方舟作り
国常立尊と共に幽世としてこの地を封じる。
気吹戸主神があまりにあっさりと言うから、加代子は目をぱちぱちさせた。
「この地を幽世として封じる、と?」
「ええ、伊波の国の言い伝えが正しいのであれば、八岐大蛇は国常立尊の神威、祓戸大神はそれを封じる為に産霊された神です。」
天狐の目が鋭くなったところで、気吹戸主神は「何も消そうというのではありません。それに我らが眠らせても、素戔嗚尊の頃には一時的に目を覚ましますよ」と話す。
「八岐大蛇と奇稲田姫の話?」
「ええ、そのお話です。それによって龍の君の遺剣である天叢雲の剣は素戔嗚尊の手に渡ります。」
しかし、加代子の問いに気吹戸主神が頷く一方で、天狐はまだ険しい表情をしたままだ。
「他に主様をお助けする方法はないのですか?」
「彼自身が心より言祝ぎを受けてくだされば、あるいは・・・・・・。ですが、それは今の世ではないでしょうね。」
そして、気吹戸主神は再び「高天原にて諍いあり」と言い伝えの続きを奏する。
高皇産霊神 箱庭に降り立ちて
心の太柱建てて安国とせんと
厳之御霊 天疎向津媛に 賢木を撞き給う
故 国常立尊 魔縁の者と化し 八岐大蛇を生ず
天哭し 地震え 海鳴り響き
家守 田人 山人 海人逃げ惑う
神皇産霊神 祓戸四神を産霊し給い
方舟を作らしめ給い 七日七晩 悉くを篭め給う
祓戸四神 大水にて 禊ぎ祓い給い
罪と言う罪は在らじと
時の歪みの幽世に 八岐大蛇を封ず
「方舟? 《ノアの方舟》みたいな?」
加代子の反応に気吹戸主神は片方の眉をあげて「心当たりが?」と訊ねる。加代子は少し困惑しながら、「別の国の神話なんだけどね」と前置きして《ノアの方舟》の話をした。気吹戸主神は「興味深い話ですね」と応じる。
「それで、その方舟の作り方は分からないのですか? どんな材料で作られたのか、とか。」
天狐に訊ねられて、加代子は「ええっと」と言葉を濁す。覚えているのは大山祇神から《呪》の基礎編を習った時に聞いたノアの方舟の比率の話くらいだ。
「それは分からないんだけど、比率は習ったよ。」
「比率?」
「うん、この世は見えない理で出来ていて、呪はそれを組み合わせ応用して使うからって、色々なものの黄金比や白銀比を叩き込まれたの。」
まさかこんな所で役に立つとは思わなかったが、造船の黄金比は三十対五対三だったはずと話す。
「この比率なら浸水、転覆、破損に強く、高波を受けても沈みにくいんだって。」
それから、気吹戸主神が天狐に用意してもらった紙と筆を借りると、記憶を頼りに船の断面図を書く。
「細かい仕切りの数は覚えてないんだけど、こうやって格子状に部屋を区切る事で強度が増すとも言ってた。」
それを聞くと気吹戸主神は天狐に「計算尺はありますか?」と訊ね、天狐は「主様の所にございますので取ってまいります」と局を出ていく。二人が真剣に加代子の描いた方舟について検討しているのだと気がつくと、加代子は気吹戸主神に「この話、信じるの?」と訊ねた。
「そうですね。田人、山人、海人なども入れられて七日七晩過ごせる船となれば、恐ろしく大型な船を作らねばならないので、信じていなかったのですが、貴女の話を聞いたら作れそうな気がしてきました。」
そして「ここに八嶋士奴美神がいれば、目を輝かせて聞いたでしょうに」とくすくす笑う。
「兄様が?」
「ええ、彼は大の船好きでしたからね。」
そう言いながら手計算でできる所は計算を進めながら、加代子の悪戯書きのような絵を参考に綺麗に清書をし、図面を引いていく。
「もしかして、船まで作れるの?」
「実物はさすがに作れませんね。私は模型で実験までです。材料の選定や実際に作るのは八嶋士奴美神でした。ですが、基本的なことなら押さえていますよ?」
あっさりと言いながらサラサラと書いていく気吹戸主神のチート具合に鼻白む。
そして、あらかたの絵が出来たところで、丁度よく天狐が計算尺を片手に戻ってきた。
「おお、本当にあの姫さんそっくりだな。」
天狐の後ろにはガタイのいい赤髪の男と、反対に細身の猫のような印象の男が後ろに立っている。
「赤狐。物珍しさで覗きに来たなら、後にしていただけませんか?」
「ちゃんと仕事に来たのに。船に良い素材選びだろう?」
天狐に赤狐と呼ばれた男は「大きさに寄って選ばないとダメなんだからな」と言いながら「どれどれ」と図案を覗き込む。
もう一人の男はきちんと礼をして「野狐と申します。赤狐の御無礼申し訳ございません」と言うから、加代子も我に返って礼をした。
「方舟とやらをお作りになられるとお伺いし、こうして参上致しました。」
気吹戸主神が「野狐も手伝いを?」と訊ねれば、「船の材料となる木の選定、調達、製造は、この邸を作ったくらいですから赤狐が詳しいかと存じますが、水が侵入しないようにする手法であれば、土器の水漏れを直すことの多い野狐の方が詳しいかと思いまして」と天狐が答える。
「初めての試みゆえ、お役に立ちますかどうか分かりかねますが、私もお力添えできればと存じます。」
「そうでしたか。力添えくださるなら、今は非常時。是非ご意見を伺いたいものです。」
そう言って貴賤に関わらず、意見を受け入れる気吹戸主神の様子に何か思う事があったのだろう、赤狐も野狐もぴくりとして「お任せ下さいませ」と恭しく答える。加代子は端に寄ると野狐に場所を譲った。
「ねえ、天狐。私はあちらで待っていてもいいかしら?」
カチャカチャと計算尺を動かしながら、話に没頭している三人を見れば、天狐は苦笑し「ご案内します」と誘導してくれる。そして、案内されるままについていくと、少し先の階のところで唸っている地狐の姿があった。
「地狐、何を唸っているのです?」
「唸りたくもなるさ。簡単に《方舟に積み込む食料を調達しろ》って言うけどさ、具体的には何を用意すればいいんだよ。」
地狐は「今の時期、常温で七日七晩以上持つ食料なんてそうそうないだろう?」と眉根を寄せる。
「確かにそうですね。大概はその日の内か、二、三日と言ったところですね。」
「だろう?」
「ですが、それをどうにかするのが貴方の役目ですよ?」
「いやいや、そんな無茶ぶりされても。肉も魚も葉物も。塩漬けばっかりじゃ喉は乾くだろうし、今から作っても、そう多くは作れないぞ?」
それを聞くと加代子は首を傾げて「お米とかお豆はないの?」と訊ねる。
「お米とか、お豆?」
「うん、穀類や豆類なら、食べる時に水で戻して、それから調理すればいいかな、って思ったんだけど。」
そう言うと天狐に頼んで懐紙と筆を借りる。
「こういうの、見たことない?」
「稲穂か? だが、あれはそう食べる所は多くないぞ?」
「でも、長期保存には有効だよ? 脱穀して袋に入れれば場所は取らないし、精米前なら一年くらい余裕で保存できるって聞くけど。」
そう言うと地狐は天狐を見上げてから「でも、どうやって食うんだ?」と訊ねる。
加代子は「一升瓶、って言っても分からないか。んーと、丈夫な入れ物にお米を入れて、こういう感じの棒で突くと精米できるから、それを煮炊き出来ればいいんじゃないかな」と絵を描いた。
「棒で突くのか? だとしたら、底が丈夫じゃないと底が抜けるし、脚で押さえて突かないと舟の中じゃ倒れるな。」
「簡易な臼があればいいんだけど、でも、脚で抑えるのには、くびれでもないと抑えられないね。」
「くびれ、ねえ・・・・・・。」
そう言うと地狐は「なあ、天狐。姫様を借りてったら駄目か?」と言い出す。天狐は「せっかくなので瀬織津姫と速秋津比売に合わせようと思いましたのに」と言いながらも、半ば諦めたようで「お早めに姫様をお返しくださいね」と話した。
「悪いんだけど、もう一度、田人にさっきの話してやってくれない?」
「田人?」
「そう。大抵は山や海で狩りや採集をして食べ物を得てくるんだが、どこにも下手なやつは居てさ。主様は変わり者だからさ、そういう奴らでも集めて、《食えないなら食えるものを育てればいいだけ》と言い放って研究用の植物の世話をさせてるんだ。」
珍しい花を咲かせる植物もあれば、甘い実を付ける植物もある。栄養価の高い葉の草もあれば、味わいの良い根の草もあると話しながら、「稲穂もそこで育てている」と言うと地狐は黒狐の姿になり、「実際に見てもらった方が早い、背中に乗れ」と促す。
天狐は「はあ」と大仰にため息を零した。
《天狐、どうした?》
「お前の考えなしにため息が出たんですよ。」
そう言うと「失礼します」と言って、加代子を抱えて、背に乗せてくれる。
「姫様のお召し物に少しでも泥はねがあれば、この世の終わりを見る前に、私がこの世の地獄を見せますからね。」
《はい?》
「この方は主様の大切な方。その方に何かあれば主様のお叱りは連れ出した私に向きましょう?」
吊り目の目を、ますます吊り目にして天狐が「姫様に何かあれば覚悟なさい」と言うから、地狐は「横暴だッ!」と半泣きの声を上げる。
しかし、天狐は「姫様をお連れするなら、それくらいの覚悟を持ってやりなさいと言っているのです」と一蹴した。
《くう・・・・・・ッ。分かったよ、姫様はしっかり捕まってて。》
夜色の美しい毛並み。雅の髪と同じように艶やかで、でも、手触りはきっと雅の方がずっと良い。
(ああ、でも、狐と同列にするな、って怒るかな?)
そんな事を思って微笑み「分かったよ」と答える。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ。」
天狐の声ににやけた顔を整えて頷けば、黒狐は軽い助走をつけて空へと駆け出した。
◇
《あそこに見えてきたのが、田人が管理している田畑だ。》
「広いね。どれくらいあるの?」
《さあ、一畝か二畝か・・・・・・?》
黒い尻尾を靡かせて、風を切るようにして走っていた地狐は、僅かな風を起こして畦道に降り立った。
途端、「お狐様だ」と言って泥だらけの人がわらわらと畑や田んぼから姿を現す。
中にはまだ小さな子もいて、走って飛び付いてこようとするから、地狐は思わず飛び上がった。
「キャッ!!」
急に動かれて振り落とされそうになった加代子が短く悲鳴を上げる。
《・・・・・・っと、すまないッ! 大丈夫か?》
「ええ、何とか。」
下を見れば五十人くらいいるだろうか、みんなして地狐を見上げ、何か叫んでいる。
「降りなくて良いの?」
《今、降りたらさっきの二の舞だ。あんなに釘を刺されたんだ。姫様を泥だらけにされたなんて知れたら、天狐に半殺しにされる。》
そして、声が届くかどうかといったところの位置で留まると、「今日は尊き方をお連れしている。長は居ないか?」と訊ねた。
《身綺麗にして、場も清めよ。お連れした姫神は宇迦にお詳しい姫神。倉稲の方ぞ。》
その言葉に加代子は「えっ」と言葉を詰まらせたが、時すでに遅し。集っていた人達が「宇迦之御魂神」「倉稲魂神」と口々に言い、今、刈ってきたばかりの稲穂ひと束を献上されてしまった。
「これを我らが田人の神、宇迦之御魂神に捧げます。」
《有難く頂戴しよう。》
そう言うと地狐は稲を口に銜えて、少し開けた野原の方へ移動して降り立つと、尻尾で加代子の足場を作るようにしてその場に伏せをした。
《しばらくは待ち時間だ。ここで待っていれば迎えが来る。それとさっきのお米とやらは、それで間違いないか?》
黄金色の穂が重そうに垂れていて、加代子が「合っているよ」と答えると耳を嬉しそうにピクピクと動かす。
《この後、色んな作物を持ってくると思うから、保存に向くかどうかを判断して欲しいんだ。》
「ええッ?!」
《ひとまずさっきの稲穂は祝福を受けているから確定として。他には豆だったか?》
「あ、うん。同じように雑穀も食べられるはずだけど。」
《なるほど。では、まずはその辺りを先に依頼しよう。他には何がいるだろうか?》
そう言われて「船旅にはレモンがいいって聞くよ」と言葉を濁す。
《レモン?》
「うん、黄色くって、酸っぱくって。あ、時じくの香くの木の実みたいなの。」
《そ、それは・・・・・・。》
言葉を詰まらせる地狐の様子に「あー、やっぱり無いよね・・・・・・」と加代子も言葉を濁らす。
「定期的にビタミンCを取れれば良いんだけど。うーん。」
こういう時、家庭科の授業で中途半端にしか話を聞いてなかったことを後悔する。
《ビタミン?》
「あ、うん栄養素のひとつだよ。あッ! 豆苗とか、もやしとかは作ってないの?」
《なんだ、それ?》
「えっと・・・・・・確か、えんどう豆の苗と、緑豆や大豆の発芽して、根が出たばっかりの野菜。」
《苗や発芽したのを食べるのか?》
「うん。水と光だけで栽培できるし、私でも育てられるんだから大丈夫だと思う。」
加代子が即答すると、地狐は思い切り困惑した様子だったが「そっちは田人が許してくれるかどうかだが、検討に入れておこう」と答えた。




