March Story34
破壊されていく心と、歪んだ計画。
───その場から、動くことができなかった。
時間が、止まったような気がした。
自分が今、何をしているのか。目の前に見えるドアは、どこに繋がっているものだったのか。───分からない。頭にある回路が、プツリと切れてしまったような感覚があった。
もう、"父"は───あの男は、ここにいない。
ただ───勇人は、それを、認識することができなかった。
体に残る激しい痛みさえも───分からなかった。
ただ、繰り返し───繰り返し、同じ声が頭に流れてくる。
"早く、母親と同じところに、行きたいだろ?"
母親と、同じところ。
───お母さんと、同じところ?
お母さんが、死んだ?───死んだ?死んだ?死んだ?
真っ白になった心の中が、その言葉だけで、埋め尽くされていく。
「勇人……!」
その声は───突然に、聴こえた。
誰の声か───すぐに、わからなかった。
───ただ、それは、とても、聞き覚えのある声だった。
声がした方を───窓の方角を、勇人は、見た。
───輝葉が、そこにいた。
大きく見開いた目の中に、驚愕と焦りの色を浮かべて、ベランダに立っていた。
鍵がかかっていたはずの窓を開け、輝葉は、必死な様子で、勇人のもとに駆け寄ってきた。
勇人が体を起こそうとすると、輝葉は、「動かないで……!」と叫んだ。
ああ、そんな大きな声を出したら、リビングにいる蒼太に聴こえる───ぼんやりと思いながら、勇人は、輝葉を見上げた。
「……いつから……いたの……?」
───自分の体を借りて、他の誰かが喋っているような気がした。
輝葉は、狼狽しきった様子で、
「いまの話……あの人が……あの人が、パパと話してるのを聞いて……それで……勇人が危ないと思って……そしたら……」
しどろもどろな口調で、そう答えた、
今の話───"父"が、勇人にした話。
───輝葉の父が、勇人の能力を狙っているという話。
勇人は、思い出す。───かつて、輝葉が自分にした話を。
輝葉の父───御神有馬は、人間の命を奪うことで、その人が持っていた能力を、自らのものにする力を持っている───。
それが───何を、意味するのか。
「……パパが……勇人のことを、狙ってる……」
輝葉が、絞り出すような声を漏らした。
勇人は、ただ、その目を、見つめ返すことしかできなかった。
訳がわからなかった───。
そんなことを突然告げられて、どうしたらいいんだと思った。
自分でも戦慄するほどに冷静な心の動きを自覚しながら、勇人は、「輝葉……」と、呼びかけた。
「……あのさ……輝葉のところに……俺のお母さんがいるところ、見たことない……?」
「えっ……」
輝葉は、目を見開いた。
問い合かけてから、勇人は気付いた。
輝葉は、母と会ったことがない。"俺のお母さん"と言って、輝葉の頭に思い浮かぶ姿は───きっと、存在しないはずだ。
───でも、そんなことはどうでもいいと思った。
勇人の目を見つめた輝葉は───ゆるゆると、首を横に振った。
「……わからない……」
その言葉は───変えようのない真実を、伝えるものだった。
輝葉は───母を、見ていない。
母は、御神有馬のもとに、もういない。
母は───もう、この世界にいない。
ぽっかりと、そう、思った。
───それは、勇人が、自分の目で、その現実を見つめていないからだった。
言葉としては理解できるのに、それが、実体にはならない───悲しみの感情も、湧いてこなかった。
そうか───自分は、受け入れたくないんだ。
お母さんが、死んじゃったなんて、もう、会えないなんて───そんなの、嫌だから。
じゃあ、受け止めなければいい。本当は、そうじゃないんだって、思ったらいい。
ほんとは、お母さんは、今も生きてて、でも、会えないだけで───いつかは会えるって、そう思ってたら、それでいいんだ。
勇人は、自分では自覚できていない───虚ろな目を、輝葉に向けた。
「……輝葉」
何故か───その瞬間。
声が、震えた。
「……お願い。……助けて」
自分の心に、"自分"が返ってきたような───そんな気がした。
※
「輝葉の能力って……願いを叶えることが、できるんだよね……?」
そう問いかけると、輝葉は、音もなく、目を見開いた。
勇人が、答えを待っていると、輝葉の唇が、微かに開いた。
「……どんな願い……?」
勇人の心を見透かしたように───そして、勇人の考えを、どこか恐れるような、静かな声で、輝葉は、言った。
勇人は、迷うことなく、その答えを───口にした。
「……この世界を、変えたい」
※
「……私、あの時……ちゃんと確かめたらよかった……」
蒼太の目の前で、輝葉は、ぽつりと、声を漏らした。
「勇人のお母さんが、あの瞬間……生きているのかどうか……知ろうとしたらよかった。……そうしたら……そしたら……あの時だけでも、勇人の心を救うことが、できたかもしれないのに……」
輝葉の瞳は、蒼太の姿を、捉えていなかった。輝葉は、自身の足元を、見つめていた。
「……けど……もし、あの時に確かめて、……勇人のお母さんが、まだ生きていたことが分かったとしても……私は、"わからない"って、答えたかもしれない……。自ら、有馬のもとにいくということは、同時に、死を意味するようなものだから……。有馬に殺されるか、有馬じゃない誰かに、殺されるか……。……私に、それを告げる勇気は、きっとなかった……」
少しだけ、顔を上げて、輝葉は、口元に、微かな、笑みを浮かべた。
「……でも……今考えたら、確かめたにしても、確めなかったにしても……"わからない"なんて、曖昧な答え方……しなきゃよかったな……」
口元は笑っているのに───その目は、深い悲しみに、満ちていた。
「根拠なんてなくても……お母さん……きっと大丈夫だよ……って。また、絶対会えるよって……言ってあげたらよかった……」
蒼太は、返す言葉を、失った。
今───彼女の話を聞いて、その話の中の、勇人の気持ちを、想像している自分。
───その自分が、こんなにも苦しく、悲しく、辛いのに。
それを、現実として、勇人の隣で見続けた彼女は─── 一体、どれだけの感情を、背負って来たのだろうか───。
「……北山に住んでたあの家から、勇人たち家族が突然、引っ越すことになった理由は、有馬がたてた、歪んだ計画によるものだった」
輝葉が、静かに、口を開いた。
始まったのは───勇人が御神有馬に狙われた、その理由の、解明だった。
「有馬はもともと、さくらさんの自由を奪うことで、自分にとっての因縁である、さくらさんの恩師───滝原俊二さんに復讐をしようと考えていた。そうして……そのために、勇人たち家族を監視する中で、ある考えに、思い至った」
先程までと全く違う、冷たく、淡々とした口調で、輝葉は言った。
「勇人が持っている、"姿を消す能力"が、殺し屋にとって、大きな財産になりうることを」
姿を消す能力───それは確かに、殺し屋にとって、何より、大きな力になるはずだ。
仮に、その力があったとしたら、自身の姿を完全に相手に悟られることなく、殺すことができるのだから───。
「有馬は、勇人から、勇人の能力を奪って、"ある殺し屋"に、その力を与えようと目論んでいた。……ただ、それには、準備が必要だった」
輝葉は、「一つ」と人差し指をたてた。
「勇人を北山から出て行かせること。北山の小学校に通っていた勇人が、突然行方不明なったりしたら、騒ぎが起きて、有馬の組織に影響が出る。だから、事前に学校をやめさせて、元々住んでいた家からもいなくさせた」
「二つ」と、輝葉の指が2本に増える。
「勇人の能力を与えられる予定であった殺し屋に、有馬と同等の能力───殺した人間が持っていた力を、我がものにする能力を、有馬が授けること」
「………え………」
蒼太の口から、声が漏れた。
「……どういうこと……ですか……?」
「それは、また、後から説明する」
輝葉は、無表情に、蒼太の言葉を受け流した。
「ただ、二つ目の準備には、時間が必要だった。だから、勇人が黒霧市に来てすぐに、計画は行われなかったの。ただ……その準備が完成したタイミングが、清水清隆が、勇人に接触した、4月24日……あの日だった」
輝葉は、そこで、一度、言葉を止め、
「……有馬の歪んだ計画が完成したその日。……勇人と私もまた、自分たちの人生を変える計画を、立て始めた」
息を吐き出すような静かな声で、そう言った。
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