。
僕の足。
軽く叩く。
「痛っ」
「敵を斬った後に止まるな」
「はい」
「次が来る」
「はい」
「目も武器だけ見るな」
「どこを見るの?」
「全体」
「難しい」
「だから慣れろ」
ベラトリクス。
横。
「肩を見るのじゃ」
「肩?」
「人間は攻撃する前に大抵動く」
「足もです」
アンタレス。
「重心が変わります」
「目線もじゃ」
「多い!」
「戦いとはそういうものじゃ」
「星装より覚えること多くない?」
ガイル。
笑う。
「強い奴ほど、こういう地味なところがちゃんとしてる」
「……」
レグルス。
思い出す。
あの人。
星装。
光。
派手。
でも。
その下。
全部。
積み上げたもの。
だった。
「もう一本お願いします」
ガイル。
少し。
笑う。
「おう」
一時間後。
「……無理」
地面。
仰向け。
倒れる。
「情けないのう」
ベラトリクス。
覗く。
「うるさい」
「まだ一時間じゃぞ」
「一時間ずっと殴られたんだけど!」
「殴ってない。木剣で叩いただけだ」
ガイル。
「同じです!」
アンタレス。
水。
渡す。
「どうぞ」
「ありがとう」
「明日は足運びを重点的に」
「明日も?」
「当然です」
「……」
「嫌ですか?」
僕。
少し。
考える。
腕。
痛い。
脚。
痛い。
疲れた。
でも。
「やる」
「そうですか」
「うん」
右手。
握る。
星装。
使わなくても。
今日。
一回だけ。
ガイルの木剣を避けられた。
偶然。
かもしれない。
でも。
昨日までなら。
絶対。
当たってた。
「星装だけじゃ」
僕。
呟く。
ベラトリクスが見る。
「何じゃ」
「駄目なんでしょ」
「ああ」
「だったら」
起き上がる。
「使わなくても、そこそこ戦えるようにはなりたい」
ガイル。
少し。
笑う。
「いい目標だ」
「そこそこって低い?」
「最初から最強とか言う奴より百倍まし」
ベラトリクス。
「最強は妾がおるから無理じゃ」
「誰もそこ狙ってないよ!」
「ならよい」
アンタレス。
笑う。
その夜。
僕は寝る前に。
星装。
一度だけ。
出した。
金色。
光。
全身。
薄く。
でも。
今日は戦わない。
動かない。
ただ。
光。
見る。
レグルスが預けてくれたもの。
強い。
凄い。
でも。
これだけに頼るのは違う。
「……」
光。
消す。
明日。
また。
剣。
振る。
多分。
痛い。
絶対。
ベラトリクス。
うるさい。
アンタレス。
意外と厳しい。
ガイル。
もっと。
厳しい。
「……大変だなあ」
でも。
少し。
楽しみ。
そんなこと。
思いながら。
僕は目を閉じた。
その頃。
王都から東へ伸びる街道。
さらに先。
別の検問所。
兵士が。
新しい命令書。
壁。
貼る。
《東部魔族警戒令》
《魔族による襲撃件数増加》
《必要に応じ、討伐部隊を派遣する》
その紙。
風。
揺れる。
人々。
見る。
噂。
広がる。
魔族が戻ってきた。
魔王が復活する。
五百年前の恐怖が。
再び。
誰も。
真実。
知らない。
そして。
遥か東。
海の向こう。
カグラ皇国。
剣聖シリウスの塔。
五百年間。
静かだった最上部。
一瞬。
ほんの一瞬だけ。
光が灯った。
青ではない。
金でもない。
鋭い。
銀色。
まるで。
鞘から抜かれた。
一本の刀のように。




