最初の兆候
第111話 最初の兆候
アステリア王国北部。
王都から遠く離れた国境付近。
小さな街道を見下ろすように、一つの監視塔が建っていた。
世界会談から数日。
各国には、すでに新たな警戒命令が出されている。
天使。
五百年前。
魔王ベラトリクスと五英雄が戦った、本当の敵。
その存在は各国の軍上層部へ伝えられ、国境や主要都市、街道の監視体制も強化されていた。
とはいえ。
実際にそれを見た者は、ほとんどいない。
「天使、ねえ」
監視塔の上。
一人の兵士が空を見ながら呟いた。
「本当にいるのか?」
「馬鹿。余計なこと言うな」
隣の兵士が答える。
「各国の首脳が揃って警戒命令を出してるんだぞ」
「分かってるけどさ」
「だったら黙って見張ってろ」
「はいはい」
男は再び遠くを見る。
いつもと変わらない。
街道。
森。
山。
青い空。
何もない。
「今日も平和だな」
「そういうこと言うと何か起きるぞ」
「じゃあ言わない」
「もう言ってる」
「細かいなあ」
その時だった。
「……ん?」
兵士が空を見上げる。
「どうした?」
「いや」
目を細める。
雲。
その隙間。
何か。
白いものが見えた。
鳥。
違う。
大きい。
「……何だ、あれ」
もう一人も空を見る。
白い何か。
ゆっくり。
雲の中から降りてくる。
人。
いや。
人の形をしている。
背中。
翼。
白い身体。
そして。
不自然なほど整った、無機質な姿。
二人。
動けない。
世界会談後。
全軍へ配布された資料。
そこに描かれていた姿と。
同じ。
「……おい」
「分かってる」
兵士の声が震える。
「警鐘を鳴らせ」
「でも」
「早くしろ!!」
鐘。
鳴る。
カン。
カン。
カン。
カン。
監視塔から響く警鐘。
下にいた兵士たちが一斉に動き出す。
「何だ!?」
「敵襲か!?」
「空だ!」
「空を見ろ!!」
兵士たち。
見上げる。
そして。
止まる。
白い翼。
人型。
ゆっくり。
降下。
やがて。
街道の先。
地面へ降り立った。
一体。
たった。
一体。
それでも。
誰も。
近づけない。
天使が顔を上げる。
瞳。
光る。
『――地表到達』
無機質な声。
『観測開始』
「……喋った」
兵士の一人が呟く。
隊長らしき男が剣を抜く。
「全員、構えろ!」
一斉。
剣。
槍。
杖。
構える。
「伝令!」
「はっ!」
「王都へ報告!」
「天使と思われる個体を確認!」
「数、一!」
「交戦の可能性あり!」
「急げ!」
「はい!」
伝令兵。
走る。
天使。
動かない。
ただ。
周囲を見ている。
『建造物――確認』
『武装個体――確認』
『魔力反応――低』
兵士たち。
顔を見合わせる。
「何を言ってる?」
「分からん」
『観測継続』
天使。
一歩。
進む。
「止まれ!!」
隊長。
叫ぶ。
天使。
止まらない。
「それ以上近づくな!」
一歩。
「止まれ!!」
一歩。
隊長。
歯を食いしばる。
「……攻撃準備」
魔法兵。
杖。
向ける。
騎士。
前。
「撃て!!」
炎。
風。
土。
複数の魔法。
一斉に天使へ。
爆発。
ドォン!!
煙。
上がる。
「やったか?」
煙。
晴れる。
「……」
天使。
立っている。
ほとんど。
傷がない。
「嘘だろ……」
『攻撃行動――確認』
天使。
翼。
開く。
『敵性行動と判断』
次の瞬間。
消えた。
「――!?」
兵士。
一人。
吹き飛ぶ。
「ぐあっ!!」
「何!?」
天使。
もう。
別の場所。
腕。
振る。
衝撃。
ドンッ!!
三人。
吹き飛ぶ。
「散開!!」
隊長。
叫ぶ。
騎士たち。
左右。
分かれる。
槍。
突く。
天使。
腕。
受ける。
ガンッ!
「なっ――」
槍。
弾かれる。
天使。
掌。
騎士の胸。
「っ!」
ドンッ!!
鎧。
砕ける。
地面。
転がる。
「下がれ!!」
魔法。
再び。
放たれる。
天使。
翼。
広げる。
魔法。
正面。
直撃。
爆発。
それでも。
止まらない。
「化け物……」
隊長。
呟く。
一体。
たった。
一体。
なのに。
押し返せない。
剣。
通らない。
魔法。
効かない。
速さ。
追えない。
これが。
五百年前。
世界を襲った。
存在。
「全員!」
隊長。
剣を構える。
「時間を稼げ!」
「王都へ報告が届くまで持たせろ!」
「はい!!」
兵士たち。
再び。
前へ。
天使。
彼らを見る。
『戦闘能力――記録』
『武装――記録』
『魔法体系――記録』
『防衛能力――記録』
「……記録?」
隊長。
表情。
変わる。
天使は。
こちらを。
倒そうとしているわけではない。
戦いながら。
見ている。
「まさか」
隊長。
気づく。
「こいつ……」
天使。
翼。
広げる。
『観測――完了』
「待て!!」
地面。
蹴る。
剣。
振る。
届かない。
天使。
空へ。
上昇。
「逃がすな!」
魔法兵。
杖。
向ける。
魔法。
放つ。
しかし。
届かない。
天使。
さらに。
高く。
上がる。
そして。
雲の中へ。
消えた。
「……」
静寂。
兵士たち。
空。
見上げる。
誰も。
追えない。
「隊長……」
「……」
「今の」
一拍。
「天使ですよね」
隊長。
剣。
下ろす。
「……ああ」
周囲。
見る。
負傷者。
壊れた鎧。
折れた槍。
焼けた地面。
たった。
一体。
それも。
こちらを滅ぼそうとすら。
していなかった。
「負傷者を運べ」
「はい」
「死者は?」
「現在確認します!」
「急げ」
「はい!」
隊長。
もう一度。
空を見る。
天使。
いない。
それでも。
背中。
冷たい。
「……王都へ」
一拍。
「全部伝えろ」
「一体だけだったことも」
「こちらの攻撃がほとんど通らなかったことも」
そして。
「奴が」
一拍。
「俺たちを観察していたこともだ」
その報告は。
すぐに。
王都へ届いた。
そして。
世界会談によって作られた連絡網を通じ。
各国へ。
広がっていった。
セレフィア神聖国。
ヴァルガルド。
アルカディア。
魔族領。
そして。
冒険者ギルド。
その日の夕方。
僕たちは。
ギルドの一室にいた。
僕。
カイル。
ベラ。
そして。
グレン。
机。
一枚の報告書。
置かれている。
さっきまで。
僕とカイルは。
これから必要になる装備について話していた。
でも。
今。
そんな空気は。
ない。
「本日」
グレンが言う。
「アステリア王国北部」
一拍。
「国境付近の監視塔にて」
「……」
「天使と思われる個体が確認された」
カイル。
表情。
変わる。
僕も。
報告書を見る。
「数は?」
僕が聞く。
「一体」
「……一体」
「雑兵級と思われる」
ベラ。
黙っている。
グレンが続ける。
「現地の兵士が交戦」
「……」
「複数名が負傷」
「死者は?」
僕が聞く。
「現時点では」
一拍。
「確認されていない」
息。
少し。
抜ける。
でも。
安心。
できない。
「倒したの?」
カイルが聞く。
グレン。
首。
振る。
「違う」
「……」
「天使側が」
一拍。
「自ら撤退した」
「逃げた?」
「そうとも言える」
グレン。
報告書。
一枚。
めくる。
「だが」
「……」
「現場からの報告では」
一拍。
「戦闘中」
「……」
「天使は何度も」
グレン。
読む。
「戦闘能力」
「武装」
「魔法体系」
「防衛能力」
一拍。
「それらを記録すると発言していたらしい」
部屋。
静かになる。
カイル。
眉。
寄せる。
「記録?」
「……」
僕は。
ベラを見る。
ベラ。
ずっと。
黙っている。
「ベラ」
「……」
「どう思う?」
少し。
間。
ベラ。
口。
開く。
「偵察じゃ」
「やっぱり?」
「恐らくな」
グレンも頷く。
「我々も同じ見解です」
カイル。
報告書を見る。
「でも」
一拍。
「天使って」
「……」
「いきなり国の近くまで来て」
「……」
「そんなことするのか?」
ベラ。
カイルを見る。
「奴らは」
一拍。
「意味もなく姿を晒すような連中ではない」
「じゃあ」
「目的がある」
「……」
「今回の個体は」
一拍。
「戦うためではなく」
ベラ。
報告書を見る。
「見るために来た」
僕。
手。
握る。
思い出す。
深緑樹海。
初めて。
天使を見た日。
倒れていた。
冒険者。
助けられなかった。
あの時。
感じた。
異質な。
魔力。
忘れていない。
「……また」
僕が呟く。
「出てきた」
ベラ。
僕を見る。
「うむ」
カイル。
僕を見る。
「ソル」
「何?」
「お前」
一拍。
「天使と戦ったことあるんだよな」
「……うん」
「強い?」
僕は。
少し。
考える。
「強い」
「……」
「でも」
一拍。
「強いだけじゃない」
「?」
「なんていうか」
言葉。
探す。
「人とか」
「……」
「魔物とか」
「……」
「そういうのと」
一拍。
「全然違う」
カイル。
黙る。
「実際に見れば」
ベラが言う。
「嫌でも分かる」
「……」
カイル。
少し。
笑う。
「じゃあ」
一拍。
「見に行く?」
「観光みたいに言うな」
僕が言う。
「でも」
カイル。
真面目な顔。
戻る。
「行くんだろ?」
僕は。
グレンを見る。
「依頼は?」
「既に出す準備をしている」
「内容は?」
「天使個体の追跡」
一拍。
「及び」
「……」
「出現地点周辺の調査」
カイル。
僕を見る。
僕も。
カイルを見る。
昨日。
パーティーを組んだ。
まだ。
名前もない。
二人だけの。
パーティー。
その。
最初の依頼。
「受ける」
カイルが言う。
僕も。
頷く。
「僕も」
グレン。
二人を見る。
「危険だぞ」
「分かってる」
カイル。
答える。
「だから」
一拍。
「行くんだろ」
グレン。
少し。
黙る。
「……そうか」
ベラ。
立ち上がる。
「妾も行く」
「もちろん」
僕が言う。
「勝手に置いていくな」
「置いていかないよ」
「ならよい」
ベラ。
報告書。
手に取る。
もう一度。
目を通す。
そして。
小さく。
呟いた。
「……早いの」
「何が?」
僕が聞く。
ベラ。
報告書から。
目を離さない。
「世界会談を終え」
一拍。
「各国が動き始めた」
「……」
「人間」
「……」
「魔族」
「……」
「これまで別々だった者たちが」
一拍。
「同じ敵を見るようになった」
僕。
聞く。
「それと」
一拍。
「今回の天使が関係あると思う?」
「分からぬ」
ベラ。
首。
振る。
「じゃが」
一拍。
「一つだけ」
「……」
「確かなことがある」
ベラ。
顔。
上げる。
「こちらが」
一拍。
「動き始めたように」
部屋。
静か。
「奴らも」
一拍。
「動き始めた」
誰も。
言葉を返さない。
外。
夕暮れ。
いつもと。
変わらない空。
でも。
その空から。
今日。
一体の天使が。
降りてきた。
五百年前。
世界を襲った。
災厄。
その最初の一体が。
再び。
世界の前へ。
姿を現した。
僕たちの。
新しい旅。
最初の依頼は。
天使の。
追跡。
調査。
だった。




