#6 ムーンライト
あの日、師匠であるレインと銀色の飛竜がいなくなってから五年が経った。
齢十八となったソラはたくましい青年になっていた。
背は180cmまで伸び、レインたちが消えてからも続けていた筋トレにより、細身ながらも引き締まった体躯となっていた。
しかしあの日経験した絶望は、五年経った今もソラの心に影を落としていた。
最後に見た、闇に染まったようなレインの表情を今でも鮮明に思い出す。
あの魔法のことを話さなければ、レインは今もこのツリーモアにいてくれただろうか。
今日もソラは誰もいなくなった竜の巣盆地で草の上に座り、一人物思いにふけっていた。
盆地にあるのは物家の殻となった小屋と静かに揺らぐ木々だけだった。
暗い夜空には星が浮かんでいて、ソラは時折見上げては何かを探すように視線を動かすが、望んだものはなかった。
盆地の淵、丘に座ったソラは、森の向こうのツリーモアから漏れる光に視線を移した。
夜遅くまで稼働している工場や、街の上空を浮かぶ輸送用の気球艦が暗闇に抵抗するように灯りをもたらしている。
しかしソラの目に映るのは街の灯りだけではない、その光には街に住む人々の感情の揺らぎも混じっていた。
ハクやレインとの交流を経て、確実に強くなっていくその力に向き合う、それがあの日以来決めたことだった。
座っているソラの傍にはレインが残したバイクがあった。レインの残した飛行帽とゴーグルを身に付け、毎日のように盆地に通っていた、ここに誰かが戻ってきたらすぐに分かるように。
諦めようと思ったが、諦められなかった。
しかし、ソラ以外にこの盆地に来るのは誰一人いなかった。
「……帰るか」
独り言をこぼし、バイクに跨った。
その時だった、轟音がソラの体を大きく揺らした。
──爆撃!?
圧倒的な質量が地面を叩いたことを理解したソラが視線を上空に向ける。
空は先ほどと変わらず静かで、気球艦も飛竜も見当たらなかった。
続いて音の鳴った方向を見て、ソラは茫然とした。
レインとともに過ごした思い出の小屋、その屋根に大きな穴が開き、煙を上げていた。
何が起こったのか、理解は出来ていなかった。だがレインの体は勝手に動いていた。
丘から転げるように駆け下りると、小屋の扉を開け放つ。
レインたちがいなくなって以来放置されていた小屋は暗く、ぶら下がっている燃料切れのガス式ランタンがさきほどの振動で振り子のように揺れていた。
穴の開いた天井から差し込んだ月の光が、巻き起こった埃を照らしていく。
ソラは茫然と一点を見つめる。
その視線の先には、血に染まった飛竜が大きな体を横たえていた。
天井を突き破り、墜落した飛竜はその体を小さく震わせ、呼吸も浅くなっているようだった。
瀕死の飛竜だったが、意識はあるのかその金色の瞳をソラに向けた。
視線が交差した瞬間、興奮した飛竜が血を滴らせながら体を起こしてソラへ威嚇するように咆哮を上げる。咆哮といっても満身創痍の飛竜から漏れるのは、かすれた鳴き声だけだった。
精一杯の声を上げた飛竜は倒れるように身を横たえる。
ソラが一歩近寄るとその飛竜の翼や体には無数の傷がつき、その全身に浴びている血が飛竜自身のものであることが分かった。
傍に来たソラへ向け、力を振り絞るように長い首を伸ばす。
飛竜は唾液と血の混じった液体を垂らしながら、口から牙を覗かせる。
飛竜と暮らした日々は、ソラの恐怖心を麻痺させるには十分な時間だった。
不用意に近づいたソラは、自身が死の瀬戸際にいることに今更気付いた。
──ああ、また死ぬのか……。
ソラは瞼を下ろし、死を覚悟した。
「……ソラ」
聞き覚えのある、凛とした声が聞こえる。
体へ振動を感じたソラが目を開けると、目の前に人間がいた。
長く美しい白髪、切れ長の目に収まった金色の瞳。
生まれたままの姿で衣服は身に付けておらず、さながら天使と見紛うほどの美しい女性がソラの胸元へと飛び込んできた。
ソラは慌てて受け止めると、少女の意識は既になく、その体は傷つき血で汚れていることに気が付く。
「きみは……?」
この世界に生まれ、ここまで美しい女性に出会ったことなどなかった。一度でも言葉を交わしていれば覚えているだろう。
何故か懐かしさを覚えたソラは意識のない少女の息が浅く弱まっていることに気付き、放置したままだったベッドへ慎重にその体を横たえさせた。
急ぎ丘に放置していたバイクを小屋の傍に移動させ、サイドバッグに入れていた簡易的な医療キットを取り出すと少女の元へと戻る。
貯水樽からすくった水を温め、なるだけ視線を外しながら血で汚れた体を優しく拭いた。
その後医療キットから缶に入った殺菌済みのガーゼと包帯を取り出し、傷を抑えるように巻いていく。
簡易的だが、今やれることはやった。
ベッドの傍、床に座ったソラは胸元の懐中時計で九時を回っていることを確認した。
「きみは一体……」
傍らで眠る美しい少女、ソラが目を奪われたのはその美しさだけではなかった。
体に被せたタオルの裾からのぞくのは、人間にはない尻尾だった。
少女の呼吸に合わせて上下する尻尾は白く輝く鱗に包まれていた。
──疲れた……。
少しだけ、ほんの少しだけ瞼を下ろして休もう。
一瞬の暗闇が訪れ、すぐに目を開けた。
遠くから断続的に響く音で目が覚めたソラは、時計を見て自分が一時間眠っていたことに気付いた。
隣では相変わらず少女が静かに眠っていた。
心なしかさっきよりも顔色がいい、というか体の傷が塞がりだしていた。
──やはり、竜人なのか。
100年生きた竜に稀に起こる現象『竜人化』。
ソラが憧れた存在、だが今はその命が安全圏へ達したことの安心感の方が強かった。
再び遠くから音が届く。
丘を駆けあがって音の方角を確かめると、その視線の先は故郷ツリーモアだった。
先ほど見えていた光とは程遠い、黒い影と恐怖を表す紫色の混じったどす黒い輝きが街を包み込んでいた。
そしてその輝きの下で見えたのは赤く煌めく、爆ぜる炎だった。
跳ねるようにソラの体が動く。
ブランドとアナの元へ、それだけがソラの頭の中を支配する。
バイクまで駆け寄り、飛び乗ったソラは瞬時に飛行帽とゴーグルを被り、エンジンをかける。
その瞬間、背中に振動を感じた。
「ソラ、私も連れて行って」
ベッドで寝ていたはずの少女が、衣服も身に付けずソラの背中に密着していた。
「ちょ、きみ……!」
突然の出来事に慌てふためくソラだったが、少女の真剣な眼差しを見て家族を最優先に考え、頭を切り替える。
「掴まって。行くよ」
「行こう」
フルスロットル、最大速度で竜の巣盆地を抜けてツリーモアまでの道を走らせる。
腰に回された少女の手に力が入る。
「街の手前できみを下ろす。隠れていて」
「いえ、私も戦う」
竜人とはいえ先ほどまでの傷がすべて癒えているわけではない。
少女を戦地に連れて行くわけにはいかない。
街へ向かう途中の安全地帯がどこか思案していると、少女の指が上空を差した。
「あれ……!」
その指先の向こう、徐々に近づいてきたツリーモアの上空に浮かぶ黒い影。
「気球艦……!?」
空に浮かんでいたのは気球艦だった。しかし、普段ソラが目にする輸送用のものではない、明らかな戦闘用のものだった。
気球艦を空へと運ぶ最も重要な気嚢が輸送艦では通常1~2区画だが、戦闘用では数十の細かい区画に分けられている。空中戦、または対空射撃を受けた場合でも区画が分かれていることで全体の浮力を失わないようになっていた。
操縦席やエンジンなど重要部分には防弾布や装甲が設けられ、金属製の枠組みが船体の強度を向上させていた。
八年前に起こった戦争で軍事利用されて以降、技術が大幅に進歩していた。
空に浮かんだ気球艦は搭載したりゅう弾砲を街に向け放っている。
ツリーモアの属するウェルディリア王国の気球艦でないことは明らかだった。
『大陸中央商業同盟』という巨大な同盟を率いるウェルディリアへの攻撃、考えられるのは『北方山脈機構』だろう。
ツリーモアとて丸腰ではない、戦闘用の気球艦が二機常駐していたはず。立った一機に落されはしないはず。
その疑問を打ち砕くように、聞き覚えのある咆哮が耳に届いた。
気球艦の傍に見えたのは明らかに飛竜だった。
恐らく三頭はいるだろう、飛竜は気球艦の周りを飛びながら標的をツリーモアに絞って火球を放っていた。
五年前、竜の巣盆地での出来事が脳裏によぎる。
盆地に墜落した飛竜の顔、人間に入れられたような入れ墨。
バイクのハンドルを握る手が自然と強くなる。
ソラは恐ろしい想像を頭から追い出すようにバイクを街へ向けて駆ると、その肩に手が置かれた。
「連れてきてくれてありがとう。先に行くね、ソラ」
首を回すと、バイクの背で立ち上がった少女がツリーモアを爆撃する気球艦へ鋭い視線を向けていた。
「きみは……何故ぼくの名前を?」
少女は何も言わず、微笑む。
風でなびく髪が月明かりで美しく輝いていた。
目を奪われたその一瞬で、少女がバイクから飛び上がっていた。
その美麗な肢体が空へ打ち上がると、淡い光が体を包み込む。
その眩しさに目を細め、そしてその光の先に生まれたものにソラは目を見開いた。
「……ハク!?」
『銀翼信仰』、ウェルディリアが信仰する神話の竜。
初代ウェルディリア王が見た光景。
五年前に消えたはずの、ソラにとって特別な存在。
銀の鱗を輝かせ、空へと飛びあがったのはあのハクだった。
ソラからその名を呼ばれたハクが応えるように咆哮を上げる。
ハクは暗い夜を切り裂くように気球艦の方角へ向かってその翼をはためかせた。
「あれは、ハクだ……」
諦めそうになった。もう二度と会えないと思っていた。
絶望から救ってくれた銀翼の竜に。
にじむ視界を服の袖で拭う。
──……今はブランドとアナを助けるんだ。
気持ちを切り替えて二人の無事を祈りながら、ソラはツリーモアへバイクを走らせた。
星のように煌めきながら飛ぶハクの背を追うように。




