March Story35
別れの直前の、もう一つの真相───。
「前にも、少しだけ、話したよね」
輝葉の瞳が、蒼太の心を射貫く。
「私たちがたてた、節穴だらけの計画のこと」
その言葉は、蒼太の目の奥に、ある光景が蘇った。
壁際におかれた机とベッド。どれもが、一つしかないのが、不自然なほどに広い部屋。───蒼太が以前まで暮らしていた、”清水家”の、子供部屋。
蒼太はかつて、あの部屋で、こうして輝葉と向かいあいながら、”昔話”を、聞いたことがある。
その話の内容は、輝葉と勇人がたてた、”計画”のことについてだった。
誰も幸せにならない計画───自分たちが傷付くだけの計画。
輝葉は───彼女は、その”計画”を、そう、言葉で表現していた。
「……最初は、どうにかして、みんなが幸せになれる方法を、考えようとした」
輝葉は、呟くような声で、言った。
「有馬がたてた計画をなしにして、勇人が殺し屋から追われることがなくなって、勇人が蒼太くんと一緒に、本当のお父さんのところに行ける方法……やろうと思えば、それも、できたはずだった。……でも、できなかった」
自分ではなく、彼女の足元を見つめた輝葉の目を見て、蒼太は、はっとした。
「蒼太くんと一緒に、お父さんのところに行く方法は……その理由を、蒼太くんに説明しなきゃ、成り立たなかったから……」
輝葉の、蒼太が知っている言葉では言い表せない、配色の瞳の中が───微かに、濡れていた。
ぐっと、感情を封じ込めるような間をおいた後、
「……それが、できなかった理由……君なら、わかるよね?」
輝葉が、蒼太の目を見つめた。
彼女は以前───言っていた。
勇人が、蒼太の記憶から、自分の存在をなくし、姿を消した理由───。
「……わかって、くれるよね?」
───勇人は、蒼太のことを守るために、自分一人が、消えた。
「勇人は……自分が味わった苦しみと同じものを……君に、渡したくなかったんだよ」
※
「蒼太くんのことは……どうするの……?」
自分が、この家を出て、父のところに行きたいという思いを告げると、輝葉は、そう、問いかけてきた。
その、不安に満ちた───どこかに、恐怖が隠れているような瞳を見つめて、勇人は、すでに決めていたはずの”答え”を口にするのを、躊躇っている自分に気付いた。
2人は、あのビル群の、”待ち合わせ場所”にいた。
時刻は深夜。───蒼太や”父”に気付かれず、輝葉と会うのには、この時間、この場所以外に、方法がなかった。
じっと自分の言葉を待っている輝葉の視線を受けて、勇人は、これ以上、口を噤んでいることが、できないと思った。
「蒼太は……」
強い決意があったはずなのに───その声は、少し、震えた。
「蒼太は……あのまま……あの家に、いてもらう」
勇人は、輝葉の目を見つめて、言った。
「蒼太と一緒に、お父さんのところに行くことになったら……蒼太に、話さなきゃいけなくなる。……どうして、そうしなくちゃいけないのか」
話さなきゃいけなくなったら───蒼太が、この世界の真実を、知ることになる。
殺し屋のこと。自分たち家族のこと。母のこと。
自分が知って───苦しんだ、数々の真実。
「……蒼太は……"お父さん"と仲が良かったから……これからも、そのまま、あの人が、自分にとって、優しいお父さんなんだって、信じたまま……いてくれたらいい。お母さんのことも……殺し屋がやったんじゃなくて、不幸な事故だったって……そう、蒼太には……思ってもらおうと思う。……ただ、俺がいなくなった時……俺を探さないように、俺のことを忘れてくれたら……それで、いい」
輝葉は、勇人の言葉を───決意を、否定しなかった。
───肯定も、しなかった。
※
4月28日───翌日に祝日を控えたこの日。
勇人は、蒼太をつれて、どこかに遊びにいくことを決めた。
これが───蒼太と出掛ける最後の日になる。
そう思うと、特別なところに連れて行ってあげたいと思ったが、あまりにも楽しいところに行ってしまうと、時間が経つのがあっという間に感じてしまいそうで、行き先に迷った。
───それに、どんな楽しい思い出をつくっても、蒼太は、それを、忘れてしまう。自分の存在ごと、忘れてしまう。
それは、自分が、輝葉に頼んだこと───蒼太の記憶から、自分の存在を、消してほしいと。
胸が破裂しそうなくらい、心臓が苦しくなり、勇人は、首を横に振った。
今は───せめて、今だけは、悲しい気持ちも、苦しい思いも、忘れさせてほしい。
ただ───蒼太との思い出を、特別なものにしたい。それが、自分の記憶にしか、残らないのだとしても。
勇人は、蒼太との、最後の思い出をつくる場所を、再び、考え始める。
ゆっくりと時間が過ぎる場所。
蒼太の記憶に残らなくても、自分が蒼太のためにしてあげれることがある場所。
考えて───思いつき、調べて、決めた目的地は、名前の知らない、神社だった。
※
勇人たちが住むマンションの最寄駅から、電車で1時間走ったところにあるその神社は、人の気配が、ほとんどなかった。
境内には、木でできた小さなベンチがあった。
「蒼太は、お願いごと、何にしたの?」
隣に座った蒼太に、勇人は、問いかけた。
2人は、拝殿にお参りをした直後だった。
蒼太は、勇人の目を見上げて、
「来年、兄ちゃんと一緒に学校行けますように───って」
そう、どこか、照れくさそうに、口元を笑わせた。
ただ───そう言われて、勇人は、息が詰まった。
それは───かつて、北山のあの家に住んでいた時、蒼太と交わした約束だった。
学校に行くのが怖いと泣いていた蒼太に、「来年から、一緒に学校行こう」と言ったこと。
あの時は、信じていた。そんな日が必ず来ると、信じていた。
でも───もう、こないんだ。
あの約束も───蒼太は、忘れてしまうんだ。
「兄ちゃん……?」
その声に、勇人は、はっと目を見開いた。
気付くと、蒼太が、驚いたような───それでいて、不安そうな目で、自分を見つめていた。
その時───近くで、ガラガラと、何かを引いて動かすような音がした。
音の方に目を向けて、勇人は思わず、「あっ───」と、声を漏らした
「蒼太、ちょっと待ってて?」
そう、蒼太に声を掛けて、立ち上がる。
この神社に来たのは、初めてのはずなのに、目の前に見える光景は、どこか懐かしく感じられた。
勇人は、木の小屋の中に立つ、巫女装束姿の女性に、「あの……」と呼びかける。
そして、外に出された台の上に載せられたケースの中から、”それ”を一つ、手に取って、差し出した。
※
勇人は蒼太が待つベンチに戻り、
「───これ、あげる」
蒼太の手に、それを差し出した。
蒼太は、首を傾けた。
「───おまもり?」
蒼太は、手のひらの中にある、水色の布で作られた、小さな袋のようなものを見つめる。
「そう」
頷いた勇人は、蒼太が御守りを握った手を、自身の手のひらで、包み込んだ。
水色の御守りを見つめた蒼太に向かい、勇人は、口を開く。
「それは、蒼太のこと、守ってくれるものだから───」
意識することなく、声になったその言葉は、勇人がかつて、与えてもらった言葉と、同じだった。
"それは、勇人のことを守ってくれるものだから。───だから、持ってて?"
あの日───あの瞬間。母の声が、あの笑顔が───蘇った。
胸の中に、熱いものがこみ上げ、勇人は、それを、ぐっと、堪え、
「……だから、持ってて?」
───そう言って、微笑んだ。
蒼太は、一度、御守りを見つめて、再び勇人のことを見上げた。
そして、蒼太が、「兄ちゃん……」と口を開く。
「兄ちゃんは……なんてお願いごとしたの?」
蒼太の声が、耳を通って、真っ直ぐに、心臓に響いた。
幼くて、甘くて、可愛い声───これまで、何度も聴いてきた声。これからも、ずっと、聴くはずだった声。
お願いごと───その内容を、勇人は、はっきりと、思い出せた。
忘れるはずがなかった。
これからだって、忘れるはずがなかった。
"蒼太が、幸せであり続けられますように"
自分がいなくなっても、自分のことを忘れても───蒼太が、蒼太のまま、いてくれますように───。
「───蒼太」
勇人は、蒼太の肩に、手を置いた。
蒼太が「……なに?」と、聞き返してきた。
勇人は、唇を開いた。
今───ここで、伝えよう。
自分が思っていること。蒼太への思いを、全部。
蒼太が、それを、忘れてもいい。
───ただ、蒼太の心に、この願いを、渡せたら、それで……。
その時───背後で、微かに、声がした。
何かを語り合う、複数の声。
勇人は、後ろを向き、「……人だ」と、声を漏らした。
蒼太と自分───2人だけの世界が、その瞬間に、失われたような気がした。
勇人は、蒼太と向き直り、
「……そろそろ、帰ろうか」
ただ、一言、そう告げた。
「……うん」と、蒼太が頷く。
勇人は、立ち上がった。
蒼太の目を、真っ直ぐに見つめることが、できなかった。
隣に立った蒼太の手を、手探りで、握る。
蒼太が、「兄ちゃん」と呼んでこないことを祈った。
今、蒼太にそう呼ばれて、あの瞳で見つめられたら───自分はきっと、泣きだしてしまうから。
蒼太は、勇人のことを、呼んでは来なかった。
ただ、小さくて柔らかい手で、しっかりと、勇人の手を、握り返してきた。
よろしければ、評価・ブックマーク登録、感想など、よろしくお願いいたします!




