March Story45
輝葉が、勇人に伝える"最後の言葉"として用意したものとは───。
音というのは、不思議だ。
階段を上がる音。ドアノブが回る音。ドアが開く音。それは、どれも、自分ではない"相手"の行動によって発せられているもので、自分には、その行動が見えていないのに、その光景を想像させる。
輝葉は、フェンスに寄りかかっていた。
ドアが開くのを、じっと待っていた。
「───長話するつもりなら、こんな真夜中に呼ぶなよ」
屋上に出てきて、目が合った勇人が、最初に言った言葉は、それだった。
「長話になるつもりだったから、この時間に来てもらったんだよ」
輝葉は、言葉を返した。
「昼間に長時間出掛けてたら、怪しまれるの。不思議だね───昔は、夜に家にいない方が、怪しまれてたのに」
ふっと、目の奥に、懐かしい景色が浮かび、輝葉は、それを消すために、視線をずらした。
そして、僅かな間の後───再び、勇人の目を見る。
「───私が呼ぶんだったら、何か、とんでもない話されると思ってた?」
そう問いかけると、
「お前が俺に、"話がある"って言ってきて、碌な話されたことねぇよ」
すぐに、答えが返ってきた。
その言葉に、輝葉は、思わず、笑みをこぼした。
「そっか───たしかに、そうだったね」
私が、勇人に話さなきゃいけないことがあった時───。
偶然によって勇人が私が住む世界の入り口を跨いでしまい、私が殺し屋の存在を勇人に打ち明けなくてはいけなくなった時。
御神有馬が勇人の家族と繋がっていたことに気付いたことを、勇人に打ち明けに、会いに行った時。
御神有馬が勇人の能力を狙っていることを知って、それを勇人に知らせに行った時。
───本当に、いい話なんて、一つもしてない。
もしかしたら、今からする話も───そうかもしれない。
「───でも、もう、これで、最後だから」
輝葉は、言った。
勇人と───自分自身に、言い聞かせるために。
輝葉は、勇人が何も自分に言葉を返さないことを確認して、口を開いた。
「私、勇人に話したっけ。私は、4年前のあの日から、一つの体に、2つの人格を持つようになったこと───」
4年前のあの日───2人に課された代償が、姿を現したあの日。
「御神有馬の意思をそっくりのまま受け継いだような人間と、御神有馬のようにはならなかった人間───その2人は、私の体の中を、入れ替わるように操作していた。大抵、表に出てくるのは、有馬の意思を受け継いだ方だったけど、時々、もう一人の私が顔を出す瞬間があったの。───でも、それが、最近になって、なくなった」
輝葉は、自分の履いた靴の、つま先を見つめながら、言った。
「あんなに、私のことを支配していた極悪非道な人格が、急にいなくなったように姿を消したの。……理由は分からない。でも、もう何日も、私は……元の人格に戻ったような時間を送っている」
胸にせり上がる感情を抑えるために、一つ、深く、息を吸い込んだ。
「……今の私には、人の命なんて、簡単に奪ってしまえるなんていう考えがない。それで……思ったの。私、今なら、私の組織と……私自身を、どうにかできるんじゃないか、って」
それは、勇人に会うことを決めた日から、繰り返し、繰り返し頭の中で反芻した言葉だった。
「そして、考えた。もし、私が死んだら、どうなるのか───私の存在が、この世からなくなったら、私の周りの世界は、どう変わるのか」
瞼の奥に、想像の中の世界が広がる。
「私が死んだってわ分かったら、うちの組織の人間たちは、喜びまわるだろうね。邪魔な奴がいなくなったって。自分が、次の指導者になるんだって手を挙げだす人間が、すぐに出てくる。そして、その人間は、確実に、組織を自分の思うがままに動かす」
知らずうちに、輝葉の口調は、早口になった。
「御神有馬や、"もう一人の私"がやっていたことと同じことだよ。自分の気に入らない人間を、問答無用で殺して、自分の力を誇示して、逆らわせないようにする───その立場を狙ってる人間は、あの組織に五万といる」
息が続かなくなって、輝葉は、言葉を止めた。
───そして、息を震わせないように体に力を込めた。
「……私が、この人格のまま生き続けたら、私は、自覚があるまま、組織を統一できる。あの組織が、あれ以上、めちゃくちゃになることを、止められる」
ゆっくりと、そう口にした。
「……何年かかるか分からないけど、あの組織を、少しずつ壊すよ。一人一人を消していって……最後に残った私を、私が始末すればいい」
「……でも」と、顔を上げる。
「だから……もう、"ASSASSIN"は必要ないから、とか、危険なことにわざわざ踏み込んでないでほしいとか、そういうこと、勝手なことを言うつもりは……もう、ないよ。……この言葉だって、信用してくれなくてもいい。ただ……私は、この先、勇人が大人になってからも、殺し屋という存在に、人生を縛られてほしくない。……私が……全部、終わらせるから……」
脳裏に、様々な記憶が浮かんだ。
その中でも、くっきりと、はっきりと、映ったのは───永遠に続いてほしいと願っていた、あの日々。
あの思い出も───私は、終わらせないといけない。
「……私が……勇人を、あの世界に巻き込んだから……私がその責任をとる……」
それは、確かな決意だった。
───なのに、輝葉は、勇人の目を見て、その言葉を伝えることが、できなかった。
───私は、弱い人間なんだ。
心の中で、もう一人の自分が、ぽつりと呟いた。
私はずっと、自分がいる世界を変えるために、戦える勇気を持てなかった。
弱かったから───。
だから、あの時、勇人に嘘をついた───。
風が、輝葉の髪を揺らした。
その風の音と混じるように───輝葉の耳元に、深い息遣いが届いた。
それは───呆れの色を含んだような、溜息だった。
「……相変わらず、人の気持ち考えねぇ女だな」
その声に、輝葉は、「……え……?」と顔を上げた。
「俺は、そんな意味ない話聞きに、わざわざこんなクソ夜中に来たわけじゃねぇんだよ」
勇人は、うんざりしたような目で、そう言った。
「お前の世界って、勘違いしたようなこと言ってんじゃねぇよ」
それは、吐き捨てるような口調で───嘘のない声だった。
「お前の言う、その世界は、お前のことを勝手に娘扱いした、あの、クソじじいが作ったんだろ」
輝葉は、目を見開いた。
「お前が俺と関わる前から、あいつは訳わかんねぇ理由で俺の家族のこと巻き込んでたんだよ。それが自分の責任だとか、阿呆みたいなこと抜かしてんじゃねぇぞ」
勇人は、輝葉の目から視線を逸らさないまま、言った。
輝葉は、何も言えなかった。返す言葉が、見つからなかった。
勇人は、僅かに間を作った後───
「お前が俺に責任とることがあるとしたら、お前だけが知ってたことを俺に言わずに黙ってたことだけだ」
先程と変わらぬ口調で、そう言った。
輝葉の心臓が揺れた。
それは、何度も───何万回も、後悔し続けたことだ。
あの時───勇人に代償の話を打ち明けていたら───私だけが知っていることにしなかったら、何かが、変わっていたのかもしれない。
「お前は、散々、俺に良いこと話すだけ話していなくなった」
勇人は、ただ、淡々と話を続ける。
「お前だって同じように思ったんじゃないのか」
その問いに、輝葉の肩は、意識せずに動いた。
蒼太に打ち明けた、誰にも言わずにいた、勇人への言葉が蘇る。
───私は、勇人を憎んでいた。
私を、こっちの世界に導いたくせに───私が、あっちの世界に戻ってからは、私のことを、助けにきてくれなかった。
輝葉の心で揺れる感情を、感じているのかいないのか───分からない表情で、勇人が口を開く。
「ただ俺は、お前みたいに、お前にそういう思いさせた責任とってやろうとか、今更思わねぇよ」
真っ直ぐに輝葉の瞳を捉えた勇人の目が、そこで、僅かに変化したように見えた。
「自分たちがしたことの報復なんて、俺もお前も、もう十分味わってきただろ」
息が、詰まった。胸に様々な感情が溢れ出て、かき乱されるようだった。
自分が支払った代償。
それを───認めてはいけないと思っていた。
どんなに苦しい思いをしても、足りないと思っていた。
一生償っても、足りない。この悪夢には、終わりがないのだと───。
勇人が、もう一度───今度は、静かに息を吐き出した。
「それでもお前が、お前のこと放ったらかしにしてた俺に恨みがあるんなら、俺にだけぶつけとけばよかったんだよ」
ふっと、輝葉の胸に浮かんだ感情の渦が消えた。
「お前は、俺とお前のことに、碌でもない奴ら巻き込んだんだ」
勇人が、輝葉ではない───他の"人間たち"に向けた、呆れの色を目に浮かべた。
「お前は、少しでも怪我させれば諦めるだろうとか能天気なこと考えてたか知らねぇけど、あいつらの執念深さ甘く見るなよ」
その"人間たち"の姿が、輝葉の目に浮かぶ。
「あいつらは、お前がやろうとしたこと許さねぇし、お前が一人でお前をどうにかしようとして逃げること、許すわけねぇんだよ」
勇人の言葉は、輝葉の心に、はっきりと響いた。
「お前が、のこのこ部下の整理でもしてる間に、あいつらはお前に辿り着くぞ」
勇人が輝葉のことを、うんざりしきったような目で見つめる、
「それ待つ間に、新しく死人増やして何になんだよ。んなことしてる暇あったら、お前が自覚ないところでやってた犯罪をどうするかあいつらと話し合う内容でも考えとけよ」
勇人は、そこで言葉を止めた。
「……なにそれ」
輝葉は、呟いた。
それしか、言葉が出なかった。
「……訳わからないよ……。なんで、あんなに……あんな嫌な思いさせたのに……私のこと、助けようとするの……?」
それは、勇人ではなく、勇人が話した、5人に向けた問いかけになった。
「そんなの知らねぇよ」
その問いに、勇人が、答えた。
「訳わかんねぇ奴しかいないってことだろ」
それは、とても適当で、無責任な口調だった。
───輝葉は、笑みをこぼしてしまった。
「……自分もその一員のくせに、よく言うよね」
ふっと、心が軽くなったような気がした。
「……"ASSASSIN"が私や組織のことをどうにかしてくれる───それが、正しいとは、私は思えない」
輝葉は、フェンスから体を離した。
「……でも、もう少し、違う方法を考えてみようと思う。……私がその方法を思いつくのが先か、ASSASSINが私を捕まえるのが先か……どっちなんだろうね」
一度、目を閉じて、開く。
「……勇人に、渡したいものがあるの」
そう語りかけて、輝葉は、歩き出した。
ゆっくりと一歩一歩を踏み出して、勇人の前で、立ち止まる。
「私、この前……ようやく、あの場所に行ったの。御神有馬が死んだ……あの場所。そこに……これがあった。もっと早く気付いていたらよかったかもしれないけど───これが、もっと前なら、私、勇人に返せてなかったかもしれない」
パーカーのポケットを探り、"それ"を取り出す。
「───手、出して?」
そう、声を掛けると、ゆっくりとした動作で、勇人が、右手を差し出してきた。
輝葉は、その手の上に、"それ"をおいた。
"それ"は───勇人が、母・さくらに託した───さくらが、勇人の11歳の誕生日にプレゼントとした、赤い布の、御守りだった。
「……本当は、勇人に、ここで、もう会わないって、約束するつもりだったんだけどな」
輝葉は、視線を上げて、勇人の目を見つめた。
「私が、"もう会わない"とか、"もう会えない"って思っても───勇人はいつもそれを、裏返してくるんだよね」
目が合うと、勇人は、しばらくの間の後で、
「お前、散々言っといて、自分一人で何とかしようとするなよ」
静かな声で、そう言った。
輝葉は、自嘲気味に笑った。
「……そんなに信用ない?私」
そう問いかけると、勇人は、半ば睨むような視線を、向けてきた。
「本心なのか嘘なのか分かりにくいんだよ、お前の言葉」
その答えは、全く予想していなかったもので、輝葉は、思わず、微笑んだ。
「────そうかもね」
それは、2人が、"あの日"の話の続きをした瞬間だった。
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