#3 ホーリー・マウンテン
アストレオ大陸の最北端、そこには古ぶるしき山々が大陸を見下ろすように並んでいる。
『北方山脈』と呼ばれるその一帯は厳しい寒さと貧しい大地の広がる苛烈な環境だった。
その天を突くように鋭き山々の中で、ひと際高くそびえる山。
飛竜の生まれた山、『ドラゴン・ラン』。
またの名を『竜が穿つ山』。
すべての飛竜を支配する『マザードラゴン』がそこにはいる。
見上げても視界に収まりきらないような巨体、はたまた竜人化して鎧やマントで身を固めた偉大なる御姿なのか。
想像は膨らめど、今のところソラが目にする機会はきていない。
そしてその北方山脈を隔てて、南には広く緩やかなキングス平原が広がっている。
その西にはゴア砂漠が広がり、東には巨大な『東海』と呼ばれる海が広がっている。
この巨大な大陸の中で、数十にもなる国家が生きている。
その中の一つ、ウェルディリア王国に属し、山脈の終わりであり平原の始まりに位置するのがツリーモアだった。
約1000年前、大飢饉により山脈で暮らす北方民族の一部山を下って根付いた結果ツリーモアが生まれた。
当時は独立した小さな村だったが、北方山脈の国々との関係性悪化の折、ウェルディリアへ身売りという形で吸収されたという経緯だ。
──この町はいつ戦場になってもおかしくないんです。
簡易な大陸地図を指さしながら話す教師の話を、ソラはまるで小説の物語のような気持ちで聞いていた。
4年前に起きた戦争では、ツリーモアの東に位置し「山脈への玄関口」とも呼ばれるレストヒル王国が舞台となった。
北方山脈に領土を持つアケオルド帝国を主とした『北方山脈機構』と、ウェルディリアを旗国としてキングス平原を収める諸国が中心となった『大陸中央商業同盟』。
大陸を二分にして起こった戦争は、大陸最強の陸軍を持つウェルディリアが終始戦局をリード。
商業同盟側に有利な条件での停戦条約が結ばれ、1年で終結した。
その戦争でツリーモアが標的にされることはなかった。
地理的には山脈機構と最も近い位置にありながら、山脈沿いでも特に険しい自然の岸壁が守っていたからだ。
しかし、戦争で発達した気球艦は戦いを複雑にした。
飛行機ではなく、気球。
撃墜の危険性があるバルーン式だが、この世界では最も発達した技術。
山犬しか通れない道なき道、危険と隣り合わせの山道すら超えていける人類の英知。
しかし、ツリーモアの人々は楽観的だった。
なぜなら「飛竜が守ってくれる」からだ。
空の覇者、天空の守護者は領域を犯すものを許すことはない。
先の戦争でも、各国の製造した気球艦は限定的な稼働に留まっていた。
飛竜による攻撃に晒され、なすすべもなく墜落する事故が多発したからだ。
空はやはり竜のもの、大陸に住む人間はそう胸に誓った。
山脈から顔を覗かせるドラゴン・ランに目を奪われながら、ソラはブランドの腰に回している手に力をこめた。
塗装もされていない道をびゅんびゅんとスピードを上げて二輪バイクが駆けていく。
しわの無い、筋肉でパツパツのシャツを着たブランドの背中。
掴むところが見つからず、仕方なくブランドの腰にがっちりと手を回していた。
「わはは! 落ちるなよー!」
「どこに行くのさ……!」
「着いてからのお楽しみってやつだ!」
ソラの手のひらから伝わる熱に気づいたブランドは、大丈夫と言わんばかりにその手に自分の手を重ねる。
──なんか嬉しそうだな。
ブランドはソラと向き合う時、必ず”青色”だった。
「緊張」を表す青色、本当の”父親”の色はどうだったのだろうか。
だが、バイクに跨ってソラの手を握ったとき、ブランドの纏う色は”緑色”になっていた。
緑は「安心」で、”母親”であるアナは常に”緑”だった。
『感情の感知』、ソラは自身の力をそう理解していた。
コロコロと色の変わるブランドに、ソラ自身も戸惑いと多少の気まずさは感じていた。
そんな歪な父親と息子が出かける時、アナはなぜかケタケタと笑って二人を快く送り出した。
「あら男同士でどこ行くのかしら? 遅くならないようにね」
引きつった表情のソラを見て笑っていたのか、全く同じ顔をしているブランドを見て笑っていたのかは分からない。
しばらくするとガタガタとした山道を抜けて、丘陵に囲まれた大地が目の前に広がった。
「着いたぞー」
ブランドはソラを軽々と持ち上げてゆっくりと地面に降ろした。
季節は初夏、周囲の森はみずみずしいほどの緑が生い茂っていた。
その森の中に急に現れたような窪み。
「ここは『竜の巣盆地』って呼ばれてる」
ブランドが大きな手でソラの頭を掴むようになでる。
「竜の巣?」
「初めて来たか? 危ないから1人で来るなよ? 村に近いとはいえ飛竜に見つかればパクッ、だからな」
豪快に笑うブランドに合わせるように口の端だけを上げるソラ。
「さぁ、旧友に会いに行くか」
旧友? 竜がいるかもしれない道をズカズカと進んでいく。
自分が食べられるなんて露にも思っていないのだろう。
頼もしくあれ、そう書いてありそうな背中を今は追いかけるしかなかった。
しばらく歩くと、盆地の外れ、森との境目にその小屋はあった。
「おーい! いるかー!」
ブランドは小屋を揺らすような大きな声で、ソラの知らない誰かに呼びかける。
しばらくの沈黙。
小屋からの返事はなかった。
すると突然、周囲の森がざわめきだした。
小さい鳥たちが羽を散らすように飛び立っていく。
森が毛羽立っているような、そんな異様な光景だった。
何か音が聞こえる。
アナが布団をはたいているときのような、乾いた音。
徐々に近づいてくるその音は、確かに上空からだった。
「ほーら来たぞ!」
そう叫びながら空を見上げるブランドは、興奮と緊張、そして少しの恐怖をにじませていた。
上空を舞う黒い影、旋回しながらこちらへ降りてくる。
ひと際強い風に目を覆うソラ。
風邪が止み、再び目を開けると目の前に竜がいた。
空の覇者、天空の守護者。
皆がそう呼ぶ飛竜が、目の前にいた。
その飛竜は恐ろしく、美しかった。
太陽の光を反射するように美しい白い鱗。
凹凸の少ない滑らかな体と鋭い刃物のような翼。
呼吸を止め、自身の存在を消すかのように立つソラへ飛竜が顔を近づける。
──冷たい…!
頭がすっぽりと入ってしまいそうなほど大きな鼻孔から漏れる、凍えるような冷気。
今の自分はどんな色だろう。
恐怖にまみれた紫色だろうか、興奮の黄色だろうか。
「おいおい、あんまり息子をビビらせるなよ」
ブランドの巨大な手がソラの背中を支えるように添えられる。
「ふふ、悪かった」
その声は
確かに飛竜から聞こえた。
正しくは、飛竜の背からだった。
「やぁ、君がソラかい」
飛竜が足を曲げて背を向けると、その背には男が乗っていた。
手慣れたように背から飛び降りたその人は、細身で見上げるほどに背が高かった。
頭をすっぽり覆っていた飛行帽を外すと、腰まである白く長い髪がこぼれるように現れる。
目を覆っていたゴーグルを外すと、紺青色の瞳がソラをまっすぐ射抜いた。
「私はレイン。レイン・ライノフだ」
──あり得ない。
信仰の対象であり、人類の脅威である飛竜。
その背から降りてきた人間は、イカれた自殺志願者かストライダーか。
どんな人間にしろ、ソラがその出会いを運命だと感じたのは、誰しもが理解できることだった。




