行ってきます
第107話 行ってきます
目を覚ます。
見慣れた天井があった。
「……」
僕はしばらく、その天井を見つめる。
「……ここどこだ?」
口にしてから、すぐに気づいた。
「あ、家か」
身体を起こす。
窓の外は、まだ薄暗い。
「……早」
旅に出る前なら、もう少し寝ていたはずだ。
でも今は、完全に身体が慣れてしまっている。
魔族領では朝からガレスたちと訓練。セレフィアでも聖騎士たちとの合同訓練。移動する日は日の出より前に起きることだって珍しくなかった。
「二度寝……」
もう一度横になる。
目を閉じる。
「……」
眠れない。
「無理か」
諦めて起きた。
服を着替え、いつものように《明星》へ手を伸ばす。
「……」
止まった。
昨日。
今日は何もしないと決めた。
「……今日はいいか」
《明星》から手を離す。
剣を持たずに部屋を出る。
なんだか、それだけで変な感じがした。
外へ出る。
朝の空気。
少し冷たい。
人もほとんど歩いていない。
「……暇だな」
まだ一日が始まってすらいない。
いつもなら、この時間には何かしている。
剣を振るか、移動するか、誰かと話しているか。
何もしなくていい。
そう言われると、何をすればいいのか分からない。
「僕って、こんなんだったっけ」
自分で少し笑った。
適当に町を歩く。
昔から知っている道。
変わった店もあれば、何も変わっていない店もある。
しばらく歩いてから家へ戻ると、ちょうど朝食の準備ができていた。
「おはよう」
「おはよう。早いわね」
「目が覚めちゃって」
「昨日はよく眠れた?」
「うん。たぶん旅に出てから一番」
椅子に座る。
朝食。
昨日の夜と同じ。
特別豪華なものじゃない。
でも、それがいい。
「今日はどうするの?」
「何もしない」
「……あなたが?」
「何その反応」
「だって昨日聞いた話、ずっと何かしてたじゃない」
「僕だって休むよ」
「本当に?」
「……たぶん」
自信がなくなってきた。
「剣は?」
「置いてきた」
「珍しい」
「そんなに?」
「昔はともかく、昨日の話を聞いた後だとね」
確かに。
僕は苦笑いする。
「今日は普通に過ごす」
「そうしなさい」
朝食を終える。
そして、本当に予定がなくなった。
「……何しよう」
結局。
また町へ出た。
今度は朝より人が多い。
店も開き始めている。
道を歩いているだけなのに、何人かに声をかけられた。
「ソルじゃないか」
「帰ってたの?」
「随分大きくなったな」
最後のは納得できない。
「そんな短期間で大きくならないでしょ」
「雰囲気だよ、雰囲気」
「そういうこと?」
笑われる。
僕も笑う。
誰も。
僕に世界のことを聞かない。
《天曜》も。
天使も。
六星同盟も。
知らない。
ここでは僕は。
ただのソル。
「……悪くないな」
歩いていると、広場から声が聞こえてきた。
「くらえ!」
「うわあ!」
子どもたち。
木の棒を剣に見立てて遊んでいる。
僕は足を止めた。
「勇者の攻撃だ!」
「そんなの効かない!」
「魔王なんだから負けろよ!」
「魔王の方が強いんだ!」
「最後は勇者が勝つんだぞ!」
「……」
思わず。
見てしまう。
一人が勇者。
一人が魔王。
他の子どもたちも、騎士や魔法使いの真似をしている。
昔からある遊び。
僕だって似たようなことをしたことがある。
でも。
今は少しだけ。
見え方が違う。
「魔王は悪いやつなんだぞ!」
「……」
ベラ。
アン。
二人の顔が浮かぶ。
一人は五百年前、魔王と呼ばれながら世界を救った。
もう一人は、その後五百年に渡って魔族を率い、今も世界を守ろうとしている。
「……そうとも限らないけどね」
「え?」
しまった。
一人の子どもが僕を見る。
「お兄ちゃん、魔王知ってるの?」
「え」
知ってる。
ものすごく知ってる。
というか。
二人知ってる。
「……まあ」
「本物見たことある?」
「あるよ」
「嘘だ!」
「嘘じゃないんだけどな……」
子どもたちが集まってくる。
「どんなだった!?」
「怖かった!?」
「角ある!?」
「火吹く!?」
「人食べる!?」
「待って待って」
質問が多い。
「角は……」
ベラを見る限り。
ない。
アンも。
ない。
「ないかな」
「じゃあ魔王じゃないじゃん!」
「いや、魔王なんだよ」
「じゃあどんな人?」
僕は考える。
ベラ。
アン。
「一人は」
一拍。
「すごく強くて」
「うん!」
「偉そうで」
「うん!」
「よく食べて」
「うん?」
「人のお金で飲み歩く」
「……」
子どもたちが黙った。
僕も黙る。
「……魔王?」
「一応」
「弱そう」
「いや、ものすごく強いよ」
ベラが聞いたら怒るだろうな。
「もう一人は?」
「もう一人?」
「魔王二人いるんでしょ?」
「ああ」
アン。
僕は少し考える。
「強くて」
「うん!」
「頭も良くて」
「うん!」
「みんなから信頼されてて」
「うん!」
「ちょっと面倒くさがり」
「魔王だ!」
「なんでそこで納得するの!?」
子どもたちが笑う。
僕も笑った。
「でも」
少しだけ。
真面目に言う。
「魔王だから悪いって」
「……」
「決まってるわけじゃないよ」
子どもたち。
僕を見る。
「勇者でも」
一拍。
「魔王でも」
「……」
「結局、その人が何をするかだと思う」
「よく分かんない」
「だよね」
僕も笑う。
「今はそれでいいよ」
子どもたちは。
すぐに遊びへ戻った。
「勇者の攻撃!」
「魔王の反撃!」
「うわー!」
僕は。
その場を離れる。
五百年前。
魔王は悪。
勇者は正義。
そういう歴史が作られた。
でも。
これから。
少しずつ。
変わっていくのかもしれない。
いつか。
あの子たちが大人になる頃。
魔族と人間が。
一緒にいることが。
普通になっているかもしれない。
「……そうなったらいいな」
僕は歩き続けた。
昼を過ぎ。
町の外れまで来る。
少し高い場所。
町を見渡せる。
昔。
何度か来たことがある。
僕は草の上へ座った。
「……」
何もしない。
ただ。
景色を見る。
家。
店。
道。
歩く人たち。
遠くから。
笑い声。
聞こえる。
平和。
その言葉が。
一番合う。
「ここからだったんだな」
昔の僕は。
知らなかった。
この町の外に。
何があるのか。
五百年前の真実も。
災厄も。
魔族領も。
古代帝国も。
知らなかった。
ベラにも。
アンにも。
ガレスにも。
レオンハルトにも。
会っていなかった。
それが。
今は。
随分。
遠くまで来た。
「……」
僕は空を見る。
昼だから。
星は見えない。
それでも。
そこにある。
「帰る場所があるから」
一拍。
「遠くまで行けるのかな」
なんとなく。
そんなことを思った。
帰ってくるまで。
分からなかった。
旅に出ることと。
帰ってくること。
どちらか一つじゃない。
帰って。
また出る。
そして。
また帰る。
それでいい。
「……よし」
立ち上がる。
家へ戻ろう。
夕方。
家が見えてきた。
そして。
「……」
家の前。
見覚えのある。
小さな影。
腕を組んで。
立っている。
「……何してるの?」
「遅いぞ」
「ベラ」
五百年前の魔王。
ベラトリクス。
何故か。
僕の家の前にいる。
「なんでいるの?」
「迎えじゃ」
「早くない?」
「何がじゃ」
「僕、昨日帰ってきたんだけど」
「一日休めたであろう」
「短いよ!」
ベラ。
鼻を鳴らす。
「妾とて」
一拍。
「来たくて来たわけではない」
「ふーん」
僕は。
ベラの手を見る。
紙袋。
何か入っている。
「それ何?」
「……」
「ベラ」
「道中で見つけた」
「何を?」
「菓子じゃ」
「普通に観光してるじゃん」
「違う!」
「何が違うの?」
「これはじゃな!」
紙袋。
後ろへ隠す。
「情報収集の一環じゃ!」
「お菓子で?」
「そうじゃ!」
「何の情報?」
「……味?」
「観光じゃん」
「うるさい!」
相変わらずだ。
僕は笑う。
「それで?」
「何じゃ」
「本当にお菓子を買うために来たわけじゃないでしょ」
ベラの表情が。
少し変わる。
「ああ」
一拍。
「決まったぞ」
僕も。
すぐに分かった。
「次の合同訓練?」
「うむ」
「どこ?」
ベラが。
答える。
「アステリア王国じゃ」
「アステリア……」
僕にとっても。
馴染みのある国。
「王国軍だけ?」
「いや」
ベラが。
少し笑う。
「今回は」
一拍。
「少々面白いことになっておる」
「面白い?」
「王国騎士団」
一拍。
「そして」
「……」
「冒険者ギルドも」
僕は。
目を見開く。
「ギルドも?」
「うむ」
なるほど。
セレフィアでは。
聖騎士団と。
魔王軍。
でも。
アステリアには。
正規軍だけじゃない。
冒険者がいる。
それぞれが。
自分たちの判断で。
魔物と戦う者たち。
軍とは。
全然違う。
「ガルムも来るかな」
「さてな」
ベラが。
肩をすくめる。
「じゃが」
一拍。
「ローディアからも」
「……」
「何人か呼ばれると聞いておる」
少し。
楽しみになる。
「いつ?」
「明朝」
「分かった」
即答した。
ベラが。
僕を見る。
「ほう」
「何?」
「もう少し」
一拍。
「嫌がるかと思った」
「昨日なら」
一拍。
「そうだったかも」
「……」
僕は。
家を見る。
帰ってきた。
ご飯を食べた。
自分のベッドで寝た。
町を歩いた。
昔から知っている人と話した。
子どもたちの声を聞いた。
何もしない時間を過ごした。
それだけで。
十分だった。
「もう大丈夫」
ベラが。
僕を見る。
少しだけ。
笑った。
「そうか」
「うん」
「では」
一拍。
「明朝」
「……」
「出発じゃ」
「分かった」
家へ入る。
「ただいま」
昨日と同じ言葉。
でも。
今日は。
その後に。
もう一つ。
伝えなきゃいけない。
「明日、また出ることになった」
「……もう?」
やっぱり。
そうなるよね。
「ごめん」
「どこへ?」
「アステリア」
「今度は何をするの?」
「訓練」
「……本当に?」
「本当だよ!」
疑われている。
「危ないことしない?」
「訓練だから」
「昨日の話を聞いた後だと信用できない」
「……」
否定できない。
「でも」
僕は。
少し笑う。
「ちゃんと帰ってくる」
「……」
「今度は」
一拍。
「忘れない」
少しの沈黙。
「そう」
それだけ。
でも。
なんとなく。
安心したように見えた。
その夜。
僕は。
荷物をまとめた。
必要なもの。
服。
道具。
そして。
《明星》。
昨日。
触れなかった剣。
今日は。
腰へ。
戻す。
「……よし」
準備。
終わり。
ベッドへ。
横になる。
昨日と同じ天井。
でも。
明日は。
また。
ここを離れる。
不思議と。
寂しくはなかった。
帰ってこられる。
そう。
分かったから。
翌朝。
家の前。
荷物を背負う。
少し離れたところ。
ベラが。
待っている。
「遅いぞ、ソル」
「まだ時間前でしょ」
「妾を待たせた」
「知らないよ」
「何じゃと?」
「昨日も急に来たし」
「迎えに来てやったのじゃぞ!」
「お菓子買いながら?」
「まだ言うか!」
僕は。
笑う。
そして。
家を見る。
昨日。
ここへ帰ってきた時。
言った言葉。
ただいま。
今日は。
違う。
「じゃあ」
一拍。
「行ってきます」
「……行ってらっしゃい」
その言葉を。
聞く。
僕は。
笑った。
「うん」
歩き出す。
ベラが。
隣へ。
並ぶ。
「ソル」
「何?」
「忘れ物はないな?」
「大丈夫」
「本当か?」
「たぶん」
「たぶんとは何じゃ!」
「ベラこそ?」
「妾を誰だと思っておる」
「八百七十年前の教育係の娘に怒られる人」
「ソル!」
笑いながら。
歩いていく。
途中。
一度だけ。
振り返った。
家。
まだ。
見える。
僕は。
少しだけ。
手を上げる。
そして。
前を向いた。
帰る場所を。
知った。
だから。
また。
遠くへ行ける。
次は。
アステリア王国。
王国騎士団。
冒険者。
魔王軍。
聖騎士団。
また。
新しい人たちと。
新しい戦い方に。
出会う。
でも。
今度は。
前とは少し違う。
僕には。
帰る場所がある。
「ソル! 置いていくぞ!」
前から。
ベラの声。
「待ってよ!」
僕は。
地面を蹴った。
ただいま。
そして。
行ってきます。
その二つを。
胸に。
僕は。
もう一度。
旅へ出た。




