本物
第143話 本物
『天使と思われる反応です!!』
訓練直後の空気が、一瞬で消えた。
座り込んでいた兵士が立つ。
下ろしていた武器が上がる。
笑っていた者も、もういない。
僕も《明星》を握った。
アンの声が飛ぶ。
『場所を詳しく』
『アステリア王国北部!旧監視塔より北東、およそ二十キロ!』
「……前と近い」
以前、天使が現れた場所。
僕とカイルが初めて天使を追った場所だ。
ベラも気づいたらしい。
『同じ地域か』
『はい!』
アンが続ける。
『個体数は?』
『現在確認できている反応は一体のみ!ただし――』
一拍。
『魔力量が、これまで確認した雑兵個体を大きく上回っています!!』
「……」
空気が重くなる。
一体。
でも。
強い。
カイルが槍を握り直した。
「大天使か?」
「まだ分からない」
エリシアが言う。
「ですが、警戒するべきです」
アンはもう動いていた。
『ガレス』
『はっ!』
『訓練は完全終了。これより実戦へ移行します』
『了解!!』
『私は先行します』
ガレスが顔を上げる。
『お一人で!?』
『はい』
「アン」
僕も思わず声を出す。
アンが僕を見る。
『大丈夫です』
「でも」
『このための予定だったでしょう?』
そうだった。
訓練中。
本物の天使が現れた場合。
訓練を即時中止。
アンが真っ先に現地へ向かう。
世界の戦力がセレフィアへ集まっている今、別の場所が襲われた時の空白を作らないため。
『私が先に状況を確認します』
アンの身体から赤い魔力が溢れる。
『ガレス』
『はっ!』
『後続をお願いします』
『承知!!』
アン。
空を見る。
次の瞬間。
――ドンッ!!
「うわっ!?」
赤。
それしか見えなかった。
地面が揺れる。
風が遅れて吹き抜ける。
アンがいた場所。
もう誰もいない。
遥か上空。
赤い光。
一つ。
それすら。
すぐに消える。
カイル。
口。
開けてる。
「……速すぎだろ」
「見えなかった」
エリシアも空を見る。
「もう、かなり離れています」
ベラが鼻を鳴らす。
『あやつ、本当に加減を知らぬの』
「ベラが言う?」
『何じゃ』
「何でもない」
ガレスの声が戦場へ響く。
『全員聞け!!』
今度は。
訓練じゃない。
『これより実戦部隊を再編する!!』
兵士たちの表情が変わる。
『訓練で負傷判定を受けた者は除外!!実際に身体を痛めた者、魔力消耗の大きい者も全員残れ!!』
『まだ動けるは無しだ!!』
何人か。
気まずそうに顔を逸らす。
『今から行くのは本物の戦場だ!!無理をした一人のために十人を危険へ晒すつもりはない!!』
誰も反論しない。
『各隊長!五分以内に状態確認!戦闘可能者を選定しろ!!』
一斉に動く。
ヴァルガルド。
アステリア。
魔王軍。
アルカディア。
セレフィア。
カグラ。
さっきまで一つの訓練をしていた軍が、今度は本物の戦いへ向けて組み直されていく。
ガレスがさらに指示を飛ばす。
『本隊は地上移動!速度を優先するが隊列は崩すな!』
『飛行可能な魔王軍は先行部隊を編成!』
『アルカディアは観測を継続!反応が増えた場合は即時報告!』
『アステリア王国へ連絡!現地軍は住民避難を最優先!天使との無理な交戦は禁止!!』
次々。
迷いがない。
さっきの訓練。
もう。
使ってる。
「僕たちは?」
僕が聞く。
ガレスがこっちを見る。
その前に。
ベラが言った。
『妾たちは先に行く』
「ベラ?」
『アンタレス一人に任せておく必要はなかろう』
黒い魔力。
ベラの周囲。
揺れる。
『地上を進んでおっては遅い』
カイルが眉を上げる。
「飛んでくのか?」
『そうじゃ』
「俺飛べないぞ」
『知っておる』
「じゃあどうすんだよ」
ベラ。
少し笑う。
嫌な笑い。
「……ベラ?」
『まとめて運ぶ』
「まとめて?」
『急ぐのであろう?』
「うん」
『なら文句を言うな』
「まだ何も言ってないんだけど」
『先に言っておく』
カイルが僕を見る。
「絶対ろくな運び方じゃねえぞ」
「僕もそう思う」
『聞こえておる』
エリシアだけが真面目に確認する。
「何人まで可能ですか?」
ベラが周囲を見る。
『十数人程度なら問題ない』
「なら」
レオンハルトが前へ出た。
「聖騎士団から治癒魔法を扱える者を選抜します」
ガレスが頷く。
『頼む』
レオンハルト。
すぐに聖騎士団へ向く。
「治癒、防御、機動力を優先!戦闘可能な者のみ前へ!」
数人。
出る。
全員。
さっきの訓練でも大きな消耗をしていない。
レオンハルト自身も入る。
「私も同行します」
ガレスが少し眉を寄せる。
『副隊長まで行くのか?』
「現地で負傷者が出ている可能性があります」
一拍。
「治癒を扱える者だけでなく、現場で指揮を取れる者も必要でしょう」
ガレス。
数秒。
見る。
『……分かった』
「ありがとうございます」
『ただし無茶はするな』
「総隊長にだけは言われたくありません」
『俺は残る!!』
「だからです」
カイル。
小声。
「仲いいな」
「ね」
「聞こえていますよ」
「すみません」
次。
シノブ。
既に準備。
終わってる。
「カグラ先鋭部隊から五名出す」
「シノブも?」
「ああ」
「訓練の後だけど大丈夫?」
「問題ない」
短い。
いつも通り。
シノブの後ろ。
四人。
立つ。
全員。
装備。
確認済み。
ベラが見る。
『お主らも来るか』
「偵察、索敵、追跡」
シノブが答える。
「天使相手ならば必要になる」
『よかろう』
そして。
僕たち。
ベラ。
ソル。
カイル。
エリシア。
《黒翼》。
全員。
揃う。
ガレスが僕を見る。
『ソル』
「うん」
『さっき《星域》を使ったばかりだ』
「大丈夫」
『お前の大丈夫は信用ならん』
「ひどい」
「正しいです」
エリシア。
即答。
「エリシア!?」
ガレスが続ける。
『無理なら戦うな。現地にはアンタレス様とベラトリクス様がいる』
「うん」
『お前が全部背負う必要はない』
「……分かった」
エリシアが僕を見る。
「今、少し間がありました」
「気のせい」
「違います」
「行く前から怒らないで」
ベラ。
呆れた顔。
『こやつの監視役を入れたのは正解じゃったな』
「監視役じゃありません」
一拍。
「……多分」
「多分!?」
カイル。
笑ってる。
ガレスが大剣を地面へ突き立てる。
『先行隊』
全員。
見る。
『目的は天使の討伐だけじゃない』
声。
強い。
『現地状況の確認』
『住民及びアステリア王国軍の保護』
『敵戦力の把握』
一拍。
『そして』
『アンタレス様との合流』
ベラが頷く。
『分かっておる』
『本隊も編成が終わり次第、すぐ追う』
「ガレス」
僕。
見る。
「そっちも気をつけて」
『誰に言ってる』
「総隊長」
『なら命令を聞け』
「はい」
ガレス。
笑う。
『行ってこい』
ベラ。
前へ。
黒い魔力。
広がる。
炎じゃない。
僕たちの足元。
包む。
「……これどうなるの?」
『飛ぶ』
「それは分かる」
『なら黙っておれ』
「怖いんだけど」
カイル。
槍。
背負う。
「ソル」
「何?」
「落ちたら拾ってくれ」
「僕も飛べないよ」
「終わった」
エリシア。
「二人とも静かにしてください」
「はい」
ベラの魔力が広がる。
僕。
カイル。
エリシア。
レオンハルト。
聖騎士数人。
シノブ。
カグラ先鋭部隊数人。
全員。
黒い魔力に包まれる。
身体。
浮く。
「うわっ」
「マジで浮いた」
『騒ぐな』
「初めてなんだから仕方ないでしょ!」
レオンハルトが周囲を見る。
「全員、装備を固定!飛行中に落とすな!」
「はい!!」
シノブたち。
無言。
普通。
「カグラの人たち落ち着きすぎじゃない?」
「任務中だ」
「はい」
ベラ。
空を見る。
アン。
もう。
見えない。
『では行くぞ』
「ちょっと待って」
『待たぬ』
「速度どれくら――」
――ドンッ!!
「うわぁぁぁぁぁぁ!?」
景色。
消えた。
いや。
流れた。
地面。
一気に遠ざかる。
街。
小さくなる。
大結界。
下。
抜ける。
風。
すごい。
「ベラァァァ!!」
『何じゃ!!』
「速い!!」
『急ぐと言ったであろう!!』
「限度!!」
横。
カイル。
顔。
引きつってる。
「俺これ嫌いだ!!」
エリシア。
目。
閉じてる。
「……喋ると舌を噛みます」
「もう遅い!!」
レオンハルト。
必死。
平静。
保ってる。
「ベラトリクス様!」
『何じゃ!』
「聖騎士二名が顔色を失っています!」
『死にはせぬ!』
「そういう問題ではありません!!」
シノブ。
普通。
「速いな」
「何で平気なの!?」
「訓練している」
「何の!?」
でも。
速い。
本当に。
速い。
セレフィア。
遠ざかる。
山。
越える。
川。
越える。
街道。
遥か下。
僕。
前。
見る。
アン。
いない。
ベラより。
さらに。
先。
「アン、どれくらい先?」
ベラの顔から。
少し。
ふざけた感じ。
消える。
『かなりじゃ』
「ベラより速い?」
『今は人数を運んでおる』
「一人なら?」
『競争する気はない』
「どっち?」
『黙れ』
カイル。
「負けてんじゃね?」
『落とすぞ』
「すみません」
でも。
アン。
もう。
現地へ向かってる。
一人。
本物の天使。
相手。
僕。
《明星》。
握る。
さっきまで。
訓練。
笑ってた。
でも。
今度は。
違う。
失敗したら。
誰か。
死ぬ。
「……」
エリシア。
僕を見る。
「ソルさん」
「何?」
「力、入っています」
自分の手。
見る。
《明星》。
強く。
握ってた。
「……ごめん」
「謝る必要はありません」
一拍。
「ですが」
エリシア。
前を見る。
「私たちは一緒にいます」
「……うん」
カイル。
横。
笑う。
「そういうこと」
シノブ。
後ろ。
「索敵は任せろ」
レオンハルト。
「負傷者は我々が対応します」
ベラ。
前。
見たまま。
『ソル』
「何?」
『今度は』
一拍。
『全部、自分でやろうとするでないぞ』
「……分かってる」
『本当か?』
「今日はみんな厳しくない?」
誰も。
否定しない。
「なんで!?」
少しだけ。
空気。
緩む。
でも。
その時。
ベラの顔。
変わった。
「……ベラ?」
返事。
ない。
赤い瞳。
前。
見る。
『感じる』
全員。
静かになる。
「天使?」
『ああ』
一拍。
『先ほどの訓練とは違う』
ベラの魔力。
さらに。
強くなる。
速度。
上がる。
「っ……!」
『本物じゃ』
空。
前方。
遠く。
ほんの僅か。
赤い光。
見えた。
アン。
追いついてきた。
いや。
違う。
止まってる。
空中。
その先。
白。
一つ。
浮いてる。
「……」
天使。
背中。
翼。
でも。
何か。
違う。
今までの雑兵より。
魔力。
重い。
距離。
まだあるのに。
肌。
刺される。
カイル。
槍。
手。
伸ばす。
エリシア。
細剣。
握る。
シノブ。
目。
細める。
レオンハルト。
後ろの聖騎士へ合図。
ベラ。
速度。
落とさない。
僕。
《明星》。
握る。
そして。
赤い光。
アンが。
白い影と。
ぶつかった。
――ドォォォォォン!!
遥か先。
空。
赤く。
染まる。
衝撃。
ここまで。
届く。
「アン!!」
本物の戦いは。
もう。
始まっていた。




