March Story27
壊れかけた友情を取り戻すことはできるのか───。
朝、目が覚めて、勇人が一番最初に感じたのは、"重み"だった。
肩に、ずっしりと、疲労が貼り付いているのが分かる。
昨日の出来事は、現実だったのか、それとも、寝ている間の夢だったのか───それは、目の前にいる蒼太の姿を見た瞬間に、判別がついた。
自分の右手が、蒼太の頭に、触れている───。
勇人は、蒼太を起こさないように、体を起こした。
※
学校に行くのに緊張を覚えるのは、今日に限った話ではなかった。ただ、今日は、いつも以上に、胸のざわめきが大きいというだけで。
その胸騒ぎを覚えさせているのは、昨日の出来事によるもので、勇人が、この日以前の数週間、毎朝、「学校に行きたくない」と感じていた理由は、別にある。
教室に入って、勇人の目はすぐに、黒板の前に立っていた彼女の姿を捉えた。
見慣れすぎた、桃色の髪。
中野優樹菜は、彼女の友人と、話をしていた。
優樹菜がチョークを持ち、黒板の端に自分の名前を書き込んでいる。その姿に勇人は、今日の日直が、彼女であったことを思い出す。
優樹菜に避けられている───そう気付いたあの日から、勇人は一度も、彼女と言葉を交わせていない。
今日まで、何度も「謝らなきゃ」と誓って、優樹菜に、声を掛けようとした。───しかし、その全てが、叶わなかった。
優樹菜が自分のことをどう思っているのか、優樹菜に対してしてしまったことは一生消えない事実になってしまうのか、もうこのまま優樹菜と自分の関係は、終わってしまうのか───頭の中で、繰り返し、繰り返し浮かぶ不安が、勇人の心を、じわじわと締め付けた。
そして、今や勇人の心を苦しめている原因は、優樹菜との関係だけではなくなっている。
昨晩、母から打ち明けられた話───あれは、1日経って受け入れられるようになるものでは、到底なかった。
せめて、優樹菜と、また前みたいに話ができるようになったら───この胸の苦しみを、治めることができるじゃないか。
優樹菜に、あの話を打ち明けようなんて、思っていない。
ただ、何気ない話がしたい。どうでもいいようなことで、笑い合いたい。
───始業5分前を伝える、チャイムが鳴った。
優樹菜が黒板から席に移動する。
こうなってしまっては、勇人ももう、自分の席から離れられなくなってしまった。
───次の休み時間になったら、優樹菜に、声を掛けてみよう。───そう決意して、休み時間を迎えるたびに、その決意を繰り返して、遂には放課後を迎えてしまうことになるなんて、その時の勇人は、思ってもいなかった。
※
優樹菜に声を掛けられないまま、放課後を迎えてしまった。
結局、自分は今日一日、何をしていたんだろうと、勇人は、深い後悔に苛まれていた。
もう既に、優樹菜は教室を出てしまっている。───本当は、今日のどこかで、「今日、一緒に帰らない?」と誘うつもりだった。
自分自身に対する落胆を、吐き出す息に乗せて、勇人は、重い鞄を持ち上げた。
下を向きながら廊下に出た勇人は、そこで起きていた出来事に、すぐ気付くことができなかった。
「───ちょっと」という鋭い声が、勇人の視線を、その場に向かわせたのだった。
───そこには、優樹菜の姿があった。こちらに背を向けて、立っている。
優樹菜の目の前には、3人の男子が立っていた。隣のクラスの子たちだ、と、すぐに分かった。
「そこでたむろしないでくれる?通れなくて困ってる子、たくさんいるんだよ?」
優樹菜が、はっきりとした口調で、そう言った。
勇人の視界の中に、男子3人が一斉に、あからさまに嫌な顔をする姿が映った。
「"たくさん"って?お前の他に通ろうとしてるやついねーじゃん」
3人のうちの一人───左側の壁に背を向けている男子が言った。
「今、あんたの目に見えないだけでしょ。あんたたちがいるせいで、ここを通れなくて、あっち側の階段を遠回りして行った子、私見たよ」
優樹菜が、負け時と言い返す。
確かに───3人は、廊下を塞ぐような形で、立っていた。
3人の向こう側にある階段は、真っ直ぐに玄関へと下りることができた。
優樹菜は、そんな階段に向かうまでの道が、"通行禁止"のような状態にされていることに対し、憤りを感じたようだ。
「んな注意、俺らじゃなくて、わざわざ遠まわりしていったやつにしろっての。ただ、"ちょっと通っていい?"って言えば、済む話じゃん?俺ら、そうやって頼んでくれたら避けるし」
優樹菜のことを呆れたように見つめたのは、右側に立った男子だ。
「そもそも、あんたたちがそこで固まってなければ、そんなこと頼む必要ないでしょ?この世界が、あんたたち中心に回ってると思ってるんだとしたら、それ、全くの勘違いだから」
優樹菜が語気を強めて言い返した瞬間、真ん中に立っていた───優樹菜と向かい合っていた男子の目が、カッと赤くなった。
「調子にのるのもいい加減にしろよ!世界の中心にいる気になってんのはお前の方だろ!」
勇人が、「あっ……」と思ったのと同時に───優樹菜の肩が、男子の手によって、突き飛ばされた。
優樹菜の体が後ろに傾き、4人のやり取りを見つめていた周囲から、どよめきが起きる。
「おっ……おい、流石にそれはやり過ぎだって……」
真ん中の仲間を宥めるように、左右の2人が手を伸ばす。
優樹菜を突き飛ばした男子は、はっと我に返ったような目し、バツが悪そうに、「えっと……」と口ごもった後、背を向けて走り出した。
その後を、仲間2人が追い、その場に、ただ一人残された優樹菜を、しんと静まり返った空気が覆う。
ゆっくりと、周囲の視線が、優樹菜から離れる。───ただ、一人、勇人を除いて。
勇人は、迷う間もなく、優樹菜の背中に、駆け寄った。
「優樹菜……」と呼びかけながら、肩を叩こうとした直前───優樹菜が、振り返った。
「……なに?」
その眼光の鋭さは、勇人の動きを、止めさせた。
優樹菜の目に宿った怒りは、彼女を突き飛した男子に向けられたものでは、なかった、
───そう、わかったのと、勇人が用意していた言葉が口から漏れ出すのは、同時だった。
「……大丈夫……?」
優樹菜の唇が、ギュッと、強く結ばれる。
「……大丈夫なわけないでしょ」
その言葉を残して、優樹菜は、勇人に背を向けた。
後を追うことは───できなかった。
自分にその資格は、ないと思った。
この先、しばらく───優樹菜と言葉を交わすことはできないんだと、わかった。
この先、しばらく───それが、4年後のことになるなんて、その時の、勇人は、思っていなかった。
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