第2話 風の使い魔
ヨハンが無言でセトの手を引いて向かった先は、裏庭にある蔦で覆われた小さな二階建ての古びた洋館だった。
古びた洋館の周囲は高い錆び付いた鉄柵で囲まれ、その扉には太い赤茶けた鎖がしっかと巻き付き、大きな錠が掛けられていた。それは、侵入する者を拒んでいるかのようだった。
ヨハンは懐から真鍮製の鍵を取り出しその鎖に掛けられた大きな錠を開け、セトの手を引いて洋館の玄関口へと向かい、同じ真鍮製の鍵で洋館の重厚な玄関扉を開けた。
開けた重厚な玄関扉の重く軋む音が響き、長年積もった埃が白く舞い上がった。
「俺が狩りから帰ってくるまで、ここで静かに隠れていろ」
「僕初めて来たんだけど、この建物はなあに。ずいぶん使われていなさそうだけど」
「ここか。ここはお前の母マキシュナが生前使っていた研究棟だ」
「研究棟!?研究棟って、僕が生まれる前に母さんが風の魔導士だった頃の研究棟ってこと」
「いいや。マキシュナはこの村に来た時、お前を身籠って風の魔導士は引退していた。この研究棟は魔物の森バァグーガについて研究するって言って、マキシュナ自身が建てたものだ。俺もこの建物自体について詳しくは分からん。この先にある部屋の入り方すら分からんしな。まっここなら12になったお前を母さんが守ってくれるにちがいない。俺が帰ってくるまで待て。お前の昼飯はここに置いておく。いいな」
目を細めて微笑むヨハンは、大きな手でセトの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「昼飯食べたら昼寝して大人しく待っているよ。一人でいってらっしゃい。僕が居ない分、今日の稼ぎは悪いと思うけど」
「ああ、違いない。出来るだけ魔物を探し回って、お前が居ない分以上の稼ぎを期待して待ってろ。じゃ行ってくる」
「期待して待ってる。いってらっしゃい!」
「おう!」と力強く答え、セトに背中を向けたまま左拳を高く突き上げた父ヨハンは、颯爽と魔物の森バァグーガへ魔物狩りへと出掛けて行った。
古びた洋館の玄関間に一人残されたセトは周囲を見渡した。
二階建てなのに何処にも階段は見当たらない不思議な造りをしている建物で、セトが居る玄関間の奥と左手に部屋の扉がそれぞれ二つと、右手には小さな出窓が二つあるだけだった。
小さな出窓二つから指す陽の光だけでは、少々明るさに欠け薄暗く、主を失った魔導士の館という不気味な雰囲気が漂っていた。
母さんが亡くなって五年が経つのか。
豪快に笑う魅力的な女性だったなぁ。しかし母としての記憶が余りないのだ。
赤ん坊の時から父さんと魔物狩りに一日中行っていたから。お陰で学校にも行ってないけど、魔物の森バァグーガは誰よりも詳しくなった。
母としての記憶が唯一あるのは、いつもおいしいご飯と手厳しかったエストラント語の読み書きの練習だけだ。お陰でエストラント語を不自由なく読み書きできる。ありがとう母さん。
なぜ母さんは、俺がセト・アスベルとして誕生した今日の日の12の年に、魔物の森バァグーガへ行ってはならないと、あの時父さんへ告げたのだろうか。ひょっとすると、今日は魔物の森バァグーガへ行くと忌子としての何かしらの事が起こるかもしれないっていうことか。
じゃあ、ここでじっとしている訳にはいかない。
じっとしていても何も始まらない。考えているよりまず行動だ。
「それにしても気味悪い。何か出そうだよな。幽霊とか」
思わず心の声がそう漏れた時、セトの背後でガチャと鍵が開く音が静寂の中で一つ響いた。
「えっ?開いた?」
心臓の鼓動が高鳴り始め、母の形見のペンダントネックレスを握り締める手に汗がにじむ。誰も居ない古びた洋館の部屋二つのどちらか一つの扉の鍵が確かにひとりでに開いたのだ。
セトは薄暗い玄関間の奥が気になり、その部屋の扉のドアノブを回して引いてみた。
「開いた」
開いた部屋の中は、真っ暗だった。
「なにも見えない。そうだ」
背負ったカバンから一本の松明を取り出したセトは溜息をついた。
「家の中でこんな松明を燃やしたら火事になるからダメかぁ」
「ロウソクないしな。いやいや自分で作ればいいじゃん」
ロウソクを頭の中でイメージし手に魔力を集中させ、燭台で灯るロウソクを左手で握る動作をすると、セトの左手握り拳にパッと銀製の燭台にロウソクが灯った状態で出現し、先程まで真っ暗だった部屋がほんのり明るくなった。
「よしっ成功」
部屋の広さは一般的な10畳ほどあるリビング程度の広さがあり、左右壁側には本棚と収納棚があって所狭しと魔導書やら魔道具やらが納められ、いかにも魔導士の部屋といった趣を醸し出していた。
部屋の奥中央には、大きな机一つと座り心地よさそうな大きな椅子が一つあり、その向こう側に大きな窓があった。
その大きな窓には、重厚な赤いビロードに金糸で刺繍されたカーテンが掛けられ、外からの光を遮断して、長年この部屋を暗くしていた。
セトは思い切って、長年に渡って部屋を暗くしていた重厚な赤いカーテンを開けた。一気に差し込んだ外からの自然光が、気味悪かった部屋を明るく照らし出す。煌びやかに装飾された魔導書や魔道具がキラキラと輝き、部屋の雰囲気をいっそう鮮やかに一変させたのだった。。
「まっ眩しいなっ!マキシュナ!ずいぶん帰ってくるの遅かったにゃ」
不意に背後から届いたのは、場にそぐわないほど幼く可愛らしい声だった。
「誰?マキシュナ?なんで母さんの名前を知っているの?」
急に明るくなって眩んだ目がようやく光に慣れてくると、セトは眉を寄せ、声のした方をじっと凝視した。
背後の床でちょこんと座っている一匹の黒猫が、眩しそうな顔して見上げていた。
「猫?」
「誰が猫だい。吾輩はケット・シーだ」
「それが君の名前」
「ちゃうわい。ケット・シーは魔物として名で、吾輩の名は、心して聞けよ少年、魔神眷属の一人として数えられ恐れられた風の魔人ノルム・ツヴァイツゥア・ガーガメントってぇのが、吾輩のことよ」
「えっ風のノル・ガバメント?」
唖然とセトを見上げる黒猫の姿をしたケット・シーこと風の魔人ノルム・ツヴァイツゥア・ガーガメントは一つ深い溜息をついた。
「はぁ、通り名の風の使い魔ノルムでいいわ」
「風の使い魔っていうことは、母さんの使い魔か。君は」
「母さん?もしかしてお前、マキシュナのお腹にいた赤ん坊か」
「そう、俺はセト・アスベル。ヨハンとマキシュナの子だ」
「ほう、大きく育ったものだ。そんでマキシュナはどこだ」
「母さんなら、僕が7歳の時、病で亡くなったよ。突然のことだった。いつもの通り父さんと狩りから帰って来て母さんに抱き付こうとしたその時、母さんは僕の目の前で倒れ、父さんを呼んできた時は既に冷たく死んでいたんだ」
「えっ?あのマキシュナが。切り裂きビッチウィッチと恐れられていたあのマキシュナが。死んだ。信じられん」
主を失った古びた洋館の寂しさと同じく主を失った使い魔の悲しみが織り交じり合い、母を失ったセトの遣る瀬無さが込み上げ、百瀬琉人は自分が関わるすべてを失わせる神への怒りが抑えられないでいた。
「ノルム。俺の使い魔になってくれないか」
「それはできん。吾輩はマキシュナと使い魔の契約をしているのでな」
「どうしても今日、魔物の森バァグーガへ行かなきゃならないんだ」
「それはどうしてにゃ。何か事情でもあるのかにゃ」
「俺に力があれば。あるのは生産系魔術のみで、あそこにあるロウソク燭台を作るのが精一杯で。こんな自分が悔しくて」
「それはお気の毒に。でも吾輩はセトの力にはなれんし、使い魔にもなれん。じゃそういうことで。主を失った使い魔は、今日から自由だ。少年よ。さらばだ」
消えようとした風の使い魔ノルムは、両手を大きく上に挙げたままの姿勢で停止していた。
「うんっ?何故消えぬし、何故吾輩は解放されぬのだ?はて、どうして」
セトの首に掛けられたペンダントネックレスが自然光を反射して煌めいた。
「あっ!」
風の使い魔ノルムが指さした先には、セトの首元のペンダントネックレスがあった。
「セトお前っ!それっそのペンダントネックレス」
「あっこれ、亡くなる前に母さんから7歳の誕生日プレゼントとして貰った黒曜石のペンダントネックレスだよ。これがどうしたの」
「マキシュナがお前にか。そういうことか。あい謎はすべて解けたにゃ。そのペンダントネックレスが、主であるマキシュナしか入れぬこの部屋の鍵を開けさせ、そんでもってペンダントネックレスの所有者であるセトが、吾輩の新たな主としてセトへと使い魔の継承したから、吾輩は解放されなくなっている」
「ということは」セトは目を輝かせてノルムを見詰める。
「お望み通りセトくん、吾輩は貴方様の使い魔でございます」
「やったー!早速、風の使い魔ノルムに命じる。俺を魔物の森バァグーガへ連れていってくれ」
「あい、わかりました。それじゃ行きましょう。魔物の森バァグーガへ!」
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