天之麻迦古弓
高皇産霊神は、一番無防備にしているだろう瑠璃色の神威の気配を頼りに、龍の珠姫の気配を探していた。
初めは自分の目の前で苦痛の声を上げ、心の太柱の贄としたのだから、一瞬とはいえ瑠璃色の神威が閃いた事は気のせいだと思いたかったが、その後に続いた神皇産霊神の防御の波動と、庇うように繰り出された国常立尊の攻撃に心がざわついていた。
(龍の君の居なくなった今、残るは国常立尊のみと思うていたが、あやつらめ、まだ抗うか・・・・・・。)
高皇産霊神は忌々しげに水盆から離れる。そして、上座にある籠目の呪の施された檻を見上げると、目を伏せたまま大人しくしている天之御中主神に「まだお考えは変わりませぬか」と訊ねた。
しかし、天之御中主神はハシビロコウのようにして微動だにせず、口も閉ざしたままだ。
「本当に頑迷なお方だ。主上とて天之麻迦古弓の威力をご覧になりましたでしょう?」
龍の珠姫から剥ぎ取った歯車を組み込み、ラックアンドピニオンで、天羽々矢を連続で放てるようにした連弩は、死に損ないの彼女自身だけでなく、膨大な霊力を持っていた龍の君さえ一撃で仕留めて見せた。
しかも、その力は訓練を受けていない一兵卒でも、ハンドルを回すだけで矢を装填し、トリガーを引くだけで矢を発射できる代物だ。
「この力があれば、この銀漢を制圧し、一つの安国として纒めるのも容易にございます。」
その言葉に不快感を表すように、天之御中主神の眉間には皺が寄る。そして、ゆっくりと見開かれた金目銀目には高皇産霊神の自信ありげな表情が映りこんだ。
「逆賊どもの残党を討つために、私めに征夷の任を与えて頂きたく存じます。」
「我が御勅使いの国常立尊も逆賊と申すか。」
「何を仰います。彼らは傾城の龍の珠姫に、心を惑わされ、主上に逆らった者ども。」
「そう説いて我が直属の軍を動かしたか。」
「疚しい事がなければ、神去りなどしますまい。」
そう言って高皇産霊神は笑みを零し「それに王太子の御魂を喰らったのは紛れもなく国常立尊にございましょう?」と話す。
「あれはこの星の妖と混じり、もはや神とは呼べぬ大妖と成り果てた。」
そして、畳み掛けるようにして「そのように残虐非道な輩、厳罰に処さねば他の者に示しがつきませんでしょう?」と話す。天之御中主神はそれには答えずに、不愉快そうな表情になった。
「禁軍も含め、軍部や民意はこちらについております事をゆめゆめお忘れになりますな。」
天之御中主神は目を細め、高皇産霊神を無言のまま睨みつける。高皇産霊神は満足そうに笑う。
「私めに征夷の任をお与えくださいますね?」
「否と答えたところで、そなたは事実を曲げてでもその任に着こう?」
「お分かりになっているなら話は早い。」
「ならば聞くまでもないこと。しかし、安国は力にては成らず。それにはただ和する心のみが必要だ。そなたには忠孝仁義なく、智と己が欲のみ。天を治る器に無いことも念頭に入れておくが良い。」
その言葉に高皇産霊神はみるみる表情を固くし、続いて憤怒の表情となる。
「消え急ぎたいのであれば、手を貸しましょうか?」
「私を消して困るのはお主であろう。神皇産霊神も居ない中、無理を通せば、そなたの言い分に正当性が無くなる。」
現状、天之御中主神が不在の際は、神皇産霊神が承認する事になっているのが習わしだ。それもなく、自分の意のままに振る舞えば、高皇産霊神こそが乗っ取りを掛けた張本人だと見破られ、その身が危うくなる事は目に見える。
「そなたに我は消せぬ。消さば、軍配は神皇産霊神や国常立尊に上がろうぞ?」
静かに告げる天之御中主神の言い分に、高皇産霊神はぐうの音も出ず、ギリリッと歯噛みする。そして、踵を返して、足早に部屋を出ると、勢い任せに目の前の壁を殴り付けた。
いつも、そうだ――。
評価されるのは神皇産霊神であり、自分ではない。
いつだって評価されるのは、およそ真面目に宮仕えをしてるとは言い難い神皇産霊神で、彼女はこうした窮地に陥った時こそ、的確に判断し、文字通り、天之御中主神の右腕となって辣腕を振るう。
高皇産霊神はそんな双子神の神皇産霊神を、僅かとはいえ心配していたが、天之御中主神から「軍配は神皇産霊神や国常立尊に」と言われると、そうした気持ちはみるみる萎んでしまった。
(どいつもこいつも、私を馬鹿にしおって・・・・・・ッ!)
先程の天之麻迦古弓で、天羽々矢を放った際、瑠璃の宮の姫の神威の他に感じた、神皇産霊神の防壁の魔法。
大妖と化した国常立尊が、八岐大蛇と化して龍の君や八狐の一部を喰らっていく様子を見て、近くにいた神皇産霊神も喰らわれたのだろうと思っていたのに、ただ隠されていただけだと知ると、腸が煮えくり返る心地がしてくる。
緑青色の衣を纏っていた高皇産霊神は、高天原に構えた大宮の紫宸殿より出でると、庭にぞろりと居並ぶ者たちに「主上より征夷の任を受けた」と告げた。
「恐れ多くも逆賊の国常立尊は、妖しの業で王太子を弑し奉り、その神威を喰らっている。また、一方、神皇産霊神は国常立尊と結託し方舟とやらに立てこもっている。」
そして、ずらりと並ぶ者の中から「鷲の目」と声をかけると「そなたらは二手に別れ、片方は国常立尊を、片方は神皇産霊神を見つけよ」と指示する。
「奴らには最終的に天之麻迦古弓で対応する。鷹は八狐や九曜の残党の掃討を、隼は瑠璃の宮の姫の神威の欠片を奪ってまいれ。」
それ以外は殺して構わぬと言えば、「お待ちください」と末席から一人の男が声を掛けた。
「暗雲垂れ込める中であらば、我ら八咫烏にも命をお与えくださいませ。我らならば暗雲に紛れ易うございます。きっと手柄を立ててみせましょう。」
しかし、高皇産霊神は鼻で笑い、男を一瞥すると「三本足の化け物共に何ができようか」と告げてその場をあとにする。
その様子に鷲や鷹どもはくすくすと嘲笑した。
「三本足の化け鴉が良い気味じゃ。国常立尊も妖しのものと聞く。お主らはそちらに付いた方が似つかわしいのでは?」
聞こえよがしに貶める声に、男は怒りを露わに「言うたな。お主らが国常立尊の所へ行けと言うたのだぞ」と目を細める。
「高木の神に伝えるがいい。八咫烏が国常立尊に与し、彼の方に勝利をもたらしたとしても、決してお恨み下さるな、と。」
そして、鷲や鷹どもの見てる前で、本性である大きな鴉の姿に変じると、ばさりと羽ばたき高天原を後にする。
一路、眼下に見える心星の玉座を目指して滑空した。
◇
雅が心星の玉座で目を覚ました時、空は酷く曇り身体は鉛のように重かった。
悲痛な「帰りたい」と言う加代子の声に目を覚ませば、目の前には眠る前と同じく広漠な荒れた大地と、薄明るく光る地上の星。それから鋭い爪の生えた自分の手と、真っ黒な巨体でとぐろを巻いて、こちらを見ている真っ赤な十六の瞳が見えた。
衣は赤狐か、野狐辺りが着替えさせたのだろうか、黒の直裾姿に変わっていて、鎌首を擡げていた蛇達は、雅と目が合うとまるで恭順を示すように次々と頭を垂れる。
《掛けまくもあや賢き君に賢み申し上げます。》
長く連なる美辞麗句で言祝ぐ蛇達は、女とも男とも不思議な声でつかぬ声で「我らにあの柱への攻撃をお命じください」と話す。
「起きて、早々、随分と血気盛んですね?」
《はい、御身を狙う者どもは、全て喰ろうてやりましょう。》
雅はふっと笑い「ですが、そのようなことは不要です」と言い切った。
《御身の神威を喰らわんとする者を放っておけとおっしゃるのですか? 天狐めが再び襲ってくるやもしれぬのに。》
「天狐はそのような事しませんよ?」
くすりと笑い雅が窘めると、大蛇らは訝しげに舌を出したが、雅は「それよりも貴方がたには別にお願いしたいことがあります」と話す。
《何を致しましょう?》
「龍の君がお持ちだった竜爪の篭手がどこかにあると思うのです。」
《竜爪の篭手、にございますか?》
「ええ、別名、星葬りの篭手。あれを高皇産霊神に奪われれば、こちらの形勢は一気に不利になってしまいますので、見つけ次第、教えてください。」
それを聞くと八岐大蛇は「全ては御心のままに」と答え、ゆっくりととぐろを解きはじめる。
一方、雅は目を伏せると、気掛かりだった加代子の気配を探った。
その身から溢れてしまっている加代子の神威を押さえ込むため、自らの妖力で玉置きさせたものの、悲痛な声で「帰りたい」と告げられたことに胸騒ぎがする。
玉置きの呪は、神皇産霊神の産霊の力を逆手にとって、魂の根幹に働きかけて解けかけた産霊を締め直させる荒業だ。
ましてやあの荒野にぽつりと立つ賢木の木を見てしまったら、胸が張り裂けんばかりに苦しくて、それが彼女にも伝播してしまってるのではないかと不安になった。
花咲き乱れる庭で優しく笑みを浮かべて振り向いた龍の珠姫のビジョン。
その一瞬あとに、その身を貫く光の一矢。
不敵な笑みを浮かべる高皇産霊神に飛び掛かっていく龍の君と、続いて降り注いだ無数の火の雨。
それでも、加代子の気配が、天狐の気配と共にあるのを確かめると「ああ、ご無事なようですね」と安堵し、同時に紫蘭と紫苑の気配がないことを訝しんだ。
「少しばかり、邸の様子を見てまいります。」
雅が心星の玉座を立ち上がると、八岐大蛇は一旦、動きを止める。
《御身自ら、行かれるのですか?》
「ええ、現状視察には自分の目で見るのが一番です。少しばかり様子を覗いて参ります。」
天狐は加代子を連れて知覚できるギリギリのところにいる。何かのっぴきならない理由があるのだろう。
「ああ、もしかしたら行き違いで八咫烏が報せに来るかもしれません。その時は太微垣の近くに向かいますので、そちらに向かうように伝えてください。」
《八咫烏にございますか?》
「ええ。」
八岐大蛇の頭のひとつが「殺らなくてよろしいので?」と訊ねれば「なぜです?」と逆に訊ねられる。
「八咫烏にも手出しは無用ですよ。血気盛んなのは結構な事ですが、争わずに迎え入れてくださいね。」
そして、ふわりと浮くと加代子の気配を頼りに弾みを付けて空へと駆け出す。八岐大蛇はその姿を見送った。
◇
どれくらい進んだろう。
もう少しで加代子に会えるかといったところで、心の太柱の上部がキラリと輝いて、雅は天を仰いだ。
そして、一瞬の内に天若日子命を弑した天之麻迦古弓から放たれた光だと気付くと、雅は紫の雷を幾つも生み出して横合いから叩き込む。
間に合え――。
加代子も気が付いたのだろう。
いつかのように魔法を使って複数の蜘蛛の網の防御壁を展開していく。
それでも、一つ、二つ、三つ。
硝子が割れるかのようにして、魔法壁が破れていく様子に息を飲む。
間に合え――ッ!
やがて眩い閃光と、遅れて聞こえてくる複数のドォンという爆発音。
最後の防御壁は少彦名命だろうか、幸い二柱がかりの分厚いものになっていて、直撃は免れたように見えて、雅は止めていた息を吐いた。
ああ、まだ早い――。
防御壁は持続力なく、ゆるゆると解け始める。
このタイミングで多少のタイムラグはあれど、龍の君の時と同じように第二矢が散弾のように降り注ごうものなら、天狐や地狐が防御に転じても加代子も少彦名命もその攻撃を防ぎきれないだろう。
雅は高天原への牽制のため、風を起こして雲を押し上げる。それと共に行く手に入道雲が沸き起こり、加代子らを狙えないように覆って行く。
そして、高天原と加代子らの間に躍り出ると、手に紫色の柄の大鎌を生み出して空を一閃した。
大鎌を中心に風が沸き起こり、紫色の雷がそれに絡みついて、一匹の龍のようになって、高天原から打ち込まれた第二矢とぶつかる。
それと共に大きな爆発が起こり、遅れて音が聞こえてくる。
それでも威力を殺しきれずに加代子たちのいるあたりに向かう光の矢の前に、雲間を縫って現れた天狐が呪で応戦しようとする。
間に合わない――ッ!
「霹靂ッ!」
光の矢に撃たれたのか、咄嗟に使った撃ち込んだ雷に撃たれたのか、天狐は自由落下していき、ぽすりと雲の中に沈んでいく。
雅は大鎌を振り上げ天狐のいる辺りまでの範囲の時を止め、風をクッションとして天狐を岩陰に下ろした。
(なんとか、なりました・・・・・・かね・・・・・・?)
しかし、そこで力尽き、貧血になった時のように、頭がクラクラとして視界が狭まっていく。そして、次の瞬間、今度は自分が厚い雲を突き抜けて落ちている事に気が付いた。
物凄い勢いで雲が遠ざかっていく。
(ダメだ、もう力が残っていない・・・・・・。)
このままでは地面に叩き付けられてしまう。もしやるとしたら、その直前で地面に向かって風を起こして衝撃を殺すくらいだろう。
(よくても、骨の一、二本はいきそうですね・・・・・・。)
そう覚悟を決めたところで、不意に間近で羽ばたく音がし、雅の身体は温かく大きな背中に受け止められていた。
それが大きな八咫烏だと気がつくと、「弓弦羽ですか? おかげで助かりました」と苦笑する。
《我が名をご存知で?》
「何を言います、自分の臣の名を知らぬわけがないでしょう?」
そして「些か力を使い過ぎたようです。近くの岩陰に天狐を隠しましたので、私を下ろしたら、彼も助けてやってもらえませんか?」と言われたから、弓弦羽は自分を「自分の臣」と言い切った雅に「承知しました」と答えていた。
「頼みましたよ。」
そう言って、すうっと雅が寝入ってしまった気配に、流石の弓弦羽も驚きが隠せなくなる。
(このまま、高皇産霊神の元へ連れていけば、あいつら全員の鼻をあかしてやれよう。)
しかし、その一方で自分を化け物として見た高皇産霊神と違い、国常立尊は自分に何の偏見も持っておらず、むしろこうして全幅の信頼を寄せているのを感じると心に迷いが生じる。
その上、勢い余って高皇産霊神の元を飛び出てくることを予期していたかのように八岐大蛇に「八咫烏が来たら迎え入れ、結界近くまで向かえ」とまで告げていたらしい。
(不思議な方だ――。)
名乗る前に名を暴かれ、臣を願い出る前に「自分の臣」と言い切る国常立尊は、こうしてここに来るよりも前に何か因縁めいたものがあるのだろう。
若干、自分に対して無防備に過ぎる嫌いもあるが、それを差し引いても仕えるに相応しい主に思える。
(どうせ、飛び出してきた古巣に戻るより、この方に着いていった方が良さそうだ。)
相変わらず空は暗く、雲は分厚く垂れ込めている。けれど、弓弦羽の胸の内は曇りが晴れていった。




