第4話 魔物の森バァグーガとペンダントネックレス
魔物の森バァグーガの森の奥は、魔素の瘴気が濃く漂う濃い霧で薄暗く、禍々しい木々が鬱蒼と茂っていた。
風の使い魔ノルムを先頭にセト・アスベルは松明を手にし周囲を警戒しつつ森の中を進んでいた。
森の奥から魔物の雄叫びと風が唸る音が響き渡って来た。
「近いな。誰か魔物と交戦しているようだにゃ」
「たぶん。父さんだよ。この風を切る唸り音は大剣ギロディストが切り裂く音だから」
「ヨハンか。久しいな。ヨハン一人で交戦しているようだが、他のパーティーメンバーはいないのかにゃ」
「他のハンターとパーティー組まないのは、他のハンター仲間が身の丈にあった魔物を狩っているからだって」
「ヨハンとマキシュナは無双していたからな」
「うん。父さんはパーティーに所属してもいいとハンターギルドにいったら、ギルドマスターが他のハンターが父さんとパーティーを組むと、役に立たずで足を引っ張るだけの役割で自信喪失してしまうのが落ちだから、敢えてヨハン親子に意識的に会わないで狩りさせているといってた」
「そうだようよ。ヨハンの強さは化け物だからな。マキシュナは怪物だったけどな」
「そんなに母さんは強かったの」
「強かったという問題じゃないくらいの強さを誇っていた。神獣でさえ屈服させるほどにな」
「へぇ凄かっただね。あっ父さん」
ヨハンは大剣ギロディストを神技で振るい、Aランクの魔物であるミノタウロスが幾度も襲い掛かってきて交戦しているところだった。
ヨハンの大剣ギロディストから繰り出す俊逸な剣技で狩られていく運命の魔物たち。
Aランクの魔物であるミノタウロスの骸が地べたに転がっていった。
「セト!?何故ここにきた?あれほどここに来るなと言いつけた筈だぞ」
「そういうなヨハン。久しいな」
黒猫ならぬケット・シーの風の使い魔ノルムが、セトの足元からちょこんと顔出した。
「おっお前っ!ノルかっ!久しいな!今までどこにいたんだ」
「マキシュナが死んだの知らずして、マキシュナの魔導研究室で待っていただにゃ」
「それは悪いことしたなノル。お前がセトを連れてきたのか。道理で無傷のままセトがここまで来れた訳だ」
「父さん。魔晶石を採集するね」
「頼む」
生産系魔術で拵えたお手製の短剣で、後に残った魔物の死骸から紫色に輝く魔晶石をせっせと手際よく解体し拾い集める役目はセトの役目だ。たまにはそのお手製短剣でハンターの息子らしくEランクの魔物ゴブリンを狩る事も屡々ある。
風の使い魔ノルムが加わってからは、魔物を狩る以外の何の事象も起こらなく時間だけが過ぎていき、滞りなく昼飯をとる時刻を知らせる父さんの懐中時計から甲高い金属音が鳴り響いた。父さんはその甲高い金属音が苦手で鳴って直に止めるのだった。
「セト。ここで昼飯とするか」
「うん」
「今日このまま何事もなければ明日も狩りだ」
質素な硬いパンと塩、水で胃袋へ流し込む。
今日はちょつと贅沢にベベルボアの干し肉を一切れ口にし、肉を味わう。牛肉の干し肉に近い味のうまみが口に広がり、味気ない硬いパンがおいしく感じられた。
「セト」
「なぁに父さん」
「このまま俺からハンターの術を学べ。そして一人前のハンターになりセトはこの森で暮らしていけばいい。この加護の指輪は特別な神聖魔術 ヴォラトゥス・アンジェリ(天使の飛翔)を施されていて何度でも崖を行き来できる。たまに町で魔晶石を換金し欲しい物を買えばいい」
「ありがとう。父さん」
なんの変わり映えしない親子の会話だが、父は忌子として肩身狭い思いでこれからの人生を歩んでいく事に対して憂いているのだろう。俺もあっちの世界では父親だったから痛いほど分かる親心がヨハンの言葉から感じられた。
質素でちょっぴり贅沢な昼食の時間はあっという間に終わり、また魔物を狩るために森の奥へと分け入っていった。
森の奥は一層瘴気が濃くなり辺りは薄暗く、気味の悪い木々が行く手を拒んでいるようで頼もしい父の背中を見詰めながら、宙に浮きながら歩む風の使い魔ノルムの小さな肩にしがみつき歩いていた。
急に父の歩む足が止まった。その弾みでセトとノルムは父の背中に顔を打った。
「痛っ急にどうしたの父さん。何か見つけたの」
「痛いにゃ、どうしたんだ急に立ち止まって」
「しっ。父から離れるな」
セトは無言で首を縦に振る。
何か圧のようなものが前方から感じた。圧ではなく畏怖の感覚が正しい。父と正面で対峙しているのは何だろうと思い、父の背中越しに前方の畏怖を発する対象をそっと見てみた。
父ヨハンの正面で対峙しているものは魔物だった。それもただの魔物ではなかった。
「珍しいな。フェンリルか」
ヨハンの脇から顔をのぞかせたノルムの顔が強張っていたのが感じられた。
魔物の森バァグーガには生息していない筈のSランクに分類されている魔物フェンリルに違いなかった。その全身を覆う白銀の月光を背負った毛並み、体躯は並の魔獣など比較にならぬほどに巨大で、優に象ほどもある筋肉の塊が、しなやかな躍動を伴ってこちらの逃げ道を塞いでいた。
「ヨハン。吾輩では敵わない相手だにゃ。お主に任せる」
「ノル。風の防御系魔法で後方を固めてくれ。吹き飛ばされた時のダメージを軽減できる」
「あいわかった。後方支援にまわる。油断するなよ」
「おう」
風の使い魔ノルムは後方へ下がり、ヨハン親子を後方から見守った。
微動だにせず凄腕ハンターのヨハンを射すくめたのは、暗がりのなかで怪しく爛々と輝く紅蓮の双眸だった。その魔物フェンリルの吐息が漏れるたび、その鼻先からは熱風に近い火の粉が舞い、辺りの空気を焦がす臭いが漂い、この存在すべてを噛み砕くであろう禍々しい殺意が、むき出しの牙から滴り落ちていた。
これまでの魔物狩りで培った経験も、手にした武器の重みも、この瞬間、ただの紙屑同然に成り果てていたのだろう。ヨハンの眼前で静かに、だが確実に死を孕んで蠢く銀の剛毛。その一筋ですら、今のヨハンには断ち切れる気がしないと研ぎ澄まされた直観がそう語っていた。
あの時しっかりと叱って家へ帰せば良かったと、亡き妻との約束を守っていればセトはこんな目に合わずにすんだはずだった。自分の愚かだった判断を呪い悔やみ切れない思いで大剣ギロディストを構え間合いを取るヨハンの背後でセトいや百瀬琉人は心の奥で歓喜していた。
おお、フェンリルじゃんか。これはもしやですぞ。なにかイベント発生ではないでしょうか。そうに違いない。今から何かが起きる
にやけた顔で武者震いするセトは固唾を飲んで今の状況を見守った。
背後で震える息子を感じたヨハンは、このまま身動き取れずの状況は目の前で対峙している魔物にとって好都合の状況に違いないと判断し、先手を打つべく動いた。左足に全重心を預け一閃その身体を右回りに旋回させ、大剣ギロディストを勢いよく一回転したその瞬間、轟々と唸りを上げる一陣の旋風が巻き起こり、周囲の木々を凄まじい轟音と共になぎ倒し、一瞬で発生した猛烈な風圧に耐えるためフェンリルは一瞬怯んだ。
その一瞬怯んだフェンリルを見逃さなかった凄腕ハンターヨハンの大剣ギロディストは、轟音吹き荒れる旋風の中をフェンリルへ閃光一閃、刃で切り裂き攻勢に転じ、瞬きの一間に千の牙を剥くの如く怒涛の苛烈な打撃を繰り出して、フェンリルへ反撃の余地も与えずに追い詰めようとしたが、表情一つ変えずにフェンリルはただ煩わしい羽虫を追い払うかのように尾を一閃、怒涛の苛烈なヨハンが繰り出した大剣ギロディストの打撃を受け流し、空気を爆ぜさせるその一振りが、大剣ギロディストを紙細工のように弾き飛ばして、それを振るっていたヨハン親子共々ごと、後方の地面へと叩きつけた。透かさずノルムの風の防御系魔法が発動し、叩きつけられた地面へのダメージを半減させた。
ヨハンは瞬時にセトを胸に抱きかかえて硬い地面に打ち付けられるダメージから身を挺して守った。
「セト大丈夫か」
「うん。父さん怪我は」
「大丈夫だ」
轟々と土煙が舞い上がり、叩きつけられた衝撃の耳鳴りで周囲の音は搔き消されていた。
いてぇよフェンネル。ノルムの風魔法と父がクッションの代わりに守ってくれなかったらあばら骨折れていた。やばいなこれ。死ぬぞ。まじで。あっそういえば思い出した。亡くなる前に母さんが魔物の森バァグーガで、決して口には出してはダメだと教えてもらった勇気をくれる言葉の二つのうちの短いやつ一つを叫んでみよう。最期だし
耳鳴りも落ち着き消え、百瀬琉人は好奇心も勝りどうにでもなれと最期に叫ぶ事を決心した。
威風堂々と死の足音と共に近づいてくるフェンリルの殺意がヨハン親子を震わし、フェンリルの尾が大鎌の如く形状を変え、目の前で蹲る小さき者へ止めを刺すべく、地べたで震えて蹲るヨハン親子を目掛けて振り下ろされた。
セト・アスベルは腹の底から大声で叫んだ。
「マルキシャブティ」
大声で発した言葉に呼応するかのようにセトの忌子としての特徴だった黒髪が銀髪に変容し白銀に光輝き、胸元のペンダントネックレスから赤い光が発した。
赤い光を身に纏い無意識に立ち上がったセトは、振り下ろされた大鎌の如くフェンリルの尾を寸前のところで静止させた。静止させられたことに激怒したのか甲高く雄叫びの咆哮を張り上げたフェンリルは、静止させられた尾に数段の力を込め押し通そうとする。しかしフェンリルの行動虚しくありったけの力を込めた尾はびくともしないまま、フェンリルがセトの赤い光に打ち消されるかのように消えはじめた。
亡き母から教わった言葉は魔法を発動させる呪文だったのか。俺はようやく12になって魔法を使えるようになったのか。
何かしらの魔法を発動させた歓喜の念に打ち震える百瀬琉人を横目に、抵抗虚しく力尽きて消えゆくフェンリルは消える寸前、「王が舞い戻り、我らの目覚めの時は近し」とセト・アスベルへそう言葉を残し消えたのだった。
「助かった」
フェンリルが残した”王が舞い戻り、我らの目覚めの時は近し”とはどういう事だろうと百瀬琉人は気になったが、今はとても体がだるく後で考えることにした。
黒髪に戻ったセトは命の危機が去って安堵し放心状態で立ったまま、フェンリルが消えた前を呆然と眺めていた。
ヨハンは場違いのフェンリルといい、セトが何やら叫んで突然ペンダントネックレスから赤い光が発してフェンリルを打ち消した先ほどの閃光といい、何かしら胸騒ぎがして早めに狩りを切り上げて帰宅する事にした。
まだ放心状態のセトを背負い、風の使い魔ノルムはと共に魔物の森バァグーガを後にした。
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