Stars Story10
翼が抱えるトラウマの一つとは───。
「……本当に、全然楽しくもない、聞いた方が気分が悪くなるような話だと思います」
そう、自嘲するように口元を笑わせながら、翼は、口を開いた。
「……僕、5歳の時、半年間、児童養護施設にいたことがあるんですけど」
蒼太と勇人に向けて、語りだした翼。───しかし、その目は、ずっと下を向いていて、2人の姿を、捉えていない。
「その施設の中では、子供たちが4人一部屋で過ごしてて、僕が割り振られた部屋にも、他に3人の子たちがいました。3人とも、僕より年上で……きっと、当時、小学3、4年生くらいだったと思います。親友と呼べるほど、特別仲がいい3人組ではなかったけど、年が近いことによる、結束力みたいなものがあって……僕は、同じ部屋にいながら3人の誰とも馴染むことができませんでした」
それはまだ、話の冒頭だった。
しかし、蒼太は、それを語る翼が、とてつもなく緊張している気配を、感じていた。
その証拠に───白いトレーナーから覗く翼の細い腕が、強張って、震えている。
「部屋には、2段ベットが2つあって、僕は、そのうちの一つの、下の段で寝ることになりました。僕が来るまで、そのベッドが空いていたから、自然と、その形に……。……それで……」
「それで……」と言いかけた後、翼は、声を、詰まらせた。
「それで……1日目の夜に……僕が布団に入って、寝かけていた頃……3人が、小声で話す声が聴こえました」
翼の声に、深い影が落ちる。
「……”こいつの父親、アル中で、見知らぬ人間に暴力振って捕まったらしいぜ”……って……」
───蒼太は、息を詰まらせた。
「それは、何も違ってない……事実だったんです。僕の父親は、アルコール依存症で、酒に酔って外を歩いている最中に、見知らぬ人に暴力をはたらいて捕まった……。そして、僕はあの施設に入ることになった。……でも……僕は、馬鹿なことに、僕以外の子たちが、そのことを知ってるって、知らなかった……。施設の職員から聞いていたのか、どこから流れた噂なのか……。僕は……動けなくなった。ただ……背中から聞こえる3人の嘲笑うような声を聞いているしかなかった」
翼の口調が、誰かに向けて語りかけるものから、自分自身に言い聞かせているようなものへと変わる。
蒼太は、「先輩……」と、呼びかけようとした。強張ったその腕に、手を触れようとした───。
その、直後───翼が、微かに、息を震わせた。
「……そのうち、3人の中の一人が、言いました。……”それだけじゃない、こいつの父親は、こいつのことを、虐待してたらしい”……」
その言葉が───蒼太を、動かなくさせた。
「……”だったら、こいつの体には、痣とか、傷とかがあるんじゃないか?”、”面白そうだから、確かめてみないか?”って……」
翼の息遣いが、速くなっているのが分かる。
「……僕は、何もできなかった……。”やめて”って、言えなかった……。もし……抵抗したら、もっと、怖いことをされるんじゃないかと思った。だから……気付かないふりをして、寝ているふりをしてるしかなかった……」
翼は、何をされたのか───そこで、どんなことが起きたのか、語らなかった。ただ───そのときに感じていた感情を、一気に吐き出すように、声を発した。
そして、それをすべて言い終えた後───翼は、荒れた呼吸を落ち着けるように、胸を上下させた。
「……あの3人にとっては、僕が起きてようが、寝ていようが……暴れようが、叫ぼうが、どうでもよかったのかもしれません……。それで、職員に気付かれても、あの3人は、怒られるだけだったろうから……」
翼のその言葉に───蒼太の頭の中に、”ある記憶”が蘇った。
それは、蒼太が前に通っていた学校での出来事……。クラスメイトから受けた嫌がらせや、言われた言葉……。
それに気付いた蒼太の担任は、蒼太に嫌な思いをさせた相手のことを、叱った。───叱られただけで、その相手たちは、特に、反省していなかった。
次の日から、蒼太に対する嫌がらせをしなくなっただけで、蒼太がどれだけ嫌だったか、悲しかなったか、その気持ちを想像する素振りなんて、一切なかった。
今だって、蒼太の胸には、あの痛みが、悔しさが、残り続けているのに……。
「……3人が僕にそういう悪戯をしたのは、その一回きりだけでした。たぶん、僕に、自分たちが求めているような面白味のあるものがなくて、飽きたんだと思います。……でも、僕は、それから……寝る時間が、怖くなった……。3人が眠ったのを確認してからじゃないと、眠れなくなった。自分たちが眠るまで、ずっとベッドの上で座り込んでる僕のことを、あの3人は、おかしい奴だと思ってたんじゃないかと思います」
翼は、そこで、一度、言葉を止めた。
「……ここ最近は、その時のことを思い出す機会減っていました。……けど、今回、みんなで、本拠地に泊まることになって、不意に、思い出したんです……あの日のことを」
きっと───翼に悪戯をした少年3人は、もうとっくに、翼が語る”あの日”のことなど、忘れ去ってしまっているだろう。
でも───”やられた側”の翼は、ずっと、覚えている。
忘れようとしても、忘れたいと願っても、忘れられない。その傷は、この先一生、癒えることがない。
やった方は忘れたとしても、やられた方はずっと覚えている───。
翼は、吸い込んだ息を震わせ、首を横に振った。
「……自分で、おかしいことを言ってるのは、分かってます。……ここにいるのは、あの3人じゃない」
翼の口調が、僅かに、力を帯びた。
───それは、言葉にすることによって、それを事実として、確実にするための響きのように聞こえた。
「……でも、どうしても、拭えなかった……。ここに……本拠地に、みんなと一緒に泊まることになったら、僕は、絶対、あの日のことを思い出す……その不安を、消し去れなかった。……その思いの通り、僕は、昨日の夜中、ずっと、あの日のことを思い返してました。……考えたところで、何も、変わるわけじゃないのに。馬鹿みたいに……何度も、何度も、あの時の、あの瞬間に、自分が覚えた感情を呼びさまして……」
翼は、そこで、僅かに、口元を笑わせた。
「……本当に、おかしいですよね。……2人が、あの3人と同じ考えを、してるわけないのに……」
2人を───蒼太と勇人を指して、翼は、そう言った。そして、言葉を、止めた。
やがて───少しの間の後で、それまで、ただじっと話を聞いていた勇人が、深く、息を吐きだした。
「───そういう気色悪い思考の奴、どこにでもいるんだな」
左手を頭の後ろに運び、髪を撫でるようにしながら、勇人は言った。───翼にトラウマを植え付けた3人の少年たちに対して。
そして、それ以上は、何も言わなかった。翼に対して、「だったら最初から、ここに来ることを断ればよかったじゃないか」と言うような言い方を、しなかった。
蒼太は、すぐに、言葉を発することができなかった。
翼は───自分たちのことを、気遣っていたのだ。
今、蒼太が抱く感情に───そういう感情にさせてしまうことが───分かっていたから。
自分が我慢をしていればいいのだと、そう思って───。───自分を偽った。大丈夫な、ふりをした。
「……先輩……」
蒼太は、翼に向かって、呼びかけた。
「一昨日……この合宿の話が出てから……ずっと……その時のことを思い返してたんですか……?」
翼は、僅かに上げた瞳を、蒼太に向けて、
「……いや」
そう───首を横に振った。
「たしかに……本拠地に泊まるっていう話が出た時……だとしたら、みんなと一緒の部屋に寝ることになるのかなって思った瞬間……あの出来事を思い出したのは、本当……。でも……ずっとじゃない……その瞬間から今までずっと、不安になってたわけじゃないんだ。昨日、学校で授業を受けてる時とか、みんなで作戦会議をしてる間とか、そういう……何か、作業をしてる時間は、気が紛れたのかな……考えずに、済んでた……」
一度、蒼太の方に向きかけた視線が再び、床の方に向けて動く。
「……でも、寝る時間が近づいてくるにつれて……頭の中が、不安でいっぱいなった……。この部屋で、3人で寝る状態になったら、より一層、強く、あの日のことを思い出して……そうなった時……」
翼は、そこで、言葉を詰まらせた。
続きを発することを迷うように瞳を揺らし、小刻みな呼吸を繰り返した後───
「……自分がどうなるか想像したら……怖かった……」
消え入りそうな声で、そう言った。
まるで───
"怖かった"………その言葉を人前で口にすることが、とても、悪い行いなのだと、感じているように…… ───。
翼は、一度、掠れた息を吐き出すと、続きを、語りだした。
「……それで……うまく……寝つけなくなって……屋上に行ったところで、上村さんに会って……?上村さんは、僕の様子がおかしいことに気付いて、"大丈夫?"って、聞いてくれたんです。……でも、僕は……答えられなかった……。上村さんの前で、この話は……したくないと思って……」
翼のその告白を聞いて───蒼太は、気が付いた。
翼が今、この話を打ち明けてくれたのは───この空間に、異性がいないからなのだと。
翼は、施設で同部屋だった3人から、どんな行為を受けたのか、はっきりとは話さなかった。
───でも、蒼太には、それが分かった。
そして、もし、自分が翼の立場だったら……?と、想像した。
人に、話したくないと思うだろう。
もし、話さなくてはいけない状況になったとしたら───自分は、誰になら、話せる?
家族には───打ち明けられるだろうか?
きっと───亮助には、話しづらい。でも───勇人になら───頑張れば、打ち明けられる気がする。
他の人には───?
葵には、話せるだろうか───?
───いや───話せない。
いくら、葵が自分にとって親友だからといって───性別という垣根は、越えられない。
───男の子に、裸に近い状況にされたことがあるなんて、知られたくない。そんな風に、自分を見てほしくない。
「どっちにしろ、お前は自分で、上村が納得いくように弁明しろよ」
勇人が、口を開いた。
翼が、はっとしたように、顔を上げる。
翼の目を、真っ直ぐではない───横に流すような視線で見つめた勇人は、
「お前は最初、隠して誤魔化すのが正しいやり方だって思ったのか知らねぇけど、それで心配かけてる今の方が、よっぽどかっこ悪いだろ」
淡々とした口調で、そう言った。
翼は、微かな衝撃に打たれたように勇人を見つめた後───「……はい」と、確かに、頷いた。
「……ありがとう……ございます……」
翼は、勇人に向かい、深々と頭を下げた後───
顔を上げて、その瞳を、動かし、
「……蒼くんも……ありがとね」
蒼太の目を見つめて、言った。
蒼太は、ぶんぶんと、首を横に振った
翼は、蒼太と目が合うと、微かに、その目を笑わせた。
───その表情は、今まで、彼の体を縛り付けていた鎖の一つが、ふっと解けたかのような───そんな表れに、蒼太の目に映った。
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