神代真人
相馬は大きくため息をつく。
「わかった。俺の一存では決められないが、とりあえず上と掛け合ってみる」
「それでいいか?」
「ええ、構いません」
シナは素直に頷いた。
ユナは嬉しそうにシナの傍へ駆け寄る。
「ああは言っても相馬リーダーは凄いから安心して!」
「きっとシナのお願いも全部何とかしてくれるから!」
「それは頼もしいです」
シナはそう答えた。
二人はひそひそと何かを話し始める。
まるで昔からの友人同士のようだった。
そんな二人を横目に、相馬が時計を見ると時刻は既に十二時を回っていた。
「そろそろ休まれてはいかがですか?」
フリットが声をかける。
「休みたいのは山々なんだが、まだ大仕事が残っていてな……」
疲労を押し殺すような声だった。
覇気はない。
その様子に気付いたのか、シナがゆっくりと台から降りる。
そして相馬の前まで歩いてきた。
「ではフリットさん」
「リラックスできそうな椅子を三つご用意ください」
「何をする気だ?」
相馬が問うと、シナは淡々と答えた。
「ユナさんが、ワタクシの願いは相馬さんが何とかしてくれるとおっしゃっていましたので」
「ワタクシも相馬さんのご要望にお応えしようと思います」
「観察記録のことか?」
「ええ」
シナは頷く。
「ただ、お疲れのご様子でしたので」
「ユナさんにお見せした観察ログではなく、感覚共有による記録映像をお見せしたいと思います」
やがてフリットが椅子を運んできた。
シナは三人へ座るよう促す。
「私も見られるなんて光栄ですね」
フリットは明らかに楽しそうだった。
顔がにやけている。
三人が深く腰掛けると、シナは背後へ回り込んだ。
そして自ら取り出した接続端子を、それぞれのコネクターへ接続する。
「わー……」
ユナが感嘆の声を漏らした。
「なんだか久しぶりの感覚です」
接続確認を終えたシナは静かに告げる。
「それでは今からお見せするのは、真人様の十一年と三ヶ月の記録となります」
「どうかリラックスして」
「夢を見るように、いってらっしゃいませ」
相馬の眉がぴくりと動く。
「ん?」
「十一年三ヶ月の記録映像だと?」
嫌な予感がした。
「待て」
「この記録を見るのに何時間掛かるんだ?」
珍しくも慌てた声だった。
隣でユナも焦り始める。
「十一年?十一年って...」
シナは平然としている。
「目が覚める頃には」
「ユナさんも三十歳くらいですかね」
ユナの顔から血の気が引いた。
「えぇぇぇぇぇっ!?」
しかし焦りとは裏腹に、身体から力が抜けていく。
意識が遠のく。
視界が滲む。
眠気にも似た感覚が三人を包み込んだ。
薄れていく意識の中。
シナがどこか楽しそうに言った。
「ジョークですよ、ロボジョ――」
その声が最後まで届くことはなく、三人の意識は静かに闇へ沈んでいった。
2214年3月10日
「行ってきます」
そう声をかける。
だが、返事が返ってくることはない。
家の中には誰もいなかった。
寂しいと思ったことはないし、それが当たり前だったからだ。
玄関脇の棚には置き手紙。
そして、その上には無造作に紙幣が置かれている。
真人はそれをポケットへ突っ込んだ。
「現金の取り扱ってる店は少ないって言ってるのに……」
思わず愚痴が漏れる。
エレベーターを降り、エントランスを抜ける。
外へ出ると、厚い雲が空一面を覆っていた。
自然と気分も沈む。
だが真人は頬を二度叩き、そして顔を上げる。
今日は特別な日だ。
なんといっても――
ユニティの入社式だった。
街を歩く人々を眺めると、その誰もが首筋にコネクターを装着している。
今や当たり前の光景だ。
そしてユニティといえば、人類の進化を牽引してきた組織。
コネクター技術を普及させたのも彼らだった。
さらに先日。
ユニティは新たな発表を行った。
人体機械化技術。
《エクステンド》。
人類が肉体そのものを進化させる技術。
その実用化に成功したというニュースは、世界中を駆け巡った。
真人は拳を握る。
いつか自分も。
その進化の先へ。
その思いだけを胸に、最難関とも呼ばれるユニティへの入社試験を突破したのだ。
だが同時に、首筋へ手を伸ばす。
そこには何もない。
コネクターがない。
それも――
全部。
あの親父のせいだ。
そんなことを考えているうちに、周囲が妙に騒がしくなっていることに気づいた。
考え事をしすぎていたらしい。
気づけばユニティ本社はすぐ目の前だった。
「なんだ……?」
真人は足を止める。
てっきり新入社員たちの騒ぎかと思った。
あるいは試験に落ちた連中の腹いせか。
だが違った。
本社前を埋め尽くしていたのは、大規模なデモ隊だった。
反対!
反対!
機械化反対!
人間を機械にするな!
マイクを握り叫ぶ者。
プラカードを振り回す者。
壁を叩き続ける者。
その多くは非接続者だった。
真人は思わず首筋へ触れる。
そして眉をひそめた。
俺はあいつらとは違う。
あんな連中と一緒に見られたくない。
そう思いながら、人混みを避けるように正門へ向かう。
その時だった。
「人間とは古来より輪廻転生を繰り返し!」
老人の怒号が響いた。
「魂は肉体に宿り! 肉体に生まれ! 肉体が朽ちる!」
人々の視線が一斉に向く。
「仏が創りしこの理を!」
老人は叫ぶ。
「人間風情が断りもなく乱そうなど言語道断だァ!!」
その腹には。
大量の爆発物が巻き付けられていた。
ざわり、と空気が揺れる。
だが。
誰も状況を理解できず、また誰一人として逃げることを許さなかった。
そして老人もまた、ためらうことはなかった。
刹那。
火花が走った。
激しい閃光が視界を覆い尽くす。
次にやってきたのは。
衝撃。
まるで大型トラックにでも跳ね飛ばされたような、そんな衝撃が認識するよりも早く五感を通して伝わってくる。
焦げた匂い。
耳鳴り。
浮遊感。
そして、遅れてやってきた認識が到着する頃には、真人の意識はなかった。
2215年6月28日。
どれくらい眠っていたのだろう。
世界を漂うような。
暖かな海の中を浮かんでいるような。
そんな心地よい夢を見ていた気がする。
だが。
それは突然終わりを告げ、浮かんでいた身体が地面へ叩き落とされる。
そんな感覚だった。
重い。
身体が重い。
息苦しい。
真人は反射的に息を吸った。
その瞬間。
胸の奥に焼けるような激痛が走る。
「っ――――!」
空気が入らない。
呼吸ができない。
咳き込んだ瞬間、赤い液体が口元から飛び散った。
警告音。
モニターのアラーム。
慌ただしい足音。
「患者覚醒!」
「酸素飽和度低下!」
「喀血を確認!」
誰かが叫ぶ。
真人の視界はぼやけていた。
白い天井。
白衣の人影。
何も分からない。
ただ苦しい。
肺の中にナイフでも突き立てられたようだった。
「胸腔内出血の可能性!」
「主治医を呼んでください!」
若い看護師が病室を飛び出していく。
その横で別の医療スタッフ五人が真人を押さえた。
「動かないでください!」
「呼吸を浅く!」
苦しい。
そう言いたかった。
だが言葉にならない。
息をするだけで激痛が走る。
視界が明滅する。
遠ざかりそうになる意識を必死に繋ぎ止める。
真人は霞む視界の中で、自分が生きていることだけを、ようやく理解した。
一週間後
何度目だろう。
起きては苦しくなり。
ただもがいて。
そして意識を失う。
それの繰り返しだった。
遠のく意識の中で覚えているのは、力を込めた腕から響いた骨の折れる音。
そして。
夢を見た。
知らない女の人だった。
ただ優しくて。
暖かかった。
きっと母親というのは、こういうものなのだろう。
いるだけで安心できる。
何も言わなくても落ち着ける。
そんな存在を俺は知らない。
———
目を開く。
真っ白な天井。
病室だった。
そして目の前には、見覚えのない観察ユニットが立っていた。
病院で見かけるケアユニットとは違う。
どこか人間らしい雰囲気を持った、不思議な機体だった。
「おはようございます」
観察ユニットが話しかけてくる。
「お目覚めですか?」
答えようとするが声が出ない。
口を動かすことすら難しかった。
その時、病室の扉が開く。
「おっ、起きてる」
入ってきたのは主治医だった。
真人の顔を覗き込みながら、軽い調子で話し始める。
「もしもしー」
「真人くん、聞こえてるかな?」
返事はできない。
だが医師は気にした様子もなかった。
「今ねー、君の身体は半覚醒状態なの」
「首から下は局所麻酔を使ってるから安心してね」
飄々と続ける
「君はいま凄く不安定な状態なんだ」
医師の表情が少しだけ真面目になる。
「君が意識を戻して呼吸するたびに肺が破れてる」
「腕も足も酷い有様だしね」
淡々と告げられる言葉。
だが真人には、その意味を理解するだけの余裕がなかった。
「だからしばらくは無理をしないよう、半覚醒状態を維持する」
「少しずつ慣らしていこう」
「焦らなくていいからね」
医師はそれだけ言うと立ち上がった。
そして視線をケアユニットへ向ける。
「じゃあ、後は頼むよ」
「承知いたしました」
医師は病室を後にした。
静寂が訪れる。
頭がぼんやりする。
意識がふわふわと漂う。
考えることすら面倒だった。
そんな真人へ向かって、観察ユニットが口を開く。
「真人様」
機械とは思えないほど穏やかな声だった。
「ワタクシはM-47です」
「どうぞお見知りおきを」
返事はできない。
だがM-47は気にしていないようだった。
沈黙が続く。
眠い。
起きていたくない。
苦しい。
痛い。
いっそ、このまま死なせてほしい。
そう思った。
真人はゆっくりと目を閉じる。
「お眠りですか?」
少しだけ間を置いて続ける。
「では、子守唄を」
歌い始めるM-47
知らない歌だった。
けれど不思議と耳に心地良い。
優しく。
暖かく。
まるで先ほどまで見た夢のような歌声だった。
いつまでも聴いていたい。
そう思えるほどに。
真人の意識は再び静かな眠りの中へ沈んでいった。
2216年9月14日
呼吸器完全離脱。
所要期間。
1年2ヶ月17日。
そして。
2217年11月17日。
初歩行成功。
「くっそ……」
真人は歯を食いしばった。
足が震える。
立っているだけで精一杯だった。
力を込めすぎれば、自らの筋肉で身体を傷つける。
逆に力を抜けば、その場に倒れ込むだけ。
真人はここまで至るのに、既に五回ほど骨を折っている。
それが怖い。
どうしようもなく怖い。
だが、立たなければ前には進めない。
真人は震える右足をゆっくり前へ出した。
ぐらりと身体が傾く。
慌てて左足へ意識を向ける。
呼吸。
重心。
筋肉。
関節。
全てを同時に制御しなければならない。
少しでも狂えばドミノ倒しのように、なす術なく崩れ去る。
この数年間のリハビリを通して、真人は自分の身体について理解していた。
簡単に言えば。
筋肉の出力リミッターが外れている。
医師の説明では、通常の人間の倍以上の力を発揮できるらしい。
聞こえだけなら凄い話だ。
だが実際は違う。
メリットなどほとんどない。
問題は制御だった。
自分の身体であるにもかかわらず、自分の身体を動かせない。
頭の先から足の指一本まで。
全てを意識して制御しなければならない。
まるで。
叩く場所が百個もあるドラムを演奏しているようだった。
呼吸を一定のリズムで刻む。
右足を出す。
体重を移す。
徐々に力を抜きながら後方へ流す。
同時に左足を前へ出す。
リズムを乱さぬよう全てを同時進行する。
少しでも順番を間違えれば転倒するか、パニックに陥り自損を招く。
そして、問題なのはバランスを取ることが一番難しいと言う事だ。
誰も乗っていない自転車を走らせた時のように、どれだけ必死に足を動かしても、身体は勝手に傾き始める。
右へ。
左へ。
また右へ。
そして倒れる。
何度も。
何度も。
何度も。
そんな真人をM-47はただ見ていた。
何も言わない。
手を貸すこともない。
励ますこともない。
ただ静かに観察している。
まるで、それが自らの役目であるかのように。
「見てるだけなら楽だよな……」
もちろん返事は期待していない。
いつもの独り言だった。
しかし
珍しくM-47が答える。
「ワタクシの役目は観察ですので」
「そうかよ」
「はい」
「役立たず」
「よく言われます、あなたに」
真人は思わずM-47を見て吹き出した。
少なくとも。
転ばずに笑えたのは初めてだった。
2220年9月16日
歩き始めてから三年。
修行にも劣らない過酷なリハビリの日々だった。
できることは少しずつ増えていった。
腕への意識を切り離し、歩行だけに集中すれば以前よりもずっと安定して歩ける。
それでも。
その歩き方は健常者のそれとは程遠かった。
腕はぶらんと垂れ下がり。
猫背で。
ほんの少し気を抜けば転倒する。
それでも真人は諦めることはなく、今日もまた訓練を続ける。
「今日もやるか」
小さく呟く。
すると、横で観察を続けていたM-47が反応した。
「歩行姿勢がだいぶ改善されました」
「ありがとう」
短い会話だったが真人にとっては、それだけで十分励みになった。
ふと、思い出したように真人は口を開く。
「そういえば今日は俺の誕生日なんだ」
そして悪戯っぽく笑った。
「祝ってくれよ」
無茶振りだった。
当然、何か返ってくるとは思っていない。
だがM-47は少しだけ考える素振りを見せる。
「では」
次の瞬間。
真人は優しく抱きしめられていた。
「なっ――」
思わず言葉を失う。
驚いた。
だが、不思議と嫌ではなかった。
フレームは冷たいのに心が暖かい。
安心する。
こんな感覚を真人は知らない。
むしろ。
ずっとこのままでいたいとすら思った。
だからこそ照れ隠しのように口を開く。
「離れろ、苦しい」
「失礼いたしました」
M-47はすぐに腕を離した。
「いや……大丈夫だ」
再び沈黙が訪れる。
数秒後。
真人が口を開いた。
「お前、変わった観察ユニットだよな」
「一体どんなプログラムなんだ?」
M-47は少しだけ考えるように間を置いた。
「ワタクシはただの観察ユニットですよ」
「ただ、お望みであれば、またああして抱きしめて差し上げます」
「違う!」
真人は慌てて否定した。
「そういう意味で言ったんじゃない!」
あまりにも必死な反応だった。
その時。
M-47の光学センサーがわずかに揺らいで、笑ったように見えたのだ。
「では」
M-47が続ける。
「せっかくの誕生日ですので、ワタクシにも何かくださいませんか?」
「は?」
突然の要求だった。
真人は目を丸くする。
「いや待て」
「誕生日なのは俺だ」
「お前は貰う側じゃなくて、あげる側だろ」
するとM-47は淡々と言った。
「では、もっと抱きしめてほしいという解釈でよろしいですか?」
「ち、違う!」
真人は真っ赤になりながら叫んだ。
そのやり取りが妙におかしくて。
楽しかった。
こんな日が。
こんな時間が。
ずっと続けばいい。
そう思った。
その時だった。
カチッ。
どこかで小さな音がした気がしたが、真人は気にも留めず、M-47を見る。
「じゃあ、お前に名前をやるよ」
「名前ですか?」
「M-47じゃ呼びにくいし」
「ずっとお前って呼ぶのも味気ないだろ?」
真人は少し考える。
そして口を開いた。
「今日からお前の名前はシナだ」
一拍。
沈黙。
そして。
「安直ですね」
食い気味だった。
「うるさい!」
図星だった。
真人が反論に困っていると。
突然、病室の扉が開いた。
振り返る。
そこに立っていた人物を見た瞬間。
真人の表情が固まった。
「……父さん」
真人の口から紡がれた言葉は、その一言だけだった。
神代真人 end...




