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アート オブ エデン  作者: M-47


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9/13

亡霊

沈黙。


お互いが見つめ合ったまま、数秒が流れた。


その静寂を破ったのは、病室へ入ってきた男だった。


「真人!」


名前を呼ぶなり、男は真人へ抱きつく。


神代久喜。


七十五歳。


世界的な研究者として名を馳せ、数々の技術開発に携わってきた人物だ。


引退こそしているものの、今も研究活動を続けており、家へ帰るのは年に一、二度あるかないか。


真人にとっては、ほとんど他人のような父親だった。


「今さら何だよ」


真人は視線を逸らした。


「入院してから三年以上経ってるんだぞ」


「本当にすまないと思っている」


久喜は素直に頭を下げる。


「ただ、ここはユニティ管轄の総合病院だ。安全だろうと思ってな」


そう言うと、困ったように笑った。


「それに、引退したとはいえ研究者は忙しいんだ」


「言い訳だな」


真人は吐き捨てる。


その時だった。


「おや?」


久喜の視線が病室の隅へ向く。


そこにはM47――シナが立っていた。


シナは目が合うと、ぺこりと会釈をする。


「よくできた子だな」


久喜は穏やかに微笑んだ。


シナも黙ったまま見返している。


二人の視線が交差する。


ほんの一瞬。


何かを確かめ合うような、不思議な沈黙だった。


しかし久喜は何も言わず、再び真人へ向き直った。


「ところで、リハビリは順調か?」


「見れば分かるだろ」


真人は自分の腕へ目を落とす。


無数の傷。


幾重にも重なる手術痕。


まともな身体とは言えなかった。


「最悪の気分だよ」


久喜は静かに頷く。


「肉体に刻まれる傷は、人間である証だ」


「また始まった」


真人はうんざりしたようにため息を吐いた。


父さんの肉体主義...


「お前の母さんは――」


「もうその話はいいよ」


真人は言葉を遮る。


「聞き飽きた」


真人の一言で会話は強制的に終わった。


病室に重たい沈黙が落ちる。


やがて久喜が口を開いた。


「病院の人と話した」


「お前には新たな可能性があるそうだ」


真人は顔をしかめる。


嫌な予感しかしない。


「今のままリハビリが順調に進めば、高い身体能力を獲得できる見込みがあるらしい」


「だから、この病棟を離れて研究棟へ移るのも一つの手だ」


「専門家の人たちが――」


カチ。


どこかで音が鳴った。


カチ。


また鳴る。


「俺は実験動物じゃない!」


気付けば叫んでいた。


「真人、俺は――」


真人は立ち上がろうとしてよろめく。


それでも叫んだ。


「父さんは何も分かってない!」


「全部自分のためだ!」


「研究! 研究! 研究!」


「俺のことなんか見てなかった!」


「だから母さんだっていなくなるんだ!」


「挙げ句の果てには、息子の俺も実験対象かよ!!」


怒りではなかった。


憎しみでもない。


長い年月、胸の奥に溜まり続けた悲鳴だった。


久喜は何も言わない。


ただ黙って聞いていた。


そして最後に、静かに名前を呼ぶ。


「真人」


久喜の声は不思議なくらい穏やかだった。


「愛している」


それだけだった。


久喜は踵を返し、病室を後にする。


扉が静かに閉まる。


部屋には再び静寂だけが残った。




2225年5月4日




事故発生より11年1か月25日経過。


あれから久喜が顔を見せることはなかった。


言われた通り研究棟へ移り、リハビリを続けている。


いや。


もうこれはリハビリではない。


訓練だった。


刻む。


刻む。


刻む。


一秒間に何十回も刻む。


楽譜に起こせば、ただの黒い線にしか見えないだろう。


そんな楽譜を、俺は全身で演奏している気分だ。


筋繊維一本一本まで認識できる気がした。


「お疲れ様です」


訓練が終わると、ユニティ所属の研究員が声をかけてきた。


「どうも」


短く返す。


「いやあ、驚きましたよ。最初はどうなることかと思いましたけど、とんでもない成果です。これは」


研究員は興奮気味だった。


高揚した笑顔。


少し赤らんだ顔。


だが、その皮膚の下にある筋肉は引きつっている。


その笑顔になりきれない、筋繊維が示しているもの。


恐怖。


俺は知っている。


人間は本当に笑顔を向ける時、そんな顔はしない。


「最終調整に向けて頑張りましょうね」


「今回測定した機械では全て規格外でした。真人さん専用の測定装置を用意しますから」


そう言い残し、研究員は立ち去った。


一人残された訓練室。


これもいつものことだった。


「お疲れ様です、真人さま」


シナが声をかける。


「ああ、シナもお疲れ」


差し出されたタオルを受け取った。


「今回の不完全な記録ですが、基準成人平均比327%以上を確認したそうですよ」


「それは僕にとってあまり役に立たない」


むしろ不便になる一方だ。


前回父と会ってから五年。


俺は成長した。


今なら自分の体を完璧にコントロールできる。


だが、自分の体を理解し制御できるようになるにつれ、身体そのものにも変化が起きていた。


目が良くなった。


耳も良く聞こえる。


匂いを嗅ぎ分けられる。


触った物の細かな凹凸から情報を読み取れる。


そして何より変わったのは――心だった。


感情が揺れるたび。


心が動くたび。


カチッ。


そんな音が聞こえる。


まるで機械仕掛けのように。


人間の体を理解すればするほど、人間とはこんなにも機械的な存在だったのかと思い知らされる。


「お部屋へ戻られますか?」


シナが問いかけた。


「うん。一緒に戻ろう」


俺たちは訓練室を後にした。


廊下を歩いていると、遠くから誰かの話し声が聞こえてくる。


「見たか?あの成果」


「やばいよな、人間じゃねぇ」


「ユニティも何考えてんだろ?あんなの研究して」


思わず足が止まる。


「なんかレガシー側も動いてるらしいぞ」


「まじかよ?こりゃ一悶着ありそうだな、向こうは過激派多いから...」


「ほんと迷惑だよ」


カチッ。


音が鳴った。


胸の奥で。


「レガシーが引き取るなら引き取ってほしいよな」


「人間の進化は始まってんのに、研究が終われば用済みだな」


「馬鹿!一応、神代博士のご子息だぞ!」


「わるいわるい、ついな」


そこから先は聞く必要もなかった。


つまり。


俺は必要とされてない。


生身の肉体でどれほどの成果を出そうが関係ない。


そんなことはどうでもいい。


人類の希望。


研究資産。


保護対象。


誰も彼も好き勝手なことを言う。


俺を見ているようで、誰も俺を見ていない。


カチッ。


全部丸聞こえだ、馬鹿。


心の中でそう呟いた。


隣を歩くシナへ視線を向ける。


シナは何も言わない。


ただ静かに俺を見ていた。


その光学センサーだけが、どこか心配そうに揺れているように見えた。




2225年6月4日




ユニティと揉めたレガシーが工作員を使っての襲撃。


だから俺は逃げ出した。


シナと一緒に。


ケアユニット八機。


セキュリティユニット二十一機。


破壊。


施設職員十八名。


行動不能。


警報が鳴り響く。


赤い警告灯が廊下を照らし、施設内の人間たちは悲鳴を上げながら逃げ惑っていた。


そんな中、ただ一人だけ俺の前に立ち塞がる男がいた。


「なぜ逃げる、怪物」


男は吐き捨てるように言う。


「おとなしく飼い慣らされていればいいじゃないか」


その言葉を聞いた瞬間、確信した。


「お前、レガシー側だな」


男は口元を歪める。


「そうだ。我々はレガシーだ」


男は両手を広げた。


まるで演説でもするかのように。


「人間を忘れ、機械だなんだとのたまうこの世界に、本当の人間というものを思い出させる」


「そのためにはお前の力が必要だ、真人」


「我々と共に人間を証明しよう」


胡散臭い。


ただそれだけだった。


その時、男の視線がシナへ向く。


見逃さない。


「シナ、僕の側に」


男が鼻で笑う。


「シナ?」


「機械なんぞに名前を付けよって」


その言葉を最後まで聞く気はなかった。


「行くぞ、シナ!」


俺はシナを抱き上げ、そのまま走り出した。


背後から男の怒声が飛ぶ。


「逃げるのか、真人!」


「お前が逃げれば、気絶させた職員を一人ずつ殺していく!」


足が止まる。


ほんの一瞬だけ。


だが、振り返らない。


「人を殺したとあればユニティがお前を追うぞ!」


「永遠に!」


「地の果てまでだ!」


俺は歩みを止めない。


「好きにしろ」


自分でも驚くほど冷たい声だった。


「俺には関係ない」


男の顔が怒りに歪む。


「貴様ァァァァァッ!!」


絶叫が廊下に響く。


だが、その声もすぐに遠ざかっていった。


この瞬間、俺はまだ知らなかった。


この日を境に、神代真人という人間が世界中から追われる存在になることを。




逃走1日目




量産型ストライカーが目の前に十体。


今日だけで五回目の戦闘だった。


「手を挙げなさい」


機械的な音声が響く。


「こちらはユニティ所属、識別番号AT-6-21。通称ストライカー」


「降伏指示に応じなさい」


見飽きたやり取りだった。


「シナ」


「現在この周辺に発砲許可は下りておりません」


シナは即座に答える。


「実弾使用の可能性はありません」


「ありがとう」


それだけ言うと、真人は走り出した。


「テーザー銃使用許可」


「発射」


号令と共に無数の電撃弾が放たれる。


実弾なら厳しいが...


「テーザーなら見えるな」


視界を埋める電撃の軌道を見切る。


身体を捻り、踏み込み、そのまま最前列のストライカーへ拳を叩き込んだ。


一体。


また一体。


鋼鉄の身体が地面へ沈んでいく。


数十秒後。


気付けば十体いたストライカーは全て地面に伏していた。


真人は軽く肩を回す。


「この調子で襲ってくるなら、あと十回は繰り返すことになるな」


独り言のように呟く。


「バッテリー残量78%です」


シナが答えた。


「余裕はありますが、どこかで充電できる場所を確保したいところです」


真人は周囲を見渡す。


広がるのは廃墟群。


朽ちた高層ビル。


崩れた道路。


到底、充電設備が残っているようには見えなかった。


「その時は俺が背負って運ぶさ」


何気なく言った言葉だった。


シナは少しだけ沈黙した。


「それは非効率です」


「そうかもな」


真人は笑った。


「でも、そうする」


シナは返事をしなかった。


ただ、光学センサーが一度だけ明滅した。




逃走3日目




相手の毛色が変わった。


「ディフェンダーか」


真人は目を細める。


目の前には十二体。


重装甲。


大型フレーム。


強化関節。


量産型とは思えない威圧感だった。


十二体が整列する光景は、まるで鋼鉄の壁。


「骨が折れるな」


真人が呟く。


「真人様が負傷した場合」


シナが即座に反応した。


「逃走成功確率は30%低下いたします」


真人は思わず目を丸くする。


そんな意味で言ったわけではない。


数秒考え。


そして言った。


「ジョークだよ」


シナは数秒沈黙した。


「学習します」


真人は吹き出した。


「いや、学習しなくていい」


「了解しました」


本当に理解しているのか怪しい返答だった。


真人は苦笑しながら前を向く。


「じゃあ行ってくる」


鋼鉄の壁へ向かって走り出した。


戦闘時間。


1時間5分48秒。


平均無力化時間。


329秒。


後のユニティ報告書にはそう記録されている。




2225年6月10日




逃走六日目。




この日はまたいつもと違う雰囲気だった。


まず追っ手が来ない。


散々僕を追い回してきたストライカーも、ディフェンダーも、一度たりとも姿を見せていなかった。


嫌な予感がする。


時刻は二十二時を回っていた。


「シナ、残量はどれくらいある?」


僕が尋ねると、シナはすぐに答えた。


「バッテリー残量は残り八%です」


八%。


このままではシナが止まる。


それだけは避けなければならない。


「今から市街地へ降りよう。どこかで充電できる場所を探す」


そう口にしたものの、見渡す景色は廃墟ばかりだった。


こんな逃亡者同然の人間を受け入れてくれる場所など、本当にあるのだろうか。


それならいっそ。


誰かから奪ってでも。


殺してでも。


シナを――。


「真人様」


シナが静かに口を開いた。


「それは現実的ではありません」


まるで心を見透かされたようだった。


「それに、今までの追跡は全てワタクシに原因があると思われます」


「ここまで正確な追跡を継続することは、どれほど高性能なシステムでも困難です。であれば、ワタクシの内部に位置情報系統の何らかの装置が存在すると考えるのが自然です」


沈黙。


やはりシナも気付いていた。


「ここで別れるのが賢明かと思います」


「ダメだ」


夜の廃墟に声が響く。


カチ。


カチ。


まただ。


消えないこの音。


うるさい。


うるさい。


うるさい。


うるさい。


僕はシナを強く抱きしめた。


「頼む」


「僕を一人にしないでくれ」


心からの願いだった。


しかし返ってきたのは、予想もしない言葉だった。


「後ろです!」


その瞬間。


音もなく現れた影が僕を蹴り飛ばした。


抱きしめていたシナが吹き飛ぶ。


「シナ!」


返事はない。


砂埃だけが舞い上がり、その向こうが見えない。


「オマエの名前は神代真人。間違いないな?」


低い声だった。


目の前に立つ機体を見上げる。


細い。


異様なほど細い。


人間の骨格をそのまま組み上げたような無駄のないフレーム。


全身を覆う黒い装甲。


まるで闇の中から現れた亡霊だった。


「間違いない」


「そうか」


「ならば死ね」


刹那。


気付けば目の前にいた。


腕部から展開されたナイフが正確に頸動脈を狙う。


だが当たらない。


僕は即座に後方へ飛び退いた。


「捕まったら終わりって感じだな」


思わず笑みが漏れる。


強い。


ただそれだけで分かった。


ストライカーは壊せる。


ディフェンダーも制圧できた。


だが、目の前の亡霊は違う。


壊れる姿がまるで想像できなかった。


「とりあえず殴る」


僕は弾丸のように飛び出した。


亡霊へ飛び付き、脚を絡め、そのまま顔面へ拳を叩き込む。


鈍い音が響く。


しかし動かない。


まるで地面に根を張った大木だった。


「打撃がダメなら腕をもらう」


次。


僕は腕を掴み、そのまま関節を極めた。


ギチギチと金属が悲鳴を上げる。


掘削機のような音が周囲に響く。


だが曲がらない。


ぎぎぎぎぎぎぎ


「これ以上は僕の骨が折れる」


ならば最後の手段だ。


亡霊の首の後ろを掴んだ。


冷却スリット。


演算コア。


メイン回路。


機械を壊すならここだ。


今まで何度もやってきた。


だから迷わず力を込める。


「ははっ」


低い笑い声


「やってみろ」


筋繊維が裂ける。


骨が軋む。


手のひらから血が滲む。


それでも。


レイスは動かない。


まるで山を相手にしているようだった。


その時、僕は理解した。


勝てない。


「理解したか」


亡霊が初めて口を開く。


「オマエは優秀だが俺には勝てない」


僕は笑った。


「そりゃどうも」


血を吐く。


それでも笑う。


「でもさ」


数秒の沈黙。


「やっぱり僕は機械が好きだ」


亡霊は何も答えなかった。


ただ静かに僕を見つめている。


「さらばだ」


ナイフが突き立つ。


一度。


二度。


三度。


力が抜けた。


膝をつき、そのまま地面へ倒れ込む。


視界が霞む。


意識が遠のいていく。


レイスが背を向けた。


その時だった。


「……待て」


小さな声だった。


レイスの動きが止まる。


僕は血に濡れながら顔を上げた。


「シナは……」


息が苦しい。


声が出ない。


それでも絞り出した。


「触るな」


レイスはしばらく僕を見つめていた。


そして通信を開く。


「WX-01」


「通称レイス」


「対象の沈黙を確認」


「心拍停止」


「任務完了」


通信が切れる。


レイスは視線を動かした。


砂埃の向こう。


そこにいたシナと目が合う。


数秒。


沈黙。


「小賢しい小僧だ」


それだけを残し、亡霊(レイス)は音もなく廃墟の闇へ消えていった。




暗闇と静寂。




砂埃の残る瓦礫の中に、二つの影が横たわっていた。


シナの生命体感知機能が起動する。


『真人様の心拍再開を確認』


「っ痛……」


真人は腹を押さえた。


「あいつ、三回も刺しやがった……」


血は止まっていない。


視界も霞む。


それでも生きていた。


レイスが立ち去ってから、どれくらい時間が経ったのかは分からない。


シナの光学センサーが強く光る。


その光を見つけて、真人は体を引きずるように歩き出した。


一歩。


また一歩。


倒れそうになりながら、ようやくシナのそばへ辿り着く。


「ごめん、シナ」


真人はかすれた声で言った。


「僕じゃ、あいつには勝てない」


悔しかった。


初めてだった。


どうすれば勝てるのかさえ分からない相手は。


しばらく沈黙が続く。


そして真人は、そっとシナに触れた。


「だけど必ず迎えに来る」


「だから、ここで待っててくれ」


シナの光学センサーが不規則に明滅する。


まるで何かを伝えようとしているようだった。


そして。


『お待ちしております』


その言葉が発声されることはなかった。


バッテリー残量。


0%。


表示された数字と共に、シナの光は静かに消えていった。

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