幽世への鍵
少彦名命は話を終えると「ふう」とひと息を吐いた。
(ひとまず熾久が近くにいて良かった。これなら大峠の前に罔象女神を逃がしてやれそうだ・・・・・・。)
なんであんなに関係者が集まっていたのかまではあまり考えたくなかったが、肩の荷が一つおりただけでもマシだと思うことにしよう。
八嶋士奴美神に加えて、大海神と塩土老翁もこちらサイドについてくれているというなら、自分にとっては朗報だ。
「八嶋士奴美神もとんだ苦労性だよな。鳩が豆鉄砲食らったような顔になってた。」
親父は素戔嗚尊だし、妹は須勢理だし、その夫は大己貴命。トラブルメーカーに囲まれて、無事なわけがない。
「それに、高天原の連中も。輪廻の輪を止めろと言われた次は、龍穴を開けろと言われるんだから。」
幽世に渡った途端、瑠璃色の光に包まれた事。
忘却の川の流れが早まり、多くの魂が輪廻の輪を介さずに流転し始めている事。
そして、それの原因がどうやら須勢理毘売命の力の暴走のせいである事。
それだけでも八嶋士奴美神の眉間に深く皺は寄ったが、加えて「大己貴命が魔縁の者を率いて大峠を引き起こそうとしてる事」を話したら、その目と口は大きく見開かれ、石像のように固まってしまった。
《大己貴命が魔縁の者を率いて、何だって?》
「信じたくない話なのは分かるが、大峠を引き起こそうとしている。このままだと大量の魔縁の者達が現実の世界に流れ込み兼ねない事態だ。」
《・・・・・・ッ! あいつ、何を考えてるんだッ?! なんで大峠を止めようとして、大峠を引き起こしてるんだッ?!》
再起動した八嶋士奴美神が頭を抱えた姿を見て、「そうだよなあ、普通、そういう反応になるよなあ」と頷く。
一方、神皇産霊神はカラカラと笑い「そう来なくっちゃ」と妙に好戦的に笑った。
《本当にあの子は思いも寄らない事をしでかすねえ。》
《神皇産霊神、恐れながら笑い事ではすまぬかと存じますが?》
塩土老翁は「今度は何を担保に差し出せと言われるだろう」と続ける。
《大己貴命らの掃討に口を出すな、だけでは足りますまい。》
《ああ、だから、あの子は《大峠》を宣言したのだろう?》
それを聞くと、目を伏せて話を聞いていた大海神はゆるゆると目を開ける。
《全面戦争か。》
高皇産霊神、天照大神率いる高天原軍は、思兼神をブレーンに天手力男、建御雷神、建布都神など、多くの武神が集っている。それらが襲ってくるとなれば、否が応でも戦わざるを得ない。
《だとすれば、我らが味方したとしても、あまりに味方が少ないのではないか?》
しかし、八嶋士奴美神は首を横に振り「此度は根の堅洲国だけでなく、夜乃食国、黄泉の国のいずれも大己貴命の味方につきます」と答える。
《今の須勢理は月読命の加護を受けており、彼女に害を為す事は月読命の意に反します。また、伊邪那美命は先の高天原との戦いの事もありますから、大己貴命に加勢しましょう。》
柊吾は「大山祇神は中立の姿勢は崩せぬと仰せでしたが、火産霊神が大己貴命に付けばその助力は惜しまないと仰せです」と続ける。
《大山祇神は高天原に縁づいていますから、均衡を保つため、表立っては動けないが裏から手を回す、と・・・・・・。》
それを聞くと大海神は「裏から?」と応じる。
《はい、此度の拠点は国譲りの時とは異なり、本拠地の紀の国からは遠く、東京は大山咋神が治めている状態。》
それゆえ、表立っては大山咋神の判断を優先とし、自分は裏に回るらしい。
《では、我らと逆だな。私も大山祇神の立場に近しい。こちらは表立っては私が動く代わりに塩土老翁とその眷属は自由とする。彼らのひいさまは、こちらに坐す方として。》
思惑あっての事だ、とは分かる。だが、少彦名命が「母上が姫ねえ」と口にすれば、神皇産霊神は片眉をくいと上げた。
《なんだい? 彦神か、姫神で言ったら、姫神だろう?》
「いや、まあ、それはそうなんだけど。」
思惑あっての事だと分かるが「姫神って言うか、女帝だよな」と思えば、顔に出てしまったのだろう。龍翁が冷汗を掻きながら仲裁に入った。
《わ、我が見た目との釣り合いにございます。恐れ多くも神皇産霊神を《ひいさま》とお呼びするのは畏れ多い事ではございますが・・・・・・。》
《おや、龍翁は見た目、気にしてたのかい?》
《え、ええ。》
少し機嫌を持ち直した様子の神皇産霊神に微笑み、そして「これ以上、それに触れるな」と目だけで言われて、少彦名命も「それはそうと」と話題を逸らした。
「もうひとつ問題が起こっているんだけど。」
《な、まだあるのか?》
「ああ、大己貴命も須勢理も、二人とも忽然と消えたんだ。」
《はあッ?!》
八嶋士奴美神と柊吾が素っ頓狂な声を上げた間で、神皇産霊神は「ああ、大禊の頃合に飛ばされたんだろうね」とすぐに納得の声を上げる。
「それで? 大己貴命は道を開きに来いって?」
《ああ、弓弦羽にそう言われて、今、連絡しているってわけ。》
「そうさね・・・・・・、少彦名命と入れ替わって道を開くのは構わないけど、同時に龍穴と扉を何とかしないとだね。」
目を白黒とさせている横で、神皇産霊神と少彦名命は話を詰めていく。
「それじゃあ、この地の龍穴は、二人の代わりに私が何とかしてみるけれど、そっちの扉は開けておくれよ。道を開くにしても、扉が開かねば開けられないからね。」
《扉を開く?》
「ああ、あの扉は国常立尊、つまり、大己貴命と扉の開き手であるお前しか開けられないようにしてある。扉が開かないんじゃ話は進まないだろう?」
幽世への鍵を持つ扉の開き手を連れて来るように。
柊吾から伝え聞いていた、国常立尊の託宣の「扉の開き手」が自分だと知ると、ホログラムの少彦名命は頬を引き攣らせた。
「何、驚いているんだい? お前さんを常世の神として産霊した時に言っただろう?」
しかし、少彦名命はますます冷ややかな顔付きになる。
《母上、ちょっと待ってください・・・・・・。誰を何として産霊したって?》
「《少彦名命を常世の神として産霊した》と言ったんだが? 大己貴命を手伝えと話した時にも話しただろう?」
呆れ声で神皇産霊神が言えば、少彦名命は負けじと「いいえ、そんな話は初耳です」と苛立ち混じりの声で応戦する。
《俺は産霊された後、すぐに時の歪みに引き摺られて、まともに言祝ぎを受けてませんよ。それに、大己貴命と二人で母上の宮にお邪魔した時も、母上は子授けを願いに来た若夫婦のために産霊したと仰ってましたよ? いつまでも愛らしい子を、と産霊して下さったもんだから、これ以上育たないんだともッ!》
すると、神皇産霊神はハッとした表情になり、「そう言えば、そんな冗談を言ったような気もするねえ」と言葉を濁す。
《冗談? こう言うのはエスプリって言うんだよとも仰せでしたが?》
「えー、そうだったかい?」
《そうだったかい、じゃないです。本当の産霊は何なんです?》
少彦名命が詰問してくると、神皇産霊神は目を泳がせる。神皇産霊神は隣にいた柊吾の腕を引くと「落ち着け、それ以上怒ると、熾久の身に障るぞ」と隠れるようにした。
龍の鱗に映し出されたのは、冷や汗を掻き、苦しげな柊吾の様子でハッと我に返る。
《熾久、悪いッ! 大丈夫か?》
「あ、はい。少しばかり二日酔いみたいになってるだけです。」
《母上、責任もって熾久の直霊をお願いします。》
「ああ、勿論だよ。ついでだ、このまま遠隔で言祝ぎをしよう。」
それから柊吾に手を取り、神皇産霊神が何やら唱え始める。八嶋士奴美神にはその呟きは聞こえなかったが、柊吾と少彦名命には龍の鱗を介してではなく、直接頭の中に神皇産霊神の声が響くような不思議な感覚に襲われた。
常世に坐す 石立たす 少彦名命
御身は現世と幽世を隔つ岩戸を護り
また二つの世を繋ぎ国常立尊を扶く神
その名は久那土
少彦名命がそれに続けて「久那土」と口にすると、神皇産霊神の神威と同じ薄緑色の光に包まれる。
(少彦名命、そのまま神威を使ってみな。)
「神・・・・・・威・・・・・・?」
(ああ、熾久を介して誘導する。常世の神として神威を使ってごらん?)
常世の神として神威を使うのが、普通に神威を使うのとどういう違いがあるのかは、よく分からないものの、今までになく身体の内から神威が膨れてくるのを感じる。
少彦名命は心配そうにしている弓弦羽に「大丈夫だ」と言うと、その身に行き渡っている神威を右手に集めることに集中した。
我は蜷の神 酒の神 少彦名命
螺旋の力を 葦牙の如くし
我が霊 我が醅 清き水にて
気を酒とし 霊開きし
櫂を生み出し 鍵とせん
同じように言葉を紡いだ柊吾は、神皇産霊神の「もういいだろう」という声にふっと意識を取り戻す。
「今のは・・・・・・?」
「ああ、少彦名命に幽世で力を使うコツを少しレクチャーしたんだよ。あそこで神威を使うにはコツがいるからね。熾久が少彦名命の神使で助かったよ。」
そう言っている合間にも、龍の鱗は薄緑色の光を放ち、それが収まると先程よりも少彦名命の姿が鮮明に映し出された。
《で? 母上、これでどうやって扉を開けろって?》
小脇に抱えているのは船の櫂のように見える。
《これ、櫂だよな?》
「ああ、櫂だね。だが、少彦名命にはぴったりなアイテムだろう?」
《はい?》
「酒を造るのにも、三途の川の渡し守としても櫂は必須。常世に渡るには三途の川を渡るだろう?」
《あー、そういう意味で櫂がぴったりだというのは分かりましたが、これでどうやって扉を開けるのかを教えてください。また、説明を端折って二の舞になるのは嫌なんで。》
「さっき大己貴命と魔縁の国に入ったと言ってなかったか?」
《言いましたけど。》
「なら、大己貴命が開け方を見せてないか?」
《あー・・・・・・。あれをこれでやれって事か・・・・・・? でも、あの扉、何のために潜ったのか分からないし、通ったあと自然と消えて、今はどこにあるのやら・・・・・・。》
少彦名命は神皇産霊神に大己貴命が門を開けた時の話をする。
『大丈夫です。用事が済めば向こうに戻れます。』
そう言われたからには何か起こるのだろうと思っていたのに、あの大扉を通らなくても、黒狐や弓弦羽に連れられて国常立尊の邸とこの弓弦羽の庵の辺りを行ったり来たりと移動できている。
「ならば、初めからここに向かえばよかったのに、何のためにあの門を潜ったのかいまいち分からない。」
すると、神皇産霊神は「いま、近くに黒狐か弓弦羽はいるか?」と訊ねてくる。
「弓弦羽ならいますけど。」
《なら、代わっておくれ。》
「あ、はい。」
そうして弓弦羽に代わると神皇産霊神はいくつか話をし、「じゃあ、位相をずらすが、鍵も持たせてるし、こっちから遠隔で誘導するから心配なく」と言う声が聞こえてくる。
「御意。」
そう弓弦羽が答えるのと同時にパチンと手を叩く音がして、次の瞬間、少彦名命は真っ暗な世界に迷い込んだ。




