32話「最後にひとつだけ」
ソラさんが学校終わりの放課後に姿を消してから一日以上経っていた。
家族には『しばらく連絡を絶つがそのうち帰ってはくる』という旨が伝えられていたらしく、これまでも突発的にどこかへ遊びに行くことは多々あったようで誰も重大には捉えていなかったが、ただ1人、カノンさんはそうではなかった。
「約束してたんよ…。アタシに何も言わず…いなくならないでって…。」
私はカノンさんから、それだけの理由でもなく、何か他に思い当たることがあるような印象を受けていた。
でもそれはソラさんから直接聞きたい。
夕暮れ時はとうに過ぎている。
カノンさんを落ち着かせたくもあった私は、ひとまずみんなにはトイトさんの家で待ってもらって、ひとりソラさんの家に向かった。
ソラさんに渡された“小さな鍵”が言葉通り鍵を握っているなら、これで開けられるものの中に道しるべがあるかもしれない。
家に着くと、呼び鈴を鳴らすまでもなくソラさんのお姉さんが出迎えてくれた。
「こんばんは。チヅキちゃんでいいんだよね?どうぞ、あがって。」
「お邪魔します…!」
ソラさんの部屋まで案内される時間、私はお姉さんに。
「あの、心配ですか…?」
と、聞く。
「うーん…どうかな。心配だけど…ほら、あの子要領がいいでしょ?頭もいいし、元気で明るくて、友達も多い。あの子は、はたから見るよりずっと色んなコトを考えてる。今回もあの子なりの考えがあるんだと思うから、カノンちゃんが心配なのは分かるんだけど、“今回は私たちじゃないのかも”って。そしたら実際チヅキちゃんが来たんだから、それで合ってたみたいだしね。」
お姉さんは明るく笑ってそう答えた。
ソラさんと同じように奥底は読ませてくれないけど、私に期待して託してくれている。
「私、頑張ります…!」
「うんうん、頑張っちゃって!…良い友人ができたみたいで、お姉さん嬉しいよ。」
二階の一室。ソラさんの部屋の前まできて、お姉さんは。
「要るものあったら取って行って。怒られたら私のせいにしといてね。」
と、そう言って一階に戻って行く。
お姉さんが階段の陰から消えるまで見送って、そして私は満を持して扉を開け、部屋に入った。
部屋に入って、まず壁を触って電気のスイッチを探した。
スイッチを入れると真っ暗だった部屋の中は一気に明るくなり、だから目に飛び込んでくる。
ベッドの上のぬいぐるみ、箱の中のオモチャ、土産物の置物、クローゼットの扉を外してスペースを確保するほどの量の洋服、壁掛けのコルクボードに貼られたいくつもの思い出の写真。
(これ…前にスイさんのところへ押しかけた時の…。“記念に一枚”とか言われて撮ったヤツ…。…ほんとに記念だったんだ…。)
仕事中のスイさんを引っ張り出そうとしてソラさんが手伝ってくれたツーショット写真。
他にも去年の夏祭りに中学時代のカノンさんとのもの、もっと幼い頃の写真まで、丁寧にプリントされて飾ってある。
それによく見てみれば、お土産は当然貰い物で、オモチャも写真に写っているものはプレゼントされたもの、一緒に買いに行った服に、ゲームセンターで取ったぬいぐるみにと、ここにあるものは全て誰かとの思い出を示すものだ。
ソラさんを示すものが何一つないこの部屋は、ソラさんの気配を感じさせない。
カノンさんが入りたくないという理由も、そういうところが関係しているのだろうか。
(鍵付きの引き出しでもあるのかと思ったけど、ぱっと見なにもない…?)
軽く見回っただけでは、小さな鍵の使い道は分からなかった。
お姉さんにはああ言われたが部屋を荒らす訳にもいかない。
私は改めて鍵を観察し、何を開けられそうなのか考えてみる。
(材質はプラスチックじゃなくて普通に合金ぽい。けど、構造が単純だから…もしかしてオモチャの鍵なのかも。)
オモチャ箱には幼い子供が好むようなオモチャが沢山入っていた。
その中で鍵穴がついているものは、オモチャにしては少し大きい、ティッシュケースほどのサイズの『宝箱』。
(…あれ…?この宝箱、確か…。)
コルクボードの写真の中に、小さいソラさんがこの宝箱を持って、小さいカノンさんと写っているものがある。
添えられている文字は『かのん初襲来!!法被異刃亜巣出異!!』。
(いや普通にハピバでいいでしょ。)
どうやら小さい頃、誕生日プレゼントにカノンさんから貰ったもののようだ。
気を取り直して、宝箱の鍵穴に小さな鍵を嵌めてみるとすんなり入る。
私は一呼吸おいてから鍵を回して解錠し、宝箱を開いた。
中に入っていたのは1枚の白封筒と1人分の新幹線のチケット。
ただ、私は封筒の中身を確認しようとせず、両方持って、急いで部屋を飛び出した。
「お邪魔しました…!」
一階のお姉さんに挨拶をして。
「何か見つかった?」
「はい…!ありがとうございます…!」
「そ、よかった。あの子の…ソラのコト、お願いね。」
「…はい…!頑張ります…!」
走って駅に向かう。
チケットの日付は今日。時刻は1時間後だった。
発車時刻ギリギリ、私はなんとか間に合った。
最悪遅れても最終でなければ後続に乗れるが、それでは多分、二度と追いつけない気がする。
だから何も用意せず駅へ急いで、身一つで乗った。
(えっと…隣の車両か…。)
私は指定席の座席へ移動しながら、その隣に彼女が座っていることを祈る。
そして。
「よっ。ヅッキーこんばんは~。」
ソラさんは私の隣、窓側の座席に、悠々自適に寛いでいた。
私が席に着くと、彼女は待ってましたと言わんばかりに話しかけてくる。
「カノカノは?」
「大泣き。すっごい取り乱してたよ?あんなカノンさん初めて見た。」
「そっかー。悪いコトしちゃったなー。」
「…自覚あるならなんで…。」
「いやー…なんかもう、色々めんどくなっちゃって。」
体力を使い果たしたような表情でそう答えた。
「宝箱開けたんでしょ?封筒の中身読んだ?」
「いや、急いで来たから読んでない。持っては来てるけど。」
「ふーん…。…あの宝箱、カノカノがくれたんだよね。」
「誕生日プレゼント?」
「そうそう。カノカノが初めて祝ってくれた時のヤツ。ただオモチャの鍵が付いてるだけの宝箱なんだけど、もらった時はあの中に折り紙で折った色んなのが入ってて…。」
一瞬、目を強く瞑ってから、続ける。
「カノカノって折り紙ちょーウマいんだよ?知らなかったでしょ~?」
「知らなかった…。さすが幼馴染。」
「まぁね~。…幼馴染だけど、私とカノカノは全然違うじゃん…?昔からそう…。小さい頃から、私の方がずっと裕福だって自覚はあって、だから全然、当時欲しかったオモチャとは違ったんだけど、でも、アレが一番嬉しかった…。嬉しかったんだよ…。本当に…。」
両方の手の平を目元に当てて、零れないように塞いだ。
それでも溢れて手首を伝うその涙は、覆すことのできない悔しさなのだと思う。
「ごめん…。勝手に…泣いて…。」
「…大丈夫。…大丈夫だよ。私が付いてるから…。」
それからしばらく、声を押し殺して涙を止めようとする彼女を、私はただ抱き寄せていた。
新幹線が二つ目の駅を発つ頃、少し落ち着いてきた彼女は、自身の部屋について語っていた。
あのぬいぐるみは誰にもらったものか。あの服は誰と買ったものか。
あの部屋は楽しかった思い出をそのままに入れた宝箱で、だけどその中に彼女はいない。
彼女が部屋を出た後、そこには思い出だけが残り、彼女の影は消えて無くなる。
そう話している最中、彼女は窓の向こうの流れる夜景を遠く、眺めていた。
「ねぇ、ヅッキー。どこで間違えたんだろね。…やっぱ、最初からかな。最初から…生まれた時からもう“どうしようもない”って、決まってたのかも。けっこー頑張ったつもりだったけど…やっぱり私じゃ、カノンを幸せになんて、できるワケなかったんだ。」
そう言う彼女の瞳からは、流れる涙はとっくの前に枯れていた。
「…ソラさん…。本当は…カノンさんのこと…。」
「好きだよ。愛してる。…向こうと同じだけの感情は、持ってるだろーね。」
私の言いたい言葉を、彼女はあっさり認めてしまう。
ただひとりを除いて、隠す気なんて今さらないのだろう。
「でも、私のこの想いは墓場まで持って行く。」
「どうして…。伝えようよ…!カノンさんだって――。」
「ヤだ。」
それだけの言葉で私の提案は捨てられてしまった。
「それに、墓場までって言っても、あと少しの我慢だから。だいじょーぶ。」
「……意味が分からない…。…何が言いたいの…?」
淡々と、書類の山を整理するように彼女は言う。
「私はね、ヅッキー。これから死にに行くんだよ。」




