33話「さよなら」
ソラさんは乗り換えを数回繰り返して、遠く離れた田舎町を終着駅とした。
無人の駅舎を出てみれば街灯はほとんどなく、星がよく見える。
逆に降り積もった雪は、この暗さでは白く見えない。
「スマホ、駅に忘れて行って。」
彼女の言う通りに、私はスマホをベンチに置く。
「ありがと。じゃ、もうちょっと歩くよ。」
大きなリュックサックを背負って、そう言って夜道を歩き出した彼女の後を、私は何も言えないまま追って行った。
『死にに行く』という彼女の言葉の意味をここまでずっと考えている。
私には彼女が本当に死にたいようには思えない。
死にたい訳ではなく死ぬ以外の選択肢を捨ててしまっただけのように思えてならないのだ。
私と同じように、ただ苦しいものから逃げたいだけなのではないかと。
しばらく歩いて、ソラさんは全く整備されていない山の入り口で立ち止まった。
そして後ろの私へ振り返って。
「どうする?」
と、問いかけてくる。
「どうするって、入るの?」
「この山、私のモノなんだよねー。相続しただけなんだけど。…あっ、価値はゼロってゆーか、むしろマイナスだよ?」
「そんなこと聞いてないよ。整備されてない雪山なんて――。」
『入ったら死ぬ』そう言いかけて飲み込んだ。
ちゃんと準備をしていれば遭難することなく帰れる。
だけど彼女は死ぬつもりでここに来ているのだ。
つまり『どうする?』というのは、私に一緒に死ぬかどうかを聞いているということ。
「…本気?」
「私はずっと本気だよ。」
暗い目で彼女はそう答えた。
「…止めにきたんだから、ついて行くよ。」
「そっか。…残念。」
私たちは夜の雪山に足を踏み入れる。
そこは白と黒の世界で、一歩進む度に一歩は重く、引き返せなくなって行く。
せっかくの足跡も降る雪ですぐ消えてしまうような、そんな世界。
そして今は、その世界には私と彼女の二人だけが存在しているのだ。
「どこまで歩くの…?」
終わりのない道に私はそう聞いた。
「ヅッキーの体力が切れるまで。」
「じゃあ…ここでやめてくれる…?」
「しょーがないなー。いいよ。」
正直、私の体力はとっくに限界を迎えている。
そもそもここに来る前から一日中ソラさんを探して走り回っていたのだ。むしろ私にしてはよく頑張ったと褒めてやりたい。
立ち止まったせいで、靴が雪でじわじわと濡れる中、彼女は背負っていたリュックサックを下ろして私に寄越し。
「好きなの選んでいーよ。」
と言って私が選ぶのを待つ。
私は言われた通りにリュックサックを開いて中身を確認した。
(ナイフ、ロープ、炭、睡眠薬、…毒薬?)
どうやって集めたのかも分からないこの“セット”の中から1つ選ばなければならないらしい。
残りの体力的に抵抗できる気がまるでしないし、多分選んだらそれで終わりになる。
かと言ってもう引き返せないところまできているのは明らかで、なら、これが最後のチャンスだ。
私は選ぶフリをしながらソラさんに話しかける。
「そもそも、なんでこんな山の中…。死にたいならもっと楽な方法あるでしょ?」
「…勘違いしてるよ。私は死にたくなんてない。」
それまで私が選ぶのをじっと見て待っていた彼女が初めて目を逸らした。
「…じゃあ、教えてよ。…なんで死のうとしてるのか。」
彼女は少し言葉を選ぶ時間を取ってから口を開き。
「……いいよ。冥途の土産に、私のコト教えてあげる。」
と、そう言ってから話し出す。
「大体見当ついてると思うけど、私、吸血鬼なんだよ。でも吸血液がつくれない体質に生まれちゃって。血を吸う時に相手の負担が高いから血を吸えなくて、しかも無駄に血が濃いせいで必要な量も多いし、つくれないのに体はつくろうとするから体力を消耗して余計…ま、よーはパートナーを殺しちゃうのが辛いワケ。それを知った時は死ぬほど絶望したけど、やっと解放される。」
一通りのことを、彼女は軽薄にそう語った。
「相手を死なせない方法だってあるって、分かってて言ってるんだよね?」
「そりゃあね。カノカノだって、その方法を実践しようとしてるんだし。でもカノカノは知らないけど、そーゆー方法で得られる1人分の血じゃ私には足りないんだよ。それにみんなを否定するワケじゃないけど、私は人を喰い物にしてまで生きたいとは思えない。欠陥は“決め手”だよ。自分が吸血鬼だと知った時から長生きする気なんてなかった。」
「カノンさんはいいの?好きなんでしょ?」
「“いいの?”って…。好きになったモノは仕方ないけどさ。それはカノカノが吸血鬼だって知らなかったからだよ?私は吸血鬼なんて大っ嫌い。知ってたら好きになんてならなかった。…そもそも、吸血鬼同士は同性同士よりハードル高いんだし。」
吸血鬼は絶滅するために、吸血鬼同士で子供をつくれないように、吸血鬼が吸血鬼の血を吸うとハマって抜け出せなくなるようになっている。
そうして血を薄めていって、いつかバケモノのいない世の中へと変わるために。
「で、そろそろ決まった?」
「いや…もうちょっと話さない?」
「…死ぬのをやめても、カノカノには二度と会わんからね?」
何もかも見透かしたように彼女はそう言った。
「…それは、カノンさんに会わなくていいなら死なないでくれるって、受け取っていい?」
「どうかな。生き別れんのも死に別れんのも、どうせ会えないんだから同じコトでしょ。だったら少しの希望も残さんように死んでしまうべきじゃない?」
「私は少しの希望ぐらいあっていいと思うよ。道具をいくつも揃えたり、戻れない場所まで来たり、それって少しの希望を潰して逃げられないようにしたいからでしょ?本当は今すぐ逃げ出したいんじゃないの?」
「…ウザいなぁ。ヅッキーなら分かんでしょ?死にたくなる気持ちも、その人のために距離を取りたい気持ちも。私は心残りなんて何もないように生きてきた。でもカノンだけが残った。“カノンさえいなければ”、私はこんなに苦しまずに済んだんだよ。その考えが頭ん中に浮かんだ時からこうするって決めてんの。」
彼女はゆっくりと私に近付いて、私の両手を握り目を見つめて言う。
「カノンが幸せなら私はどうだっていい。相手が4股するようなクズでもカノンがいいならいい。だから、一生のお願い。私にカノンを好きなままでいさせて。」
いつの間にか立場は逆転して、私が説得されていた。
私はただ黙ってその場に立っていることしかできなかった。
逃げ帰ったりはせず、かと言って立ち向かうこともなく、時間が解決してくれる訳でもないのにただ立ち尽くしている。
夜に、雪に、山の寒さに、体力を蝕まれながら何もできず単に生きているだけ。
そんな私に失望したのか、優しさなのか、彼女は。
「……もういいよ。ヅッキーは帰って?リュックの底の方に地図とコンパス入ってるから、ヅッキーならそれで下山できんでしょ。現在地は教えてあげる。」
と、そう言って、私が手を放したリュックサックから物を取り出していく。
「…ソラさ――。」
「封筒。カノンに向けた手紙が入ってるから、ヅッキーから渡しといてくれる?」
「…自分で渡しなよ。」
「ムチャ言わないで。お薬が切れたらテンション高すぎて自分でも何やってんのか分かんないんだから。」
深く考えていない呼びかけは遮られ、甘い足掻きも止められて、どんどん先へ行ってしまう彼女に追いつけない。
いや、そんなことは最初から分かっていたはずだ。
死ぬ人間を止めることは難しく、まして私なら余計にそうなのだと。
付け焼刃の浅知恵でかけられる言葉なんてない。
太刀打ちできるのは相手が本気じゃなかった時だけで、彼女は自分のためじゃなく、大切な人のために死のうとしているのだから、理由が外にある以上、彼女を必死に説得したところで結果は変えられないんだ。
「じゃあねヅッキー。さよなら。」
彼女は私に向かって小さく手を振った。
悲哀を飾ったその瞳は静かで深い絶望の目で、海の底で微かに残る空気を吐き出しながらその時を待っている。
彼女自身はとっくに諦めているのだ。
分かってる。分かってるけど。そうだとしても、何もできなくても、私はまだ諦めるつもりなんてないって、言いたいから。
私は手のひらを握りしめて言葉をつくる。
「……最後に。」
「…何?」
「ソラさんが死ぬっていうのは分かった。だから最後に、ちょっとだけいい?」
彼女は答えなかった。
ただ、黙って私が話し終わるのを待ってくれた。
私が彼女を変えることはできない。
なら、彼女自身に変わってもらうしかない。
私がそうして今ここにいるように、彼女の、ソラさんの最初のきっかけを、誰でもなく私がつくってみせる。
夜に声が吸い込まれて行く中、私は話し出す。
「冥途の土産に、私のこと教えてあげる。」




