March Story47
紡がれる、新たな物語───。
家に帰ってから、蒼太は、意識を失ったかのような、深い眠りについた。
夢は、見なかった。
ただ、目が覚めた時、時計の針が指していた時刻───午前11時の数字を見て、深夜にあの場所で、御神輝葉と会っていたことは、嘘ではなかったのだと実感した。
体を起こして、カーテンを開ける。
ふと、地面を見下ろすと、家の前に、見覚えのある車が停まっているのが見えて、蒼太は、目を見開いた。
そうだった───今日は、"その日"だ。
蒼太は、ベッドから降りて、部屋を出た。
廊下は、いつものように静かだった。
勇人の部屋を確認すると、ドアが閉まっていた。まだ起きていないのか、もしくは、起きていて、部屋にいるのかもしれない。
蒼太は、リビングに向かって、階段を下った。
辿り着いたリビングのドアは、開いていた。
しかし、あまり、物音がしない。
蒼太は、そっと様子を伺うように、リビングを覗いた。
すみれが奏でる明るく活発な音が、聴こえない。
代わり───ダイニングテーブルに座る、見慣れた姿が見えた。
椅子に座って、新聞を読んでいる───蒼太は、その姿に向かって、足を踏み出した。
蒼太が歩き出してすぐ、その人は───父は、顔を上げた。
「ああ───蒼太」
亮助に名前を呼ばれるのは、5日ぶりのことだった。
5日───一年の中でそれは、ほんの短い期間である。
それでも───蒼太は、その"久しぶり"を、とても懐かしく、とてもとても、嬉しく、感じたのだった。
「……おかえりなさい」
そう、言葉にすると、
「ただいま」
と、亮助が、微笑んだ。
蒼太は、室内をキャロキョロと見回し、
「あの……おばさんは……?」
と、問いかける。
「すみれさんは、今、用事で出掛けている。一度、また、こっちに戻ってきてくれるらしい」
その答えに、蒼太は、ほっと息を吐き出した。すみれの性格を考えると、「お礼はいらないから」と蒼太の挨拶を待たずに帰ってしまったのかと不安になっていたのだ。
蒼太は、亮助の向かい側に、腰を下ろした。
「……試験は、どうでした……?」
そう質問すると、亮助は新聞を畳んで、テーブルに置いた。
「色んな受験者がいたな。勤めている場所も、年齢も経歴も、様々な人たちだった。ただ、その中で選考をして、一人───この県の警察本部に勤めている28歳の男性刑事が、この春から新たに、特別組織対策室の仲間に加わってくれることになった」
その答えに、蒼太は思わず、「へぇ……!」と目を見開いた。
特別組織対策室に、新しい人が正式に加わるのか。どんな人なのかを想像すると、不思議と、胸がドキドキした。
「蒼太たちも、昨日は、色々なことがあったみたいだな」
亮助にそう言われて、蒼太は、「あっ……」と声を漏らした。
「はい……」と頷くと同時に、きっと、亮助は、すみれから、その辺りの事情を聞いたのだろうと思った。
「えっと……その……その話は……話すと、結構、長くなっちゃうんですけど……」
一体、どこから話していいものか……と目線を泳がせる蒼太に対し、
「いつでも、話したいときに話してくれたらいいぞ」
穏やかな声と目で、亮助は答えてくれた。
蒼太は、その目を見つめて、「そうか……」と思う。
いつでも───この先、亮助と、その話をするタイミングは、きっと、どこかにある。
そう思うと、ふっと、心が、和らいだ。
蒼太の目を見つめた亮助が、不意に、壁にかかった時計に、目を向けた。
「それを言うと、俺も、蒼太と勇人に、話したいと思っていたことがあるんだが───」
亮助が言いかけたタイミングで、ドアの向こう側から、階段を下る音がした。
直後、寝起きの、いつになくボサボサの髪の毛をした勇人が、部屋に入ってきた。
「───勇人」
亮助が、その姿を、呼び止めた。
「ちょっと、いいか?」
勇人が、顔を向ける。
その姿に───蒼太の頭の中に、ある記憶が、蘇った。
昨夜───ではなく、実際は、今日の4時頃。
勇人が屋上に向かっている間───蒼太は、社長室で、新一と話をしていた。
"……輝葉ちゃんは、勇人くんに、何を話すんだろうね"
新一が問いかけてきたその言葉に───蒼太は、答えた。
「輝葉さんは……今日、会うのを、兄ちゃんと会う、最後にする……って、そう、言ってました」
蒼太は、揺るがない瞳を新一に向けて、言った。
「……でも、ぼくは……、兄ちゃんは……それに、従わないと思います。……輝葉さんに、今日を最後にさせない……。兄ちゃんは……輝葉さんのことを、一人にしないと思います」
その言葉の答えを───蒼太は、勇人に確かめなかった。
屋上から戻った勇人に、「輝葉と何を話したのか」問いかけなかった。
問いかけなくても、分かった。
戻ってきた勇人の様子が、あまりにもいつもどおりで───「勇人は、嘘をつくのが苦手なんだよ」───そう、いつか、自分に教えてくれた輝葉の声が、蘇ったからだ。
亮助の呼びかけに、「何だよ」というように、勇人が蒼太たちの方に向かってくる。
勇人が蒼太の隣に立ち止まったのを確認して、亮助が、そっと、口を開いた。
「───今度、3人で、お母さんのお墓参りに、行かないか」
その口調は、とても、静かなものだった。
蒼太は、目を見開いた。
亮助の表情は、特に、変わっていなかった。
だが、蒼太は、その目に、強い決意が浮かんでいるのを、感じ取った。
「今すぐじゃなくても───"行こうか"と思える時で───さくらも、それを、望んで、待っていてくれていると思う」
その言葉は、蒼太の心に、深く、響いた。
蒼太は今まで、勇人や亮助の前で、母の話をしてもいいのかと、迷う瞬間を、幾度となく経験してきた。
2人が母に対して抱いている感情は───自分以上に、苦しいものかもしれないと、思っていたから。
母が、「そんなこと思わなくていいよ」と思っていたとしても───消せないほどに。その言葉を、信じられなくなるほどに。
けれど───今、亮助の言葉を受けて、蒼太は、知った。
それは───少しずつ、思い出にしていい感情なのだと、
自分たち家族は─── 一歩ずつ、進むことが、できているのだと。
そして───亮助の言葉に答えたのは、
「───いつかな」
という、勇人の、声だった。
蒼太が、はっと振り返ると、勇人は、部屋の向こう側へと、歩き出していた。
───蒼太は、自分はこの先、その背中を、忘れることはないだろうと、そう、思った。
※
蒼太が、その手紙を見つけたのは、その日の夜だった。
自分の部屋の机の上に、白い封筒が置いてあったのだ。
中には、一枚の便箋が入っていた。
「……輝葉さんからの、お手紙だったんです」
蒼太は、言った。
「輝葉さんは、ぼくに、清水清隆の身柄を、”こちらの世界”に送ることを約束してくれました。けど……」
蒼太は、深く、息を吸い込んだ。
「……清水が、いきなり、姿を消したそうなんです」
ただ、蒼太の声だけが、静かに響く。
「清水の脱走を手伝ったのは、五十四奏多……ぼくたちが追っている殺し屋だと、輝葉さんは考えているみたいなんですけど、その、五十四も……清水清隆と同じように、行方知らずになっている……」
四方を囲む灰色の壁は無機質で、目の前にあるガラスの向こう側に、この声が届いているのか、少し、不安になった。
しかし、前を見ると、その不安が、薄れていく。
蒼太と向かい合って座る人物は、ただじっと、何も言わずに、蒼太の目を見つめていた。
「きっと……五十四が手に入れた能力によって、居場所を知ることができなくなっているんじゃないかって……。輝葉さんは、部下たちから、五十四の目撃情報を集めているそうなんですが……まだ、何も、情報が集まっていないそうです……」
蒼太は、カウンターに乗せ、組み合わせた指先に、力を込めた。
「手紙がきてから……亮助さんと兄ちゃんに、この話をしました。亮助さんは手紙の内容を説明したら、警察としての仕事の中で、捜査をしてみるって言ってくれて……兄ちゃんには手紙を渡して読んでもらって……それを輝葉さんがしたように、ぼくの机において、返してくれたんです……。それは……きっと、ぼくと兄ちゃんだけじゃなく、みんなと……”ASSASSIN”のみんなにも共有すべきだっていうことだと、思いました」
蒼太は、一度、言葉を止めて、深く、息を吸い込んだ。
「ぼくたちは……"ASSASSIN"は、一度、輝葉さんに傷付けられたことがあるし、傷付けたこともある……。それは、消えることじゃないけど……でも、それが、輝葉さんを助けない理由にはならない。輝葉さんが、今、ぼくたちを助けようとしてくれているように、ぼくは、輝葉さんを助けたいって、思います。そして……それは、きっと……みんなも、同じだって、信じてます」
ガラスの向こう側に座る、その人が、微かに、頷いた。
「まだ───すべてが解決したわけでは、ないんだな」
僅かに嗄れた声。
───それだけを聞くと、あまり感情が読み取れない。
しかし、蒼太は、この人の、一見、無表情に見える瞳の奥に、深い優しさがあることを、知っている。
「……はい」
蒼太は、頷いた。
───"J"に向かって。
蒼太が、この場所───取り締まられた殺し屋が収容される施設「専用署」に、Jを尋ねて訪れるのは、これが、何度目かのことだった。
自分にとって、とても大事なことが起きた時───蒼太は、こうして、"面会"という形で、Jに会い、話を聞いてもらっていた。
Jは今日も、専用署に収容された人間が着る規則になっている、紺色のスウェットを着ていた。
かつて、蒼太と出会った場所でしていた、シルクハットに黒いロングコートという格好とは、まるで別人だ。
しかし、蒼太は、今、目の前にいる、この格好のJこそが、彼の"本当"なのだと思う。
何も言わずに、蒼太と自身を隔てるガラスを見つめていたJは、ふと、視線を上げた。
「蒼太くん」
真っ直ぐな瞳が、蒼太の瞳を捉える。
「私は……復讐に人生の大半を費やしてきたような人間だ。そんな私が、君に、こんな言葉をかけていいのかは……分からない。ただ……過去を振り返り、あの頃に戻りたいなんて言う資格は、自分にはないと思い続けて来た私だから……思うことがある」
Jは、確かな口調で、言った。
「蒼太くんは、この先も、決して楽ではない道───困難な道を歩き続けていくことになるかもしれない。ただ、そんなとき、辛いのに、無理して、進もうとしなくともいんんだ。辛いときは、立ち止まってもいい。振り返ってもいい。泣きたいときは、泣いてもいいんだ。───私は、この先も……いつまでも、ありのままの、そのままの、蒼太くんでいてほしい」
Jは、そう言って、静かに、微笑んだ。
蒼太は、胸に、温かいものが込み上げて来るのを感じた。
「Jさん……」と、彼を───祖父を、見つめる。
「……ぼく、もうすぐ、”ASSASSIN”に入ってから、1年が経つんです」
蒼太は、そう口を開きながら、これまでの1年間を、回想した。
そして───Jに、笑顔を向けた。
「ぼく……”ASSASSIN”に出会って……ほんのちょっとだけど、自分のことが、好きになれた気がします」
(第13章 完)
13章、ここまで読んでくださり、ありがとうございます!!
よろしければ、評価・ブックマーク登録、感想など、よろしくお願いいたします!




