#5 トップガン
ソラはレインの助手となった。
心を決めたあの日、妙に静かになったブランドと家にもどってすぐにアナへ報告した。
アナはふうっとため息をつき、「怪我するようなことはしないで」と一言念押ししただけで止めることはしなかった。
むしろアナよりも、一度は許したブランドからの家に顔を出せ命令の方が多かった。
アナは「あの人も寂しいのよ」なんて言ってクスクスと笑っていた。
元々は竜の巣盆地で暮らす予定だったが、ブランドからの声もあって一週間のうち五日間は竜の巣盆地で、二日間は家に戻る、という約束になった。
レインからもそうするよう言われたのでソラも渋々従うことになった。
それでもソラの世界は一変した。
元々ふさぎ込むような性格だったが、盆地ではレインの他には人間もいない。
刺すような感情の流れも感じずに済んだ。
レイン自身は常に興味の向く先は竜に対してだけで、ソラへは一定の感情を維持しており、顔色をうかがうようなことも必要が無かった。そんなレインをいつしか師匠と呼ぶようになった。
レインはソラと違って周囲の目など気にする素振りもなく、竜の調査に心血を注いでいた。
そんなレインだが、一緒に暮らすようになって分かったのは想像以上の「ポンコツ」だったということだ。
常に竜を追いかけ旅をしてきたと聞いてはいたが、想像以上の「竜バカ」で食事は常に同じような豆のスープ、風呂は臭いと自分で感じた時に入るという。
研究に没頭して寝食を忘れてしまうレインと生活したことで、ソラの家事・自炊能力もだいぶ板についた。
助手となったソラはその調査に同行しながら竜について学ぶことになった。
飛竜の身体的特徴として、空を飛ぶことに特化した構造となっていた。その鱗は空気抵抗を減らすように部分部分で鱗同士が重なって生えており、空気を流すような形になっている。
体の突起物は地竜などと違って少なく、トカゲに近い流線状のデザインでそのおかげで空気を泳ぐように飛ぶことが出来ていた。
その翼の翼膜は柔らかく強靭で、一度翼ばたけば掴んだ空気を離さず驚異的な浮力を生み出していた。
レインは自身の調査に集中してしまうため、ソラはその手伝いをしながら独自に調査記録をまとめることになった。
レインが持つ調査用の計器の扱い方も教えてもらった。経緯儀、気圧高度計、風力計、計算尺……航空学校でも基礎的な部分は学んだが、元の世界では全て機械計算が行われるためソラにとっては新鮮だった。どれも移動に適した小型のものだったが、調査用としては十分な代物ばかりだった。
飛竜の記録観察のためには移動用のバイクも必需品だ。車両よりも小回りが利く。そのサイドバッグにはカメラも入っていた。今の時代では非常に高価なフィルムカメラを見つけた時はどこから手に入れたものか問いただしたが、レインは苦笑いして誤魔化すのみだった。
聴診器も必需品で、これは妙に白い飛竜になつかれていたソラに授けられた。
レインはこの白い飛竜を「彼女」と呼び、名前を付けたがらなかった。
『竜人化』現象で人に近しい存在となった竜はその時初めて名を付ける、そう習ったソラはレインの前では『彼女』と呼んだが、いないときには「ハク」と呼び可愛がった。
ハクは盆地を気に入ったようで、その大きな体を丸めて一日十時間は眠りこけていた。
そんなハクと一緒に寝て、一緒にご飯を食べて……そんな竜との共同生活はソラにとっての日常となっていた。
ある日、何気ない会話の中でツリーモアを闊歩する地竜「大王」の話をすると、「私が住んでいるときはいなかったぞ!」と叫ぶように声を上げてソラをツリーモアへ引っ張っていった。
竜の調査を生業とするレインは飛竜だけでなく、地竜、海竜にもアンテナが向くようだった。
大王を目の前にしたレインは周囲の目も憚らず調査を始め、警備兵に何度も連行されていた。
その度アナとブランドが二人して身柄を引き取りにいき、説教をくらわすことが定番となっていた。
「師匠は何故そんなに竜が好きなんです?」
盆地に佇む小屋の前で焚火を囲んでいるときに聞いたことがある。
「……小さい頃、ブランド、アナと一緒に北方山脈側に行ったことがあってね。その時、飛竜が頭上を飛んで行ったんだ。翼からの突風で砂煙が巻き起こった。砂に囲まれる中で薄目を開けた時、目の前に翼を広げ咆哮を上げる飛竜を見たんだ」
ソラは話を聞きながら、航空祭での自分が重なって見えた。
「それがとても格好よくてね、虜になってしまったんだ。ただ、その時の飛竜は私たちへ威嚇していた。三人とも泣きながら大慌てで山を下りたよ」
くくっと喉を鳴らして笑うレインはとても無邪気に見えた。
「そこからかな。飛竜を追いかけだしたのは」
焚火のせいか、その隣で丸まって眠るハクを見ていたせいか。
レインが語り終えた後、ソラは誰にも話したことがない、『感情の感知』についてレインに話していた。
その時ソラは、レインの表情を見ることが出来なかった。
彼は一言、
「それは、とても羨ましいことだ」
とだけ言葉を紡ぎ、それ以降は特に触れなかった。
ソラは盆地を起点に様々な現地調査へ参加したが、ただ一つ空中調査だけはどうしても参加出来なかった。
克服したい、そう思っていたソラはハクの背に跨ることもあったが、恐怖が勝ってしまいその背にしがみつくことしかできなかった。
ハクもソラから流れる感情を理解しているのか、飛ぶ素振りも見せなかった。
新しい世界で、新しい生き方を見つけたつもりだったが、ソラの心はまだ地上に縛られたままだった。
そして、レインの助手となって2度目の夏が訪れた。
「起きてください! 日は昇っていますよ!」
母親のように世話をするソラと、ベッドでうずくまるように眠るレインの戦いが始まった。
昨晩は遅くまで調査結果をまとめていたのか、フィールドノートを机に広げ散らかしていた。
「今日は父さん母さんが遊びに来る日でしょう」
言葉にならない呻きで返事をするレインに呆れていたソラは、小屋の外から聞こえたバイクの音を聞いて跳ねるように飛び出した。
小屋から出てきたソラに気付いたブランドは、飛び込んで来いと言わんばかりに大きく手を広げた。
相変わらず思春期のソラはその丸太のように太い腕に軽くハグすると、小屋の傍らで眠るハクを興味深げに眺めるアナにそっと近づいた。
「やっぱり大きいわね。でも綺麗」
「……母さん、触ってみる?」
茶目っ気のある顔をしたソラに、アナは驚きの表情を向けた。
「でも……」
「その子は大丈夫だろう」
見物だと言わんばかりに腕を組んだブランドがアナへ笑いながら声をかける。
ソラは腰の引けたアナの手を引き、ゆっくりとハクへと近づいていく。
気配に気づいたのか、ハクがゆっくりと顔を上げ、横目でソラたちを視界に収めた。
「さぁ、撫でてあげて」
まずソラがハクへと手を伸ばし、輝く鱗を優しく撫でる。
深呼吸して心を決めたアナがゆっくりと震える手を伸ばし、ソラと同じようにその体に触れる。
するとハクが翼を広げ、体を伸ばしながらアナへと顔を近づけると、アナは固まったように動かなくなる。
そんなアナを大きな瞳で見つめ、そして長い舌先でその頬を舐めた。
「ちょ……! くすぐったい! あはは!」
いたずらのつもりなのか、ハクは舌先でアナの手をくすぐるように舐め回していた。
その光景を眺めていたブランドも豪快に笑っていた。
その時だった。
ハクが突然その体を起こして鋭い目を空へ向ける。
その視線の先で、爽やかな陽が差す青空に太陽よりも赤い彗星が横切った。
空が一瞬茜色に染まり、その場の全員が空を見上げる。
ソラがその軌道上に視線を移すと、黒い二つの影が絡み合うように空に浮かんでいた。
──あれは、飛竜……?
二頭の飛竜が翼をばたつかせ、組み合うように争っていた。
飛竜たちは互いに距離を取ると、口を開けて高い叫び声を上げる。
その声を合図に互いの口に魔法陣が浮かび上がったかと思うと、そこから生み出されたのは圧倒的灼熱の『火球』だった。
先ほど空を横切った赤い炎を再び打ち合う二頭の飛竜。
そのうちの一つが片方の飛竜に直撃し、煙を上げて空から落ちてくる。
「下がって! 母さん!」
ソラがそう叫んだ瞬間、竜の巣盆地の丘に飛竜が墜ちてきた。
絶命したのか、その竜の首はだらりと大地に投げ出され、もう一頭の、茶色に染まった鱗を全身に纏う飛竜が勝ち誇ったようにその近くへと着陸した。
その視線はすでに事切れた竜ではなく、こちらを見据えていた。
牙を見せての咆哮、そして浮かび上がる魔法陣。
こちらへ向けた明らかな殺意が、ソラたちへ向けて放たれた。
死を覚悟したソラだったが、次に目を開けたとき、白く巨大な翼がソラたちを包みこんでいた。
火球をその翼に受けたハクが苦しげな甲高い声を上げる。
翼の鱗は剥がれ、肉の焼ける匂いがした。
こちらへ二発目を構える飛竜を気にすることなく、ソラはハクへと駆け寄る。
ブランドはアナを抱き寄せて叫んだ。
「ソラ! お前もこっちに……!」
そして放たれた二発目の豪火。
──まずい……!
その瞬間、ソラの体が浮かび上がった。
小屋を飛び出したレインがソラをハクの鞍に乗せていた。
ただの馬の鞍ではなく、コックピットを囲むように前面をガラスで囲んだ特別仕様だ。
ソラの前に颯爽と鞍に飛び乗ったレインが声を張り上げる。
「撃ぇ!」
その声に呼応してハクの口が開き、魔法陣が浮かび上がる。
辺りの温度が急激に下がり、魔法陣から鋭き氷の槍が飛び出した。
その槍は炎を貫くと、相対する飛竜のそばに着弾する。
思いがけない反撃に飛竜はその翼を広げ再び空へと上がった。
空中からの狙撃を行うことは明白で、一瞬の猶予もない。
「掴まれ!」
聞いたこともないレインの怒号のような声に、ソラは反射的にその腰を締めるように腕を回した。
それと同時にレインは手綱を絞り上げる。
ハクの翼が一度空気を漕ぐと、ソラの小さな体にGが圧し掛かった。
──潰れる……!
意識が遠のき、レインに回した腕の力が抜けていく。
その腕をレインが片手で力強く抑え、鋭い風を打ち抜くように声を張り上げる。
「しっかりしろ!」
その間2秒程度だっただろうか。体にのしかかったGは一瞬で消え、ソラの視界の前には何人も邪魔することのない空間が広がっていた。
思い出すのは「死」。
ソラは咄嗟に目を閉じて暗闇の世界をイメージする。だがこれまでと違い、その足元に大地が存在しない。
乱れた心の隙に入り込むように、暗闇の奥から死の輝きが小さく瞬いていた。
何度塗りつぶしても、その黒い輝きを止めることはできなかった。
『……じて』
輝きの奥から何か、小さな何かが聞こえる。
『信じて』
その瞬間、白い煌めきが世界を明るく染め上げた。
胸の中を温かく包み込むような眩しい光。その正体を確かめるように意識を戻すと、そこにはハクの大きな瞳が目の前に浮かんでいた。
「……今のは君が?」
まるで「YES」というかのように喉を鳴らすハクを前に、恐怖が薄らいでいくのが分かる。
鞍越しに感じる冷たい冷気と確かな鼓動。
今は信じるほかない、ハクとレインを。
再びレインに巻き付けた腕の力を入れなおす。それを良しとしてレインは対面に浮かぶ飛竜を見据え、手綱を通してハクへと意志を伝えた。
速度を上げ、飛竜へと駆けるハク、一方の飛竜もその体をまっすぐに伸ばし速度を上げながら迫ってくる。まるで車のチキンゲームだ。
それと違うのは攻撃手段があるという点。二頭の飛竜は燃える弾丸と氷の弾丸を撃ち放った。
体スレスレを炎の玉が轟音を上げて通り抜けていく。
交差した二頭だったが、ハクの後ろを飛竜が追いかける形となった。いわゆる『格闘戦』だ。
気球艦では水平面での『巴戦』が限界だろうが、空を主戦場とする飛竜は立体機動を用いる。
巧みに手綱を引いて火球を避けるレインの技量は褒められるべきものだったが、ハクの片翼は火球を受けて傷ついており、その動きは精彩を欠いていた。
無誘導のロケット弾とも呼ぶべき火球の命中率は高くないが、後方を取られ続ければいずれ堕とされる。
この世界でただ一人格闘戦を心得るソラは、元の世界で叩き込んだマニュアルを頭の中でめくった。
飛竜の、いや、ハクの飛行能力を信じて、鞍越しにハクの心へ流すように念じる。
『信じる』
そう聞こえた気がした。
「師匠!」
手綱を操るレインへ大声で声をかける。
「合図したら手綱を思いきり引いてください!」
「遊びじゃないんだぞ!」
「わかってます! 信じてください!」
飛行帽とゴーグルを付ける暇もなかったレインは長い髪をまき散らしながらソラへ鋭い視線を向けた。
力強い意志の宿った瞳、こんな状況で、飛竜から自分を守ろうとしたときのブランドを思い出す。
「……分かった!」
悩んでいる暇はない。
言葉を発さず、その首を縦に振ったレインの体を一層強く握り、ソラは後方を飛ぶ飛竜に目で標準を合わせる。
後方約100m、自慢の目測で位置を確認し、タイミングを合わせていく。
まだだ。まだ。まだまだ。あと少し……。
「今だ!!!」
ソラの声に呼応してレインが思いきり手綱を引いた。
ハクは頭を上げ、その両翼を縦に思いきり広げて風の塊を一身に受け止めた。
急激なピッチアップ。90度の迎角によって風を受けたハクはまるで一瞬空中で動きを止めたように見えただろう。
その動きに対応できなかった飛竜はハクを追い越す形となった。
「戻して!」
レインは言われるがまま手綱を再び揺らし、ハクを再び水平の飛行姿勢に戻させた。
『コブラ・ターン』。
航空機動、マニューバの一つ。その挙動と急減速により非常に操縦が困難な技だが、生物である飛竜をもってすればその機動は容易なはず、そうソラは確信し、そして今その予測が正しいことが分かった。
突然の機動に対応できなかった飛竜はその背後を明け渡す形となった。
苦し紛れに垂直上昇を始めた飛竜の背を捉えたハクは、氷の槍を撃ち放った。
そのうちの一発が左の翼に突き刺さり、悲痛の叫びとともに飛竜の高度が下がっていく。
飛竜は片翼でなんとかバランスを保ちながら、北方山脈に向かって逃げるように飛び去って行った。
「……十分だ」
北方山脈に目を向けながら、レインがあまりにも暗く沈痛な面持ちで言葉をこぼした。
ただその時は、ソラはレインの言葉を深くは受け止めていなかった。
目の前に再び現れた、憧れの、輝かしき空があったのだから。
ゆっくりと高度を下げ、盆地に着陸したソラたちを待っていたのは今にも泣きそうなアナとブランドの姿だった。
大地に足を付けた途端二人から安堵と怒りが混じった言葉を浴びせられ、そして強く抱きしめられた。
二人の説教と愛の言葉を聞き流しながら、レインがハクの翼を処置していることに気付いた。
それからはアナとブランドも入れて全員でハクの翼にできた傷の処置に当たった。
人間よりも優秀な回復能力を備える飛竜は、処置を終えたころには全員を舐めまわすほどの元気を取り戻していた。
息絶えた飛竜の死骸は相変わらず盆地の上に転がっていた。そしてその傍らにはレインの姿があった。
「師匠、実は……飛んでいるとき、声が、聞こえたんです」
「……声とは?」
「多分、彼女の。『信じて』と言っていました。感情ではなく、言葉として」
しばらくの沈黙。
そして振り返ったレインの顔は、深淵の深さを持つ黒に塗りつぶされているように見えた。
「そうか。それは……良かった」
その暗闇からだらりと垂れ下がるように言葉が出る。
ソラがまるでそこにいないかのように、その隣を通り過ぎていく。
飛竜の死骸と残されたソラは、大地に伸びたその体を見て、唖然とする。
「これは……?」
飛竜の顔には入れ墨が彫られていた。まるで人間が彫ったような。
レインはその後、小屋へと閉じこもった。扉越しから一言、「君は今日は帰った方が良い」そうソラに言い残し、ついにその姿を見せなかった。
次の日、入れ墨の件を聞きに盆地へ戻ると、飛竜の死骸は燃やされ黒い塊となっていた。
周囲にはハクの姿も見当たらなかった。
小屋の外にはバイクが放置されており、小屋に入ってもレインの姿はなかった。
愛用していた計器はそのまま放置されており、机に広げられていたフィールドノートだけが消えていた。
その代わり、机の上には飛行帽とゴーグルが置かれ、その傍に「ありがとう」とだけ書かれた手紙が置かれていた。
その日、ハクと師匠は消えた。




