34話「さっちの」
人生は死を受け入れるまでの準備期間で、生きることは醜く縋りつくこと。
私は彼女を純粋に『凄い』と思う。彼女は醜くあることを嫌い、自ら死を選んだのだ。
それは、死に縋りついたあの頃の私とは違い、気高く、尊く、美しいとさえ思ってしまうような、真っ直ぐな生き方で。嫌ってしまえば楽だったのに好きでいることを何よりも大切にしたその選択を、大切な人を悲しませまいとしたその優しさを、私はただただ純粋に尊敬していたい。
空気に触れる皮膚が痛みを忘れていく。
互いに凍てつく寒さの中でその前にと、私は言葉を出した。
「私は多分、恋をできない人間なんだと思う。好ましく感じることはあってもそこに恋愛感情はなくて、誰かを好きになることはないんだと思う。」
いつかはそういう感情を持つ日がくるって思いたかったけど、やっぱりどうしても、理屈で感情を理解してても感情的にはそれを理解できない。
それは性別とか、種族とか、そんな壁のことじゃなくて、ただ私がそういう人間ってだけのことで。欲がない訳じゃないんだけど、恋愛感情とはやっぱり違うものなんだって、この1年で知った。
でも、みんなのことは本当に大好きだし、ずっと一緒にいたいと思ってる。幸せにしてあげたいと思ってる。幸せにするつもりでいる。それは本当に、心の底からそう考えてるし、それじゃ駄目なんてことはないと思うんだよ。だって恋は人生を幸せにするための手段で、目的は幸福に生きることだもん。恋できなくたって幸せにはなれるし、幸せにできる。
そしてそれは。
「ソラさんもだよ。」
ほんの一瞬だけ、彼女は手を握りしめようとしてしまう。
「カノンさんのためにって、ずっと頑張ってきた。不安でもやるしかなかった。自分にできることがそれしか残ってなかったから。そうなんでしょ?」
「……だったら何?」
「ソラさんが気付かないはずない。本当はもう1つ、選択肢があったんだ。でもそれを選ぶのが怖くて、無自覚なのかもしれないけど、気付かないようにしてた。だから自分を逃げられないよう追い詰めたり、私にだけ本音を見せてくれたり、負けると分かってて勝負を挑んだり、そういう不安の表れを隠そうとできなかった。」
「……じゃあ、それはなんだと思ってんの…?」
「他人に押し付けること。」
「…なにそれ。…意味分かんない。」
「いや分かるよ。今までずっと自分が頑張ってきたのに、最後の最後で何もかも投げ捨てて他人に押し付ける。そんな選択、怖くてできないんでしょ?ソラさんは天才だし、大体なんでもできるから、自分が何もしないってことができなかったんでしょ?」
「……そうだとしても、そんなコトして何の解決に…。」
「何も解決なんてしないよ。」
「……は…?自分が何言ってんのか分かってる…?」
「何も解決しないけど、でもソラさんは楽になれる。…もう楽になっていいんだよ。もう頑張らなくていい。もう…充分頑張ったでしょ…。なんでソラさんがこんなに…追い詰められなきゃ駄目なんだよ…。」
滲みかける涙を拭って、私は言う。
「ソラさん。私に負けたんだから、覚悟決めて、私に押し付けて。」
できるだけの言葉は伝えた。
だけど、これで最後になるのなら、ならせめて、最後はこんなことじゃなく伝えたいことを言って終わりにしたい。
「ソラさん、私の友達になってくれてありがとう。…『さよなら』は、言わなくても許してくれるよね…?」
拭ったつもりの涙は雪と混ざり、冷たく頬を撫でる。
精一杯笑ったけど、やっぱり顔を伏せてしまった。
だって最後に見るのがこんな顔なんて、ぜったい嫌だもん。
涙がなくなったら帰ろう。
俯いたまま、そう思考が落ち着くのを待っていた。
しかし。
「……これから。」
と、長い沈黙を経たソラさんが話し始めた。
だから私はソラさんの声を聴くため、目を濡らしたままゆっくりと顔を上げていく。
上げた顔で見たソラさんは両手を握りしめていて、そして懇願するような目でこう私へ問いかける。
「これから、私が何回勝負を仕掛けても……絶対、勝ってくれる…?」
私はできる限り真っ直ぐその瞳を見て答えた。
「勝つよ。絶対に。」
「負けたら…お互い今よりずっと、つらいコトになる…。いいの…?」
「そんなの気にする理由なんてない。どんな状況でも、どんな勝負でも、絶対に私が勝つ。約束する。」
ソラさんはしばらく目を瞑ってから。
「……また曇ってきたから、今日下山するのはやめよ…?ちょっと歩いたら小屋あるから…。」
と言って、リュックサックを持って歩き出す。
私も、慌ててそれについて行った。
しばらく歩くと、ソラさんの言う通り山小屋に着いた。
中はちゃんと手入れされており、つい最近まで誰かがいたような痕跡もある。
「ストーブに火点けるからちょっと待ってて。」
そう言って、ソラさんは薪ストーブに火を点けて部屋を暖め始める。
「こんな小屋あったんだ。」
「ご先祖様の作業小屋だよ。誰のかはもう分かんないけど。ここで夜明かして、朝になったら帰ろ。」
「うん。…あのさ…。」
「死ぬのはやめる。でも、ちゃんと勝ち続けてよー?」
「それは任せて…!頑張る…!」
「…あんま気負いしないでね?私みたいになったらイヤだから…。」
「…うん。」
ソラさんはいつも通り、でもいつもよりずっと自然なトーンでそう話してくれた。
2人で1枚の毛布に包まり、1杯のお湯を交互に飲み、ぼーっと夜が明けるのを待つ。
「この小屋、ソラさんが管理してるの?冬休みの間もここにいてたり?」
「そうだよー。1人分しかなくて悪いね。」
「いや、全然ありがたいよ。」
「そう?ヅッキーって間接キスとか気にしない感じ?」
「しないね。仲の良い友達相手ならそんなもんじゃない?」
「まー、私もそんなもんだけど。」
ソラさんはコップに映った自分の影を眺めて。
「……もし、もしヅッキーが吸血鬼だったら、こんなに仲良くなれなかったと思う。…ホントに嫌いなんだよ。…ホントに。」
と言った。
私は少し考えを整理してからソラさんにこう返す。
「そんなことないよ。ソラさんはいっつもみんなのこと、色んなことを考えて行動してるじゃん。吸血鬼を嫌ってても、それが仲良くなれない理由にはならないよ。」
「……ありがと。」
その後、暖を取りながら他愛もない雑談で暇をつぶし、朝を待って下山した。
私とソラさんが帰りの電車に乗るため駅に行くと、駐車場によく見慣れた高級車が止まっている。
「お帰りチヅキ君!」
「まだ帰ってないけどね。」
どうやらスイさんが私のスマホのGPSを追ってここまで来たらしい。
そして。
「ヅキちゃんおはよう。みんなで来ちゃった。」
「チヅキちゃんおはよう。心配したんだよ…?」
「コトハさんカナミさんおはよ~。心配かけてごめんね。みんなでってことは…。」
スイさんコトハさんカナミさんと“もう1人”、この場に来ているのだ。
その“もう1人”は、私の後ろで申し訳なさそうに縮こまっているソラさんの下へ近付くと。
「バカ。」
とだけ言って戻って行く。
「カノンさん…?」
「あ、おはようチヅキ。」
「おはよう。」
これで済ませるのもカノンさんなりの優しさなのだろう。
さて。
「ソラさん大丈夫…?」
「後でメチャクチャ謝んなきゃなー…。」
「…ちなみに私、カノンさんへの手紙まだ持ってるよ。」
「なんで!?捨ててよ!」
「えぇ~?どうしよっかなぁ~?カノンさ――!」
「やめろぉ!!」
手紙を取り返そうとするソラさんから逃げて、私たちは駐車場を走り回る。
「アンタら何してんの?帰るよ?」
「はーい。」
「で、アタシへの手紙って何?」
「ソラさんからカノンさんへの手紙だよ。あげる。」
ソラさんもカノンさんには文句を言えず、手紙は渡ってしまった。
「帰ったら読も。」
「カノン…!!」
「何??」
「…何でもないです…。」
「あっそ。」
獲物を手に入れて、カノンさんは早々に車へ乗り込む。
他のみんなも乗って、後は私とソラさんだけ。
「…ヅッキー、私なんか死にたくなくなってきたかも。」
「よかったじゃん?」
「うん…。なんか、幸せってこういうコトなんかもね。」
そしてソラさんはいつものあどけない笑みを見せて言うのだ。
「ありがと。私を生かしてくれて。やっぱヅッキーは親友だぜ!」




