レガシー
見慣れた街並みが、ゆっくりと後ろへ流れていく。
ガタガタと揺れる車体。
ヘルメットの隙間から吹き込む風が、頬を心地よく撫でた。
ユナはふと隣を見上げると、運転席には、いつも通り無表情な相馬の横顔があった。
「私、バイク乗ったの初めてです!」
風に向かって叫ぶ。
しかしユナの言葉は、走行音に掻き消された。
思わず相馬の袖をちょんちょんと引っ張る。
相馬はこちらをちらりと見て、何かを言うが、ヘルメットのシールドが光を反射し、表情までは見えない。
「へへへ」
「何言ってるか、全然分からない」
一人で笑っていると、耳元で電子音が鳴った。
ピッ。
「あ。」
ヘルメット横の小さなボタンを押す。
『だから最初からインカムを入れておけと言っただろう』
相馬の呆れた声が、今度ははっきりと聞こえた。
「楽しくて忘れてました!」
ユナは悪びれもなく笑う。
「それに旧世代のバイクなんて初めて乗りました!」
『そうか。』
少しだけ間が空く。
『今の車両は制御装置だらけだ』
『姿勢制御、衝突予測、自動補正……便利だが、全部機械任せになる』
『だがこいつは違う』
相馬はアクセルを軽く開けると、エンジンが低く唸る。
『走るのは機械じゃない』
『乗っている人間だ』
『余計なものは何もない』
『だから好きなんだ』
珍しく饒舌な相馬だったが、ユナはというと。
「へぇー」
小さく返事をしただけで、すぐに視線は流れていく景色へ戻っていた。
風に揺れる木々。
遠くに見える山並み。
いつも暮らしていた街が、少しずつ遠ざかっていく。
「きれい……」
ぽつりと漏らす。
相馬は小さく息を吐くと、信号待ちで止まった拍子に横へ手を伸ばし、ユナのヘルメットを軽く小突いた。
「いたっ」
「何するんですか!」
頬を膨らませるユナに、相馬は小さく笑う。
「聞いてなかっただろ」
「ちょっとだけです」
「全部だ」
そんな他愛のないやり取りを交わしながら、二人を乗せた旧世代のバイクは走り続ける。
やがてオリジンの建物も街並みも見えなくなった。
これから向かう先は、レガシー。
何が待っているのかは、まだ誰にも分からない。
ただ一つ分かっていることは。
この旅が、シナを取り戻すための第一歩になるということだけだった。
バイクを走らせること二時間半。
高層ビルが立ち並んでいた景色はいつしか姿を消し、窓の外には一面の緑が広がっていた。
舗装された道路も徐々に細くなり、空気には土と草木の匂いが混じり始める。
「ふぅーっ!」
サイドカーから降りたユナは、大きく背筋を伸ばした。
「最初は遊園地のアトラクションみたいで楽しかったんですけど……」
腰を押さえながら苦笑する。
「長時間乗るのは地獄ですね」
相馬はヘルメットを外しながら小さく笑った。
「その不便さを楽しむのも、旧世代バイクの醍醐味だ」
「じゃあ次は私が運転――」
「絶対にダメだ」
言い終わるより早く返事が飛んできた。
「なんでですか!」
ユナは食ってかかる。
「私が女だからですか!」
相馬は一拍置く。
「……違う」
「お前だからだ」
「ひどい!」
ユナは頬を膨らませる。
相馬はやれやれとため息をついた。
「ここから先は気を緩めるな」
ヘルメットを荷台へ固定しながら前方の山を見上げる。
「山岳地帯に入る」
「熊もいるし、毒蛇もいる」
「気を抜けば、本当に死ぬぞ」
その一言で、ユナの表情が引き締まる。
「そ、そんなに危ないんですか……」
「危ない」
短い返事だった。
ユナはごくりと唾を飲み込む。
それでも少しだけ目を輝かせていた。
「でも……」
「野生の動物って、生物博物館でしか見たことないんです」
「本物を見るのは初めてだから、ちょっと楽しみかも」
相馬は呆れたように肩をすくめる。
「楽しみにするのは勝手だ」
「ただし、近付きすぎるな」
「はい……。」
今度は素直に返事をした。
リュックを背負い直し、装備を確認する。
「そういえば」
ユナが振り返った。
さっきまで走ってきた街並みは、木々の向こうへ完全に隠れている。
「もう街が見えませんね」
相馬も一度だけ振り返った。
「ここから先は、人間より自然の方が強い」
「街の常識は忘れろ」
その言葉に、ユナは小さく頷いた。
「……はい」
相馬は山道へ向き直る。
「行くぞ」
「はい!」
元気よく返事をすると、ユナは相馬の背中を追いかける。
二人の姿は、深い緑の中へゆっくりと消えていった。
同時刻
ユニティ研究棟
真っ白な床と壁。
天井まで届く大型モニター。
整然と並ぶ解析装置。
研究員たちは慌ただしく行き交い、それぞれの端末へ向かって作業を続けている。
久我は辺りを見回した。
「……相変わらず、現場担当の僕には何が何だか分からんな」
小さく呟く。
ふと隣を見ると、シナはいつもの無表情で立っていた。
しかし、いつの間にか久我の制服の袖を、そっと摘まんでいる。
「……こら」
小声で注意し、軽く腕を振る。
シナの手は簡単に離れた。
それでも表情は変わらない。
久我は首を傾げながら、近くを歩いていた研究員へ声を掛けた。
「そこの君、少しいいかな」
研究員は手を止めると、ぎこちない敬礼を見せた。
「久我主任、お疲れ様です。どのようなご用件でしょうか」
「神代真人事件の重要証拠を回収してきた」
シナへ視線を向ける。
「担当責任者はいるか?」
研究員は少し考え込んだ。
「申し訳ありません」
「私は存じ上げません」
「ただ……」
言葉を選ぶように続ける。
「重要サンプルの解析が始まる、とだけ聞いております」
「重要……サンプル?」
久我は眉をひそめた。
「はい」
研究員は悪気なくシナを指差す。
「高性能AI機体を回収する予定だそうで」
「おそらく、それのことではないでしょうか」
“それ”
その言い方が心に引っ掛かる。
「人格解析やフレーム構造の分析を行うとか……詳しくは聞いていませんが」
まるで事件の証拠ではなく、一つの実験材料を説明するような口調だった。
話は噛み合っているようで、どこか噛み合っていない。
久我は研究員の顔を見るが研究員は本当に何も知らない様子だった。
「そうか」
「ありがとう、もう戻っていい」
「失礼します」
研究員は一礼すると再び作業へ戻っていく。
静かな研究棟に、機械音だけが響いていた。
久我は無意識にシナを見る。
神代真人事件の重要証拠。
オリジンが守ろうとした存在。
だが、この研究棟では誰一人として証拠とは呼ばなかった。
重要サンプル。
その呼び方に、感じる違和感。
「……何かがおかしい」
思わず漏れた独り言だった。
真壁隊長は、このことを知っているのか。
それとも――。
一度確認した方がいい。
そう考え、踵を返した、その時だった。
「やあ、久我主任」
背後から穏やかな声が掛かる。
振り向く。
白衣姿の男が、柔らかな笑みを浮かべて立っていた。
年齢は四十代半ばほど。
人当たりの良さそうな笑顔。
だが、その瞳だけは何を考えているのか読み取れない。
「待っていたよ」
「……日高室長」
久我は姿勢を正す
「お久しぶりです」
日高は穏やかに微笑んだまま、ゆっくりとシナへ視線を移した。
「その子が、例の機体だね」
レガシー本部
旧道
長い石階段を登り続けること数十分。
最後の一段を踏みしめると、相馬が足を止めた。
「……着いたぞ」
息を切らしながら登ってきたユナも、その隣へ並ぶ。
目の前に広がる景色を見た瞬間、思わず息を呑んだ。
深い森に囲まれた広大な盆地。
その中心には、一際大きな建物がそびえ立っている。
周囲には畑や果樹園が広がり、風車がゆっくりと羽を回していた。
透き通った川が街の中を流れ、工房らしき建物からは白い煙が立ち上る。
子どもたちが走り回り、大人たちは畑を耕し、家々からは穏やかな笑い声が聞こえてくる。
まるで、一つの街だった。
「わぁ……」
ユナは目を輝かせる。
「すごい……」
「思ってたレガシーと全然違います!」
思わず駆け出そうとして、途中でへたり込んだ。
「はぁ……」
「もう足が限界です……」
相馬は小さく笑う。
「旧道だからな」
「レガシーへ続く正規ルートは反対側にある」
「舗装もされてるし、車でも来られるぞ」
ユナは肩で息をしながら顔を上げる。
「じゃあ、なんでこっちから来たんですか?」
「近い」
相馬は短く答えた。
「だいぶ険しいが、時間はこっちの方が早い」
「なるほど……」
そう呟いたユナの視線は、すでに別のものへ向いていた。
一匹の蝶が、花畑の上をひらひらと舞っている。
「本物の蝶々だ……」
思わずその後を追いかける。
「博物館でしか見たことなかった……」
「すごい……」
感動したように見つめる姿に、相馬は呆れたように肩をすくめた。
「レガシーは、自分たちで生活を支えている」
「食料も、水も、電力もだ」
「だから土地が広い」
「へぇー」
蝶を追い掛けたまま返事だけが返ってくる。
……ちゃんと聞いているのか怪しい。
「寄り道するな」
相馬が一言告げる。
「はい!」
元気よく返事はしたものの、視線はまだ蝶を追っていた。
「行くぞ。」
ユナも慌てて蝶へ手を振ると、小走りでその背中を追い掛けた。
歩きながら、もう一度だけレガシーの街並みを見渡す。
穏やかな風景。
人々の笑顔。
どこからどう見ても、ここは争いとは無縁の場所に思える。
街を歩く人々の笑い声が耳に届く。
市場では野菜を並べる店主が客と言葉を交わし、通りでは子どもたちが駆け回っている。
どこにでもある、穏やかな日常。
しかし、その景色をよく見れば違和感があった。
畑を耕す老人の右足は金属製の義足。
荷物を運ぶ女性の左腕は精巧な義手。
白杖を手に歩く青年。
車椅子で友達と笑い合う少女。
誰もそれを特別なものとして見ていなかった。
助けるでもなく、哀れむでもなく。
ただ、ごく当たり前の日常として受け入れている。
ユナは思わず足を止めた。
「……もっと怖いところかと思ってました」
相馬は歩みを止めず、小さく答える。
「レガシーは暴動やテロばかりが報道される」
「だから悪目立ちしてるだけだ」
少し間を置いて続ける。
「ここにいる大半は、普通に暮らしたいだけの人間だ」
ユナは車椅子の少女へ目を向ける。
ちょうどその時だった。
少女の持っていたボールが坂道を転がってくる。
「あっ!」
ユナは慌てて拾い上げる。
「はい」
少女へ渡そうとすると、少女は満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう!」
そのまま器用に車椅子を操り、友達の輪へ戻っていく。
周りの子どもたちも何事もなかったように鬼ごっこを続けていた。
誰一人、少女を特別扱いしていない。
その光景を見つめながら、ユナはぽつりと呟く。
「みんな……普通なんですね」
相馬は頷いた。
「ここでは、不自由は珍しいことじゃない」
「事故や病気、戦争……理由は人それぞれだ」
「失ったものを補うための機械を、レガシーは否定しない」
ユナが相馬を見上げる。
「じゃあ、ユニティと何が違うんですか?」
相馬は静かに前を向いたまま答えた。
「ここにいる人間は、“生きるため”に機械を受け入れた。」
そして、少しだけ声を低くする。
「“進化するため”に、人間を捨てた者はいない。」
その言葉に、ユナは街をもう一度見渡した。
笑い声。
風に揺れる木々。
花壇に咲く色とりどりの花。
義足の老人が畑を耕し、義手の女性が子どもの頭を優しく撫でている。
ここにも、人々の日常があった。
ユナは、レガシーという組織を少しだけ誤解していたのかもしれないと思った。
レガシー本部
レガシー本部の自動扉が静かに開く。
中は想像していたよりもずっと穏やかな空気が流れていた。
木目調の受付カウンター。
談笑する職員たち。
壁には植物が飾られ、どこか病院とも市役所とも違う、温かな雰囲気がある。
相馬は受付へ歩み寄った。
「すまない、少し良いか」
「はい、どうされました?」
応対したのは、白髪の男性職員だった。
相馬は身分手帳を取り出す。
「オリジン所属の相馬玲司だ。急な訪問で申し訳ないが、責任者の方と話をしたい」
職員は手帳を確認すると、表情を和らげた。
「ああ、オリジンの方でしたか」
「少々お待ちください」
そう言って内線へ手を伸ばす。
「はい、受付です。オリジンの方がお見えです」
数秒。
相手の返答を聞いた職員は、受話器を置いて笑顔を向けた。
「お待たせしました」
「十階の馬場評議員がお会いになるそうです」
「エレベーターを降りて右へ。突き当たりのお部屋です」
「……飛び込みなんだが、いいのか?」
相馬が尋ねる。
職員は少し笑った。
「オリジンさんなら歓迎ですよ」
「うちは皆さんには随分助けてもらっていますから」
その言葉に、ユナは思わず相馬を見る。
「オリジンってそんなに信用されてるんですね」
相馬は何も言わず頷き、エレベーターへ向かった。
レガシー本部 十階
馬場評議員室
「どうぞ、お掛けください。」
部屋は質素だった。
豪華な装飾も権威を示す品もない。
本棚にはぎっしりと資料が並び、大きな窓からはレガシーの街並みが見渡せる。
机を挟んで座る男は五十代ほど。
柔らかな物腰とは裏腹に、その目だけは鋭かった。
「急なお時間をいただき、ありがとうございます」
相馬が軽く頭を下げる。
「構いません」
馬場は穏やかに微笑む。
「それで、本日はどのようなご用件でしょう」
相馬は一拍置いてから口を開いた。
「数日前、我々オリジンの調査員が、レガシーを名乗るレンジャー部隊に襲撃されました。」
馬場の表情がわずかに曇る。
「……その件は初耳です」
相馬は続ける。
「そして、その調査の過程で、十数年前の大規模テロ事件をきっかけに起きた神代真人事件との関連が浮上しました。」
その瞬間だった。
馬場の動きが止まる。
静かに眼鏡を外し、机へ置く。
「……神代真人」
その名をゆっくりと繰り返す。
しばらく考え込むように視線を落とし、やがて相馬たちを見つめた。
「もしかして……」
静かな声だった。
「神代久喜先生の、ご子息の件ですか」
部屋の空気が変わる。
ユナが思わず身を乗り出した。
「え……」
相馬も目を細める。
「ご存知なんですか」
馬場はゆっくりと頷いた。
「もちろんです」
そして、どこか懐かしそうに微笑んだ。
「神代先生は、このレガシーにとって恩人ですから」
レガシー end...




