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一樹の陰  作者: みなきら
一樹の陰一河の流れも他生の縁
9/25

三人寄らば文殊の智恵

 オーケー、一旦、落ち着こう。


 そう念じて、何回目だろう。


 加代子は何故か気吹戸主神と天狐に挟まれるようにして、事情説明を求められていた。


「つまり、貴女はずっと先の未来からいらっしゃった、と?」


 こくこくと頷いたが天狐は胡散臭いものを見るような眼差しでこちらを見つめてくる。


 狐に化かされることはあっても、狐を化かす気なんて、全くないというのに。


「しかも、私が人魑魅となった貴女に偏諱をされた、と・・・・・・?」


 天狐の目には明らかに加代子に対する侮りがあり、「おお、嫌だ」と言わんばかりの様子だ。その様子に加代子は妙な既視感を覚えた。


 あ、そうだ。反抗期だ。


 そう思ったのが口から出ていたのだろう。天狐はムッとし、気吹戸主神は口に手をあてがってふふっと笑った。


「天狐、貴方が否定なさりたいようですが、先程ので彼女に逆らえぬのは感じているでしょう? それにこの方の仰ることは恐らく真実ですよ。」


 不思議なくらい気吹戸主神は加代子の話をすんなりと受け入れてくれた。


「信じてくれるの?」

「ええ。私も同じですからね。」

「へ?」


 気吹戸主神まで先の未来から来たと言い出すと、天狐はますます不機嫌そうに、気吹戸主神にも胡乱気な眼差しで応える。


「根拠や証拠を示して頂かない事には、それまた、俄には信じ難いお話ですね。」

「そうですね。正直、私も《呪》の話を聞くまではそうでした。ですが、その骨子はどうやら少彦名命と考えていた《禁厭(まじない)》を、より体系的に纏めたもののようです。それにこの方は私の知りえない素戔嗚尊や八嶋士奴美神の事まで知っていらっしゃるのですから、信じるよりほかありますまい。」

「少彦名命を知っているの?」


 加代子が訊ねると、気吹戸主神は「彼とは、全国津々浦々、旅に出た仲ですよ」と笑う。加代子は瞬きをすると、気吹戸主神に「貴方は大己貴命?」と訊ねた。


「ええ、そうです。国譲りで名を消されただろうと思っていましたのに。後世に私の名は残りましたか?」


 加代子は頷き「出雲大社(いずものおおやしろ)に祀られてるよ」と話す。それを聞くと気吹戸主神はクッと喉を鳴らして笑った。


「なるほど、それでは《見せしめ》として、杵築の大宮と共に我が名を残したようですね。」

「《見せしめ》?」

「ええ、出雲に作られた杵築の大社は私にとっては監獄みたいなものですから。高天原に歯向かえばこうなるぞと、内外に知らしめたかったのでしょう。」


 大己貴命が葦原中国を統一して、しばらくの後、高皇産霊神の息のかかった倭種(やまと)の国に任那の国は攻め込まれた。


「死して白き鳥となり、青き空、蒼き海に還る。任那の国ではそれを誉れとする、水辺の民が多かったのですが、その長が立派な籠に閉じ込められて岩戸に押し込められるとあらば、権威も何もあったものではないでしょう?」


 それを聞くと天狐は難しい顔になり、「主様は例え転生したとして、そのような憂き目に合われるというのですか?」と怒りを露わにする。


「ええ、そうですよ。高皇産霊神の呪縛が解け、気が付いた時には瑠璃色の光の中。あとは貴女と同じようにして、神皇産霊神がいて、自分に《気吹戸主神》と名乗るように言うものですから驚きました。」


 自分を知っている神皇産霊神なら、彼女は自分を「大己貴命」と呼んだだろう。しかし、彼女にその素振りはなく、外に出てみれば全く見たことも無い景色が広がるばかりだった。


「地狐から聞いて分かったのは、ここが国常立尊の邸だということと、だとすれば、この世界は前の私が生きた時代より更に前の時代だということ。」


 何がどうなったのかは分からない。ただ、いきなり放り込まれた世界は今にも滅びかけていて、自分を産霊した神皇産霊神は、この世界の祓えを自分に望んでいるということだけは分かった。


「国譲りの後、身一つで幽世に閉じ込められ、目が覚めたら世界が滅ぶ直前と来ている。」


 自嘲的に気吹戸主神は苦笑する。この世界はまるで自分の居なくなった後、任那の国もこのようして瓦解していったのだろうかと胸が痛くなる。


 気吹戸主神が少しばかり辛そうな顔で言うから、加代子は「大丈夫?」と訊ねた。その言葉に気吹戸主神はピクリと反応した。


「先程、須勢理の意識にも一時的に同調した事があると仰っていましたね。貴女が居るということは、須勢理は逃げられたのでしょうか?」

「うん、まあ・・・・・・。」


 加代子は国譲り後の須勢理の事を思うと言葉を濁す。


 木俣神に連れ出され根の堅洲国に戻り、大己貴命も、若竹も、五十鈴姫も喪い、抜け殻のようになった彼女は黄泉の国に向かった。


 口重い加代子の様子に、気吹戸主神は表情を強ばらせ「正直に教えてください」と告げる。加代子は口を閉ざしたまま、そっと気吹戸主神の手を握った。


 自分とは一回りほど違う、少し骨ばった指先。


 固く握りしめられたその指先はきっと手のひらに食いこんで痕を付けている。


 胸が締付けるような心地になって、加代子は眉根を寄せる。それから声を絞り出すようにして「伝わってきたのは途方もない哀しみ、それから空虚感」と答える。


「貴方は《必ず戻る》と伝えて、須勢理は帰らないのを知りながら待った。」


 待って、待って、待ち続けて――。やがて、幼い子供姿の晴明こと、天狐に連れられて黄泉の国に行き、須勢理である事を辞めた。


「正直、そこからあとは私も分からないの。気が付けば、それらの記憶は抜け落ちて、ただの人の子のように過ごしていたから。」


 そう口にして加代子は突き刺すような胸の痛みに口を噤み、鼻の奥がツンと痛むのを堪えた。


「それでも、未来の貴方は有象無象の中から私を見つけ出した。」


 一回に千人近くが往来すると言われる渋谷スクランブル交差点のすぐ傍で、本来は繋がらないはずの電話が繋がった所から始まった関係。


 巻き込まれるようにして始まった関係は、いくつもの世界を越え、時を越え、流れ流れてこんな所まで来てしまったけれど二人は間違いなく再会した。


「約束はきっと果たされるよ。だから・・・・・・。」


 そんな風に苦しげな顔をしないで。


 声を震わせ答えると、気吹戸主神は「それは、せめてもの救い。ならば、何とかせねばなりませんね」と呟く。加代子はその答えに少しほっとしたような顔になった。


「まるで救いがなければ、そのおつもりは無かったかのようですね。」


 天狐は厳しい表情のまま、目の前の男が言っていることが真実なのか、噛み締めるようにして訊ねる。


「ええ、宿命とはいえ、何も必ず従う理由はありません。」


 気吹戸主神は「この先に待ち受ける困難や苦しみを覚えば、ここで終わらせられるなら、その方がいい気もしてるんですよ」と話す。


 自分のせいで不幸になっていく須勢理の姿を、ここで断ち切れるのであれば己の未来などいらない。


「もし、速佐須良比売の存在がなかったなら、私は迷わず八岐大蛇に味方したでしょう。」


 全て消えてしまえ――。


 大切なヒトを失った国常立尊の願いそうな事は、大己貴命として生きた自分は痛いほど分かる。


「そして、出会ったのが貴女で良かった。もし、傷付き、絶望している須勢理だったら、私はやはり自分を許せずに世界を滅ぼしたでしょう。」


 しかし、現実は「須勢理」とは繋がるものの、別の「加代子」が産霊された。


「ですが、貴女と共に生きている私は、まだ貴女を助けたいと抗っていると聞いた今は、貴女を未来の私の元へ返さねばなりませんね。」

「貴方が思い止まってくれて良かった。私も、もう一度、雅に会いたいもの。」


 気吹戸主神も大己貴命も大物主神も雅に通じているのは感じる。だけど、自分を護り、自分を助けてくれたのは、彼、ただ一人だ。


「今はどうやって戻ったらいいか分からないけど・・・・・・。雅や晴明なら《何とかしてくれる》って信じてるの。」


 加代子がそう言い切ると、気吹戸主神は「信頼なさってくださってるんですね」と嬉しそうにし、天狐は「他人任せになさるのですか?」と困ったような顔をした。


「他人任せって言うけど、こういうのは専門家に判断してもらう方がいいと思うんだけど。」


 祓戸大神が一柱《速佐須良比売神》として産霊されているとは理解したものの、意識は加代子のそれで、少彦名命に聞き齧った程度の知識しかない。


「正直、《呪》については基礎編の及第点を貰えたレベルで。応用編は習ってる最中だったの。」


 加代子が申し訳なさそうに答えれば、天狐も途方に暮れたような表情で溜め息を吐く。


「それで言うなら、私も似たり寄ったりではありますね。困ったら主様に伺っていましたから。恐らく知智の実と時じくの香ぐの木の実が悪い影響を及ぼしたのだろうと、それくらいしか推察出来ませぬ。」


 それを聞くと加代子が「晴明でもダメなの?」と暗い表情になるから、気吹戸主神はふっと笑みを漏らした。


「そう気落ちなさらないでください。天狐は原因を、速佐須良比売は結果を既にご存知なのであれば、私がその間を埋めれば良いのではありませんか?」

「埋めるって・・・・・・。」


 どうやって、と加代子が首を傾げると「先の世では散逸してしまったようですが、私の生きた頃はまだ詳しい話が残っていましたよ」と話す。


「多分、気吹戸主神としての私がこれから来る世のために、大己貴命に宛てて詳しく残したのだと思いますが。」


 そう言って気吹戸主神は静かに昔語りを始める。


 この世に()()は無く、あるのは()()だけ。


 一つ一つは不完全でも、より集まれば解決策も見えよう。


 天狐と加代子は気吹戸主神の話に耳を傾けた。


 ◇


 今は昔。いや、正確にはこれから先の話だが、葦原中国は八百八町や八百八橋ならぬ「八百八国」ある状態だった。


 大己貴命の生まれたとされる伊波の国は山間の小国ながら、山陰と山陽を繋ぐ陸路の要所にあることから、宿場と市が置かれ多くの国が欲しがる土地にあった。


「私はその伊波の国の四男坊でしたが、母が東の大国、刺国の王族の出で、その後ろ盾を欲していた父は大事な子として目していました。」


 実際、刺国には後継者となる男の子が大己貴命以外にはおらず、伊波の国ではさしたる力を持たない四男でも、刺国においては正統な後継者の立場にあったのだという。


「ですが、それは母親同士にとっては格好の良い火種で。父の存命中は良かったのですが、お隠れになってからは肩身の狭い思いばかりさせられました。《伊吹山の頂にある八ツ頭の大岩戸のところで拾われてきた鬼子と取り替えられた》とかなんとか。」


 天狐はそれを聞くと眉を顰める。加代子の方はと言うと、気吹戸主神から聞かされる大己貴命の幼少時代の話に引き込まれて、「でも、貴方のことだから、言われっぱなしにはしなかったんでしょう?」と訊ねる。気吹戸主神は「ええ、仰る通りです」と微笑んだ。


「八嶋士奴美神から身代わりの加護を貰っていた事、また、深手を負った時に神皇産霊神と縁を取り戻した事もあり、それを逆手に《殺しても殺しても戻ってくる》印象を植え付けさせて頂き化け物と評されてました。」


 くすくすと笑う気吹戸主神の様子に、「なごみや」で、斎が雅についてラスボス級に強いと言っていたことを思い出す。その雅よりも力ある大己貴命の事が化け物ならば、そのさらに前にいる気吹戸主神はもっと規格外なのだろうと思われた。


「まあ、それはともかく。大事なのは《伊吹山の頂にある八ツ頭の大岩》のこと。それは、かつて《気吹戸主神が悪しきものを封じた岩戸》と伝えられていました。」

「気吹戸主神が悪しきものを封じた岩戸・・・・・・?」


 本州の一部、四国の一部、淡路島と琵琶湖を逆さまにさらさらと描き、伊吹山と伊波の国の位置関係を示す。天狐はその図を眺めながら、「この土地は?」と不思議そうな顔をした。


「まだ、この世界にはない地ですね。これは今回の件が全てが終わったあとに葦原中国に生じる新たな地です。ですがこの地の名残もございます。」


 気吹戸主神が指さしたのは淡路島と琵琶湖で、天狐に「この形、見覚えがありましょう?」と話す。


「よもや勾玉の島と湖にございますか?」

「ええ、そうです。離れから望めた勾玉の島と湖。」


 そして、気吹戸主神は一息付くと深く息を吸い込み、低く滑らかな声色で節をつけて、歌うようにして吟じ始める。


 天地(あめつち)始発(はじめ)の頃

 地鎮(とこしずめ)の神 六合(くに)の神 伊波の御祖(みおや) 国常立尊は

 浮かべる脂の上 水母(くらげ)のごと漂える地に

 比々羅木之矛 指し下ろして 渦生み出して

 葦牙(あしかび)のごと 萌え(あが)る天野香久山に降りませる


 夫神(それかみ)は 唯一にして 御形(みかた)無し 虚にして 霊有り

 国内(くぬち)の荒ぶる御霊 八狐 九曜 七星 二十八宿と為し

 天空の當目星(とめぼし)の高御座に坐して 有程(あるほど)の星 治め給い

 科戸の風で天の八重雲を 吹き祓うが如く

 また彼方(おちかた)繁樹(しげき)を 利鎌(とがま)を以て打ち祓うが如く

 天の災い 地の禍事を消し給い 箱庭を作り給う


 気吹戸主神が「これが国常立尊に纏わる、伊波の国の言い伝えです」と話し、「そして、この言い伝えが真実なら、我らは国常立尊と共にこの地を幽世として封じねばならないのでしょう」と気吹戸主神は話した。

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