第89話 封じられた頁に残された名前と、母の衣装が消えた日の記録
朝の光が窓辺に差し込んだとき、エレノアはすでに目を覚ましていた。
昨夜は思っていたよりも早く眠れたはずだった。それなのに、目を開けた瞬間から胸の奥が落ち着かず、寝台の上でしばらく身じろぎもせずにいた。
今日の午後、長い間封じられていた衣類の記録を開くことになっている。
最初の二枚を確認して以来、残された頁には手をつけていない。何枚あるのかさえ分からないその記録に、幼い頃の自分の衣装について、何か新しい情報が残されているかもしれなかった。
(いよいよ今日なのね。昨日までは、まだ一日あると思っていたのに……)
エレノアは寝台の上で両手を重ね、静かに息を吐いた。
期待している。
それは間違いなかった。
しかし、期待しているからこそ、怖いとも思う。
何も分からなかったらどうしよう。反対に、知りたくなかったことまで分かってしまったら、自分はどう受け止めるのだろう。
そんな考えが次々と浮かび、エレノアは掛布の端を指先で整えた。
母アデラインが亡くなってから、ベルナール家では多くのものが失われた。
野薔薇の彫刻が施された濃い色の木箱。
母の肖像画。
幼い頃に身につけていた青い石の髪飾り。
そして、所在の分からなくなった衣装。
そのすべてが今日の記録によって明らかになるとは思っていない。それでも、自分の知らないところで何が行われていたのか、少しでも確かめたいという気持ちは強かった。
(昨日、叔父様がおっしゃっていたわ。書類を提出できることと、望んだ結果が得られることは別だと。きっと、今日の記録も同じなのよね)
王宮から届いた回答のことも、まだ心に残っている。
ロシュフォール家から事情を説明する書簡を送ることはできる。本人の意思を示す文書には署名が必要になる。そして、提出した文章を誰が読むのかについては、保証されていない。
第二王子レオナードが、自分の拒否の言葉を目にするかもしれない。
その可能性を考えるだけで、今も胸が冷たくなる。
けれど、昨日の話し合いで、今すぐ署名する必要はないと確認できた。三文の声明はまだ下書きであり、原本はアルフォンスが保管している。
今日は、別の大切なことへ向き合う日だった。
エレノアは寝台から降り、窓辺へ歩み寄った。
庭園には薄い朝靄が残り、遠くの木々が柔らかな輪郭を見せている。黄色く色づいた葉の間から差し込む光は、昨日よりも淡く感じられた。
その景色を眺めていると、扉の向こうから控えめなノックが聞こえた。
「エレノア様、おはようございます。お支度のお手伝いに参りました」
「おはよう、リディア。どうぞ入ってちょうだい」
リディアが入室すると、エレノアは窓辺から振り返った。
彼女はいつもどおり丁寧に礼をしたが、机の上に置かれた手帳へ目を向けると、少しだけ表情を和らげた。
「今日は記録を確認する日でございますね。昨夜はよくお休みになれましたか」
「ええ。思っていたより眠れたわ。でも、朝になったら急に緊張してしまって」
エレノアは苦笑した。
「昨日は落ち着いて向き合いたいと思っていたのに、実際にその日になると、やっぱり気になるものね」
リディアは用意した衣装を広げながら、穏やかに答えた。
「大切なことですもの。緊張なさるのも自然なことだと思います。ただ、今日はエレノア様お一人で資料を調べるわけではございません。私もお側におりますし、皆様も立ち会われます」
「そうね。ありがとう、リディア」
エレノアは微笑み、支度を始めた。
今日の衣装は、袖口の飾りが控えめな、落ち着いた色のものだった。
記録を確認する場では、長く椅子に座っていることになるかもしれない。動きやすさを考えて選んでくれたのだろう。
リディアが髪を整えている間、エレノアは鏡に映る自分を見つめた。
十五歳の少女。
今の自分は、母が亡くなったあとのベルナール家で何が起きていたのか、そのすべてを知っているわけではない。
以前の人生では、知らないままにしてしまったことも多かった。
けれど、だからこそ、今は確かめたい。
誰かを責めるために結論を急ぐのではなく、自分の目で事実を見つけたい。
「リディア、今日は手帳を持っていくけれど、全部をその場で書き留めようとは思っていないの。エレーヌたちが正式な記録を作ってくださるでしょう?」
「はい。マルタが作業内容を記録することになっております。お嬢様は、必要なことをお確かめいただければよろしいかと存じます」
「そうね。分からないことがあったら、無理に答えを出さずに質問として残しておくわ」
リディアは鏡越しに微笑んだ。
「それがよろしいと思います」
支度を終えたエレノアは、机の上の手帳へ一度だけ目を向けた。
今日の予定日。
六人の立会人。
そして、確認したい四つの項目。
すでに書いてある内容を読み返すことはせず、手帳を閉じたままにしておいた。
午後になれば、必要なときに開けばよい。
そう考えながら、エレノアはリディアとともに朝食の席へ向かった。
◇ ◇ ◇
食堂では、マルグリットが温かな飲み物を口にしていた。
エレノアが挨拶すると、祖母は柔らかな笑みを浮かべ、隣の席へ座るよう促してくれた。
「おはよう、エレノア。今日は少し早いのですね」
「おはようございます、お祖母様。目が覚めてしまったので、いつもより早く支度をしました」
「午後のことが気になっているのでしょう?」
マルグリットの問いかけに、エレノアは小さく頷いた。
「はい。でも、皆様が一緒にいてくださるので、安心しています」
祖母は穏やかに微笑んだ。
「何が書かれているのかは分かりませんけれど、あなたが確かめたいと思っていることを、私たちも大切にしたいと思っていますよ」
「ありがとうございます」
エレノアが答えたところで、オーギュストとセドリックが食堂へ入ってきた。
少し遅れてアルフォンスも席に着き、朝食が始まった。
最初は庭園の様子や、今日の天候についての話が続いた。
午前中は晴れる見込みだが、夕方には雲が増えるかもしれないという。ギュスターヴたちは、雨が降る前に済ませたい作業を優先する予定だった。
エレノアはその話に耳を傾けながら、少しずつ食事を進めた。
やがてアルフォンスが、午後の予定について口を開いた。
「エレノア。今日の記録の確認は、予定どおり午後から始めるつもりだよ。エレーヌとマルタからは、作業場所の準備が整ったと報告を受けている」
「はい、叔父様」
「ただし、実際に資料を扱う前に、もう一度外側の状態を確認する。そこで問題が見つかれば、開封を見合わせることもあるからね」
エレノアは静かに頷いた。
「分かっています。無理に開いて傷めてしまうことだけは、避けたいです」
アルフォンスは安心したように微笑んだ。
「うん。それから、昨日届いた王宮の回答については、今日は新しい手続きを進めないことにしている。そちらは明日以降、改めて考えよう」
その言葉を聞き、エレノアは少し肩の力を抜いた。
「ありがとうございます。今日は衣類の記録に集中したいと思っています」
「それでいいよ。どちらも大切なことだからこそ、一度に進めすぎないようにしよう」
セドリックも頷いた。
「エレノア、午後は僕も立ち会うから、気になることがあれば遠慮なく話してほしい。ただ、エレーヌが紙を扱っている最中は、作業の安全を優先することになると思う」
「はい、お兄様。質問したいことがあっても、急がずに待ちます」
エレノアは答えた。
そのやり取りを聞いていたオーギュストは、ゆっくりと頷いた。
「古い記録というものは、残されているだけでも貴重なことがある。書かれている内容がすべてを教えてくれるとは限らないが、だからといって価値がないわけではないよ」
「はい、お祖父様」
エレノアは微笑んだ。
朝食の席には、特別な緊張ばかりが漂っているわけではなかった。
誰も、今日必ず何かが見つかるとは言わない。
それでも、調べることを否定する人もいない。
その穏やかな空気に包まれながら、エレノアは最後まで食事を終えた。
◇ ◇ ◇
午前中、エレノアは自室で静かに過ごした。
刺繍道具を広げようかとも思ったが、今日は針を持つより、窓辺で本を読む方が落ち着けそうだった。
リディアが用意してくれた温かいお茶を飲みながら、エレノアは読みかけの本を開いた。
けれど、しばらくすると文字を追う目が止まってしまう。
頭の中では、午後に開く資料のことを考えていた。
(残りの頁には、衣装の移動先が書かれているのかしら。それとも、別の記録なのかしら)
以前確認した最初の二枚は、すでに記録として整理されている。
しかし、それに続く頁が同じ形式で書かれているとは限らない。
同じ人物が書いたのかどうかも、まだ分からなかった。
エレノアは本を閉じ、窓の外へ目を向けた。
庭園の木々が、穏やかな風に揺れている。
そのとき、机の上に置かれた青い花の刺繍が目に入った。
昨日、すでに選んである青い糸の部分を少し進めたため、花びらの輪郭が以前よりもはっきりしている。
紫の糸は、まだ本番の布へ加えていない。
エレノアは椅子から立ち上がり、刺繍を手に取った。
母が残した青い花の刺繍そのものは、まだ見つかっていない。
今作っているものは、自分で選んだ色と形の花だ。
母の作品を再現したわけではない。
それでも、母が刺繍を楽しんでいたという話を聞いてから、針を動かす時間が以前よりも好きになっていた。
(お母様のことを知りたいと思う気持ちと、私自身が何かを作りたいと思う気持ちは、別々に大切にしていいのよね)
エレノアは刺繍を丁寧に戻した。
そのとき、リディアが昼食の時間を知らせに来た。
午後の予定が近づいている。
エレノアは小さく息を吸い、立ち上がった。
◇ ◇ ◇
記録管理室の一角に設けられた作業場所は、いつもより静かだった。
窓には光を和らげるための薄い布が掛けられ、机の上には清潔な敷布が広げられている。資料を支えるための台や、記録用の紙も、使いやすい位置へ整えられていた。
エレノアがリディアとともに入室すると、エレーヌ・フォシェとマルタが立ち上がり、丁寧に礼をした。
「エレノア様。本日はよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。準備を進めてくださって、ありがとうございます」
エレノアが答えると、エレーヌは穏やかに微笑んだ。
「本日は、資料の状態を確認しながら、開けられる範囲だけを調べる予定でございます。途中で傷みが見つかった場合には、作業を止めることもございますので、あらかじめご了承くださいませ」
「はい。無理をしないでください」
エレノアは静かに答えた。
ほどなくしてアルフォンスとセドリックも入室し、予定されていた六人が揃った。
エレーヌは全員の顔を確かめると、机の上に置かれた保管箱へ目を向けた。
「それでは、始める前に確認いたします。本日立ち会われるのは、アルフォンス様、セドリック様、エレノア様、リディア、マルタ、そして私の六名でございます」
マルタがその内容を記録用紙へ書き留める。
エレーヌは続けた。
「これから、以前確認した最初の二枚に続く、封じられた部分の状態を調べます。資料の内容については、まだ何も確認しておりません。また、封を開いたからといって、すべての頁を読み進められるとは限りません」
アルフォンスが頷いた。
「その方針で進めてください。判断に迷う状態があれば、無理をせず中断しましょう」
「承知いたしました」
エレーヌは丁寧に答え、保管箱の外側を確認し始めた。
箱そのものについては、以前にも状態を調べている。
しかし、今日実際に資料を取り出す以上、前回から変化がないかを確かめる必要があった。
マルタは箱の向きや、目立つ傷みの有無を記録していく。
エレノアは少し離れた椅子に座り、その様子を見守った。
胸の鼓動が、いつもより速い。
けれど、作業は驚くほど静かに進んでいた。
誰も急いでいない。
箱を開く前に一度手を止め、置かれた位置を確認する。
中の資料を動かすときにも、紙が擦れないよう注意が払われている。
その丁寧さを見ているうちに、エレノアの緊張は少しずつ落ち着いていった。
やがて、保管箱から資料の束が取り出された。
表側には、以前から確認されている「エレノア衣類」という文字がある。
エレノアは思わず身を乗り出しかけたが、すぐに姿勢を戻した。
(あの文字……何度見ても、少し不思議な気持ちになるわ。私の名前が書かれているのに、誰が、いつ書いたのか分からないのだから)
エレーヌは束の外側を慎重に確認し、封じられた部分へ視線を移した。
紙の端には、長い年月を経たことが分かる変色がある。
しかし、少なくとも外側から見える範囲では、すぐに崩れてしまうような状態ではなさそうだった。
「外側に大きな破損は確認できません。ただし、内部の状態はまだ分かりませんので、ここからはさらに慎重に進めます」
エレーヌが説明すると、マルタが記録した。
エレノアは膝の上で両手を重ねた。
いよいよ、封じられていた部分を確かめる。
エレーヌは封の状態を全員に示し、マルタがその特徴を記録するのを待った。
それから、資料へ余計な力が掛からないよう支えながら、慎重に作業を始めた。
室内には、紙がわずかに動く音だけが聞こえていた。
エレノアは息を詰めそうになり、意識してゆっくりと呼吸した。
やがてエレーヌの手が止まった。
「……封の部分を開くことができました」
その言葉に、エレノアの胸が強く跳ねた。
しかし、エレーヌはすぐに頁をめくらなかった。
開いた部分の状態を確かめ、紙の端や折り目に異常がないかを調べている。
しばらくして、彼女は顔を上げた。
「最初に確認できる頁については、慎重に開ける状態だと思われます。ただし、その先の頁まで同じ状態とは限りません」
アルフォンスが頷いた。
「では、確認できるところまでお願いします」
エレーヌは再び資料へ向き直った。
そして、最初の二枚に続く頁が、ゆっくりと開かれた。
◇ ◇ ◇
新しく開かれた頁には、細かな文字が並んでいた。
エレノアはその瞬間、胸の奥が熱くなるのを感じた。
長い間、閉じられたままだった記録。
そこに何が書かれているのか、まだ読めていない。
それでも、実際に頁が開かれたことだけで、何かが少し前へ進んだように思えた。
エレーヌは文字へ目を向ける前に、紙の状態を確認した。
端の一部に軽い折れがあり、下側には小さな変色が見られる。
ただし、文字が書かれている中央部分には、目立つ破れはなかった。
「こちらの頁は、現時点では読むことができそうです。ただ、下端に変色がございますので、紙を動かす際には注意いたします」
マルタが記録を取る。
その後、エレーヌは文字を読み始めた。
「最初に、頁の上部に『衣類整理控』と読める表題がございます」
エレノアは顔を上げた。
衣類整理控。
自分の衣装についての記録なのだろうか。
エレーヌは少し間を置いて続けた。
「その下には、日付と思われる記載があります。ただし、年を示す部分が薄くなっておりますので、現時点では正確に読み取れません」
マルタがすぐに尋ねた。
「月と日については、確認できますか」
「月は十月と読めます。日付は……少しお待ちください」
エレーヌは紙へ顔を近づけすぎないよう注意しながら、光の当たり方を確かめた。
「十月の十二日、あるいは十三日の可能性があります。ただし、最後の数字が不鮮明です。断定せず、判読保留として記録してください」
「承知いたしました」
マルタは丁寧に書き留めた。
エレノアは手帳を開き、同じ内容を自分の言葉で記した。
『衣類整理控。十月。日付は十二日または十三日の可能性。年は不明。』
そこまで書いたところで、エレノアは筆を止めた。
十月。
今と同じ季節だった。
けれど、いつの十月なのかは分からない。
幼い頃の記録かもしれないし、もっとあとのものかもしれなかった。
(同じ季節だと思うと、少し近く感じてしまう。でも、年が分からないのだから、今はそれ以上考えない方がいいわね)
エレノアは静かに息を吐いた。
エレーヌは次の行へ目を移した。
「本文には、衣類を分類したことについての記載がございます。すべてを一度に読み上げる前に、まず書かれている範囲を確認いたします」
マルタが頷き、記録の準備を整えた。
エレーヌは慎重に文字を追っていく。
そして、ある行で手を止めた。
「……『幼少時の衣類、保管分を別置』と読める部分がございます」
エレノアの指先が、手帳の上で止まった。
幼少時の衣類。
保管分を別置。
それは、自分が探していた衣装と関係があるのだろうか。
胸の奥に期待が広がったが、エレノアはすぐに質問しなかった。
エレーヌが読み進めるのを待つ。
「続く部分には、衣類の数量と思われる数字があります。ただし、数字の前後に薄くなった文字があり、何を数えているのかは、まだ明確ではありません」
セドリックが静かに尋ねた。
「数量そのものは読めそうですか」
「数字は『五』と読めます。ただし、これが衣装五着を意味するのか、別の単位なのかは、この行だけでは判断できません」
エレノアの胸が強く跳ねた。
五。
行方の分からない衣装は、五着残っている。
あまりにも気になる数字だった。
(五着……でも、待って。ここに書かれている五が、あの五着だと決まったわけではないわ)
エレノアは手帳へ視線を落とした。
昨日までなら、すぐに関係があるのではないかと考えてしまったかもしれない。
けれど、今は違う。
数字が同じというだけでは、何も確定しない。
エレノアは静かに手を挙げた。
「エレーヌ、質問してもよろしいでしょうか」
エレーヌは作業の手を止め、顔を上げた。
「はい、エレノア様」
「今の『五』という数字についてですが、衣装の数なのか、それとも別のものを数えているのか、まだ分からないということでよろしいでしょうか」
「そのとおりでございます。前後の文字が判読できれば意味を絞れる可能性はございますが、現時点では数量の対象を特定できません」
「分かりました。ありがとうございます」
エレノアは頷いた。
マルタがその質問と回答を記録する。
エレノアも手帳へ書き加えた。
『数字「五」。何を数えているか不明。所在不明の五着と同一視しない。』
その文字を書き終えると、少しだけ落ち着いた。
期待してしまう気持ちはある。
しかし、期待と事実を分けることはできる。
エレノアは再び資料へ目を向けた。
◇ ◇ ◇
エレーヌはさらに数行を確認したあと、慎重に声を上げた。
「こちらに、移動先を示している可能性のある記載がございます」
室内の空気が、わずかに変わった。
アルフォンスが静かに尋ねる。
「どのような内容ですか」
「『西側保管』という文字が確認できます。ただし、その前後の文章は一部不鮮明です」
エレノアは息を呑んだ。
西側保管。
母の木箱が、かつて東側の衣装棚から移された場所。
その言葉を聞いた瞬間、記憶の中にある記録が浮かび上がった。
五年前、ベアトリスが署名し、ヴァレリアが承認した移動。
しかし、今開かれている頁に書かれた「西側保管」が、それと同じ場所を指しているのかどうかは分からない。
そもそも、記録の年も判読できていない。
エレノアは唇を結び、慎重に言葉を選んだ。
「叔父様……以前、お母様の木箱が西側の保管場所へ移された記録がありましたよね」
アルフォンスは頷いた。
「ああ。ただし、今の記録と同じ移動を示しているとは限らないよ」
「はい。私も、そこは分けて考えたいです」
エレノアは答えた。
「でも、あとで照らし合わせられるように、記録しておきたいと思います」
「それがいいね」
アルフォンスは穏やかに頷いた。
エレーヌも続けた。
「今回の頁にある『西側保管』が、建物内のどの場所を指しているのかも、現時点では確認できておりません。別の記録との照合が必要になります」
マルタはその説明を書き留めた。
エレノアも手帳へ記した。
『西側保管の文字あり。母の木箱の移動記録との関係は未確認。』
筆を置くと、エレノアはゆっくりと息を吐いた。
何かがつながりそうな気がする。
けれど、その感覚だけで結論を出してはいけない。
エレノアは自分へそう言い聞かせた。
エレーヌは頁の下部へ目を移した。
そこには、本文とは少し間隔を空けて、短い文字が記されていた。
「……こちらには、人名と思われる記載があります」
エレノアは顔を上げた。
アルフォンスも姿勢を正す。
「読めますか」
「姓の部分は、比較的はっきりしております。ただし、名は記されていないようです」
エレーヌは慎重に確認したあと、ゆっくりと読み上げた。
「『ロラン』と読めます」
エレノアの胸が、再び強く跳ねた。
ロラン。
以前確認した帳簿にも残されていた姓。
ベアトリス・ロランという人物の名前も、すでに調査の中で出てきている。
しかし、同じ姓があるからといって、同一人物だとは限らない。
エレノアはそのことを理解していた。
それでも、驚きを隠すことはできなかった。
「……ロラン、ですか」
思わず小さく呟く。
エレーヌは頷いた。
「はい。ただし、こちらの記載だけでは、誰を指しているのかは分かりません。また、本文を書いた人物なのか、確認した人物なのか、それ以外の役割なのかも、現時点では判断できません」
アルフォンスは静かに頷いた。
「以前の帳簿にも同じ姓がありましたね。ただ、あちらも役割が明確ではなかったはずです」
「はい。今回の記載についても、別の資料と照合する必要がございます」
エレーヌは答えた。
セドリックが少し考えてから口を開いた。
「同じ姓が複数の記録に現れていること自体は、確認できた事実ですね。ただし、それが同じ人物であることや、同じ役割を示していることまでは分からない」
「そのとおりです」
エレーヌは頷いた。
エレノアは手帳を開き、慎重に書き留めた。
『ロランの姓あり。名なし。役割不明。以前の帳簿との同一人物・同一役割は未確認。』
書き終えたあと、エレノアは少しだけ手を止めた。
ロランという姓。
西側保管という文字。
数量と思われる五という数字。
それぞれが、これまでの調査と関係しているように見える。
けれど、今はまだ、つながっていると証明できない。
(こんなにも気になる言葉が並んでいるのに、まだ何も決められないのね。でも、だからこそ、丁寧に確かめなければいけないのだわ)
エレノアは静かに息を吐いた。
そのとき、エレーヌが資料の端へ目を向けた。
「……少しお待ちください」
声の調子が変わった。
エレノアは顔を上げた。
エレーヌは頁の下端を慎重に確認している。
「この頁の下側に、紙が弱くなっている部分がございます。先ほど外側から見えていた変色と重なる場所です」
アルフォンスが尋ねた。
「作業を続けることはできますか」
エレーヌはすぐには答えなかった。
紙の状態を確かめ、次の頁との接し方を調べている。
しばらくして、彼女は顔を上げた。
「この頁の文字を確認することはできましたが、次の頁を開く際に、弱くなった部分へ力が掛かる可能性があります。無理に進めるべきではないと考えます」
室内が静かになった。
エレノアは思わず、資料の束へ目を向けた。
まだ続きがある。
そこに何が書かれているのか、知りたい。
けれど、紙を傷めてしまえば、二度と読めなくなるかもしれない。
エレノアは膝の上で両手を重ねた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……今日は、ここで止めてください」
エレーヌが顔を上げた。
エレノアは続けた。
「まだ読みたい気持ちはあります。でも、無理に開いて傷めてしまう方が嫌です。必要な確認をしてから、また調べられるようにしていただきたいです」
アルフォンスは穏やかに頷いた。
「私も同じ考えだよ。エレーヌ、今日はここまでにしましょう」
「承知いたしました」
エレーヌは丁寧に答えた。
マルタは作業を中断した理由を記録する。
次の頁は、まだ開かれていない。
束全体の頁数も、現時点では確定していない。
今日確認できたのは、最初の二枚に続く一枚だけだった。
それでも、その一枚には、いくつもの新しい情報が残されていた。
◇ ◇ ◇
作業を終える前に、エレーヌは確認した内容を読み上げた。
新たに開いた頁の表題は、「衣類整理控」。
日付は十月と読めるが、年は不明。
日については十二日または十三日の可能性があるものの、判読は保留。
本文には「幼少時の衣類、保管分を別置」と読める記載がある。
数字の「五」が確認できるが、何を数えているのかは不明。
「西側保管」という文字があり、下部には「ロラン」という姓が記されている。
ただし、いずれも前後の文字が不鮮明な部分を含み、移動先や人物の役割については確定できない。
エレノアはその説明を聞きながら、自分の手帳と照らし合わせた。
何度も確認したい気持ちはあったが、同じ質問を繰り返しても、新しい情報が増えるわけではない。
今は、記録を正しく残すことが大切だった。
エレーヌは最後に、次の頁の状態について説明した。
「本日開かなかった部分については、紙の下端が弱くなっている可能性がございます。専門的な保存方法について確認し、安全に扱える見込みが立つまでは、開封を進めない方がよいと考えます」
アルフォンスは頷いた。
「では、専門家への相談方法を検討しましょう。ただし、資料を移動させる必要があるかどうかも含めて、慎重に判断してください」
「承知いたしました」
エレーヌは答えた。
マルタが最後の記録を書き終えると、確認済みの頁を傷めないよう、資料の保護作業が始まった。
エレノアはその様子を静かに見守った。
頁が閉じられ、保管のための処置が進められていく。
その間、エレノアは何も言わなかった。
ただ、胸の奥には複雑な気持ちが広がっていた。
知りたいことが、少し分かった。
けれど、分かったことで、新しい疑問も増えた。
西側保管とは、どこのことなのか。
五という数字は、何を示しているのか。
ロランとは、誰なのか。
そして、次の頁には何が書かれているのか。
エレノアは静かに息を吐いた。
(今日は、全部を知る日ではなかったのね。でも、何も分からなかったわけではないわ)
その思いを胸に、エレノアは手帳を閉じた。
◇ ◇ ◇
記録管理室を出たあと、エレノアはセドリックとともに小さな談話室へ向かった。
リディアが温かいお茶を用意してくれたが、エレノアはしばらく茶器へ手を伸ばさず、膝の上に置いた手帳を見つめていた。
セドリックは急かすことなく、隣の椅子へ腰を下ろした。
窓の外では、午後の光が少しずつ傾き始めている。
「……お兄様」
エレノアが口を開くと、セドリックは静かに顔を向けた。
「どうしたんだい?」
「今日の記録を見て、少し驚きました。あんなに気になる言葉が、同じ頁に書かれているとは思っていなかったので」
エレノアは手帳の表紙へ指先を添えた。
「五という数字も、西側保管という文字も、ロランという姓も……今まで調べてきたことと、関係があるように思えてしまいます」
セドリックは穏やかに頷いた。
「そうだね。僕も気になったよ。ただ、今日分かったことだけでは、まだ関係を確かめられない」
「はい。それは分かっているつもりです。でも、気になる気持ちまで消すことはできなくて」
エレノアは少し困ったように微笑んだ。
セドリックはその様子を見つめ、静かに答えた。
「気になること自体は、悪いことではないと思うよ。大切なのは、気になった理由と、実際に確認できたことを分けておくことだろうね」
エレノアは顔を上げた。
「……そうですね」
「例えば、五という数字が行方不明の五着と同じだったことは、気になる理由になる。でも、同じ数字だからといって、同じものを示しているとは限らない。そこを区別できていれば、今すぐ疑問を消す必要はないんだ」
セドリックは穏やかに続けた。
「西側保管についても同じだよ。以前の木箱の移動記録と照らし合わせる価値はあるけれど、今日の頁だけで木箱の行き先が分かったわけではない」
エレノアはゆっくりと頷いた。
自分でも理解していたことだった。
けれど、誰かの言葉として聞くと、少し落ち着いて受け止められる。
「お兄様、私は……今日、もっと多くの頁を読めると思っていたのかもしれません」
エレノアは静かに言った。
「傷んでいたら止めると分かっていたのに、実際に一枚だけで終わると、少し残念に思ってしまって」
セドリックは首を横に振った。
「それは仕方のないことだと思うよ。長く待っていたのだから、続きが気になるのは当然だ。でも、君は自分から作業を止めてほしいと言えた。僕は、それが大切だったと思う」
エレノアは少し驚いたように顔を上げた。
「……そうでしょうか」
「ああ。もし無理に開いて資料を傷めていたら、次に調べる機会まで失っていたかもしれない。今日の君は、知りたい気持ちだけでなく、資料を守ることも選んだんだよ」
その言葉を聞き、エレノアはしばらく黙っていた。
確かに、続きを読みたい気持ちは強かった。
けれど、それ以上に、残されている記録を失いたくなかった。
その判断を、自分でできた。
「……ありがとうございます、お兄様。少し、気持ちが落ち着きました」
エレノアは微笑んだ。
セドリックも穏やかに笑みを返した。
そのあと、二人は今日の記録について、もう少し話をした。
ただし、誰かの名前を疑いの中心へ置くことはしなかった。
ロランという姓が記されていたことは事実。
しかし、ベアトリス・ロラン本人だと確認できたわけではない。
同じ人物だったとしても、記録したのか、確認したのか、それ以外の役割だったのかは分からない。
その区別を大切にしながら、今後の照合について考えることにした。
◇ ◇ ◇
同じ頃、アルフォンスはエレーヌとマルタから、作業記録の確認を受けていた。
机の上には、今日新しく確認した頁の内容を整理した紙が置かれている。
エレーヌはその一つ一つを指し示しながら、読み取れた文字と、判読を保留した部分について説明した。
「今回の頁には、いくつか重要と思われる記載がございます。ただし、現時点で確定できるのは、実際に読めた文字まででございます」
アルフォンスは頷いた。
「ええ。特に『五』という数字については、既存の衣装記録と結びつけたくなるけれど、そこは慎重に扱う必要がありますね」
「そのとおりでございます。数量の対象が明確ではありませんので、五着と断定することはできません」
マルタが続けた。
「また、『ロラン』という姓についても、本文との位置関係は記録しておりますが、役割を示す語が確認できておりません」
アルフォンスは少し考え込んだ。
以前の帳簿にも、同じ姓があった。
しかし、そちらも記録者と確認者の欄がまとめられており、誰がどの役割を担ったのか明確ではなかった。
今回の頁が、その疑問を解決してくれるとは限らない。
「以前の問い合わせへの回答でも、ロランという記載の役割は明らかになっていませんでしたね」
「はい。今回の記録と照合する場合も、同一人物であることを前提にしない方がよろしいかと存じます」
エレーヌは答えた。
アルフォンスは頷いた。
「その方針でお願いします。それから、次の頁については、どのような対応が考えられますか」
エレーヌは慎重に言葉を選んだ。
「まず、資料の保存状態について専門的な助言を得ることが必要だと思われます。紙の下端が弱くなっている可能性があり、次の頁を開く際に力が掛かるおそれがございます」
「専門家に見てもらう場合、資料を移動させる必要がありますか」
「その点も、まだ判断できません。現地で確認していただける方がいるかどうかを含め、相談先を調べる必要がございます」
アルフォンスは静かに頷いた。
「では、まず相談方法を整理しましょう。今日の段階で資料を移動させることはしないでください」
「承知いたしました」
エレーヌは答えた。
マルタは最後の記録を確認し、作業を終えた。
アルフォンスは机の上の紙を見つめた。
今日開いた一枚の頁。
そこには、以前の調査と関係するかもしれない言葉がいくつも残されていた。
けれど、まだ答えは出ていない。
それでも、調べるべきことが少し明確になったのは確かだった。
アルフォンスは静かに息を吐き、書類を整えた。
◇ ◇ ◇
夕食の席では、今日の記録について、家族へ簡単な報告が行われた。
アルフォンスは、開封作業が無事に始められたことと、新たに一枚の頁を確認できたことを説明した。
ただし、次の頁については紙の状態に懸念があるため、作業を中断したことも伝えた。
オーギュストは静かに頷いた。
「無理に進めなかったのは、よい判断だったと思うよ。古い資料は、一度傷めてしまえば元に戻せないこともあるからね」
「はい。エレノアも、自分から作業を止めてほしいと言ってくれました」
アルフォンスがそう言うと、マルグリットはエレノアへ目を向けた。
「そうだったのですね」
エレノアは少し照れたように微笑んだ。
「続きを読みたい気持ちはありました。でも、資料を傷めてしまうのは嫌だったので」
「それでよかったと思いますよ」
マルグリットは穏やかに答えた。
「知りたいことがあるときほど、急がずに待つのは難しいものです。でも、あなたが大切にしたいと思っているものを守るためには、必要なこともありますから」
エレノアは静かに頷いた。
そのあと、今日確認できた内容についても話題になった。
衣類整理控という表題。
十月の日付。
幼少時の衣類を別に保管したと思われる記載。
数量の対象が分からない「五」。
西側保管という文字。
そして、ロランという姓。
マルグリットは説明を聞き終えると、少し考え込んだ。
「気になる記載が多いですね。でも、どれもまだ詳しい意味までは分からないのですね」
「はい、お祖母様。今は、実際に読めた文字だけを記録しています」
エレノアは答えた。
「私も、いろいろ考えてしまいました。でも、今日は分からないことを無理に決めないようにしました」
マルグリットは嬉しそうに微笑んだ。
「それは大切なことですね」
エレノアは小さく頷いた。
食事の途中、セドリックが庭園の話を持ち出した。
今日も東寄りの園路では土の状態を調べる作業が続いており、修繕の方法はまだ決まっていないという。
エレノアはその話を聞きながら、少しだけ気持ちが和らぐのを感じた。
衣類の記録を調べる日であっても、屋敷の暮らしは続いている。
庭園の手入れも、食事の支度も、使用人たちの仕事も、いつもどおり進んでいる。
その当たり前の時間が、今のエレノアには大切だった。
◇ ◇ ◇
夜、自室へ戻ったエレノアは、机の上に手帳を広げた。
窓の外では、秋の風が静かに木々を揺らしている。
壁際の棚には、桃色の野薔薇の刺繍が飾られていた。
机の上には、未完成の青い花の刺繍も置かれている。
エレノアはそれらを一度眺めてから、今日の記録を読み返した。
新しく確認した頁は一枚。
表題は衣類整理控。
日付は十月。
年は不明。
数字の五は、何を数えているのか分からない。
西側保管という文字があり、ロランという姓が記されていた。
しかし、いずれも詳しい意味は確定していない。
エレノアは手帳の余白へ、今日の感想を書き加えた。
『気になる記載が多く、以前の調査と関係しているように思えました。しかし、同じ数字や姓があるだけでは、同じものを示しているとは限りません。今後の照合で確かめたいと思います。』
書き終えると、静かに息を吐いた。
今日の自分は、何か大きな答えを得たわけではない。
母の木箱も、行方の分からない衣装も、まだ見つかっていない。
それでも、今まで閉じられていた記録を一枚確認することができた。
そこには、これまで知らなかった文字が残されていた。
(お母様……私は、少しだけ前へ進めたのでしょうか)
エレノアは壁際の棚へ目を向けた。
桃色の野薔薇は、柔らかな灯りの下で静かに咲いている。
母が使っていた木枠に、自分で刺した花。
その姿を眺めていると、胸の奥に温かなものが広がった。
エレノアは椅子から立ち上がり、棚の前へ歩み寄った。
「お母様。今日は、封じられていた記録を一枚だけ読むことができました」
小さな声で呟いた。
「まだ分からないことばかりです。でも、以前よりも少し、調べるべきことがはっきりしたように思います」
返事はない。
けれど、エレノアはしばらくその場に立っていた。
今日、資料の中に見つけた言葉。
西側保管。
ロラン。
そして、意味の分からない五という数字。
それらが何を示しているのかは、まだ分からない。
けれど、これから調べることはできる。
資料を守りながら、別の記録と照らし合わせ、確かめられる範囲を少しずつ広げていく。
そのための時間が、今の自分にはある。
エレノアはそっと微笑んだ。
「私は、急がずに確かめていきたいです。お母様のことも、私自身のことも、誰かの言葉だけで決めたくありませんから」
その言葉を口にすると、胸の奥が少しだけ軽くなった。
エレノアは机へ戻り、日記帳を開いた。
『今日は、衣類の記録を開きました。新しく確認できたのは一枚だけでしたが、そこには今まで知らなかった記載がありました。続きを読みたい気持ちはあります。しかし、紙が傷んでいる可能性があるため、今日は作業を止めました。』
続けて、少し考えながら書き加える。
『残念な気持ちもありました。でも、資料を守ることを自分で選べたのは、よかったと思います。分からないことを無理に決めず、次に確かめられる日を待ちたいです。』
エレノアは筆を置き、書いた文章を読み返した。
今日一日を振り返ると、胸の奥には疲れもあった。
けれど、それ以上に、静かな充実感が残っている。
何かを確かめたいと思い、実際に行動した。
そして、分からないことが残っていても、それを受け止めることができた。
エレノアは日記帳を閉じた。
そのとき、扉の向こうからリディアの声が聞こえた。
「エレノア様、就寝のお支度を整えに参りました」
「ええ、どうぞ入ってちょうだい」
リディアが入室すると、エレノアは穏やかに微笑んだ。
「今日は少し疲れたわ。でも、記録を確かめることができてよかったと思っているの」
リディアは安心したように頷いた。
「お疲れさまでございました。今日は大切な一日でございましたね」
「ええ。まだ分からないことは多いけれど、これからも少しずつ調べていきたいわ」
エレノアは静かに答えた。
リディアは寝台を整えながら、優しく微笑んだ。
「その際には、またお側でお手伝いさせていただきます」
「ありがとう、リディア」
エレノアは微笑んだ。
就寝の支度を終えると、窓の外には静かな夜が広がっていた。
今日開いた頁の続きは、まだ封じられたままである。
王宮への正式な婚約拒否の返書も、まだ送っていない。
母の遺品についても、解決していないことが数多く残っている。
それでも、エレノアは以前ほど焦っていなかった。
今は、何も知らないまま立ち尽くしているわけではない。
自分の意思で確かめ、考え、必要なときには立ち止まることができる。
そして、その選択を支えてくれる人々がいる。
(私は、もう一度与えられたこの時間を、大切に使いたい)
エレノアは寝台へ身を横たえ、静かに目を閉じた。
封じられた記録の先に、何が残されているのかは分からない。
けれど、今日開いた一枚の頁は、確かに新しい手がかりを残してくれた。
その小さな前進を胸に抱きながら、エレノアは穏やかな眠りへと落ちていった。




