March Story26
人生の分岐点となった日の夜───子供部屋には、勇人の帰りを待っていた、蒼太の姿があり……?
午後11時。いつもなら、とっくに布団に入っている時間だというのに、勇人は、今から自分が眠りにつくところを、全く想像できずにいた。
子供部屋のドアを開ける。思っていた通り、部屋の電気は、もう、消えていた。
窓側に敷かれた布団の上で、蒼太が眠っている姿が見える。
勇人は、その姿に一歩近づいて、足元に、自分の布団が敷かれていることに気が付いた。
はっとして、蒼太を見下ろすが、布団の中に蹲った顔を確認することはできない。
音をたてないように布団をめくり、その中に足を入れた時───。
「……兄ちゃん……?」と、小さな声がした。
見ると、蒼太が、布団から、顔を出していた。
「あっ……ごめん、起こしちゃった……?」
蒼太の目を見た瞬間、勇人の心に募っていた暗い感情が、奥に隠れた。
「ううん」と、蒼太が首を振る。
「兄ちゃんが、来るの待ってた」
その言葉に、勇人は、「え……」と、声を漏らした。
「……これ……布団、蒼太が、敷いてくれたの……?」
勇人が自分の布団を指して尋ねると、蒼太は、こくりと頷いた。
「兄ちゃん……帰ってきたら、すぐに寝られるかなって思って……」
囁くように答える蒼太の姿に───勇人は、はっとして、目を伏せた。
「……ごめんね……あの時……びっくり、したよね……」
母と喧嘩をして、家を飛び出した時───その姿を、居間にいた蒼太は、見つめていたはずだった。
「ううん」と、蒼太が、首を振る。
蒼太は、水色の瞳で、じっと、勇人の目を見つめてきた。
「……兄ちゃんは……大丈夫?」
その、予想打にしない問いに、「えっ───」と、勇人は、言葉に、詰まった。
そうして、反射的に「大丈夫だよ」と笑顔で答えそうになった直前───輝葉の声が、耳の奥で響いた。
"勇人って、嘘つくの、下手だよね"
輝葉が、「大丈夫」と答えた、自分の本心を見抜いたように───蒼太もまた、自分の笑顔を、"嘘"と捉えるかもしれない。───そして、それは、蒼太を喜ばせる嘘ではないことを、勇人は、悟った。
───だから、勇人は、こう、答えた。
「───もう、大丈夫だよ」
それは、嘘ではなかった。言葉を発した瞬間に出た笑顔も───そのはずだった。
勇人の答えを聞いた蒼太は、不意に、布団の中から、左腕を出した。
その、白く小さな手が、勇人の頭に向かって、伸びてくる───。
そっと、自分の髪を撫でる指先の感触に、勇人は、目を見開いた。
蒼太は、何も言わなかった。何も言わずに、ただ、勇人の髪を、撫で続けた。
後から思い返してみても、蒼太が、その時、何を考えていたのか、何を感じたのか───はっきりとは、分からない。
───でも、それでも、この瞬間。勇人の心に、温かい感情がこみ上げてきたのは、確かだった。
勇人は、蒼太の左手に、自分の右手を重ねて、包み込んだ。
「……ありがとう」
その一言以外に、この感情を表す言葉は、見つからなかった。
蒼太は、一度、安心したような笑顔を見せた。そして───ゆっくりと、目を閉じた。
蒼太の寝顔を見つめながら、勇人は、今日一日に起こった出来事を、思い出していた。
母との喧嘩、輝葉との遭遇、打ち明けられた家族の秘密───あれらが、たった数時間の間に起きたものだということが、信じられない。
あの時、あの瞬間に感じた、怒り、悲しみ、驚き、苦しみ───目を閉じて、忘れてしまいたいと願っても、それが起きはしないことを、勇人は知っている。
目を開けると、すやすやと寝息を立てる、蒼太の姿があった。
"……絶対に……誰にも、言ったらいけない。どんなに仲がいい友達でも……蒼太にも、話したらだめ"
母の声と、あの───必死な表情が、蘇る。
勇人は、あの時も、そうしたのと同じように、頷いた。
───大丈夫。
蒼太は……蒼太には、自分と同じ思いを、絶対にさせない。
この世に、殺し屋という存在がいて、その存在が、自分たち家族の運命を、狂わせたこと───そんなこと、蒼太は、知らなくていい。悪いものを見ないで、純粋で、綺麗な、あの瞳のまま、生き続けてくれたら───自分はそれ以上、何も望まない。
「……蒼太」
勇人は、蒼太を起こしてしまわないように、囁きかけた。
「……兄ちゃんが……いつか絶対、殺し屋のこと、この世界から、いなくさせてやるから……」
そっと手を伸ばして、蒼太の白い髪の毛を撫でた。
「……"ASSASSIN"をつくって……お母さんと蒼太のこと、守るからね」
───それは、自分自身に向けた、誓いでもあった。
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