龍の鱗
その頃、塩土老翁こと、龍翁は東京大神宮の天照大神の部屋まで呼び出されていた。
部屋は白木で組まれ、厳かな空間が広がっていて、御簾が垂らされ天照大神の表情までは窺い知ることは出来ない。しかし、憤然としている様子なのはその仕草から感じ取ることは出来た。
「ひいさまがこの老体をお呼びだと伺い、参上仕りました。」
天照大神は「遅い」と苛立ちの声を上げる。傍に控えていた使者の者は片膝をついていたが、びくりと怯えたように震えた。
威嚇だけでこの覇気――。
龍翁は使者の身を気遣い、天照大神の全てを燃やし尽くしてしまいそうな気配を中和する。
「ひいさま、申し訳ございません。此度の遅れは使者殿のせいではございません。急な事があり、あちこち飛び回っておりましたゆえ、使者殿が私のところになかなか辿り着けなかったに過ぎません。」
それを聞くと使者に「下がれ」と告げ、項垂れていた細身の男は「御意」と告げて脱兎のごとく去っていく。
しかし、それでも天照大神のピリピリとした雰囲気は収まらず、龍翁は宥めるように、もう一度、「ひいさま、遅れて参じたこと、何卒お許しくださいませ」と告げた。
「一体、どこまでへ行っていたのです? 輪廻の輪を止めたいとの申し出は許可しましたが、瑠璃の珠は見つかったのですか?」
早く見つけ出さねば、幽世でまた行方を見失ってしまう。そう話せば、龍翁は「一瞬、瑠璃の光を感じ、その辺りを眷属総出で確認しておりますが、見当たらず、今、少し探しているところです」と話す。
「高皇産霊神はなんと?」
「あと一日待って見つからねば、輪廻の輪を動かねばならぬだろうとのご判断でございます。」
また「むしろ、その上で輪廻の輪に乗って来た魂を確認して瑠璃の珠を探した方が、急に内圧の高まり始めた心の太柱を壊さないで済む」と判断されたと続ける。
「見過ごしてしまい、再び散逸する危険はございますが、それは輪廻の輪を動かすも動かさざるも同じ事と言われてしまいますと、否とは言いきれませんでした。」
天照大神は「確かにそうね」とため息混じりに答える。
「分かったわ、高皇産霊神の判断に従って。」
「畏まりました。」
龍翁は深く頭を垂れて一礼すると、その場を退出する。すると、向かいから高皇産霊神がやって来ていた。
「斯様なところで何をしている?」
龍翁は脇によけ、「天照大神のお言葉を伺いに参りました」と答える。
「輪廻の輪の件、明日いっぱいで解決せねば、高皇産霊神の仰る通りにせよとの事です。」
高皇産霊神は龍翁を一瞥すると「今回の件、そなたが日孁から目を離したのが原因」と冷たく蔑むように告げる。
「不徳の至り、誠に面目ございません。」
「そなたらは長い物ゆえ巻かれる事に慣れておらぬだろうが、先日の約束、ゆめゆめ忘れるでないぞ。」
そう言って目を細め、せせら笑う高皇産霊神に、表情を崩すことなく「心得ております」と答えて頭を下げる。
やがて高皇産霊神が天照大神の部屋に入っていくのを見届けると、龍翁はようやく「ほう」と息を吐いた。
輪廻の輪を止める許可の代償は、次の天安河原での神議りで再度審議される大己貴命らの掃討に異議を唱えぬことで、それを雅に伝えたら「それだけで済んだのなら良かった」と呑気な回答が来た。
しかし、肝心の雅からの連絡が途絶え、反応がない。
(龍の鱗は、三千世界、どこでも神威があれば使える物なはずなのに・・・・・・。)
何とか一日、二日と期限を引き伸ばしたものの、それも明日いっぱいが期限だ。
(ともあれ、今後の事を神皇産霊神と大海神に相談せねばならぬな。)
それに火産霊神とその神使の事もある。
今は火産霊神の事を大山祇神と罔象女神が隠し、柊悟を八嶋士奴美神が隠しているが、人の身の柊悟は長く神域に隠して置けない。
龍翁は頭を悩ませつつ、高天原にある東京大神宮の境内に出ようとする。しかし、不意に袖を引かれたかと思うと、今様の格好をした神皇産霊神がいて、口に人差し指をあてがい、「し一ッ」と言われる。
そして、表からは死角に入ると「浮かぬ顔をしているな」と笑った。
「神皇産霊神に置かれましては、そのようなお姿・・・・・・。」
「龍翁は時折頭が固くて困るな。お前とて背広を着ればそこそこ悪くないと思うのに。」
そう言うとパチンと指を鳴らし、唐風の服装を、高級スーツに一新してしまう。そして、悪童めいた笑みを浮かべると「ついでにその髭も体裁よくしてやろう」と、「なッ?!」と龍翁が声を上げている合間に洋服に似合うように調整される。
「うむ、これくらいで良いだろう。」
「神皇産霊神ッ!?」
「そう顔を真っ赤にして怒りなさんな。今の姿なら葦原中国に降りても違和感はないぞ?」
そして「龍翁、諦めろ」と言う声に神皇産霊神の背後を見る。そこには同じように弄られたらしい大海神がため息混じりに立っていた。
「さて、高皇産霊神は天照大神と仲良くやっている時間だろう? 我らはこの間にお忍びに行こうではないか。」
「このように派手にお忍びをするのは神皇産霊神くらいですよ。」
すると「おや、大海神はそのまま豊玉姫のところにでも送るかい? 商魂逞しい豊玉姫の事だ、写真を売り捌かれるよ?」と脅すから、大海神は頬を引き攣らせて「お供致します」と答えた。
「あとは八嶋士奴美神だが、死神界の《なごみや》で落ち合う運びとなっている。だが、神皇産霊神だ、大海神だ、龍翁だと少々難儀だ。そこで、神ちゃん、和田ちゃん、辰じいで行くからそのつもりで。ちなみに八嶋士奴美神は八嶋でやっちゃん、な。」
「は、はあ・・・・・・。」
最早、反論する気持ちも起きなくて、辰じいにされた龍翁は頷く。
「設定は辰じいが会長、私が娘の女社長、和田ちゃんは秘書、やっちゃんは共同経営者の設定だから、そのつもりで。ああ、そうだ。輪廻の輪の再起動まではどれくらいの時間が残っている?」
龍翁はコホンと咳払いし「明日いっぱいまでにございます」と答える。神皇産霊神は「それは重畳」と呟き、円を描くと「じゃあ、あとは役どころ通りに頼むよ」と笑い、死神界までの道を開く。
三人は三者三様の表情で、その輪を潜った。
◇
「店長、午後は急に貸し切りだなんて、灰峰さんじゃないなら誰なんすか?」
名前の通り、やかましい喧太に斎は「詮索するんじゃないの」と言い、「今日はいいからお帰り」と追い返す。
「チェーッ!!」
そして、「本日、午後は貸し切り」の張り紙をして、中に入ると千花が「私は残ってよかったんですか?」と二股の尻尾を揺らした。
「千花ちゃんには別のお願いがあってね。」
「別のお願いですか?」
「そう、今日のお客様はみっちゃんの関係者だから、見張りをお願いしたいの。」
「見張りですか?」
「ええ、これ以上、店を壊されたら破産しちゃうから。」
千花はそれを聞くと「今度は血を見ないと良いなあ」と思いつつ、茶器の準備をする。
カランと入口の鐘が鳴り、加代子の兄の柊悟が顔を覗かせた。
「少し早いですけど、大丈夫ですか?」
「ああ、ちょっと待ってね。千花ちゃん、悪いけど、上に上がって死神協会の連中が来ないか見張ってて。来たらいつもので呼んで欲しい。」
千花は訳も分からぬままに、二階の従業員部屋に向かい、斎は「いらっしゃいませ。まだお連れの方は見えておりませんが、中へどうぞ」と熾久を桟敷席に案内した。
柊悟に続いて入ってきたのは、長身の男でモデルのように背が高く、端正な顔立ちの男だ。小鬼の彩女が居たなら、キャーキャー言ったに違いない。
柊悟は千花に気が付かなかったようだが、もう一人の方はバチンとウインクをしてくる。
「八嶋さん、どうしました?」
「んー? 階段の辺りに可愛い子がいたからさ。」
しかし、柊悟が見た時にはそんな姿はなく、ただ階段があるだけだ。
「幻でも見たんですか?」
「いいや、可愛い猫耳の女の子がいたんだって。」
「そういう事言ってると、奥さんに叱られますよ?」
「あ、軒先を無料で貸してる恩人に、そういう事言う?」
「それはそれ、これはこれです。」
そう話しながら桟敷席に上がり、斎からおしぼりを受け取った二人は軽口を叩き合う。
「それにしても熾久。お前、俺とも使いの契約を交わさないか? ここまでウマが合う奴はそういない。」
「いや、これ以上、掛け持ちしたら、ただでも過分な身の上ですのに、身が持たないですよ・・・・・・。」
「そうか? 存外、上手くやるように思えるけどなあ。」
大己貴命と縁深く、更には当世の須勢理毘売命こと、加代子の兄。しかも、こうしてウマが合うとなれば、和多利と同等程度の神使になる。
「だいたい八嶋士・・・・・・いえ、八嶋さんには和多利さんという立派な使いの方がいらっしゃるではないですか。」
「ああ、いる。だが、それはそれ、これはこれだ。」
「ここまで神々に愛される《愛し子》はそう居ない。しかも、それを本人が自覚せず、神職にも付いていないというのが、尚いい。」
「神職に付いてない方がいいんですか?」
八嶋士奴美神の話に柊悟が訊ねれば「今の神職は高皇産霊神と天照大神を称えるばかりだからな」とニンマリとする。
「そういう事で、俺としても熾久のような人材は貴重なんだ。」
スカウト出来る者はどんどんスカウトしているよと、八嶋士奴美神が言えば、不意に「それで大己貴命との愛人疑惑が浮かび上がったって言ってなかったかい?」と言い挿す声がして、店の入口を振り向く。
そして「頼もーッ!」と元気よく入ってくる女性の声に、八嶋士奴美神が「神皇産霊神」と引き攣った声を上げた。
派手な赤いルージュを引き、グレーのパンツスーツに身を包んだ女社長風な神皇産霊神が立っている。
その後を気恥ずかしそうに入ってくる老齢の紳士と、頭が痛そうにしている青年の姿があった。
「あれ? 他のお客さん居ないの?」
「神皇産霊神、先程、入口に貸し切りと書かれておりましたよ。」
「なんだ、せっかく気合い入れてきたというのに顔見知りばかりか。」
つかつか入ってくる神皇産霊神の様子に、柊悟は、火産霊神に似た気紛れさを見て「神とはみんなこんな風なんだろうか」と肩を竦める。
「これじゃあ、八嶋士奴美神をやっちゃんと呼んでも、この面子ではあまり意味はないねえ。」
あまりのことに面を喰らっている斎の案内も待たずに、神皇産霊神は靴を脱ぐと八嶋士奴美神の隣に座る。一方、後から付いてきた二人は行儀よく玄関を閉め、斎に「世話になる」と頭を下げる。
斎はハッとした様子で、「いえいえ、こちらこそ光栄な事にございます」と二人を桟敷席へと招いた。
「そう畏まらなくて良い。神皇産霊神の気晴らしにお忍びで来ているのだ。それゆえ、内密にしてくれると助かるが・・・・・・。」
大海神が告げれば、斎は「心得ております」と頭を下げる。
一方、柊悟は席次の事を考えて、その場を立とうとしたが、神皇産霊神に「どこへ行く気だい?」と制された。
「私は人魑魅に過ぎませぬ故・・・・・・。」
「なんだ、そのような事。」
「ですが・・・・・・。」
柊悟が困ったように返せば、「ならばここに座るが良い」と八嶋士奴美神とは反対の席をテシテシと手で叩かれて案内された。
「いや、あの・・・・・・。」
「なんだ、やはり八嶋士奴美神と出来ているのか?」
「神皇産霊神、それはないです。」
八嶋士奴美神が間髪入れずに否定し、「この方は言い出したら聞かない。隣に移れ」と言う。しかも、それに対して大海神も塩土老翁も頷くから、柊悟は諦めて神皇産霊神の隣についた。
「お言葉に甘えて失礼します。」
神皇産霊神は「ああ、構わないよ」とニッコリとし、それから徐ろに柊悟の袖を引く。
「ところで、熾久、いつの間にあの神使嫌いの息子の神使になったんだい?」
「神使嫌いの息子・・・・・・?」
「ああ、少彦名命は私の息子さ。あの子が神使の結びを、しかも、人の身と安易にするとは思えないんだが・・・・・・。」
「そうなんですか?」
その割には宴会をするような気軽さで早酒で結ばれたように思うものの、神皇産霊神は「あの子の神使は私の神使にも等しい」とにこにことし、「あの子が幽世に遣いに行っている間、私が護ってあげよう」と抱きつかれる。
柊悟は目を白黒させながら、「あ、あの、少彦名命が幽世に遣いですか?」と訊ねた。
「ああ、来るべき時のために、ね。」
「ですが、幽世は・・・・・・。」
「分裂させ、統合する世界。だが、あの子は大丈夫だよ。幽世に生まれた奇魂だからね。」
「幽世に?」
と、不意に龍翁が「おお、ようやく・・・・・・」と声を上げる。そして、手のひら大の薄青いガラス板のようなものを取り出す。
すると、ゆらりと少彦名命の姿がホログラムのようにして浮かび上がる。龍翁は「む?」と意外そうな声を上げた。




