蒼
イスリークと美月は、緊張気味に蒼について奥へと歩いた。
イスリークが美月の後ろを、庇うようにぴったりついている。何かあった時、いつでも自分を守れるようにと考えているのが、美月にも分かった。
奥の間へと通されて、広い居間の正面の位置の、寝椅子のように大きな所へ腰掛けると、蒼は二人に椅子を示した。
「どこなり座るが良い。それから、そのように警戒する必要はないぞ。我がその気になれば、とっくに殺してしもうておるわ。月から逃げ隠れは出来ぬゆえな。いつなり、どこでも見えておる。ただ、口出しはせぬだけだ。主らの良いようにやっておることであるから、我が干渉する必要はないと思うておったゆえ。」
イスリークが、口を開いた。
「我ら、北の神の世で生きており申す。こちらは、何百年も前にほとんどの神が滅んだと聞いておったので…。」
蒼はしばし黙り、何かを考えているようだったが、イスリークを見た。
「…我のことは、後で必要に応じて話そうぞ。まずは主らよ。なぜに北の神の軍神達が、いきなりこちらへやって来て戦を始めようとしておるのか。」
イスリークは頷いた。
「あちらは、我の国ラミエナ、イサヤの国ミリオナの二大勢力が台頭しており、二つの国で、他の小さな国々を治めている状態だ。しかし近年、西に位置するドミナスが回りの国々に侵攻して、我らが抑える抗争が相次いでおり、特に厳しく監視しているミリオナは目の敵にされておった。我はこの通り力を持っておるので狙われることは今はないが、ミリオナ国王イエン殿が、こちらへ留学している王子を訪ねて来たのを狙われて殺害された。我らとて、こちらの地は余所の地であるので、最低限の軍神のみで軍隊を引き連れて参ったりせぬので、そこを狙われたのであろうの。」
蒼は、月を見上げた。
「…主の軍神と、侍女従者は無事逃げ遂せておる。こちらへ呼ぶか?」
イスリークは驚いて、頷いた。
「そうしてもらえれば、助かる。」
蒼は手を上げた。月の光がどこかに降りて行っているのが分かる。
「李玲。」
蒼が呼ぶと、軍神が入って来て膝を付いた。
「御前に、王。」
「コロシアムに降ろした。迎えを。」
「は!」
蒼は、イスリークを見た。
「まとまっておったので、まとめて連れて参った。後で会うが良い。それで、これからどうするのだ。戻ろうにも、主らを襲ったやつらは主らを探しておる。」
イスリークは、ただただ茫然としていたが、言った。
「全て、見えているのか?何もかも?」
蒼は面倒そうに頷いた。
「月はどこからでも見えるであろうが。まあ、見ようと思わねば意識には上らぬ。だが、見ようと思えば屋敷の中などでなければ見える。屋敷の中も、誰かの目を通せば見える。」
イスリークは、身を乗り出した。
「どうか、我らの国の様子を見てもらいたい。もしかして、あやつらは我の留守に、我が国に侵攻しておるのでは…。」
蒼はため息を付いた。
「…今は、まだであるの。だが、何やら慌ただしく動く気を、主らの領地の西の方に感じる。それが、侵攻の準備であるのか、それとも主らへの援軍の準備か、それは我には分からぬ。」と、また月を見上げた。「我は戦は、もう見たくない。」
その様子をじっと見ていた美月が、横から言った。
「蒼様…もしかして、数百年前の戦をご存知なのですか?」
蒼は驚いたように美月を見たが、頷いた。
「そう、我はもう1700年ほど生きておるのでな。あの戦の時、我らは戦った。あの折は、我の父も母も月に居て、地の化身もここに居た。そして、この世最強の神の龍王も…」蒼は、遠い目をした。「主らには分かるまい。この地は一度滅びかけたであろう。人は、神の戦と連動して大きな戦をした。あれは、地に消しても消しても現れる、人の心の闇から生まれる霧が充満して我らが対応し切れなかったため。闇を消せるのは月の力のみ。我の父と母は、闇を消すために一度死んで、そしてまた転生して参ったというのに、あの時また、闇を消す為に命を懸けた。そして龍王は、人と神の戦を終わらせるため、己が身を捨てて力を放った。」蒼は、下を向いた。「…幾百の命がその時に散り、我は残った者たちを束ねて守って参った。今残っておるのは、ここ月の宮と龍の宮だけ。その龍の宮も、王の血筋が途絶え、今は力を失っておる。我が守り、また繁栄させねばと思うて…。」
美月は、絶句した。この若い王が、1700年生きているなんて。そして、戦争を体験し、その愚かさも知っているのだ。確かに、人の世で大きな戦があった。その時、かなりの人命が失われ、街の何もかも破壊され、残った少数の人が、必死に何もない土地を耕して、一から生きる環境を構築して行った…そして、今、やっとその頃の文明が戻って来たのだと聞いている。
イスリークが、言った。
「…我らの地は、戦の後いつの間にか神が発生したのだと言われておる。寿命はこちらの神のように長くはなく、皆300歳ぐらいで死んで逝く。しかし、王は1000歳生きた例があるとは聞いておる。我の父は、500年生きた。」
蒼は頷いた。
「知っておる。地の化身がここに居ったと言うたの。あやつらは寿命を操作することも出来るのだ。あの戦があった折り、月に居た二人は、地の子達であったので、大層悲しんでな。一度は転生させて取り返したものを、また人や神が生み出す闇などに奪われたと怒り、もう月は作らぬと言い置いて、地の底へ帰ってしもうた。その折、神も長く生かして置くのは無駄だと言っておったゆえ…本来なら、800年から1000年は普通の神でも生きていたのに、今は違うの。我は不死であるゆえ、死なぬのだ。」
美月は口を押さえた。なんて孤独なの。自分は死なないのに、後から生まれたもの達は、先に死んで逝く。自分だけが、時が止まったように姿も変わらず生き続けるなんて…。
「蒼様…それは、とてもお寂しいですわね…。」
蒼は、また驚いた顔をした。そして、じっと美月を見た。
「主、美月というたか。」
美月は頷いた。
「はい。人でございます。」
蒼は、懐かしげに美月を見た。
「我の母が、維月というた。主は母に似ておるの。気も…人が混じるのに、神の気で…。」
蒼がじっと美月を見るので、美月がためらっていると、イスリークがグッと美月の肩を抱いた。
「我の妃ぞ。」
蒼は、驚いたようにイスリークを見た。そして、その目を見ると、フッと笑った。
「有り得ぬ。我の母は気が強うて我の好みではない。だが、母を見るようでの。母も我を生んだ時、人であったのだ。我らを必死に守って、人であった生涯を閉じた。そして月の命を宿して戻って参ったのに、結局はやはり、我らを守るために死んで逝った。同じ月であった父と共にの。我は…もう二度と会うことは叶わぬ。死ねば黄泉で会えるもの。だが、我は不死。よしんば転生されたとしても、もう我のことは覚えておらぬであろう。」と、蒼は立ち上がった。「行かねばならぬぞ。主らの連れが危ない。少し持ち直したかと思うておったが、気が減って来ておる…治癒の者達では対応しきれぬようぞ。」
美月は驚いて立ち上がった。蒼は何でも見ている…こうして話していても、イサヤの様子は見ていたのだ。
「イスリーク様…。」
イスリークは頷いた。
「急ごうぞ。」
蒼は先に立って、サッと歩き出した。
イサヤは、夢を見た。空を飛んでいる…だが、驚くほどに体が軽かった。手を翳す…力は無尽蔵に溢れて来るように思えた。
そして、いつも空から下を見ていた。愛おしい気を探して、それは自分を見上げていた。あれは美月…美月か?だが、美月よりも、ずっと落ち着いているような感じがする…。
イスリークが居る。イスリークは美月を愛していた。ずっと一緒に居ると約した…未来永劫、何があっても、例え死んでも、自分は美月と、イスリークと三人で居る。絶対に離れることなく…。
誰かがオレを呼んでいる。
いさ…!…い!
なんだって?オレは…オレの名は…。
「イサヤ!」
美月は必死に呼んでいた。イサヤの気は、もう風前の灯のようだった。顔は既に土色で、生きているようにも思えない。美月は、涙を流した。イサヤが死んでしまう。このままでは…。
イスリークが、美月の肩に手を置いた。
「美月…。」
蒼は、その様子を見て、つぶやいた。
「助ける方法は、ただ一つしかない。」
美月は、急いで蒼を振り返った。
「なんでしょうか?!」
蒼は、首を振った。
「呼んで来るかの。あれからもう、1200年は経った。我とてその間、話したのは念で数言ほど。人も神も、あやつらは今は嫌ろうておるゆえ。」
イスリークが、蒼を見た。
「地の化身と言う者達か?」
蒼は頷いた。
「これは王子であろう。王が殺され、王子までとなれば、戦は避けられぬ。我としては何としても助けてやりたいが、地は答えぬだろう。」
美月は、蒼にすがった。
「どうか!どうか蒼様、お助けください!地を、ここへ呼んでくださいませ!どうか…!」
蒼は、怪訝な顔をして美月を見た。
「主、イスリーク殿の妃なのであろう?なぜにそのように必死になるのだ。」
イスリークが、視線を逸らした。
「…イサヤも、美月の夫であるからだ。」
美月が、イスリークを見た。まさか、イスリーク様がそんなことを言うなんて。
しかし、蒼はじっと美月を見た。
「主、やはり…」と、イスリークを見た。「主も…では、イサヤ殿もか。」
美月とイスリークは、訳が分からず顔を見合わせた。蒼はじっと考えていたが、頷いた。
「…呼んでみようぞ。しかし、主が呼ぶのだ、美月。」
美月はびっくりして蒼を見た。
「私が?!でも、地は私のことなど知らないのに…人が嫌いであるのでしょう。」
蒼は首を振った。
「主でなければ、来ぬ。我の言う通りに、空に向かって言え。」と、蒼は真剣な顔で言った。「『お父様、十六夜を助けてくださいませ』と。」
美月は、戸惑った。知らない地を、父と呼べと。
蒼は、戸惑う美月をせっついた。
「急がぬか!亡くしても良いのか!」
美月は一つ、頷くと、窓から空に向かって叫んだ。
「お父様!どうか十六夜を助けてくださいませ!」




